第14話
たくさんの巨大バエ。たくさんのウジ虫の糸。
「ひいぃ、やぁぁぁぁぁぁ」
直樹の悲鳴がこだまする。
キモい。
逃げねば。
とりあえず、なんとかして地上まで降りないと勝負にならない。空中じゃ不利すぎる。
たった今、肩へと伸ばされた糸を振り払い、そしてゴリラのようなバケモノの死骸の背を動き出す。
地面までの距離は遠い。このまま空中へ身を投げ出しても、多分、死ぬだけだ。……死ぬよね?
いくら頑丈ですぐ回復する鬼の体とはいえど、ドーム球場の天井の一番高いところからダイブするのは自殺行為だろう。
だが、辺りには死骸がたくさんある。十分すぎるほどに糸で吊り上げられている。
これらを階段のようにうまく使っていければ地面まで辿り着けるかもしれない。
「ブウゥゥ〜〜ン!」
すぐそこまで巨大バエがきている。
もう、時間はない。
とりあえず、数メートル先にある猿の死体だ。
助走は十分。
よし!飛ぶぞ、飛ぶ、飛ぶのか……
(怖ぇよぉ)
高所恐怖症をなめてはいけない。直樹の場合は特に、高いのがダメということ以上に、その場から落ちてしまったらどうしようという心配症的なものだ。
この場は高さ七十メートル。今、直樹が行おうとしていることは高層ビルの屋上から屋上へと飛び移るのと同等の諸行だ。イかれてる。要は、直樹にとって最も恐怖感を煽る行動なのだ。
だが、四の五の言っている場合ではない。躊躇したこのコンマ数秒の間に巨大バエたちはさらに近寄ってきている。
……やるしかない。やるしかないんだ。
「あぁぁぁぁぁぁ!」
雄叫びをあげる。
身体中から勇気を振り絞り、決死の覚悟を持って……飛び立つ。
宙を舞うのはほんの一瞬。それでも、数分にも数時間にも感じられた恐怖は、行き先の猿もどきの死骸へとたどり着き、報われたと思い……
——ずるっ、と。
滑った。
空を舞う恐怖に体が強張った直樹。そんな直樹の脚は着地で踏ん張りが効かなかった。
「あっ」
思わず、声が漏れ出る。
ヤバい。
コケた。
猿もどきの死骸の着地可能な面積はそれほど広くない。バランスが取りやすそうなのは精々一メートル四方といったところだ。
そんな狭い場所でコケるとどうなるか。
「あぁぁぁぁ!」
直樹はジャンプの勢いそのままに落ちていく。下半身から順に、糸にぐるぐる巻きにされた猿もどきの体の端を、その丸みに沿って落ちていく。
猿もどきの体を巻きつく糸は思いの外、よく滑る。その粘着性の低さは直樹自身が糸から抜け出すときは助けられたものの、今となってはアダとしかならない。
やがてそのまま滑り落ちて、空中へ放り出されようとして……
「うあぁぁぁぁ!」
直樹は根性を振り絞って、猿もどきに巻きついた糸をつかんだ。
おそらく数カ月に渡っているであろう、この洞窟での決死行。そこで育まれた生への執着心と、ど根性は無駄ではなかった。
直樹はなんとか右手で糸に掴まり、難を逃れる。
すると、直樹がもたついている間に、ついに、奴らが追いついてきてしまった。
「ブウゥゥ〜〜ン!」
糸にぶら下がる直樹の目の前に巨大なハエが姿を現す。
間近で見るその姿はより一層グロテスクだ。
緑とシルバーの配色が初期の仮面ライダーばりの絶妙さで、真っ赤な目がヤバさを醸し出す。
要は、キモい。
キモチワルイ。
直樹は一瞬、恐怖に支配されそうになるも、勇気と溢れ出るアドレナリンでもって体の制御権を奪い返す。
(こんな奴らのエサになりたくねェ!)
このぶら下がり状態では何もできない。
直樹は右腕に、全身に力を入れ、そして、その場から跳ね上がる。
「うらぁぁぁ!」
鬼の身体能力は超人的だ。まともに体を動かすことができれば人間離れした動きができる。
右腕を頼りに、懸垂の要領で猿もどきの死骸の淵から跳ね上がると、空中で一回転、今度は綺麗に着地する。
首を振って視界を取ると、右前方に巨大バエの大群が確認できた。
逃げるなら、左後方。
その先を確認すると……そこには岩ガエルの死体が確認された。
岩ガエル。このはじまりの大ホールから逃げついた湖畔で殺されかけた相手だ。だが、よく見てみると奴より体が一回り大きい気がする。別の個体だろう。
そのようなことは今はどうでもいい。どうせ死骸だ。
直樹は岩ガエルの死骸へと飛び移った。
段々状況に慣れてきたからか、それとも麻痺しているからか、体がよく動くようになってきた。
直樹は自分の状態に満足しながら、背後を確認する。
こちらの動きに瞬時に反応した巨大バエは二匹。
岩ガエルの次に乗り移れそうなバケモノはジャンプでは到底届かない距離にある。
(ヤバい……か?)
再度、距離感を確認すると、直樹は、そのまま岩ガエルの背を尾っぽから頭へ向けて駆け出した。
「ブウゥゥ〜〜ン!」
反応の早かった巨大バエが二匹、先行して直樹の背後から強襲を仕掛けてくる。
直樹の動きに比べて、巨大バエの飛行速度の方が断然早い。
直樹は必死に逃げ、それでも、追いつかれる、その寸前で……岩ガエルの口の部分にたどり着いた。
背後に迫る巨大バエ。対して、もう逃げ場の無い直樹。
そんな状況で、直樹は……岩ガエルの口の中へと逃げ込んだ。
岩ガエルの表皮は非常に硬い。文字通り岩だ。一先ず、巨大バエの突進をやり過ごすにはちょうどいい。
だが、籠城は愚策だ。大群に詰め寄られれば打つ手がない。だから、岩ガエルの口内へ逃げ込むのは一瞬のみ。
直樹はすぐに、口の中に逃げ込む作戦の、本命の行動をとる。
「ブオォォォン!」
岩ガエルの口元から、ムチが空中を切り裂いていく。
直樹は岩ガエルの口内より、長い長い舌を取り出してムチのように振るった。
一撃、それだけで巨大バエの一匹を撃ち落とした。
もう一匹は取り残した。だが、ムチを避けるために距離を取らせた。
ハエどもの後続は、もう数秒とせず到着する。
だが、十分に時間は作れた。
直樹はムチのように振り落とした岩ガエルの舌を、そのままの挙動で尾っぽの方まで振る。
そして、それと同時に舌にしがみつきながら舌の先端の方まで滑るように移動する。
今回の岩ガエル作戦、実のところ、本命は岩ガエルを使った防御でも攻撃でもない。
移動だ。
尾っぽまで振った反動で戻ってくる舌を、直樹はロープのように使う。振り子の動きで、次の死骸までの足りない距離を埋めようとしたのだ。
その目論見は見事、成功した。
次の足場へと見事に着地した。
そして、そのままの勢いで次へと移ろうとしたところで……
——ゴトッ、と足を捕らえられてまたコケた。
——地上まで、残り五十メートル。
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