第8話




「おい、チビガエル!こいよ!」


 直樹は少ないボキャブラリーからひねり出した挑発を吐きかける。

 直樹の挑発を理解してかしなくてか、チビガエルは若干、上体を後ろへ引くように沈め始めた。

 そして、溜めたパワーを全て直樹へ向けて吐き出すかのように攻撃を、舌弾丸を放った。

 舌弾丸は超高速で直樹を爆散させようとする。

 やがて、舌弾丸は直樹の頰のすぐ側の空を切り、ドガァァンと壁に激突した。舌弾丸はまたもや標的を捉えられず、洞窟の壁をさらに砕いた。

 壁面にはヒビが入り、若干崩れやすそうになる。

 直樹はまたもや舌弾丸を避けることに成功した。

 今回もタイミングとしてはギリギリだった。いくら予備動作が大きいとはいえ、舌弾丸を一切目で追えていない。避けるのにも一苦労だ。

 二度も攻撃を外したチビガエルは必死に舌を口内へと戻す。

 直樹は避けた際に変わった立ち位置を元の場所に戻しながら、またもチビガエルへ向けて吠える。


「おいコラ、このチビ助!ノロマ!バ〜カ!」


 語彙力も行動も低脳だ。いや、直樹の見た目の年齢(今は中学一年生ほど)を考えればある意味ふさわしいレベルかもしれない。

 直樹はあえて先ほどと同じ行動をとる。

 その場で舌弾丸を待ち、避けようというものだ。

 この行動をとり続けるのには理由があった。

 数少ない格上相手の勝ち目を掴み取るためのちょっとした賭けである。

 賭けの内容は三つだ。

 直樹が舌弾丸を避け続けられること。

 チビガエルが直樹の狙いに気づかないほど知能が低いこと。

 そして舌が弱点であること。

 賭けるものは己の命。

 チビガエルが直樹の裏をかいてきたら死ぬだけだ。ちょっと避けるのに失敗すれば死ぬだけだ。

 不思議と心は落ち着いている。

 覚悟を決めたからか。諦めがついたからか。

 チビガエルはバカの一つ覚えのようにもう一度上体を後ろへ引くように沈める。

 チビガエルが今いるのは天井。直樹には天井への攻撃手段はない。つまり安全圏だ。

 ヤツは安全なところから砲撃を繰り返し、獲物が疲れてトチって死ぬのを待つだけである。実に合理的な行動だ。

 チビガエルは目一杯上体を沈め、力を蓄えて……

(ギリギリだ、舌弾丸がくるギリギリまで避けるのを堪えろ!まだだ、まだだ、まだだ……くるっ!)

 直樹はまたも、今まで以上にギリギリのタイミングを合わせ体を投げ出す。

 チビガエルの舌弾丸はまたもや空を切った。

 ピキッ、ピキッ……。

 そしてこれまでと同じく、舌弾丸が壁に着弾し、壁面にヒビが入った。

 今までと同じ動作の繰り返し。チビガエルが砲撃し、直樹が避ける。

(……どうだ⁉︎)

 繰り返しの行動、だが、直樹はその結果を息を呑んで伺う。

 すると、ヒビに間を置かずして、それは——起きた。

 ピキッ、ピキッ……ドッガァァンッッ。

 壁面が崩れ落ちる轟音が鳴り響く。

 舌弾丸が壁に着弾し、壁面にヒビが入る。が、それだけではない。

 過去二回の砲撃でできたヒビが繋がり、大きなヒビとなって、そして壁面の一部が崩れ落ちたのだ。

 やはりチビガエルの舌弾丸はそこまで強力ではないのだろう。崩れ落ちた壁面はほんの一部でしかなかった。

 だが、それで十分だった。


 「グッ、グゲッ⁉︎」

 

 壁面が崩れできた岩石の雪崩ににチビガエルの舌が埋まる。

 少し離れた天井から焦った鳴き声が聞こえてくる。

 直樹はその様子を確認し、口角をニヤリとあげた。

 直樹が練った作戦は作戦とも呼べないほど簡単なものであった。

 チビガエルの弱点、舌を切り離すのだ。

 この作戦の根底にはこれまでの経験から推察された一つの仮説があった。それは、バケモノどもには脳や心臓とは別に明確な弱点があるのではないかということだ。

 直樹の場合はツノ。カエルの場合は舌だ。正確には舌の中にある小さな粒だ。

 岩ガエルの舌を食べた時、その舌肉は淡白な上に肉質が変わらなかったのだが、一つだけ感触が違うものが混じっていた。舌の先端から十センチほどの位置に小さな粒が複数あったのだ。これを噛み砕いた時、他の部分と比べ圧倒的に濃厚だった。気持ち良かった。ツノから全身へとあふれていた不思議なエネルギーがより強く、麻薬的に全身へと満ち溢れていった。比喩でもなんでもなく命そのものを食べている、そんな気がした。

 恐らくカエルの舌があれだけ強力な武器となっているのはこの小さな塊が関係しているのだろう。

 そして、湖畔にて岩ガエルは蛇に食いつかれ絶命した。直樹を捉えるために伸ばし切っていた舌先を残して食いちぎられた瞬間に絶命した。胴体や頭部を傷つけられたのではなく舌が切り離された瞬間に絶命した。無関係だとは思えない。

