第9話
「ふうっ」
チビガエルとの激闘を終えた。
そして、チビガエルの舌を食らう。
別に岩ガエルの舌を食べた時と違い、大きく体が変化したわけではない。
それでもどこか気持ちが吹っ切れた気がした。
この世界は苛烈すぎる。
今まで直樹は、自分はこの災難に巻き込まれた哀れな被害者であるという心持ちを拭えなかった。殺されかけても次に目が覚めれば平和な学校生活が待っているだなんて心のどこかで思っていた。
今、俺は命を奪った。被害者ではなく、チビガエルにとっての災難となった。被害者として悲壮感に浸り、言い訳を垂れ流すだけの無責任な道を断たれた。
少しは真摯に生きられる気がする。
——ゾクッッ、と突然、身の毛のよだつ恐怖を感じる。
気持ちを新たにした直樹だったが、世界はそんなことを気にしちゃいない。
最初に遭遇した鳥人と変わらないほどの威圧感が身を襲う。
だが、運がいい。まだ距離がある。
直樹の気持ちが変わろうと、世界の苛烈さは変わらない。
やはり直樹はまだ、エサでしかない。
その場を後にする。チビガエルの胴体は捨て置いて一目散に駆けだす。
チビガエルよエサになってくれ。そして時間を稼いでおくれ。
ごちそうさまでした。
それから数ヶ月。
直樹はこの地獄をなんとか生き抜いた。
何度も死にかけた。何度も諦めかけた。何度かしか食事にありつけなかった。
ひどい時は腕を一本持ってかれた。その後運良く他のバケモノの食べ残しにありつけたことで生き長らえられたが。鬼というバケモノはどうやら恐ろしく生命力が強いらしい。エネルギーを補給すれば文字通り手足が生えてきた。だから余計にこの生き地獄は続いた。
自分では敵うはずもないバケモノどもと遭遇するたびに傷を負った。得られたものは何もなかった。ただただ命辛々逃げるだけであった。
ただただ心が折れそうになった。感情がすり減っていった。
いつかこの地獄から抜け出せる時が来るのではないか。そんな希望を抱いて、打ち砕かれ続けてもう何度目だろうか。
もう限界だ。
何よりもう生きる気力がなくなってきていた。
動くのがめんどくさい。食べるのがめんどくさい。何をしても感動が薄い。
ふとした瞬間には死ぬ方法を生きるより自然と当たり前に考え始めていた。
たまに少しだけ残ってる他のバケモノどもの食べ残しを頂戴しながらなんとか生きながらえて。洞窟の出口がわかるわけでもなければ、攻略法がわかるわけでもなく、ただ目的もなくさまよって、さまよって、さまよって。
ある日、直樹はついに、見覚えのある場所にたどり着いた。
いや、戻ってきた。
不自然にぽっかりと空いている広い広い大きな空洞。均一に円いホールのような場所。
直樹がこの世界で一番最初に目覚めた、はじまりの場所。
目が覚めると、いきなり大きな大きな鳥人に食べられそうになった。そこへ四本ヅノの鬼が強襲してきた。特徴的な模様の腰巻をしたその鬼は鳥人よりもさらに強そうであった。直樹は戦いの余波を受けただけで、吹き飛ばされた。ただ震えているしかなかった。
彼らの戦いの行方はどうなったのだろうか。
そんな思い出というには苦すぎる記憶を思い出しながら、直樹は歩みを進める。
はじまりの場所。不自然なくらいに人為的な匂いのするホール。自然にこんなキレイに円い空間ができるはずがない。あの時は確認する余裕がなかったが、もしかしたら何か現状を打破する手がかりがあるかもしれない。
かすかな希望を胸に直樹は進む。やがてホールの中心が目に入ってくる頃、直樹は見てしまった。
ホールに入った頃から少しずつ違和感は感じていた。
まず、バケモノどもが全くいない。それは構わない。たまにはそんなこともある。まぁ湖のようなパターンも十分にあるのだが。
バケモノの気配は一切なかったが、別に強烈なものを感じた。これまでほぼ毎日嗅いできた匂い……血の匂いだ。それも、ただの血の匂いじゃない。ものすごい強いバケモノどもの血が、大量に、だ。
そして、ホールの中心にその原因があった。
たくさんの死体だ。
おそらく十体以上が重なっている。ゴリラやバッタ、今まで見たことのないものも多い。全ての死体が同じ元凶によるものとみられる擦過痕や打撲、炎症などで傷つけられていた。
ただ事ではない。
直樹が鬼となってからはじめて遭遇する異常事態だ。
直樹の頭の中では最大限の警戒を伝えるアラームが鳴り続けている。
だが、まるで何かにせかされるかのように直樹は死体の山の中心へと足を進めた。
確認しなければならないものがある。
知っている匂いが、そこにある。
近づいていくと直樹の求めていたものがあった。
無残にも横たわっていた。
はじめて味わった恐怖は四本ヅノの鬼との出会いであった。この大きなホールで、圧倒的な威圧感で、どうしようもない絶望感を引き連れて、彼は佇んでいた。エサに向ける威圧とは違う本物の恐怖がそこにはあった。
はじめて抱いた憧憬の念も四本ヅノの鬼へのものであった。鳥人をも圧倒しかねない絶大な強さ。鬼となって数十日、自分にとって強さの象徴は唯一確認した同種である彼だ。自分も生き延びれば、バケモノどもを食べ続ければ、いつかこの洞窟でも強者に位置するであろう彼と並ぶ強さを手に入れられるのではと思っていた。
直樹の頭の中で四本ヅノの彼の存在は生きる希望だった。
大きなホールの中心。
今、直樹の目の前には鬼が仰向けに転がっている。
四本ヅノで特徴的な腰巻を履いている。剛毅な肉体美は見事という他ない。
そんな彼の目には光はなかった。
彼の顔は存外安らかで、死ぬ寸前には自らの際を満足して受け入れていたかのように穏やかで。
四本ヅノの鬼は死んでいた。
直樹にとっての恐怖が、憧れが、希望が、はじまりが、殺されていた。
もう戦えない。もう抗えない。直樹の心が折れ……
「あら?」
バケモノどもの死体の山の向こう側から声がした。
耳にしただけでとろけてしまいそうな蠱惑な声が聞こえてきた。
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