第3話



「なんだ、こ、れ」


 直樹は驚き、そして戸惑う。

 湖面に映る自分自身の姿は普段見慣れたものではなく、ただの全裸のクソガキであった。

 ただし額に小さな、それはもう小さな、ツノというどうしようも無い違いがあるが。

 あと、体が子供的であるからだろうか、胴長で足が結構短い。

(……怖いなぁ)

 なんせ自分の体が地球にいた時とは全く別のものになってしまっているのだ。

 走れば何度も転んでしまう、基本動作すら満足にこなせない物理的に強烈な違和感がキモチワルい。

 自分の体が自分のものとは違うというどうしようも無い嫌悪感が拭えない。

 ただ、何より、全く別の体なのにたった数時間で慣れてきてしまっているという事実が自分の何かを、誰かに、決定的に変えられてしまったような気がして、得体の知れない恐怖を感じた。

(はぁ……)

 直樹は鬼となってからこれまでの休まる時のない、あまりにも理不尽な状況の数々に疲れ果ててしまった。

 疲労が溜まって、溜まって爆発寸前であったのか直樹の緊張の糸は完全に切れてしまっていた。

 そもそもの目的は湖での水分補給であったが、それすら忘れ、混乱の元である湖面から目を離し、ほんの少しの間呆然と天を仰いだ。天といっても洞窟であり、見えるのは岩でできたと見られる天井とそこら中にいるホタルと思われるものだけなのだが。

 そして天井の岩を眺めていると、直樹はある事実に気がついた。

 ほんの少しだけ、天井の岩だと思っていた部分の一部が動いているのだ。

(……天井が動いた?)

 一部とはいえ天井が動いていることに驚き、そこで、直樹はふと我に返る。

 思えば湖に近づいた当初からこの状況に違和感を感じてしかるべきだった。

 普通なら水辺というのは生物にとっての楽園だ。様々な生物が集い、争い、生を享受する、活気に満ちた場になってしかるべき湖のそばには今、生き物の存在がない。

 全くない。

 つまり、おかしい。

 湖がおかしいのか、湖の周辺がおかしいのか。

 直樹は必死に周囲を見渡す。

(どうなってるんだ……?)

 直樹は違和感の正体を探り当てようと必死に思考をめぐらせる。

 しかし次の変化は無情にも一瞬だった。


「ざぁばぁぁぁっ!」


 湖面からいきなり大きな生き物が這い出る。

 間抜けなエサをかっ喰らってやろうと自慢の大きな口を広げたワニのようなバケモノが湖からものすごい勢いで姿を現す。

(なっっ⁉︎)

 悲鳴をあげる間もない。

 普通なら水辺というのは生物にとっての楽園だ。様々な生物が集い、争い、生を享受する、活気に満ちた場になってしかるべき湖のそばには今、生き物の存在がない。

 本来この時点で気づき、動くべきであったのだ。

 この湖の中の者に全て食らっていかれている、そして、今すぐこの場から逃げなければならない、と。

 いや、もしかしたら気づいて逃げの一手を取ったところで逃がしてもらえなかったかもしれない。

 近づくことすら間違いだったのだろう。

 走馬灯のように一瞬で自分の行動への後悔が溢れ出る。

 だが、後悔すれどももう遅い。

 大きなワニの口はもう目の前だ。

 直樹は悔いこそ残れど、現実に諦観を抱く。

(必死に走って逃げてきたのになぁ)

 どうにもこうにならない絶望的な状況。

 エサとして怯え、追われる人生。いや、鬼だから鬼生か。

 ついにワニの口に直樹が覆われかけ、その強靭な顎ですべてをもっていかれる。

 直樹は後悔と諦めと嘆きでその短い鬼生に幕を閉じようとしていた。

 が、次の変化も無情にも一瞬だった。


「ズゴォォォン!」


 まるで大砲でも打ち込まれたような強烈な破裂音が響き渡る。 

 ワニの口に覆われかけていた直樹は、赤い液体と肉の破片のシャワーを浴びる。

 それだけではない。周りが砕けたことで抜けたのかワニの大きく、固く、鋭い歯が一本直樹の左腕に貫通した。

 

「あぁっ」


 あまりにも鋭い痛みから泣き叫ぶことさえできずに呻く。

 直樹は痛みや衝撃から一歩後ろによろめき、尻もちをついた。

 後退したことでワニの口の中から出ることとなった直樹は事態の全景を目に入れ、絶句する。

 視界には飛び込んできたのは衝撃的な光景だった。

 大きなワニがこれまた大きな口を広げていた。

 今にも獲物を口にしようと大きな口を広げたまま、脳天から何者かに貫かれていた。

 固そうな皮の上から無残にも貫かれている。棒状の何かで一突きだろう。

 その目は虚ろで力が一切こもっていない。

 

「ズルズルズルッ」


 ワニの脳天からそれをぶち抜いた凶器が引き抜かれていく。

 蛇行しながら天井へと引き戻されていく。

 その柔軟性に富んだ動きはワニの固そうな皮を撃ち抜いたとは到底思えない。

 その凶器の行方を追って視線を上へとやると、そこは天井の岩だった。いや、岩のような何かであった。

 岩がこれまた岩のような土気色と質感を伴った長いものを口内へと引き上げていた。

 よく見ればそれはとある生物に酷似していた。綺麗に折りたたまれた四本の足。後脚は高い跳躍力を秘めているのか肉付きがよく、前脚は衝撃吸収が主な任務のためか短く細めだ。胴体は丸っこく、クリクリっとした目が特徴的でキュートだ。

 天井に張り付いた生物は見た目はまんま、カエルであった。

 ただ、洞窟の壁面と同じ岩に擬態し、直樹を軽々と飲み込みそうなワニと同じような体躯であり、そして、ワニを貫通する舌というとんでもない凶器を持ち合わせたバケモノである。愛嬌などかけらもない。

 岩のようなカエル、岩ガエルは舌を引き戻しながら、その少し顔からでっぱっている目を見開き、直樹の方へと動かした。

 次はお前だと言わんばかりに岩ガエルはジロリと睨みつける。

 

「はははっ……」


 万事休す。

 直樹の口からは諦めの色濃く滲んだ乾いた笑いが漏れ出てた。

 

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