第39話





「サクさぁんっ!」


 舞は声をかけ続ける。

 舞を庇って重症を負ったサクの意識を保つために。

 龍神の奇襲により、図らずも落ちることとなった《死の洞窟》下層。

 舞とサクは他のキキュウの面々とは逸れてしまっていた。

 彼らの安否は分からない。だが、舞達以上に危機的な状況もそうないだろう。

 前人未到の下層から生き延びるだけでも無理難題なのに、そこには戦車がいた。

 しかも、戦車は、舞とサクを見つけるなり、執拗に追いかけてきた。

 やがて、必死に逃げた甲斐もなく、舞たちは追い詰められた。

 壁際の窪みになんとか身を隠すも、サクが意識を虚ろにするまでに重傷を負わされてしまった。


「サクさぁんっ!」


 舞は何度も呼びかけ続ける。

 すると、少しして、呼びかけの甲斐あってか、サクが意識をはっきりさせた。

 

「うるせぇよ……」


 サクは意識を取り戻し、舞に苦情を入れる。

 サクの気怠そうだが、普段通りの軽い返事に舞は一安心した。


「サクさんっ……よかったっ」


 舞は感極まり涙をこぼす。

 状況が状況なだけに、舞は色々と限界を感じていた。溢れ出した涙は止まらなかった。

 そんな舞を見かねてか、サクが冗談めいて声をかける。


「まだ死なねぇよ。最後は、美人の腕の中だって決めてんだ」

「美人じゃなくてすみませんね」


 サクの軽口の意図を感じとってか、舞もいささか口を尖らせて軽口を返す。

 しかし、十代の舞に対してアラフォーのサク。経験の差はすぐさま現れた。

 舞の返事を受けてサクが続けた。


「お前も十分綺麗だよ。だが、あと四十年経ってから出直してこい」

「うっさい、この熟女好きがっ!」


 やはり、性癖は偉大である。


「熟れた果実はいいぞ〜」

「私に言うなエロジジイ」


 先ほどまで泣き腫らしていたとは思えないほど、冷たく凍えるような視線を送り始めた舞。

 だが、冗談の応酬を通じて舞は、ふと、先程までの不安が少し消えていたことに気がついた。

 サクは、重傷を負った自身の方がかなり悪い状況であるにも関わらず、舞を気遣ってくれていたのだ。

 舞は、自身の不甲斐なさを恥じながらも、サクの優しさにお礼を言おうと口を開こうとした。

 だが、その時であった。


 ——タッ、タッ、タッ、タッ。


「……ねぇ、なんか足音聞こえない?」


 舞の口から突いて出たのはお礼ではなかった。

 駆け音が聞こえていた。

 サクが、舞の問いかけに答える。


「あぁ、戦車じゃねぇやつだろ?」

「うん。広間の方じゃなくて、小径の方から」


 何者かが駆ける音の源はドーム球場よりもとてつもなく大きな広場の方ではなかった。

 その広場からちょろちょろっと伸びている小径の方から聞こえてきた。

 舞は緊張に顔を強張らせる。

 サクが諦めとも、決意とも取れる口調で呟いた。


「しかも丁寧にこっちに向かってきてるなぁ。……こりゃぁ、俺の命運も尽きたかねぇ」


 サクにしては滅多にない余裕のない言葉。

 龍神や戦車と遭遇した時以来のどうしようもなさそうな言葉。

 舞はサクの声を聞いて、嫌な予感がしてサクの方向を向いた。その先の言葉は吐かせてはいけないと思った。

 だが、サクが口を開く方が早かった。


「マイ、俺が囮になる。だから、逃げろ」


 絶望的な状況。

 必然的に導き出される言葉であった。

 

「でもっ⁉︎」


 だからといって、舞とて納得できる話でもない。

 サクには、龍神から、戦車から、死の洞窟から、今まで守ってもらってきた。

 だから、見捨てて逃げろと言われて、首を縦に振れるわけもない。

(今度は、私の番だ……今度は、私が守る番だ!)


