第15話
またコケた。……いや、転ばされた。
死骸にまとわりついていたウジ虫の糸に左足を取られた。
直樹を追う糸は一本だけでない。何本も意思を持ったように動く糸は転んで動きを止めた直樹を闇へ引きずり込むように絡め取っていく。
だが、直樹も糸が全身を絡め取るのを只々待つわけではない。
絡め取られたのは足だ。片足だけだ。
今回は四肢が動かないわけでも、首以外動かせないわけでもない。
直樹は糸に向けて額を、ツノを向ける。
そして、ツノを、槍を突き出すかのようにズドンと勢いよく放つ。
放たれた槍型のツノは糸だけでなく、その先の足場となっているバケモノの死骸までをも貫いた。
直樹は、糸の呪縛からの脱出を比較的スムーズに成せたことに胸をほっと撫で下ろす。
だが、これで数秒のロスが生まれた。
たった数秒、されど数秒。巨大バエが態勢を整え、直樹に追いつくのには十分であった。
直樹は素早く立ち上がると、状況を確認する。
前方下部、飛び移れる範囲で確認できたのは、このカマキリのようなバケモノの死骸のみだ。なんでもバターのように切り裂いてしまいそうな鋭いカマが特徴的だ。奴は腹を見せた、あられもない姿で吊られている。だが、そこから後、次に飛び移るのに適当な死骸は見当たらない。他の死骸とは距離が開きすぎている。
対する後方上部、ハエいっぱい。
このままだとジリ貧。
直樹は一瞬考えるも、すぐにカマキリもどきの死骸へとジャンプした。
また不用意に着地したら、糸に絡め取られる。巨大バエどもとの距離を考えたら次のタイムロスは致命的だ。
直樹は糸が絡まっていない場所を着地点に見定める。カマキリもどきの頭だ。真っ黒な目がすぐそばにあって怖い。
「ブウゥゥ〜〜ン!」
直樹は空中にて背後を、音の主人を見やる。
(巨大バエの突撃隊が今度は……四匹⁉︎ 多い!!)
先ほどの岩ガエルでの突撃より数が増えた。向こうもそれだけ本気になってきているということか。
まずは先行して一匹、直樹のカマキリもどきへの着地直後を狙ったタイミングだ。
(着地して構えたら間に合わない!)
瞬時の判断。
直樹はカマキリもどきの頭に着地し……そのまま、反動を使って宙を舞う。
「ブウゥゥ〜〜ン!!」
騒々しい羽音が直樹の横を過ぎ去ってゆく。
だが、息をつく間もない。
今度は二匹。ほぼ同時に上方より直樹に強襲を仕掛ける。
直樹は空中。足場もなく躱しようがない。
(なら、撃ち落とす!)
直樹は上方から攻め入ってきた二匹に対して額を突き出す。
(タイミングを合わせろ……ギリギリだ……ギリギリまで待て……)
撃ち時を見計らう。
イメージするのはチビガエルの舌弾丸。目に見えないほどのスピードをもってなされた舌の砲撃。
直樹にはチビガエルほどのバネもパワーも射程もない。
でも、一瞬で伸ばせる。
狙うは下に位置する個体の頭部。
(よし……今だ!!)
ツノを瞬間的に伸ばし——命中。パーフェクト。
直樹は自身のツノを、まるで如意棒のように扱った。
一瞬でツノを伸ばすように作る特性を利用し、弾丸のように放った。
狙い通り二匹のうち、下に位置する巨大バエの頭部に強烈な打撃を加えた。
そして、その衝撃で打ち上げられた巨大バエは、上に平行していたもう一匹に突進する形となった。
狙い通り、二匹を相打ちさせた。
(あと一匹!!)
先行して突撃を仕掛けてきた巨大バエは四匹。つまり、残り一匹。
だが、そいつは最もタイミングよく直樹を狙ってきた。
直樹が一連の動きを経てカマキリもどきの頭に再着地する、その瞬間に、突進を仕掛けてきた。
(今度は着地する間もない……)
着地して再ジャンプし、避ける。同じ戦法は叶わない。
(だが……予想範囲内!)
