再会

「……お兄ちゃん」


 一人、奏の私室だった場所に取り残された朝霞は、たったいま出て行ったばかりの人物に何と応えるのが正解だったのか、ぼんやりとまとまらない頭で考えていた。


 怒られる覚悟はあった。奏から彼がヒーロー嫌いであることも聞いていたから、あるいは何らかの拒絶の意を示されるのでは、という予想もしてはいた。だから、さっきまで彼がまくしたてていたことは朝霞にとって驚くことではなかったし、概ね予想通りだったと言っていい。


 にもかかわらず、朝霞はほとんど何も言い返せなかったし、当人が立ち去った後もどうすることも出来ずに入り口の扉脇に突っ立ったまま、答えの出ない疑問について考えていた。


「奏さん、わたし、わたしは」


 あなたを守るべきだったのですか?


 それもやっぱり答えの出ない疑問だ。思えば朝霞の周りはいつもそうだった。答えの出ない疑問ばかり。

 どうして自分には物心ついた頃から両親がいないのかとか。

 どうして自分には生まれながらにして変身能力があるのかとか。


 その変身能力をどう使うのが正しいのかとか。


 中学校の同級生達に、その能力を隠し続けるべきなのかとか。

 ヒーロー嫌いなのに何度も助けてくれた恩人に、もっと踏み込んでも良かったのかとか。

 自分が守りきれず死なせてしまった彼女は、死の間際自分を恨んだだろうかとか。


 自分の正義とは、自分が信じる正義とは、どういうものなのかとか。


 正解なんてきっとなくて、あっても辿り着けなくて、いくら考えても答えなんて出るはずもなくて、それでも折りに触れて、考えずにはいられない。そんな疑問が朝霞の周囲にはいつも無数に存在していた。


 ふと、デスクの上で沈黙する奏のパソコンが朝霞の目に留まった。

 朝霞がこの部屋を訪れた回数はそう多くはないが、その数回の訪問の際は例外無くモニターは明るく、その前にはいつも椅子の上で胡座をかくジャージ姿の女性がいた。


 何の気無しに眺めていたこの部屋の情景が無性に恋しくなり、朝霞はふらふらとデスクに近づき、パソコンの電源を入れた。


 ブゥゥゥゥン……。


 排熱ファンの回る低い音がして、モニターに明かりが灯り、OSのバージョンを示す起動画面が表示される。朝霞は何をするでもなく、ぼーっとパソコンの立ち上がりを眺めていた。

 起動画面が消え、ログイン画面が表示される。


「……?」


 何かを見ているようで、何も見ていないようだった朝霞の瞳に、わずかに光が戻る。てっきりログイン画面には奏のユーザーアカウントとゲストユーザーが表示されるだけだと思っていたのに、実際には四つのアカウントが表示されていた。


 一つはsumika。一瞬何だか分からなかったが、すぐにそれが奏のハンドルネームだったことを思い出す。スミカは彼女が自分のサイトを中心にネット上で頻繁に使用していた名前だ。あと一つは予想通りのゲストユーザー。そして残る二つが。


「これ、は……」


 二つのアカウント名の片方、asakaと書かれているアイコンをクリックする。パスワードの要求画面はなく、ログインしています、と簡素なメッセージが表れた。ほどなくしてまた画面が切り替わると、初期設定の壁紙のままのシンプルなデスクトップが表示される。


 コレは何だろう。


 朝霞の頭に当然の疑問が浮かぶ。奏のパソコンに自分の名前のユーザーアカウントが存在している。奏が気まぐれでこんな意味の無いことをするとは思えなかったが、一方何のためにこんなことをしたのか、思い当たる理由が一つもない。


 再び答えの出ない疑問に頭がかき回されている朝霞の前で、勝手に何かのウィンドウが表示される。もちろん、朝霞は何の操作もしていない。起動と同時にアプリケーションが立ち上がるように設定されていたらしい。


 表示されたウィンドウには、sumikaとだけある。何のためのソフトかわからないが、どうやら奏が自分で制作したもののようだ。


 一瞬、データを読み込む時間の空白があり、そしてウィンドウ内に奇妙な映像が流れ始める。

 初めは無数の点が無軌道に飛び回り、やがてそれが画面の下部から順繰りに渦巻くようにうねりを作り始め、画面いっぱいに広がる。そして始まったときと同じように画面の下側から順に点が消えていく。朝霞は何となく、自分の変身も外からはこんな風に見えるのだろうか、と思った。


 画面から飛び交っていた全ての点が消え去り、一つの像が中心に現れた。それはブラウン管テレビの点描のような、どこか荒い点の集合で構成された、一人の人物のバストアップ。奇妙にリアルなまばたきをする様子から、それが写真でないことはわかった。


 不思議と奥行きを感じる映像の中の人物は、まるでパソコンの前に立っている人物が誰かを確かめるように、朝霞の頭頂部から足下までを眺め回し、にたりと口角を吊り上げた。


『やっほ、朝霞ちゃん。昨夜ぶりー、でええよな?』


 映っていたのは、今朝遺体が発見されたはずの水澄奏の姿だった。

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