第17話 Another side




 昼下がりの化学実験室。

 午後の授業も開始して静まり返った理科実験棟において、この化学実験室には異様とも言える空気が張り詰めていた。

 渡部純は河田直樹の言い様に腹をたてるも、それを一旦脇に置いて、江本舞へと話しかける。

 側にいる御手洗大のため、そして過ちを犯した小原良平や岩本健太郎のために知らなければならない。

 果たして、昼休みに何が起こっていたのか。


「江本さん、もしよかったら、きいてもいいかな?」


 純のそんな問いかけに対し、江本さんが口を開こうとして……


「ちょっ、小原くん!待ちなさいっ!」


 廊下から平賀千佳、チカちゃん先生の静止を求める叫び声が聞こえる。

 呼びかけられた対象は今回の《お掃除》騒動の主犯、小原良平だ。

 良平、チカちゃん先生以外の足音も複数聞こえてくる。別室で先生が話をきいていた加害者グループ全員がこちらへと向かってきたのだろうか。

 走っているような、激しいかけ音はだんだんと純たちの下へと近づいていき……


「ガラガラッ」


 ついに、純たちのいる教室の扉が開かれる。

 

「良平……」


 純は扉から部屋へと入ってきた良平の姿を確認するも、次の言葉を見つけられない。

 

「小原くんっ!」


 良平の背後からは焦った声で良平の行動を咎め、止めようと試みるチカちゃん先生の言葉が聞こえてくる。

 チカちゃん先生と一緒に、岩本賢太郎、そして、草場立花の姿も見えた。

 岩本賢太郎は、家庭の事情もあり、純や良平のコバンザメ役をやっている少年だ。今回、良平の行為に加担していたため、加害者グループに呼び出された。

 一方、草場立花は今日の”お掃除”には一切関与していない。だが、純や良平たちとよくつるんでいることから関係者、参考人として呼ばれたのだろうか。普段は化粧や髪色と合わせて雰囲気も明るい立花の、加害者側での、この場への登場に、純は少し動揺する。

 突然の乱入に戸惑いを隠せない被害者グループの面々。それを確認してか、良平はやや挑発気味に口を開いた。


「はぁ〜。きいたか?チカちゃんが、俺らの遊びをいじめとかいうんだよ。千佳ちゃんも、こんなにプリプリしてたら、かわいいお顔にシワができて大変だろうに……」


 ニヤニヤした良平の、芝居ぶった口調の枕には誰もほぼ反応できない。

 唯一、チカちゃん先生が額に青筋を立てたような表情を見せただけだ。

 良平が何を言い出すか予測できず、身構えていたその場の面々は肩透かしを食らった気分になる。

 だから、良平の次の、突然の言葉に誰も反応できなかった。


「なぁ、大。本当のことを話してくれよ。俺ら、ただ、一緒に、遊んでただけだよなぁ?」


 変にニヤニヤした良平の表情はフレンドリーで、裏切ったその後をより一層不気味に引き立てる。

 もはや威圧といって構わない。

 そんな良平の言葉に、大は口を開けようとして……





****





「うっ……」


 純は意識を取り戻す。目を開くと、視界を占めたのは薄暗い曇り空であった。霧が濃く見通しが立たない。

 頭痛や酩酊感など不快な感じはなく、体の状態は良好であると思われる。

 純は上体を起こしながら、あたりを見てみる。

 すると、ここは、ただただ広い、石畳の広場であることに気づいた。見通しが悪く、端までは見渡せない。見える範囲は、精々、十メートル先までといったところか。広場は、手入れが不十分なのか、普段は使われていないのか、石畳の下からは雑草が顔を出し、石畳以上にその存在を主張している。広場の印象は石畳のグレーというより緑の方が強い。

(なんなんだよ、これ……)

 純は現実味の乏しいこの状況にしばらく呆けていることしかできなかった。



 しばらくして、ようやく茫然自失の状態を脱した純は考えを巡らせ始める。

(俺は化学実験室に居たんだよな……)

 意識が途切れる直前まで化学実験室にいた。

(だけど……)

 記憶が、意識が不自然にそこで途絶えていた。そして、目を覚ましたらこの状況である。

(どこだ、ここは)

 純が状況把握のために頭を使い始めたたところで……


「うぅ……」

 

 真後ろからうめき声が聞こえてくる。すぐ後ろだ。

(な、なんだ⁉︎)

