第46話 ミカエラ
――トクン
それは小鳥の心臓のような鼓動であった。
――トクン
アリスが消えてしまい、朝日が昇り始めた。
――トクン
こんなにも晴れ渡り、澄み渡った空気なのに、もう彼女は……。
「ベルくん?」
「ミカエラ……」
小鳥の心臓が鳴ったような鼓動。それはミカエラの命の証。
声がしたので振り向くと、ミカエラが立っていた。
純真な笑顔で、純粋な微笑みで、生まれたままの姿でミカエラは朝日差す森の中に立っていた。
まるで今ここに生まれ落ちたかのような神秘性をたゆたえながら、彼女は歩いて近づいてくる。
生物的な危機感を最大限に引き出させるような、おぞましい背中の羽をはためかせながら。
ミカエラは美しく微笑み、首をすこしだけ傾ける。
あれは彼女の癖みたいなものだ。
ほんとうに可愛らしくて、嫌になりそうだ。
「会いにきたの」
「そうか」
「ベルくん元気だった?」
「ああ。俺は元気だったさ。他のみんなはいなくなった。死んでしまった。さっき、クロードは俺が止めを刺した」
「そうなんだ」
ミカエラは落ち着いた様子でそう答える。
静かな調子で、透き通った声で、まるで天使のような微笑みで。
ミカエラは自らの胸の部分を抑える。
つつましい彼女の胸はその両腕に押しつぶされ、柔らかく命が通ったものだと実感させてくれる。
だが、彼女はこう言った。
「もう自分でも止められないの。ベルくん……助けて」
「ミカエラ。お願いだから、これ以上は」
「お願いベルくん。さっきアリスさんを傷つけた。そしてベルくんの大事な人も傷つけた。傷つけて傷つけられて燃やされて死んだと思ったのに、私、生きてるよ? ベルくんたすけて、たすけて」
「ミカエラ」
ミカエラは背中の羽を稼動させる。
全てが【
うねうねと蠢く真っ白な腕は、全てが俺に狙いを定めているようだ。
そして両手を胸の前で合わせ、ミカエラは涙を流す。
天使のような姿で、そんなに苦しむというのか。
そんなにも苦しむというのか。
「ベルくんが他の人に取られたこの世界が許せないの。もう、どうしようもなく許せないの。だから、私はベルくんを殺すね? そして生まれ変わったら、すぐに行って殺すね? そうすれば、誰にも取られないでしょ?」
「転生のことを知ったのか?」
「うん。ベルくんひどいよ。私達に内緒にしてたんだ。そんな大事なこと」
「すまない。俺の問題だと考えていた」
「ふふ、いいんだ。これからは私の問題だから。
【
ミカエラはそう言いながら、血の涙を流し微笑む。
お前、そんなに辛いんだな。
もう自分でも止められなくて、どうしようもないから俺のところに来たんだな。
優しいな。俺のことしか考えてないんだな。
俺はミカエラの顔をじっと見つめる。
あんなにも純真で無垢。
変わっていない。変わっていないあのころの少女の微笑みだ。
「俺は死んでやることができない。前なら、それでもいいと思っていた。でも仲間と出会って変わったし、今はやることがある。絶対にやらなきゃいけないことが残っている。ミカエラにもわかるだろ?」
「うん……ベルくんはいつも、みんなの先をみてるから」
「ミカエラは、変わってないな」
「私は……かわったよぉ。ベルくん。かわっちゃったよぉ。えぐっ。うっぐっ……」
「変わってないぞ。俺が保障する」
「え……ぐっ。ふふっ……ベルくん嘘が下手。でもうれしい」
いじめられているミカエラを助けるのは、いつも俺だった。
小さい子にすら泣かされ、なだめてやって。
そうして彼女を守っていると、逆に俺が必要とされているようで嬉しかったんだ。
そういう単純な感情だったんだ。
俺だって好きだったんだよ、ミカエラ?
