3-1

「思いのほかあっさりでしたね」


 目の前に縄でぐるぐる巻きにされて転がしてある男を見ていると、さすがになんだか哀れになってくる。まぁ、こいつはコンプレスやマザーさんの時と違って本当に同情する価値もない男なのはわかってるつもりなんだけどな。


「いやー、捕り物は何度見ても興奮するもんやけど、今回は特に大満足やなぁ。やっぱ獲物がデカいと気分ええわ」


「というか、俺たちってほとんど野次馬ですよね。ついてきてる意味あるんですかこれ」


「あ、ありますよ。わたし、お兄ちゃんと奏さんが見ていてくれると心強いです」


 男を縄でふん縛る作業を終えたばかりのバルクガールからフォローが入る。残念ながらそのフォローは俺たちがほぼ役立たずなことを証明していたが。


「ま、何はともあれこれで人々の眼球は守られたわけやな」


「いやいや、眼球もですけど命を守った方を喜びましょうよ」


「何言うとんねん、殺人鬼なんて掃いて捨てるほどおるんやで。ウチらが今日守ったのは、市民の眼球と顔面偏差値と死後の尊厳、の一部だけや」


「……まぁそうなんですけど。そうハッキリ言われるとキツいものがありますね。いくらやっても無駄なんじゃないかって気がしてくる」


「無駄じゃないです! ぅあ、その、大きく変わらなくても、それでも、救えた命が、ありますから」


「ま、せやね」


「何でバルクガールが言うと素直に頷くんですか」


「いやぁ、ウチってばヒーロー大好きやし?」


 奏先輩の身も蓋もない物言いに俺が愚痴をこぼして、それをバルクガールが仲裁する。このやり取りもすっかり恒例化しつつあった。


 コンプレスとマザーさんとの対決、そしてその二人が西野邸に転がり込むという衝撃の事態から既に一ヶ月が経過していた。初めはほんの数日の接触で終わりだと思っていた俺とバルクガールの関係も、奏先輩も含めて途切れずに続いている。というより、遺憾ながら当初より密になっていると言って差し支えない状態だった。


 例の果たし合い以来、俺たち三人は週に一、二件のペースで凶悪犯を確保している。毎回犯人を簀巻きにして転がし、一一〇番通報して警察の到着前にトンズラ、というのを繰り返している。俺含む三人の誰もが自分個人が犯罪仕置き人として認知されることを望んでいない、どころか嫌がってすらいたので善意の第三者で押し通すことについては何の反論も出なかった。


 だから今日のように殺人鬼を捕まえるのも初めてではなかったが、コンプレス以降に確保した連中はほとんどが週刊誌を賑わせる程度の話題性すら無い連中だったから大物とは言い難いものがあった。


 まぁそういう話題性の薄さ故に街のヒーローや警察にとっても優先度が低く野放しになっている連中を優先的に確保して来たという面もあるのだが。

 そんなわけでコンプレス以来、というかコンプレスを警察に引き渡さなかった以上実質初めて、ヴィランと呼ばれるレベルの相手を確保したことになるわけだ。


 捕らえたのはマイク・ザ・リッパー。この街では話題性、鮮度ともにトップクラスの大物だったわけだが、確保は随分とあっさりだった。まぁ、リッパーの恐ろしさはその神出鬼没ぶりと他人を演出道具としか思わない残酷さであって、バルクガールという戦力を擁した俺たちであれば無力化するのは難しいことではない。


 そんなわけで、通報を終えた俺と奏先輩は最近すっかり入り浸りになっている西野邸へ戻ってきていた。ちなみに、バルクガールは変身の兼ね合いがあるので一足先に飛んで帰っている。


「おや、お帰り。お勤めご苦労だな」


 玄関に入ったところで白衣の女性、マザーさんと出くわした。この人いつ見ても白衣着てるなぁ。もうすっかり夜中だというのに寝間着らしいラフな私服の上からもしっかり白衣を羽織っている。コンプレスは……この時間だともう寝てるか。あいつ本当に健康的な生活してるよな、いつも八時過ぎには熟睡してるし。