 だから直樹は考えた。

 この世界のバケモノどもはこの小さな粒、核とでもいうべき物質により異様な力を発揮し、摩訶不思議な進化を遂げたのではないかと。

 この洞窟では核を奪い合って生きているのではないかと。

 それはさておき、チビガエルとの戦闘にてやることは単純だ。

 舌を切り離せる瞬間を作り出し、そして、切り離してやればいい。

 チビガエルの奇襲にて放たれた初撃より、直樹は壁面にヒビが入っていることを確認した。このデカすぎる洞窟を崩落させられるようなヒビなどは当然入らなかったが、壁面のうちの薄く浅い層を砕きうるものであることはパッと見で確認できた。

 二撃目は壁面の初撃から五十センチほど離れたところに当たったのだが、ここでもヒビが入った。

 この二つの着弾点のちょうど間にもう一発、舌弾丸が当たってくれれば壁面が一気に大きく砕けてくれそうな、そんな感じがした。

 あとは、狙った場所を砲撃してもらうだけだった。

 舌弾丸は撃ち出すスピードに比べて、収納するスピードは極端に遅い。目で確認できるほどだ。それでもそれなりの速さなのだが。

 おそらくだが舌を口内へと引き戻す力は強くないだろう。

 ならば、舌へと簡単には引き戻せないように埋めてやればいい。

 さて、ここからが大変だ。

 チビガエルが舌を瓦礫の山から引き抜くのと直樹が舌を切り取るの、どちらが早く次の手を成功させるか。

(急げっ!)

 ここからは時間との勝負だ。

 この機会を逃したら次も舌弾丸を避けられるとは限らない。

 直樹は左腕に刺さったままであったワニの牙に手をやる。

 そして思いっきり引き抜く。


「がぁっっ!」


 鋭い痛みが全身から動きを奪う。

 戦い続ける気力を奪っていく。

 だが、まだだ。ここで終わっては何も始まらない。

 痛みに暴れまわりたくなる衝動をチビガエルを仕留めることに向ける。

 チビガエルの舌の肉質はどうだろうか。壁面を砕くくらいだから硬いのだろうか。それとも岩ガエルの舌を食べた時みたいにそこそこ柔らかいのだろうか。だが、どちらにしろこのワニ牙で貫けなかったら同じだ。打つ手がない。

 チビガエルはまだ瓦礫の山から舌を引き抜くのに苦戦している。 

 直樹は自身の血にまみれたワニ牙を振り上げる。


「うぉぉぉっ!」


 全体重と想いを乗せてチビガエルの舌へと振り下ろす。


「グェェェッ!!」


 チビガエルの舌は想像よりずっと柔らかかった。

 チビガエルから悲鳴が聞こえる。

 だが、まだ、息はある。

 渾身のワニ牙での一撃はいとも容易くチビガエルの舌を貫いた。

 だが、如何せんワニ牙はそこまで大きくなかった。

 チビガエルの舌は全ては分断されなかった。まだ一部だけ繋がっていた。

 直樹は次の一撃で完全に断とうとワニ牙を抜こうとする。だが——

(ぬ、抜けない⁉︎)

 ワニ牙には相当な威力が秘められていたのだろう。それに、直樹も全体重をかけていた。

 ワニ牙はチビガエルの舌を貫き通して地面に深く刺さってしまっていた。

 直樹が四苦八苦していると、背後で瓦礫の岩が少しだけ動く。

 もしかしたらこんな状態でもチビガエルは舌を動かせてるのかもしれない。

 直樹は必死にワニ牙を引き抜こうとする。

 だが、ワニ牙は相当深く刺さったのかピクリとも動かない。

(くそっ、くそっ)

 このまま間に合わずにチビガエルに食われてしまうのだろうか。

 自分は結局のところエサでしかないのだろうか。

(このままじゃ、食べられるのを待ってたあの頃と、人間だった頃と何も変わらないだろっ!)

   

「負けてたまるかっ!」


 直樹には戦闘技術などない。特殊能力もない。

 だが、鬼になったことで極端に強くなった力がある。

 岩ガエルの舌は正直美味しくない。最後の方は吐き出したくなるくらいだった。それでも食べきれたのは快楽性が高かったからだけではなかった。

 そう、顎の力が全く衰えなかったからだ。それに八重歯もかなり特徴的である。

 つまり、噛み砕いてしまえばいい。

 別にワニ牙などもう必要ない。武器などに頼らなくていい。

 食べてしまえばいいのだ。

 食いちぎるのが先か、それともチビガエルが逃れるのが先か。

 この世界に来て初めてエサではなく、狩る側になった。

 

「いただき、ますっ」

 

 直樹は勢いよくチビガエルの舌へと食らいつく。

 舌の繋がっていた部分が食いちぎられる。

 舌が断ち切られて間も無く、チビガエルは息絶えた。

 断末魔を漏らす間も無く息絶えた。

 直樹はチビガエルの本体の活動停止を確認すると、瓦礫から舌先を引きずり出した。

 そしてそのまま口にする。

(コリッ)

 小さな粒状のものを噛み砕いた感触がした。

 岩ガエルほどのエネルギーの奔流はない。

 岩ガエルほどの絶頂感はない。

 それでも、確かに、命を食べている感触がした。

 この世界で初めて生き物を殺した。

 食うために殺した。

 生き延びるために殺した。

 達成感などなかった。

 感傷深くなることもなかった。

 ただ、なぜか涙が一筋頰を伝った。


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