直樹は最後の一匹の挙動を観察しながら、カマキリもどきの頭に着地……せずに、蹴りつける。
巨大バエより先に落下する。
「ブウゥゥ〜〜ン⁉︎」
巨大バエは一瞬直樹の行動に戸惑いを見せた。だが、そのまま落下する直樹を追いかける。空中戦なら優位。その判断に迷いはない。
しかし、そこはもう、射程圏内であった。
直樹は精一杯の力で鎌を蹴り上げる。
すると、大きな鎌が巨大バエをタイミングよく下方から襲った。
そして、なんでもバターのようにスライスしてしまえそうな鋭い、カマキリもどきの鎌が。巨大バエを難なく切り裂いてみせた。
直樹はカマキリもどきに着地せずに頭を蹴りつけ、鎌のぶら下がる方へと方向転換した。そして、鎌を蹴り上げ、予想外の攻撃により、巨大バエの身を真っ二つにしたのだ。
だが、この行動の狙いはそれだけではない。
「うおぉぉぉぉぉ!」
直樹は必死に手を伸ばす。
その先には気絶した巨大バエがいた。
直樹は鎌を蹴った反動で下へ落ちると同時に、斜め横へと飛んだ。そして、ツノの弾丸攻撃で同士討ちにさせ、落下していた巨大バエの背に乗り移ろうとしたのだ。
同士討ちした巨大バエは頭にツノの弾丸攻撃、【ツノ弾丸】を受けて気を失い、垂直落下していた。
気絶したハエは自重の違いから、直樹のわずか先を落ちる。
足場を失ったままでは、いずれ追いついてきた巨大バエの大群に圧殺されてしまう。
だから、なんとしても掴まねばならない。
「と、届けぇぇぇ!」
すると、直樹の想いが通じたのか、巨大バエが意識を取り戻す。
本能的なものなのか、意識を回復して後、一瞬にしてホバリングを開始する。
運がいいのか悪いのか。直樹はハエの背へとタックルをかます形となった。
ハエの胴体はどうやら頑丈ではないらしい。今のタックルの衝撃でもダメージを食らったようだ。
だが、息はある。
直樹は巨大バエに意識があることを確認すると、タックルをかました場所にそのまま額を押し付け……【ツノやり】!
巨大バエの背から衝撃音が響き、羽音がリズムを乱す。だが、それもツノの貫通をもって強制的に止められた。
ツノでの槍撃、【ツノやり】をかまされた巨大バエはあえなく絶命した。
そして、そのまま力を失った巨大バエは直樹とともに再び自然な垂直落下を開始しようとするが——垂直落下がなされたのもコンマ数秒、力を失った巨大バエは落下速度を落とし、ホバリングを開始した。
落下は続く。だが、同時に、この始まりの大広間の出口へと向かって水平移動を始めていた。
直樹は涙目になりながらも、巨大バエの背に抱きつき、羽を広げる。
(うへぇ……)
どうやらこの状況下でさえ意識してしまうほど、虫嫌いの効力は筋金入りだ。
「ブウゥゥ〜〜ン!」
ここで、上空から巨大バエが猛スピードで追いかけてくる。先ほどカマキリもどきの頭の上でジャンプで躱した個体だ。ソイツに続いて数え切れないほどの巨大バエが追いかけてくる。
ついに同志を殺されて本気になったのだろうか。
当然、ホバリングしている直樹に比べ、奴らの方が早い。
——地上まで、残り三十メートル。
「くっ、逃げ切れるか⁉︎」
直樹は嫌悪感を押し殺し、より巨大バエに体を密着させて、今度は、羽ばたきを再現する。
一秒でも、一センチでも稼ぐために。
「くそっ……厳しいか⁉︎」
——地上まで、残り二十五メートル。
「ちっ、糸が邪魔な所に⁉︎」
直樹が出口からの脱出を図っていることを察したのか、ウジ虫の糸が直樹の行く手を阻む。
数えるのも億劫になる本数の糸は動きに精彩を欠き、直樹を捉えられない。
だが、そのアバウトな動きは直樹を仕留められずとも、その脚を、羽をもぐことで十分に機能した。
ホバリングに利用した巨大バエの死骸はそのまま糸に絡め取られていく。
そこは空中。移動手段をなくした直樹は何もできない。
——地上まで、残り二十メートル。
直樹は糸に捕らえられ、そして……
「まだだ!」
糸をロープのように巧みに扱い、滑り降りていく。
とにかく地上までの距離を稼ぐ。
だが、それも長くは続かない。
「ブウゥゥ〜〜ン!」
今日この場でどれだけ聞いてきたのか。巨大バエの羽音がもう間近だ。
それに、糸もこちらを拘束しようと挙動を変えてくる。
もはや、逃げ場はない。
万事休す。
直樹は地面を見下ろして……
——地上まで、残り十五メートル!
