3-3

 呼び出しの場所は大学の一室を選んだ。奏先輩が根城にしていたそこは、昨日までと何も変わらずに散らかっているはずなのに、モニターの電源が落ちていて、パソコンのファンの唸る声が聞こえないだけで、部屋全体が何だか空っぽの抜け殻のように思えた。


 呼び出した相手が到着するのを待つ間、俺はデスク回りに散らばっている印刷物や資料の束を軽く整理しながら確認してみた。奏先輩ならあるいは自分を殺した犯人についてもヒントを掴んでいるかも、と思ってのことだがさすがにそれは考え過ぎだったらしく、積んである資料の大半は最近捕まえた犯罪者や、念入りに出現ポイントを絞っていたマイク・ザ・リッパーについて、或いは最終目標だったのだろうグリーンミストについてのものだった。


「……これは」


 資料の束を全て脇に片付けた下、デスクに付箋で貼付けてあったメモが目についた。先輩のものらしい走り書きのメモには何やらメールアドレスらしき文字列が並んでいる。その上にはカタカナで「ミキス」とだけ書いてあった。


 ミキス。どこかで聞いたような……。


 あとで調べようと俺がその走り書きのメモを携帯で写真に撮っていると、背後でドアの開く音がした。


「あ、の……」


 振り返ると、どんな顔をすればいいかわからない、といった様子の西野が立っていた。もちろん変身はしていない。見慣れたセーラー服姿だ。


「西野」


「は、はい」


 一ヶ月以上それなりに密な連携をとってきた俺たちだが、俺の方から西野に連絡を取って呼び出す、というのは初めての事だ。電話では俺が一方的に呼び出しの時間と場所を告げただけだったが、奏先輩の死については今朝の時点であちこちで話題になっている。積極的に情報収集をしなくても事件について知らないということも無いだろう。


 その辺りの事情から、俺の呼び出しが友好的な用件によるものではないと察しているのだろう。西野の表情には久しぶりに緊張が見てとれた。


「……奏先輩がいなくなった今、ハッキリさせておこうと思う」


「え、と?」


「この部屋を出たら、俺とお前は見ず知らずの他人に戻る。二度と連絡は取らないし、顔も合わせない。どこかで会うことがあっても、互いに関わらない。いいな?」


「そ、そんな! どうしてですか、わたしが何かしたのならそう言ってください、お兄ちゃんに迷惑がかからないように精一杯――――」


「もう遅ぇんだよッ!」


「っ!」


 俺の怒声にびくっと西野が肩をすくませる。ああ、そういやこんな大声出したの久しぶりかもな、とどうでもいいことが頭をよぎった。


「何かしたのなら、じゃない。なんでだ! なんで何もしなかったんだ! お前なら救えたはずだ! 奏先輩と一緒に行動していたなら! なのになんで奏先輩が死んでるんだ! なんで助けなかった! なんであんな、あんなッ!」


 最初の怒声で感情のブレーキが吹っ飛んだのか、言葉が勝手に口から飛び出してくる。いや、言葉なんて真っ当なものじゃない。俺の内側でドロドロと渦巻いている復讐の燃料、その一部に意図せず着火してしまった薄汚い炎を吐き出しているに過ぎない。


「昨夜奏先輩と最後まで一緒にいたのはお前のはずだ! 俺でも、マザーさんでも、コンプレスでもなく、お前が一緒にいたはずだ! 俺たちの誰よりも強いお前が、なんであの人を守らなかった!」


「それ、は、奏さんが、見送りは不要と、仰ったので……」


「それを素直に受け入れたのかよ! 強引にでも見送ってりゃああはならなかったはずじゃないのか!」


 ああ、これは八つ当たりだ。そうだとも、わかっている。


 頭の中で冷静な俺がそうボヤいている。別に西野が悪いわけじゃない。奏先輩なら見送りは不要と言っただろうし、西野はそう言われてまで親切の押し売りをするような性格じゃない。そもそも俺たちが西野邸に集まってから夜中に解散してそれぞれ単独行動するのなんて昨夜が初めてではないし、それで今まで何事も無く過ぎていたのだから昨夜に限って何かを予感しろというのは無理な話だ。