 動転していて、背後を一切見ていなかった。

 純は、予想外の他者の存在に驚きを隠せない。

 恐る恐る後ろに振り返ってみると……そこにはよく見知った顔がいた。


「だ、大!江本さん!」

「じゅ、純か……どうなってんだこれ?」

「御手洗くん、渡部くん……なに、これ……?」


 御手洗大と江本舞がそこには横たわっていた。

 彼らも今、目を覚ましたばかりなのだろう。状況把握できず、目を白黒させている。

 混乱で目を回している彼らの胸中を察しながらも、純は二人に答えた。


「悪いけどさっぱりわからないよ。俺もさっき目を覚ましたばかりなんだ。何がどうなっているんだか……。二人は心当たりあるかい?」

「わ、私は全然わからないよ。化学実験室にいたら、突然、こんなところにいて……」

「江本さんも俺と同じか。大は、どうだった?」

「僕もそうだよ。化学実験室にいたはずなのに、気づいたらここにいた」


 どうやら二人とも状況は変わらないらしい。

 彼らから何か新しい情報が得られることは、あまり期待はしていなかった。だが、それでも微かな希望の消失に、少々落胆した。

 だが、そんな純の胸中を察してか、大が突拍子もない話を続けた。


「純、この前貸したラノベ覚えているか?」

「あぁ、あの冴えない高校生が異世界に召喚されて勇者として世界を平和にするってやつか?」

「そう、それ。別に詳しい内容は殆どどうでもいいんだけどさ。プロローグ、どんな感じだったか覚えてるか?」

「……日常生活を送っていたら突然意識を失って、目が覚めたら大昔の遺跡みたいな場所に寝転がってた」

「そして、そこに王女様と騎士様が現れて王城へ招待された。僕が言った部分はともかく、純が言った部分は今の状況とそっくりじゃないか?」

「いやいや、大、そりゃぁ、いくらなんでも……」


 大の荒唐無稽なアイディアに純はそんなバカな、と真面目に取り合うのも止めようとする。

 異世界転移なんてそんな無茶苦茶な。

 もしかしたら、この場をなんとか和らげようとする大なりのジョークだったのかもしれない。それにしては言葉に真剣味がこもりすぎていたが。

 純も、口をついて出た否定の言葉ほどに異世界転移の可能性を捨てられないのは、この現実味の欠けた状況に対する一種の現実逃避だからだろうか。

 純の否定的な発言に大も自分がどうかしてたと言わんばかりに取り繕う。


「い、いや〜、そんな訳ないよな〜。ははっ」

「そしたら、俺らが勇者ってことじゃねぇかよ。笑えなぇよ」

「まぁ、でも、僕の周りの人間で勇者って言われて納得できるのなんて純しかいないよ」

「何言ってんだよ。買いかぶりすぎだって。そういえばこういう召喚ものって、普通に召喚されなかったあぶれ者が主役だったりすることもないか?」

「ああ。そういうパターンも……そういえば、純っ、江本さんっ。ここにいるのって僕ら三人だけか?」

「あぁ。三人だ。三人しかいない……⁉︎」

「河田くんも、他の部屋から来た先生たちも……いないね」

 

 三人は不気味な状況に目を瞬く。

 化学実験室には直樹を含めて四人いた。そして、良平の乱入後には総勢八人となっていた。

 にも関わらず、この石畳の広場では自分たち三人しかいない。

 もしかしたら、視界を遮る濃密な霧の向こう側に五人ともいるのかもしれない。

 だが、三人だけが、なぜかはわからないが、この三人だけが固まって同じ場所にいた。

 この状況には何か意味があるんじゃないか。そう、純は勝手に感じていた。

 さて、この不可解な状況、取れる手段は多くない。

 原因は濃霧だ。

 そこで、三人は一先ずこの場に居座ることを選択した。

 あたりが見渡せない以上、動くことによるリスクより、動かないメリットの方が多いと判断した。

 持ち物は一切なし。制服のまま放り出されているため、食料や水分も一切持ち合わせていない。

 とても持久戦に適した装備とは言い難いが、もうしばらく。霧が晴れるのを待つか、バカバカしいが、迎えにくる王女様でも待つか。

 当面の方針が決まった一行は不安を紛らわせようと会話を続ける。

 最初に口を開いたのは大だった。


「あのさぁ、純はあんま話題にしたくもないかもだけど、さっきのはぐれ転移者パターンだけどさ、河田とかすんげぇ雰囲気持ってね?」

「確かに……あいつ自己中で根暗でぼっちで嫌味ったらしいけど、自分の言いたいこと言って、やって。多分、俺らよりよっぽど芯があって、自分らしく生きてるもんなぁ」

「だいぶディス入れたね……。まぁ、芯があるってのは純も変わらないと思うけど。でも、もしこれが異世界召喚だったとしたら、河田は、なんかミステリアスだもんね」


 河田直樹。話題は、転移直前、純と一悶着あった彼についてのものとなった。

 中肉中背、黒髪の短髪で、目も、口も、鼻も、取り立てて特徴のない、微妙な男子だ。似ている有名人は、と聞かれてパーツも雰囲気も一個も出てこない微妙な感じという表現だとわかりやすいだろうか。髪やファッション、表情次第ではまた違った印象を抱かせるのかもしれない。

