一章 はじまりの洞窟
第1話
「えっっ……あ?」
まるで東京ドームが一個丸々収まるといっても過言ではないほどの広さを誇る広間。四方八方が全て岩のようなもので囲まれているので洞窟の一部なのだろうか。
そんな広間に直樹の言葉にもならない悲鳴が響き渡る。
確かにこの空間だけでも状況と併せて全く意味がわからない。混乱して悲鳴の一つでもあげたくなる。
だが、それもぶっ飛ぶほどの驚愕の光景が直樹の視界と脳を支配した。
直樹の目の前には巨大な鳥がいた。地球上では聞いたことがないほど大きな、見上げても見通せないほどの大きさの鳥がいた。
(なんだよこれ……)
全身が強烈なまでに鮮やかな赤をまとい、切れ長いまなじりからは猛禽類特有の獲物を狙う鋭い視線を飛ばす。
だが、地球の鳥と違うのは大きさだけではない。いや、違うなんて言葉で済む話ではない。
鳥の拳が、腕が異様に発達しているのだ。鳥と評したのは一応、立派な両翼を備えていて、立ち姿がほんの少しだけ鳥の面影を残しているからだ。だが、翼は目の前の鳥にとっては自身を表す象徴ではなく、太い腕に残された装飾品といっても過言でもないほどのものであった。そしてその立派な腕の先端にはボクサーのグローブのように何かを殴るために造られたかのような拳が存在していた。
拳を生かすためか、ぱっと見でわかる隆々とした胸筋と背筋。まるで百戦錬磨の武僧が佇んでいるようなその姿。そして威圧感。
自分の知る鳥と異なるヒトを模倣した、いや、それ以上の存在というべき姿。もう鳥ではなく《鳥人》だ。
鳥人は自身の真下にいる小さな存在、直樹を視界に入れるとジロリと睨みを利かせてきた。
「はははっ」
直樹は乾いた笑いをあげるしかなかった。
本能的にわかってしまう。
生物としての格が二段も三段も違う。
自分はただ死を待つだけのエサでしかない。
生まれて初めて食物連鎖の頂点、絶対的安全地帯から降ろされる、すなわち、食べられる側に立つという事実は直樹の混乱しきった頭には決して受け入れきれるものではなかった。
どうすればこの状況を切り抜けられるか、生き延びることができるのかなどと脳裏に浮かべる余裕など一切ない。
ただただ、どうしようもない状況に震えることしかできない。
鳥人はそんな直樹の情けない様子に気を止めることもなく、その異常に発達した手を伸ばす。まるで映画を見ながらポテチをつまむ、そんな気軽さで直樹の髪の毛を掴み、そして持ち上げ、口へと運ぼうとした瞬間——
「なぁっ⁉︎」
直樹の口から悲鳴にもならない声が漏れ出る。
ゾクッッッと得体の知れない恐怖が直樹の身を襲っていた。
直樹をつまむ鳥人のさらに向こう側から発せられた得体の知れない威圧感が辺りを支配する。
その主人の姿はまだ、見えない。
だが、直樹は肌感覚で理解させられていた。
鳥人が先ほどまで直樹に向けていた路傍の石に向けるような毛ほどの関心とはレベルが違う。
まるでその空間に存在するだけのことすら許されていない。そんな絶望感。
直樹は鳥人の手から離され、そのまま地面へと放り出される。
「ガハッ」
着地をミスり背中から地面へと落ちた直樹は無様にも呼吸が止まり、涙目になりながら咳き込む。
そして四つん這いになりながらむせていると、鳥人が動いた。
「ギィヤァァァ!」
鳥人から鼓膜を引きちぎるような轟音をもって咆哮が発せられた。
広間の向こう側からの強烈な威圧に屈しない、いや、それどころか自分の方が優れていると誇示するかのような意思を持った叫びはそれまで垂れ流された威圧などとは強度が全くもって違った。直樹は失神しなかったのが奇跡、そう感じられるほどの闘志と恐怖を刻み込まれた。
