3-6

 奏先輩の遺体が発見されたのは西野邸と大学のちょうど真ん中付近にある公園の中だった。神酒洲からメールで目的地に印のついた地図を受け取って現場へ到着すると、当然そこはキープアウトを示す警戒色のテープで封鎖されていた。


 事件の発覚からまだ一日しか経っていないので、当然公園には警察関係者らしい作業員が数名ウロウロと歩き回っていたのだが、そこで俺は情報屋・神酒洲灘女の手腕を実感することになった。


「どうするんですかこれ。調べるって言っても、これじゃ現場に入れませんよ?」


『ああ、適当にそこらにいる関係者に名前伝えてくれればだいじょーぶよ。根回しはしてあるから』


 という神酒洲の言葉に半信半疑ながら従ったところ、俺が「あのー」と声をかけた時点では鬱陶しそうにしていた作業員が、俺が普通に自分の名前を伝えた途端背筋を正し、てきぱきと他の作業員に指示を出してものの五分ほどで撤収していった。最後に「ごゆっくり」と一礼まで添えて。


「……あなた、何者なんですか」


『ふふん、情報屋を頼りにしてる人間は、案外どこにでもいるってことよー』


 電話越しの合成音声でも、神酒洲がどことなく愉快そうにしているのが伝わってきた。素人丸出しの俺の反応が、どうやらお気に召したらしい。好き好んで笑われる趣味は無いが、今はそれでいい。馬鹿だ素人だと思われていても、印象が悪化しないなら何だって構わない。


『さて、それじゃ始めてもらおうかな』


「わかりました。まずはどうすれば?」


『そうだねェ……遺体のあった場所はわかるかい?』


「はい、街中で見慣れた白線が引いてありますよ」


 最近じゃ殺人だ死体遺棄だなんて珍しくもないからな。大通りから一本道を逸れれば人型の白線なんていくらでも見つかる。


『いやぁ世の中荒んでるね。まぁ、だからこそオレみたいなのがやっていけるんだけど、っと。それじゃ、そこには近寄らなくていい』


「え、そこが大事なんじゃないんですか?」


『そんなところに手がかりがあるならとっくに警察が見つけてるさ。本職の仕事ってのは馬鹿にしたもんじゃないよ。それに、調べて欲しいのは遺体そのものに関することじゃないしね』


「じゃあ何を?」


『カラス』


「……カラス?」


『あと、野良犬野良猫かな』


「ええと……スズメは?」


『んー、じゃあ一応スズメも』


「いやいやどういうことですか? カラスとか犬とか猫とか、何の関係があるんですか」


『まーまーいいじゃない。確証が持てたら教えるよ』


「わかりましたよ。それで犬猫カラス、あと一応スズメの何を調べればいいんですか?」


『例えば電線の上のカラスの数や地面の糞、公園近辺の木の上の巣、とにかく野鳥や野良動物の痕跡をなるべく探して報告して欲しいな』


「それ、本当に事件に関係あるんですよね?」


『あるかもしれないし、ないかもしれない。それを確かめてもらうんだよ』


「……了解です」


 何の関係があるのかは分からないが、本当に関係あるのかも疑わしいが、俺一人ではこの事件現場に入ることすらままならなかったのも事実だ。それに、何も言われたこと以外は調べちゃいけないってワケじゃないんだ。動物探しのついでに、公園内に犯人の痕跡がないか調べるくらいのことはしても構わないだろう。


 などと油断していたら、結構こき使われた。


 昼過ぎに公園に到着して調査を始め、公園内で犬猫野鳥探しをしばらく行った後『もうちょっと範囲広げよっか』という神酒洲の一言で公園周辺の住宅街一帯にまで調査範囲が拡大し、見慣れないご町内を五周くらいさせられた。


 気付けば日も傾き、徐々に世界が夜に沈み始めている。


『やはー、お疲れちゃん。調査結果はどうだったかなー?』


「ええとですね……鳥の糞は一つ一つきっちりと数えてはいませんが三から五個くらい固まってる箇所が町内で十五カ所、犬の糞は三カ所見かけましたがどれも歩道脇だったので飼い犬のものである可能性が高いと思います。今日の調査中に遭遇した猫は四匹、うち一匹は首輪をしていたので家猫ですね。スズメはほとんど見かけませんでした。カラスは四、五羽で固まっているのを二カ所見かけましたが、犬猫と違って区別がつきにくいので同じ個体かは判断しかねます。飛んでいるのも三度ほど見かけましたね」


『ふむふむ、報告ごくろーなのだ! うーん、特に目立って何かが多いってことは無かった?』


「そうですね、こんなに動物に目を配りながら歩いたことは無いですが、そんなに多いという印象は無いです」


『だよねー』


 軽いなー。特筆するほどのことが無かったということは神酒洲言うところの「あるかもしれないし、ないかもしれない」の二択は無い方だったわけか。無駄足じゃん。


『ハハハ、ちょぉーっと判断が早いんじゃないカナー?』


「え、特徴が無いのに何かわかったんですか?」


『ん、まぁね。……これはもうほとんど確定かなぁ』


 なんか一人で納得してるんだけどちゃんと説明してくれよ、そういう約束だったじゃん。それともなに、これくらい説明しなくてもわかるでしょ、みたいなこと?


