第16話
はじまりの大広間から抜け出してしばらく。
巨大バエとウジ虫を撒くのにはかなりの時間を要した。
奴ら、あの状況からめちゃくちゃしつこく追いかけてきた。叩き潰せる力を手に入れたら、あいつらには絶対容赦しない。
結局、今回もはじまりの大広間からは逃げ出す羽目になってしまった。
前回は右も左もわからず、デタラメに走った結果、湖へと行き着いた。
だが、今回は違う。いや、右も左も分からないことに関しては大して変わりないが。
しかし、今回の逃走に関してはデタラメに駆けたりなどしなかった。目的地を定めていた。
道を追っていた。
この洞窟では強いモノが通ると道ができる。
同じ傷跡を負った死体の道だ。
大広間を出てからしばらく、弾痕が目につく死体が散見された。
彼女の足跡だ。
犬も歩けばバケモノに当たる、そんなバケモノばっかりの洞窟。中にはあの、まるでヒトと見紛うような人型のバケモノ、女神様に手を出そうとする馬鹿もいるのだろう。というか、割と血の気の多いやつは多い。
直樹は女神の後を追った。
理由は三つ。
一つ。近くにいれば圧倒的強者の庇護下に入れる。それに、おそらく、その強者にも殺される可能性が低い。ここまでの安全地帯は今まで、見たことがない。
二つ。女神様のおこぼれに預かれる。ご飯いっぱい食べたいもん。
そして、三つ。外に出られるかもしれない。女神様はこの洞窟において異質だ。おそらく、外から来たモノに違いない。外への手がかりが得られるかもしれない。
だが、まぁ、そんなのは理屈でしかない。
結局は直感だ。
彼女についていかないといけない。直樹は、頭のどこかでそう囁かれた気がした。
この洞窟での経験として、結局のところ、直感に従うのが一番後悔がない。
直感はとんでもないミスも多いが、思考では導き得ない真理を引っ張り出す可能性もある。
そんなこんなで。
近づき過ぎず、されど離れ過ぎず。
直樹は綺麗な女性のストーキング生活を始めたのであった。
***
——死の洞窟、最深部——
「十四年ぶりだな」
ホタルのような儚く、そして力強い光が無数に天井を埋める一つの大きなホール。同じ死の洞窟内において、直樹が鬼として生まれた大広間と酷似している。いや、広さ、形状、ともに意図して同じように作られたという方が説得力がある。
そんな何者かの意思が介在したかのように、不自然に綺麗に形作られた空間にて、重厚で、厳かな声が静かに響く。
声の主人は続ける。
「貴様もたまには外に出てはどうだ?」
「遠慮させて頂く。年寄りには厳しい世界だ」
威厳ある声の主人による既知への誘いの言葉。
それに対して、セリフの内容に反した若々しい張りのある男の声の返答は取りつく島もなかった。
威厳ある声の主人は、その返事を鼻で笑いながら会話を続ける。
「ふっ。我らの半分も生きていない小童が何をほざく」
「偉大なる先輩方と異なり、私はか弱いので。存じ上げないかと思いますが、この大広間の外、ランクSオーバーがうろうろしてるんですよ?先輩方にとっては路傍の石でしょうが、私、怖いです。か弱いので」
「ほざけ。ヒトが作った指標など貴様にも関係あるまい。ただ出不精なだけだろうに」
おどけた口調で自身をか弱いと称する男声の主人の言葉は冗談として流される。
事実、彼らにはヒトの作る指標など意味をなさないであろう。
この場には、会話をする二名と沈黙を続けるもう一名の計三名の姿が見える。だが、いずれもヒトではない。そして、ヒトが推し量れる領域に彼らは存在しない。
久方ぶりの再会に談笑にふけようとするところ。しかし、威厳ある声はそれまでとは一転して、トーンを落として雰囲気を整えると、おどけた男声の主人へ語りかける。
「真面目な話だ。お主、我々に手を貸す気は無いか。我々の悲願の成就も後、ほんの少しだ」
静まり返ること数秒。おどけた男声の主人は少々押し黙ったが、自身の信念を表すように、きっぱりと返答する。
「楽しそうなお話ではございますが、謹んで遠慮させて頂きます。私は傍観者でしかございません。時が来るその時まで」
「そうか。残念だ」
威厳ある声の主人は、残念がる言葉とは裏腹に全く意に止めた様子はない。返事は聞く前から分かりきっていたのだろう。
だが、続いて発せられたおどけた男声の言葉の内容には思わず眉をひそめた。
「若輩者の言でございますが、どうかお気をつけを」
「……どういう意味だ?」
「気を抜いていると足をすくわれるやもしれませぬぞ。十四年前のように」
「貴様! まさか我が、あの百鬼夜行のような失態を二度も犯すと思っているのか!!」
それまでの落ち着いた声音から一転、怒髪天を衝く。
《十四年前》、《百鬼夜行》、このワードに威厳ある声の主人は過剰に反応する。それだけのことがあった。
おどけた男声の主人は相手の様子を見てか、フォローと取れる言葉を連ねる。
「滅相もございません。ただ、十四年前、まさかあのような事になるとは思いもしなかった。此度も同じく。世界がどう流れていくかなど分かりはしない。それだけのことでございます、《龍神殿》」
血よりドス黒い、暗い紅の龍は目の前の相手を睨みつける。その眼光は直視しただけで心臓の鼓動を止めてしまいそうなほど、鋭い。
威厳ある声の主人、龍神と呼称されたモノは苛立ちを隠さずに目の前のモノと、黙りこくっているもう一名へ告げた。
「貴様の用心とやらの宛ては存ぜぬが、他でもない貴様の諫言だ。精々、気張るとしよう。では、両名共、手はず通りに」
「えぇ。全ては手はず通りに。もうしばらくで”戦車”も”荷物”も準備が整います」
「あぁ。任せたぞ。《神化計画》の成就ももうすぐだ。」
紅い龍は立ち去っていく。
その偉大な後ろ姿を見送りながら、大広間の主人は胸の内で思う。
龍は動き始めた。戦車もじきにここを発つ。
これからやってくるのは世界を救うための大きな、大きな動乱だ。
果たして誰が、何を想って、どのように世界を動かしていくのか。
先日、はじまりの広間で自身のしもべの包囲網を見事にくぐり抜けてみせた異界の小鬼は、その魂はどのように成長させていくのか。どのように世界を掻き乱して行くのか。
《彼》の起こした炎を絶やさず、灯し続けられるか。
小鬼と彼の命運は、すでに、交わっている。
(《彼》の願い……届くといいなぁ……)
死の洞窟、その最奥にて傍観者は賭ける。
未来を願って。
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