いつでも泣いているお前を泣き止ませるのは、俺の役目だから。
俺は言う。言わなければいけない言葉を。
「【ワールドマジック】は使えるようになった」
「知ってるよ。だから私はこんなに悲しい。こんなにも寂しい」
「――――俺は、君を殺すよミカエラ」
「うん。私もあなたを殺すよ、ベルくん」
【
手加減無しの発動で、ミカエラの身体は虚空の中へと消え去った。
かに思えたが、突如として俺の眼前へと現れた。
【
つくづく、反則レベルの能力だと思う。
俺が言うべきことではないだろうが。
ミカエラの泣き顔は綺麗だ。
とても美しい。
俺は漆黒のマントでミカエラの
【
一度に一つしか発動できないことは知っているはず。
ローブの隙間を探すように、ミカエラの羽の手が伸びてくる。
【
【
力負けするワールドマジック。
数多の手に押しつぶされ、超硬度の空気圧など無意味と化す。
雨上がりの地面を転げ周り、泥にまみれてミカエラの手をかわす。
求めてくるミカエラの手をかわす。
泣きながら追ってくるミカエラ。
なんでそんなに可愛いんだよ。くそ。
(ベルヌ様が一番泣いています)
【ミカエラの周囲を絶対零度に】――ワールドマジック
【
氷づけになったミカエラは、四肢を自らバラバラにして強引にリザレクションをかけなおす。
もっと痛いことを知っている。
心が痛いのは、もっと痛い。
ミカエラはやっぱり泣いていた。
寂しい。
さみしい。
穴が開いた部分を埋めるリザレクション。
でも、きっとリザレクションじゃ穴は埋まらないんだな。
だからミカエラは泣いていた。
俺はそれを理解できる。
ミカエラの涙を見て、知って、理解できる。
もう逃げない。背を向けない。
手遅れになってしまったけど、ミカエラ。
もうちょっと待ってて。
――――俺は理解している。討つべき相手を。
「ベルくん。笑って。泣かないで」
「泣いてないさ」
「嘘ばっかり。涙で泳げるくらいだよ?」
「泣いてるのはお前だ」
「えへへ。ほんとだ。ねえベルくん」
「なんだ?」
「…………また、星を見たいな」
「ああ」
「また、星をみたいな」
「……ああ」
ミカエラは白い羽を広げる。
両腕を広げ、今までにない輝きを放ち始める。
【
黄金の光を放つその両手からは、一切の邪悪な雰囲気は消え。
神秘的で精錬された能力の顕現を感じられた。
正直、これ以上強くなるとか反則すぎる。
俺はたったひとつの
黄金の両手は求めるものから与えるものへ。
恐らくワールドマジックの硬化や防御を貫いてダメージを与えてくるだろう。
なんとなくだが、そんな気がした。
「だがな。お前が好きだったぶん、俺だって好きだったんだぜ。食事も喉に通らないくらい、風呂にも入らないくらい、部屋に引き篭もるくらい……」
(魔王をやってください!)
(俺ちゃんでしたー)
(宿屋ですからしずかにぃ)
(やってしまうのじゃ)
「あいつらには、助けられてばかりだった」
ミカエラは再び、
【
考える時間は刹那もない。
地面を抉り、空間を消し飛ばし、天使の羽を散らせながらミカエラは突進してきた。
アリスから貰った小石ほどの大きさの首飾りを握り締める。
ミカエラはそれを見て、微笑んだ。
――だったら俺は。
「ミカエラっ!!!」
「ぁ……?」
俺はミカエラを抱き締めていた。
右掌にワールドマジックで召還した、
右掌はミカエラの胸を貫通し、小鳥のように鼓動する心臓を貫いた。
俺の右手は炭化するほど焼け焦げてしまった。
背中につき抜け、掌の上にあるミカエラの心臓は美しい桃色の宝珠に変化していた。
おそらく、これがミカエラの変化の原因……紫水晶の亜種。
これを砕かぬかぎり、ミカエラに死は訪れないということだ。
ミカエラは、驚いたように口にする。
「どうして? 私なんかを抱き締めてくれるの?」
「近づかないと、君を守れない」
「うれしい。ベルくん、汚いわたしを、抱き締めてくれて」
「お前は汚くない。ミカエラ。俺はお前を……」
宝珠が砕け散る。
その瞬間、ミカエラの天使の羽は砕け散るようにして霧散した。
ミカエラは口から血を吐き、俺に軽い体重を預ける。
人へと戻った証拠に、リザレクションで身体が元に戻ることはない。
「ベルくん。ベルくん」
「ああ」
「すき。すき」
「ああ」
まさぐるようにしてミカエラは俺の背中をさする。
もう、感覚もないのかもしれない。
よわよわしい手つきで、俺の背中をずっとさすっている。
「背中、あったかいな」
「ああ」
「はじめて、さわっちゃった」
「……ああ」
俺はミカエラが動かなくなるまで、ずっと抱き締めていた。
ずっとずっと抱き締めていた。
いつまでも抱いていた。
軽くて、小さくて、可愛らしいミカエラ。
もう動かない。
ふと、右手の痛みがないことに気がついた。
俺の炭化したはずの右手が、すっかり元に戻っている。
死ぬ間際に、ミカエラは。俺と一緒に練習したリザレクションをかけてくれたのだろう。
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