 そのように印象の薄い河田直樹だが、彼の素行はクラス内で、とても有名だ。

 悪い意味でとかそういったものではない。

 ぼっち。

 ただただ、いつも一人なのだ。不自然なくらいに他人と一緒にいる場面を見かけない。

 だから、彼についてよく知る人間もそんなにいないのだ。


「なんなんだろうな、河田って。あいつと話したことないから全然わかんねぇわ。そういえば……江本さん、たまに河田に話しかけてるけど、何話してるの?」


 恐る恐る、それでもさりげなく純は舞へと尋ねる。

 江本舞。彼女も直樹と同様、ある意味、周りから浮いている面がある。

 容姿は、冴えないガリ勉といったイメージか。小顔にのった奥二重の瞼や整った鼻立ちはきちんとみせれば日本人形のように映えるかもしれない。だが、化粧っ気がなく、もさっとした長髪や野暮ったいメガネが邪魔をしている。平均的な身長にスレンダーで猫背な体型も冴えない感じを増長している。

 優等生で、成績良好、人付き合いもそれなりに。

 だが、彼女には噂がある。中学の頃の話だ。騒ぎを起こして不登校になったというものだ。

 純には噂について真偽のほどはわからない。ただ、その噂のせいなのか、彼女は他人との距離感が独特だ。一様に壁を作って遠ざけている感じがする。一様に。

 だから、純は、自分のことを変に持ち上げたり、ちやほやせずに、ちゃんとフラットに見てくれている感じがした。その関係性が心地よかった。

 純は、舞に告白して以降、特に化学実験室から、自分たちの間に溝ができてしまったことに気づいていた。

 この不明瞭な状況、彼女もきっと不安だろう。純は自分たちの関係を濃くは告白する以前に戻してでも、仲良くやっていけるようにしたいと思っていた。この状況を、力を合わせて乗り越えるために。 

 そんな純の心持ちを察してか、それでも、直樹に関する質問に、舞は眉を寄せてムッとした表情で答えた。


「……督促、と怒り」

「ん?」

「話じゃない。督促と怒り」

「は?」

「あのアホ、あらゆる提出物をほとんど出さないでやり過ごしてるから。先生方から私に督促の仕事が回ってくるのよ。しかも、宿題とか全くやってないし、塾にも行ってないっぽいのに、たまに私よりテストの点高いし……。ムカつく。で、誰の話だっけ?」

「な、なんでもないです……」


 これはいまだに微妙な空気の流れる純と舞が悪いのか、それとも直樹がクソなのか。

 ミスターパーフェクト、学業成績もズバ抜けた純にも勝負になるかもしれない学力を持つ舞。学年でもトップ10常連で、純も認める優等生の彼女に匹敵することもあるという、直樹のどうでもいい秀才っぷりに純と大は目を丸くする。

 大は、いつもテストで、零点のゼロの中に担当教師の似顔絵、変顔バージョンを書いて笑いをとる。そのために、全回答をギャグで埋め尽くす。彼は、直樹の意外な優等生っぷりに胸の中で、呑気に拍手を送っていた。

 一方で、純は舞の点数を超えるという”たまに”以外のテストでの結果を邪推していた。大した話をしていないというのに、ここまで舞に気にかけられている直樹の立場にちょっとだけ嫉妬した。

 こうして談笑することで、三人は表面的には落ち着きを取り戻していった。

 この不可思議な状況を乗り越えるために、できる限り頭をクリアにしておかねば、掴み取れるはずの選択肢も掴み得ない。

 時折、状況の推察、いや、妄想の類やもしれない考えを披露しながら、談笑を続ける。

 すると、突然、舞が、切迫感を伴った、ひそひそ声で注意を呼びかけた。


「ね、ねぇ。向こうの方から何か聞こえない?」

 

 突然の舞の発言に純と大は疑問符を浮かべる。

 本当にそんな音聞こえるのか。空耳ではないのか。

 だが、舞の指した方向に注意しながら耳をすませると、かすかに音が、人の声が聞こえてくる。


「もしかして……ひ、人がいるのか?」







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