「サクさん、今度は私が戦う!!」


 舞は決意を込めてサクを見遣る。

 この世界に転移して一年弱。舞は未だに戦うのは怖いと感じていた。色んな人からも向いていないと言われた。

 でも、それでも、やらねばならない時はある。


「マイっ⁉︎」


 サクから驚きとともに、制止を求める声があがる。

 しかし、そもそも彼は死に体だ。動ける人間を止める力など残ってはいない。

 いつの間にか、小径から聞こえていた足音はやんでいた。

 だが、舞は、気配でわかっていた。

 足音の主人はすぐそばの物陰に身を隠している。

 集中を切らすな。

(私が守るんだ、私が……⁉︎)

 舞は右手首にある腕輪のような模様を光らせる。

 戦闘態勢をとり、気を張り詰める舞であったが、足音の主人のとった行動は想像だにしないものであった。


「……待ってくれ。たぶん、俺は、敵じゃない」


 小径より近寄ってくる気配から、驚くべきことに言葉が投げかけられてきた。

 あまりの事態に舞とサクは互いに顔を見合わせる。

 そうして二人が様子を見ている間に、ソイツは両手を頭の上の高さまであげて、無害であることをアピールしながら姿を現した。

 そのナリモノは、小鬼であった。

 百七十センチほどの身長に筋肉質な体は、なぜかサイズ感のすこぶる悪いワンピースと深紅の帯で文明感を漂わせている。四本のツノは立派だが、肩の辺りまで伸ばしっぱなしで雑に結われた髪の毛の方が目立ってしまっており、それが、どこか目の前の存在の残念さ加減を助長している。

 だが、ナリモノとして非常にエキセントリックなその見た目の印象も、小鬼が続けた言葉に全て吹き飛ばされた。


「やっぱり……江本だったんだな」


 小鬼は舞の顔を見てどこかホッとした表情を浮かべている。

 だが、舞は突然の埒外の言葉に固まらざるを得なかった。

(へ……⁉︎ なんで⁉︎)

 なんでこの場では一回も呼ばれてない苗字を知ってるのか。というか、なんで小鬼が自分の名前を知っているのか。

 舞の頭に疑問が渦巻く。

 隣のサクも舞へ困惑の視線を寄せている。

 だが、混乱は収まらずとも、必死にこの奇っ怪な事態の切り口を探っていると、舞は気がついた。

 最初は、声だった。かすれ気味だが、なんとなく知っている人間と異世界の人間と似ていた。

 そして、改めて顔を見るとさらに疑いが、確信へと近づいていった。声だけでなく顔にも既視感があった。


「まさか……⁉︎」


 疑いの声と裏腹に、舞の脳内で全てが繋がっていった。

 まさか、そんなはずはないとは言い切れなかった。

 この世界に転移した当初、舞は、純や大と一緒にとある疑問を抱えていた。

 それは、本当に転移したのは私たちだけか、ということだ。

 転移直前、教室には全部で八人存在していた。特に、河田直樹は、舞たち三人と転移直前まで一緒に隔離させられていた。

 なぜ転移させられたのかは未だにさっぱりわからない。それでも、転移したのが舞たち三人だけというのは不自然極まりなかった。だから、転移直後からモトハルたちにその事実を伝えて調査をお願いしていたものの、結果は一切出なかった。

 転移から一年弱、自然と舞たちは自分たち三人以外に転移者はいないものだと思い込んでいた。

(もしかして、目の前の小鬼は……⁉︎)

 舞はその突拍子もない疑念を半ば確信に変えながら、それでもやっぱり信じられないといった様子で呟く。


「まさか、河田、なの……?」


 対面の小鬼の戸惑いながらも嬉しさを滲ませた首肯が、答えを示していた。

 舞は彼の境遇を一切知らない。転移前も転移後も。

 それでも、舞の問いかけに対してみせた、彼の笑みがあまりにも自然で、舞は驚いた。

 河田直樹はクラスでとても浮いた存在であった。彼が他人としゃべっているところを舞は殆ど見たことがなかった。

 クジで外れを引いて引き受けることになった庶務係の仕事、そこで舞は初めて彼と話す機会ができた。とはいえ、内容は提出物の催促がほとんどであったが。

 そこで、舞は彼の異質さを再確認した。

 喋らない、暗い。それに会話だけでなく感情の起伏もほとんど見られない。転移直前、純に対してイライラしているのを見たのが舞にとって初めての彼の大きな感情表現だった。

 舞は、ここまで人の目を気にせず、自分を貫き通せるのは、ある意味とてもすごいことだと思っていた。

 だから、舞は河田直樹の笑顔を見たのは、ポジティブな感情表現を見たのは初めてであった。

 コイツ、こんな風に笑えるんだ、と酷く場面を間違えた印象が、舞の胸の中に強く残った。




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