第5話
天井から地上へと降り立った岩ガエル。
岩ガエルは若干、上体を後ろへ引くように沈め、次の瞬間、口から舌を見えないほどの速さで勢いよく吐き出し、直樹の上半身に巻きつけた。
岩ガエルの舌はゴツゴツした見た目に反して意外と柔らかくひんやりしている。結構クセになる気持ちよさだ。
岩ガエルの舌に包まれ妙に落ち着きを得ながら現実逃避のように人生を振り返った直樹だが、まるで夢から冷めるかのように現実に目をやる。
(つまんない人生だったなぁ)
鬼になって、こんなクソみたいなエクストラハードモードで。それでも、鬼になって、何かを変えられると思った。自分の人生に後悔はなくとも、一切満足はしていなかった。
折角あれだけ走って逃げてきたのに。何度転んだかわからない、死に物狂いでやってきたのに。こんな簡単に終わってしまうのだろうか。
「あぁ、悔しいなぁ。死にたくないなぁ。」
ここは、世界最恐といわれるダンジョンの一つ。《死の洞窟》。
都からすぐに位置するダンジョンである。
かの死の洞窟の中層以降は人類の間で探索を禁じられている。理由は単純だ。住まうバケモノたちが強すぎるのだ。もし地上に存在したら真っ先に中央より指名手配される正真正銘の怪物たちが跋扈する魔窟だ。
探索難度はSオーバー。下層は未だに殆ど手付かずだ。
数百年、人類の侵略を受けなかった洞窟は数多のバケモノが跋扈し、互いを食らい、食らわれ合い、独自の進化をとげ、世界最強クラスの地獄と化しているといわれる。
もし、バケモノたちを食らい尽くし、死の洞窟という蠱毒を生き抜いた王が現れたら、それはヒトにとって死神となるか、はたまた救世主となるか。
だが、一つだけはっきりしていることがある。
もし、そのようなものが生まれ出てしまったのなら、世の中はこれまでにない大きな変化を迫られるであろう。
直樹を食べようとしているカエルもどき。このカエルも所詮この洞窟内ではヒエラルキーの真ん中でしかない。確かに他の怪物を食らい、時にはワニもどきのような大物を食らい今まで生き延びてきた。だが、今まで生き延びてきたからといって今日、この瞬間を生き延びられるとは限らない。
「シュルァァッ!」
広大な湖でも、どこまで続くのかわからないホタルで埋め尽くされて光る天井でもない。地中から細長い生物が勢いよく出てくる。
ワニの数倍の大きさを誇るヘビがまるで弾丸のように岩ガエルの真下から這い出て、牙を突き立て、食らいつく。
最大の武器であると思われる自慢の舌を直樹の捕獲のために伸ばしきっていた岩ガエルは反応する間も無くヘビに食らいつかれ、絶命する。
蛇は岩ガエルとワニの一部を咥えながらそのまま海へ引き摺り込んで消えていった。
どうやら直樹の釣り餌としての役割はワニを釣ることだけではなかったらしい。
湖のほとりには運良く食い残された小鬼とワニの死骸が残っていた。
直樹は九死に一生を得たのだ。
「ははっ、なんてこった。生き残っちまった」
もう死んだと思った。助からないと思った。最後に直樹の心に残ったのは生きたいという想い、そして後悔であった。
目の前の状況にただただ困惑し、考えることをやめていたことを後悔した。
震えて、すくんでばかりで何もできなかったことを後悔した。
最後の最後まで足掻かずに、自分を諦め、生きることを諦めたことを後悔していた。
主人公云々などと宣って死ぬ直前まで斜に構えているようでは救いようがない。別に客観視を持つのは構わない。物事を多角的に考えるのは大事だし、性分だから仕方ない。
だが、その客観視を自分自身の気持ちだと勘違いするようになったのはいつからだろうか。何も成せない自分に苛立ち、諦め、考えるのをやめてきた。それだけのことはあった。だが、これでは散々恨み、憎み、そして哀しんだ父親の死に際とたいして変わらないではないか。自殺した父親に何を思い、何を考え生きてきたのだろうか。
直樹は乾いた笑いもそこそこにその場から駆け出す。
この湖のほとりには死骸すら見当たらない。目の前のワニの死骸も、自分も、次いつ水中にひきずり込まれるかわからない。
俺はモブだ。主人公ではない。だから、なんだっていうんだ。
別に俺は頭脳明晰ではない。必死こいて勉強に全てを賭けても学校一どころか学校で十番にも入らない。
別に俺に人望はない。あったら友達が一人くらいはいるはずだ。
別に俺に華はない。おそらく100人いても99.9人は俺に興味がない。
だから、俺くらいは俺の行動を、気持ちを、存在していることを肯定してあげてもいいだろう。生きていれば、意に沿わない行動を取ってしまうこともあるだろう。間違うこともあるだろう。それでも、自分を生きようじゃないか。だって生きているだけで儲け物なんだから。
「さて、逃げるか」
直樹は湖とは逆方向の内陸へ向けて歩みを進める。
明日へ見据えて歩み始める。
直樹が立ち去ってしばらく、ワニの死骸、その残骸には湖でも地面でもなく、天井から伸ばされた無数の糸にくっつけ、引き上げられていった。
糸の主人はこの湖の幻想的な光景を生み出しているホタル……いや、正確にはハエの一種だ。
無数のハエが幼虫の間、糸を垂らしてエサを捕獲し、時には同種を食らいながらも生き延びて、自らを強く輝かせることで生を誇示する。
そこから生き残った、たった一握りの成虫は生涯で何百万もの子孫を残し、エサを与え、時には子孫をエサにしてしまうらしい。
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