数秒もしないうちに洞窟の暗がりの奥から威圧感の主人が悠然とこちらへと歩みを進めるのが見えてきた。
「おいおい、嘘だろ?」
この夢のような、夢であってほしい嘘のような状況。
目覚めたらアホみたいに広い洞窟にいた。まぁ、百歩譲っていいとしよう。地球にも馬鹿でかい洞窟はある。
目の前の鳥人にエサ扱いされてる。まぁ、マイナス百歩くらい譲って差し上げよう。鳥さんも不思議な進化を遂げて洞窟に眠っていたら人間に見つからないかもしれない。
だが、コイツはダメだ。説明がつかない。おとぎ話の世界の住人だ。
大まかなシルエットはさほど人間と変わらない。上半身は真っ裸で、分厚い胸板を誇示しているが、腰に巻くロングスカートのような布は刻まれた独特な模様も相まってどことなく文明を感じさせる。
ちょっと、いや、だいぶ肌は赤黒いし、身長は鳥人にこそ劣るもののめちゃくちゃでかい。ラグビー選手たちが全力でスクラムを組んでも余裕で押し負けそうなほど筋骨隆々の体躯を誇っている。少し長めの八重歯はとっても野生的なチャームポイントだ。
洞窟の向こうから歩みを進めてくるコイツはそんな頑張って、頑張ったら人間的に見えなくもない姿だ。
だが、絶対的に人間とは異なるものを額に持っていた。
《ツノ》だ。
額には四本の立派な、それはもう立派な白いツノがその存在を天に誇示するかのように屹立している。
そう、圧倒的な威圧感の主人は——
「鬼、だとっ……⁉︎」
直樹は今更ながら途方にくれた。
意味のわからない鳥が出てきたと思ったら今度は空想上の生物だ。
あまりの事態に恐怖も通り越し呆けていると、辺りの空気がより一層張り詰めたものになる。
(もしかして……コイツら、戦うのか⁉︎)
遅ればせながら直樹が事態をうっすらと察し始めたのも束の間、二対のバケモノが間合いに入ったのか、戦闘態勢を取り始めた。
先に動いたのは、目の前の鳥人であった。
「ギィヤァァァッ!!」
鳥人は先ほどの咆哮よりさらに大きな叫びを四本ヅノの鬼へ吐き散らすと、重心を沈み込ませ、下半身に力を入れて踏ん張るような体勢をとる。
そして、両翼を大きく広げ、鬼へと向けて思いっきり羽ばたいた。
すると、鳥人の羽ばたきにより生み出された突風が凝縮され、大きな一つの風の刃となった。
キィィンッと鋭い擦過音を発し、風の刃は地面を削理ながら鬼へと向かっていく。
もはや電柱サイズの巨大な刃が鬼へと向かっていく。あぁ、この鬼死んだなぁ、次は俺の番かぁ、なんて直樹が他人事に思っていると、鬼はどこからともなく長く太い、大きな白い棒をを取り出した。
鬼はその白い棒をまるでゴルフでもするかのように構える。そして、凄まじい体幹をいかしたひねり過ぎだろといわんばかりのバックスイングから、三百ヤード……いや、三千ヤード飛ばしそうなほど強烈なスイングがブォォンっと轟音を轟かせる。
その鋭すぎるスイング音からほんの少し間を置いて——風のヤイバが弾かれた音がした。
弾いた。鬼はただ骨を削り出しただけのような無骨な棍棒をひと振り、振り上げる。それだけで鳥人のよこした風の刃を散らした。
いや、弾いただけではない散らすのと同時に振り上げ、振りかぶったような体勢となった鬼はそのまま反動を使って、棒を鳥人へと——投げ飛ばす。
今度は鬼から鳥人へ向かって巨大な棍棒が猛スピードで飛んでくる。
おそらくとんでもない質量だろう、棍棒による砲撃に対して鳥人はどう対処するのだろうか。