「やー、マザーはんも家事手伝いご苦労やなぁ。朝霞ちゃんおる?」


「ああ、さっき帰ってきたよ。部屋にいるだろう」


「どーもどーも。ほななー」


 先輩は挨拶もそこそこに、さっさと屋敷の奥へ引っ込んでいく。


「……嫌われたものだな」


 マザーさんが苦笑する。それほど長い付き合いではないのに、あの笑顔の先輩を見てそう思うということは、この人はやっぱりそこそこ聡いんだろうな。好かれている、というよりは嫌われているという解釈の方が圧倒的に近い。


 だが、嫌われているというのも本当は少し違う。

 先輩のあの態度の真意は恐らく、無関心だ。


 奏先輩が誰かを嫌うことは滅多にない。俺や西野のように自分の側に引きずり込むにせよ、果たし合いのときのコンプレスとマザーさんのように敵対する相手にしろ、あの人は好意的に見ている節がある。彼女の他人に対する好感度設定は、相手が友好的かどうかとか、自分の敵か味方かといった事情には左右されない。そんなことは問題にすらしていない。


 本人に確かめたわけではないが、彼女が好意的な対応を取るのは、彼女の興味や関心を引く相手に対してだ。好奇心を満たしてくれる面白い存在であれば何でもいいわけだ。

 恐らくマザーさんとコンプレスについては、あの果たし合いの一件が終わった時点で興味が失せたんだろう。かろうじて関係を切り捨てていないのは、俺と西野とも交流があるからか。


 表面上は朗らかに対応しつつも、その態度からは必要以上に二人と関わる気がない、という意思がひしひしと伝わってくる。さっきのように拠点に戻ってきた時に顔を見せたのが西野や俺だったら、先輩はもっと必要以上にあれこれと話しかけてきていただろう。


「やれやれ、彼女に嫌われていると思うと胃が痛むよ。彼女が一言出て行けと言えば、私もコンプレスもここを追い出されかねない」


「そこまで心配することはないと思いますよ、奏先輩も無闇に敵を作りたくはないでしょうし」


「そうだったらいいがね。君は行かなくていいのか?」


「今日は帰ろうかと。ここに寄ったのは奏先輩の送迎ですから」


「ふむ、君が顔を見せれば朝霞くんも喜ぶと思うのだが」


「たまには女二人で俺の愚痴を言ってもらわないと、そのうち面と向かって嫌味を言われそうですから」


 俺がそう言うとマザーさんは愉快そうに肩を揺すってくすくすと笑う。


「ま、確かに。どんな良好な関係にも不満の一つや二つくらいあるものだ。ガス抜きは必要かもしれんな」


「ほほー、ってことはマザーさんもコンプレスとの関係に不満が?」


「あるとも」


 否定されるかと思っていたら、意外にもあっさりと肯定の返事が返ってきた。


「あるんですか」


「ああ、あるね」


「参考までにどの辺りが?」


 まぁ何の参考にもならないとは思うんだけど。


「まず、そうだな……あの子を、私の腹を痛めて産んでやれなかったこと、かな」


 ……え、重っ。何それ重い。軽い気持ちで聞いていいことじゃなかった!


「いまはまだあの子もそんなことを考えていないだろうが、五年後、十年後……親というものを考えるようになったときどう思うか。ああ、今から心配でたまらない」


「ええと――」


 なんだ、何を言えばいいんだ? マザーさん自身がなにやら黄昏れチックなだけで落ち込んだりしてる様子がないのは幸いだが、茶化すわけにもいかないしあんまり踏み込んで相談に乗るわけにも……。

 というか、今まで遠慮していたけど、そろそろ訊いてもいいんだろうか。まぁ、気になることは気になるし、今なら話の流れ的に訊いても不自然じゃないし。


「あの、ちょっといいですか」


「ん、なんだね」


「マザーさんとコンプレスって、実際どういう関係なんですか? 親子って言ってますけど、マザーさんが産んだわけではないんですよね?」


 それについては果たし合いの時にも同じようなセリフを聞いている。詳しく突っ込んでいい部分なのかわからなかったのでこれまで遠慮していたのだが、マザーさんは何でもないことのようにあっさりと説明してくれた。