「うおぉぉぉぉ!!」
飛び降りた。
地上十五メートル。三階建ての学校の屋上と同じ高さだ。
つまり、着地さえ気をつければ、人間でも死なない。
直樹はできる限り、生存確率の高い落下ができるようここまで立ち回ってきた。
この距離なら、おそらく、大丈夫だ。
直樹は鬼だ。
屋上からの飛び降りの結果は、果たして……
「ブブブブブブッ」
上空では、ハエたちによる不協和音が鳴り響く。
直樹は、飛び降りの直前、糸を、向かってきた巨大バエに向かって放り投げた。
直樹を絡め取る挙動を取っていた糸を投げた。
結果、糸は巨大バエに絡みつき、そのまま虫取り網として連鎖的に機能していった。
上空は大混乱。
「はははっ」
対する直樹は……無傷。
上空の混乱っぷりを目に、笑みさえ浮かべていた。
何度も何度も死にかけ、そして今日もまた生き残った。
どこで足を踏み外しても簡単に終わってしまう、細い、細い、糸を渡りきってしまった。
確かに、安堵から気が緩んで出た笑みもあっただろう。
だが、直樹にはわかっていた。
自分の、この笑みはそんなものじゃない。
ゲームをやっている時を思い出した。首の皮一枚繋がった状態で、クソ強い強敵を、初見で、倒しきった時と近い感覚だ。訳分からない攻撃に、計算外の偶然でなんとか生き残り、大した攻略法も編めずハメ殺せないで、最後に至ってはギリギリのゴリ押し。不恰好で、諦め悪くて、スッキリしなくて……なのに、気持ちいい。
この小鬼の生涯。エクストラハードモード。無理ゲー。やってらんねぇ。
この理不尽。どうしようもなくそこにあるリアリティさが恐ろしい。まるで心の底まで病んで、犯されてしまうようだ。
今も、この逃亡劇も、しんどかった。どうしようもないリアリティがそこにあった。やってらんねぇ。でも、
楽しんでいた。
気持ちよかった。
ゲームのようであった。
いや、違う。
これは、どうしようもないくらいに現実だ。
ゲーム的な快感なんてものは、この、とても近くて、とても大きな、現実の一部でしかなかった。
その偉大さはとても麻薬的であった。
笑いがこみ上げてきた。
まるで狂ったみたいだと思った。
これでは闘いに明け狂うバケモノどもを笑えないなと思った。
生きてるって思った。
しばらく感傷に浸りたくなる、そんな全能感に満たされていた。
だが、決死の逃避行はまだ、始まったばかり。
のんびりと憎きハエどもを眺めながら自分の殻に潜り込んでいる余裕など、かけらもない。
今、巨大バエどもの意識は彼ら自身に向かっている。
直樹になど注意は向いていない。
直樹はこれ幸いにと走り出した。
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