自分の風の刃を粉砕した上、それを利用して砲撃を返すという反撃をしてきた鬼へ、さらに大きな刃を生み出して送り返すか。だが、先ほどと同じかそれ以上の羽ばたきならモーションが大きすぎる。おそらく砲撃には間に合わないだろう。
果たして鳥人はどのように対応するのだろうか。直樹がそう思うのも束の間、鳥人は翼ではない攻撃手段を用いた。
ガキィィンッと鈍い衝突音が響き渡る。
砲撃に対峙したのは直樹が鳥人を鳥人と認識した所以——拳だ。
鳥人はその異様に発達した拳を打ち付ける。砲撃を打ち砕く。
瞬間、拳を中心に爆風が吹き荒れた。
飛ぶ斬撃、爆風の中心地から鳥人の体によって隠される位置にいた直樹であったが、爆風の余波に体が煽られそうになる。
まだ、お互い様子見、ジャブの打ち合いでしかないだろう。ただ、あまりにもの迫力のバケモノ同士の戦闘に直樹は恐怖を通り越して魅入られていた。
(す、すげぇ……)
とんでもない危険地帯にいるという自身の状況も忘れてしまうような衝撃的な光景であった。
すると、次の瞬間、突然、鳥人が地面に向かって羽ばたくことで大きく上へ飛び上がった。
「うわぉぉぉっ!!」
直樹は鳥人の羽ばたきにより生み出された突風にその場から吹き飛ばされる。
何十メートルと地面を転がされ、体の様々なところを打ちつけ、地面に這いつくばった状況ながらもなんとか地面から顔を上げると視界には直樹が飛ばされる前までいた場所が映った。
そこにはもはや何度目かわからないがそれでも信じられない光景が広がっていた。
地面から白い突起物がいくつも槍のように突き上げられていたのだ。
直樹や鳥人が先ほどまでいた空間はもはや生物の存在を許さない地獄と化していた。
白い突起物の大群は地面から突き出ると、まるで何かを追いかけるように中空で折れ曲がりながらも伸び、そして中空で停止していた。突起物の先端の数メートル先には鳥人が五体満足で飛んでいる。
やがて、白い突起物は地面の中に引きずり込まれるように戻っていった。
空に浮かぶ鳥人と仁王立ちのまま佇む鬼。
両者がにらみ合い、緊張感で空気がさらに重くなる中、状況の奇想天外さから混乱より一周回って脱出しかけていた直樹は自身の状況を省みる。
かなりの距離を吹っ飛ばされてしまったが、幸い大きな怪我はない。いくつかアザができたくらいであろう。変に体を打ち付けたわけでなく問題なく動かせる。
それでも子供の時に階段を転げ落ちて骨折した時以来の強烈な痛みにこの状況への不安も相まって直樹は小さな子供のように泣きわめきたくたくなった。
だが、ほんの少し残っている頭の冷静な部分がこのまたとない好機を逃すまいと必死に錯乱する心を押し込めた。
今、直樹はちょうどよく鳥人と鬼の戦闘の中心から外れた方向に吹き飛ばされた。先頭の中心地から距離を取れた。しかもこの大広間を抜け出せる道もすぐそこにある。
怪獣二匹の戦争をいつ流れ弾を食らってもおかしくないところで眺めているこの状況、冷静さを取り戻せば、少しでも知能があればわかる。頭がおかしい。まぁ一番おかしいのは直樹がおかれているこの状況そのものだが。
直樹は本能的な生きたいという脳の命令に従って、恐怖と絶望感に体の制御を奪われそうになりながらも動き始める。
震える脚を懸命に前へ進める。
この場から逃げるのだ。
今、怪獣二匹の意識はお互いに向き合っている。
直樹になど意識は向いていない。
直樹はこれ幸いにと走り出した。
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