「何が確定なんです?」


『あー、うーん、これはねぇー……どうしようかなぁー』


 なんで急にそんな歯切れ悪くなるんだよ。


『いやぁ、結構いい値段で売れそうな別の情報と関係しちゃうからさー。どうやってキミから搾り取……搾取しようかと思って』


「今ので訂正できたと思ってるなら大間違いなんですけど」


 漢字一緒じゃん。意味おんなじだろ。むしろより直球になってる気さえする。


『ま、いいか。この事件について隠し事はなし、って言ったのはオレの方だしね。情報屋として嘘ってのはいただけない。お金が発生しなくても信用がかかってるもんね』


 えーと、要するに教えてくれるってことでいいのか? なんか随分勿体ぶるけど、そんなに重要な情報なのだろうか。


『あ、その前にもう一ついいかな。暗くなる前にぱぱっと調べて欲しいんだけど』


「なんですか」


『これについては公園内だけで構わない。動物の毛のようなものが無いかなるべく念入りに探して欲しい。そろそろ日が沈むだろうし、あまり時間が無くて申し訳ないんだけど』


「まぁ、とりあえず探すだけ探してみます」


 とは言ったものの。


 夕暮れ迫る公園内をキョロキョロ見回しながらうろついてみるが、動物の毛なんてアバウトで細かいもの、公園内にあるとしてもそう簡単に見つかるものじゃないと思うんだがな。

 公園内をとりあえず二周ほどしてみたが、案の定それらしいものは見当たらない。大して広い場所じゃないとはいえ、動物の糞だの足跡だのと違ってパッと見てあるかないか判別がつくものでもないし、日が暮れかかっていることもあって植え込みや花壇のあたりは影が深まり探しにくい。


 これはお手上げか。少なくとも今日の日暮れまでに見つけられるとは思えない。ひとまず諦めて神酒洲に連絡しようとしたところで、ふと例の白線、奏先輩の死体が遺棄されていた場所が目に留まる。


 ……近寄らなくていい、って言われただけだしな。近寄るなと言われたわけじゃない。


 最後に、本当の意味で「現場」と呼べる場所を見ておこうとそちらに足を向ける。

 白線の場所は、四方にある入り口の一つにほど近い、手洗い・水飲み用水道の脇だ。無遠慮に無造作に引かれた人型の白線を見下ろすが、そこに奏先輩の姿はどうしても見えて来ない。

 白線とその周囲を見回せば、確かにそこがあの写真に写っていた場所だというのは理解できるはずなのに、そこにあんな姿の奏先輩が倒れていたというのはどうにも現実味に欠ける。


 本当に、あの人は死んだんだろうか。


 奏先輩に二度と会えないという事実は、俺に何をもたらすのだろう。俺から何を奪い、何を変えたのだろう。

 それがよくわからないままなのは気のせいではない。先輩には二度と会えない。それでも最後に会ってからまだ二日であり、今こうして神酒洲の指示で動いていることまで含めて、俺にとっては非日常の延長だ。


 これが仮に、どんな形にせよ全てに決着がついて、俺が日常に戻ることがあったとしたらその時俺の中では何が変化しているのだろう。


 ……まぁ、とりあえず俺に友人がいなくなるな。大学の空き時間とかどうしよう。


 結局そんなのは、その時になってみないと分からないものなのかもしれない。そう囁くのは冷静な俺。失って受け止めて、失くしたものを受け入れることはきっと正しいのだと、その俺は知っている。

 けれど、目の前の白線を踏み消してしまいたい思いに駆られている俺は、決してその正しさを受け入れない。間違っていてもそんなのは知ったことじゃない。正しさなんてものに興味はない。


 だから俺は許さない。正しかろうが間違っていようが関係ない。先輩を奪った犯人を、この手で追い詰めるまで、俺は決して受け入れない。


「……やっぱ、見ない方が良かったかな」


 変な葛藤が生まれただけかもしれない。

 さっさと報告を済ませて、神酒洲が気付いたことというのを聞き出そう。そう考えて携帯を取り出したところで、半分以上沈んだ西日を照り返す何かが視界にチラついた。


「なんだ?」


 それは引かれた白線の側に二本ほど落ちていた。

 とても細くて、色は金とも白ともつかない。恐らく普通に探していても見つけられなかっただろう。この時間になって西日を受けてかすかに、それでも確実に光ることでようやく見つけられるレベルのもの。本職の人たちが見落とすのも頷ける。


 人間の髪の毛、ではないように見える。一見すると色合いからして大型犬か何かの毛というのが一番近いようだが、二本を拾い上げて指の腹で転がしてみるとどうにも手触りが奇妙だ。ビニール紐を細く裂いたもののような、人工的で熱のない感触だった。


「何の毛だ、これ」


 神酒洲が探していたのは多分、いや間違いなくこれだろう。わざわざ動物の毛「のようなもの」と指定していたあたり、神酒洲にはこれが何なのか見当がついているのかもしれない。


 悩むよりまずは報告だな。

 俺はその二本の毛を写真に収めるとメールに添付して送信し、すぐに神酒洲に電話をかけた。


「いま送った写真だけど」


『うんうん、確認したよー。どこにあったー?』


「遺体のそばです」


『うわちゃー、そっか。うん、なるほど。こうも簡単に揃うとは思わなかったけれど、これはもう確定だね』


「何が確定なんですか、いい加減教えてくださいよ」


『いいけど、あー、キミには結構衝撃的だと思うんだよね。その公園でしてもらうことはもう無いし、家に着いたら電話してよ。そーしたら教えたげる』


「……わかり、ました」


 勿体つけられて苛立っているのがおそらく声から滲み出ていただろうが、神酒洲は気にした風もなく『じゃあとでねー』と向こうから通話を終了した。

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