「ああ、まだ話していなかったか。いや、あの子と私に遺伝子的な繋がりがあるのは事実なのだがね。本当に腹を痛めて産んだ母親というのはあの子にはいない。コンプレスは、私が参加していた生物兵器開発プロジェクトの実験体でな。いろんな動物の遺伝子を掛け合わせて作られた人工生命体なんだが、その「人間」と「頭脳」の部分には私の遺伝子を利用しているのさ」


「な、なるほ、ど……?」


 なんとなくわかったが、結構とんでもないなその事情。深くは聞かないでおこう。


「じゃ、じゃあ俺はそろそろ」


「お、そうか。では君が帰ったことは私から二人に伝えて――」


「お兄ちゃん」


 マザーさんの肩越しにすっかり見慣れた黒髪が揺れた。


「お帰りになるんですか?」


「なんや、打ち上げせぇへんの?」


 少し遅れて廊下の奥から奏先輩も戻ってくる。どうやらいつまでも俺が現れないので様子を見に戻ってきたようだ。


「打ち上げって、ジュースとスナック菓子で二時間騒ぐだけじゃないですか。それも犯人確保の度に毎回。ほぼ週二で打ち上げはありがたみがないですよ」


「なんやつまらんやっちゃなぁ。ほな、ウチも少ししたら帰ろかなー」


「送りましょうか?」


「や、ええわ。もう少し朝霞ちゃんとお喋りしたいしな」


「はい、わたしも奏さんとのお喋り楽しいです」


「やー嬉しいわー。ゥチらはズッ友ゃでっ!」


「それどうやって発音してるんですか……」


 いつも通りな気もするが、先輩は先輩で大物を捕まえて変なテンションになってるんだろうか。ま、若干面倒くさくなってる先輩の相手は西野に任せて、ここはさっさと退散しよう。


「じゃあ、俺はこの辺で」


「あ、お見送りを」


「平気だよ。先輩の面倒見てやってくれ」


「なんやねん人を酔っぱらいみたいに」


「似たようなもんじゃないですかね」


 酒が入らなくても絡んでくると考えると酔っぱらいよりタチが悪いな。

 門の外まで見送りに来ようとする西野を制し、奏先輩とマザーさんに軽く頭を下げて玄関を出る。

 何の気無しに、西野邸の大きな門を振り返る。この門をくぐるのも慣れたものだ。


「……カラス?」


 門の上に数羽のカラスが見えた。カラスとか黒猫とか、そういう不吉の象徴なんて考えは馬鹿らしいと思っていたが、夜闇の中で、月明かりに目だけをギラつかせ声も上げずにじっとそこに留まっているカラスの群れは確かに不吉な何かを予感させた。


 いや、下らない迷信だ。最近犯人確保が順調だったし、何かが上手くいき続けていると不安になるものだ。


 幸運はそう続かない、なんてそれこそ迷信だし思い込みだ。運命とか人生とかそういう括りで物事を考えるからいけないんだ。いくつ上手くいったら次は失敗するとか、そんな風に決まっていると考えるのが誤りだ。どんなに幸運が続こうが、不幸が続こうが、次に起こる必然との間には因果関係なんて無いのだ。


 何も無いところにさも何かがあるように思い込むのは人類共通の悪癖で、だからやっぱり、カラスや黒猫に怯えるのも下らない迷信だ。

 まとわりつく不安を振り払うように自分を納得させて歩き出す。まるで何かから逃げているような焦燥感から、なるべく目を逸らすようにして。


 実際、俺の考えは正しかった。


 どんなに幸運が続いても、次に不幸が訪れるとは限らない。次も幸運であるとは限らない。

 どれだけ幸運が続いても、それは次に訪れる不幸の前に何の役にも立たない。

 翌朝のニュースで、積み重ねた事象に関係なく、起こることは起こるのだと俺は確信する事になる。


 水澄奏が、殺されていた。

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