 殺人事件なんてこの街だけで星の数ほど起きていて、その全てを防ぐなんて出来っこないと分かっていたはずだ。その犠牲者が、たまたま奏先輩だったというだけだ。たまたま昨夜は奏先輩が一人で帰宅の途につき、たまたま奏先輩が狙われ、たまたま殺された。


 そこに西野の落ち度は無い。家まで送っていかなかったことを落ち度と言うのなら、俺だって同じく糾弾されるべきだ。


 だからこれは、ただの八つ当たり。

 それでも、言わずにはいられないし、もう止まれない。


 理屈では西野が悪くないとわかっている。理屈の上では、俺と西野は同罪だとわかっている。いま西野と決別したところで何か良い結果に結びつくわけではないことも分かっている。


 けれど、感情がそれを許さない。


 奏先輩を守れたかもしれないヤツとこれ以上関わり続けることが許せない。粘つく復讐心は冷静な思考を全部搦め捕ってそう結論づける。そして俺は、自分の感情に抗わない。


 西野は俯いて、俺からの糾弾の言葉を受け止めている。俺の言っていることが無茶苦茶なことくらい、西野にも分かっているだろう。唇を噛んでいるのが見える。握った両拳が震えているのが見える。


 こいつは多分、悔やんでいる。俺なんかに好き放題言われていることも、奏先輩を死なせてしまったことも悔やんでいるだろう。……いや、それは俺にとって都合が良すぎる考えか。どうしてこいつが震えているのか、俺に正解が分かるはずも無いのだ。


 だから俺はどこまでも一方的に、自分の言いたいことだけを押し付ける。どう思われようと、何を言われようと知ったことではない。俺は、俺は。


「俺は、ヒーローが嫌いだ……」


 ぴくっ、と俯いていた西野が反応する。下がっていた顔が、少しだけ上がったように思えた。


「正義を振りかざすくせに、いつも肝心なところで、本当に助けて欲しい時に助けてくれないヒーローが嫌いだ。本当に助けて欲しい人を助けてくれないヒーローが嫌いだ。結局自分の名誉と命が大事なくせに、他人の味方を騙っているヒーローが嫌いだ。失敗して人を死なせても、悪びれもせず次の現場に現れるヒーローが嫌いだ」


 そうだ、嫌いだ。俺は嫌いだ。ヒーローが嫌いだ。全部が嫌いなんだ。だから目の前のこいつも嫌いだ。


「だからもう、お前とも関わらない。ここを出たら、二度とお互いに近寄らない。それで全部終わりだ。元通りだ。俺はヒーローが嫌いで、お前はヒーローだ。正しい関係に戻る、それだけだ」


 なぜか言い訳じみてくる自分の言葉に苛立つ。誰に対して、何の言い訳をしているのかも分からないから、余計に苛立つ。

 ……言いたいことは、終わりだよな。


「じゃあな」


 一方的に糾弾して、言い返されたわけでもないのに勝手に苛立って、逃げるように背を向ける。ああ、俺って超かっこわるい。


「お兄ちゃん」


 俯いたままの西野の脇を通って扉に手をかけたところで呼び止められる。無視すればいいのに、と思うのに、なぜか足が止まった。


「だったら、教えてください。お兄ちゃんの、正義を。正しいヒーローの在り方、を」


「……、…………」


 口を開きかけて、閉じる。答える必要はない。俺はもう、こいつとは無関係だ。

 扉を開けて部屋を出た。ガチャン、といつもより大きな音を立てて扉が閉まる。自分でそうしたはずなのに、なぜかその場所に拒絶されたような、そんな気がした。

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