2-20

 同じコースで円を描くように飛び回っていたバルクガールが、突然自分の描いていた円の中心方向に向きを変え、そのまま池の傍で攻め時を窺っていたコンプレスに突進していく。

 コンプレスの巨大な口の端が歪む。あれは多分、笑みなのだろう。愚かにも獲物が飛び込んで来た、仕留めるなら今だ、そんな笑みだ。


 バルクガールの降下は早いが直線的で、しっかりと地面に足を降ろし、迎撃態勢を取るコンプレスにしてみれば受け止めるのも打ち返すのも叩き落とすのも容易だ。だからこそこれまで両者は睨み合ったまま動かなかったのだ。


「っ、まずい、コンプレス!」


 マザーが叫ぶが一瞬遅い。そう、普通ならこの状況で飛び込むなんて自殺行為だが、手負いでもないバルクガールが唐突にそんな危険な手を用いるはずが無いのだ。

 だが、離れて見ているマザーにはわかっても、対等な戦闘ではなく一方的な破壊ばかりしてきたコンプレスでは、瞬時にその判断ができない。


「==!?」


 コンプレスの大振りな拳が飛び込んで来たバルクガールを捕らえる瞬間、その拳の軌道を予期していたバルクガールが物理法則を無視して勢いを殺し、真横に飛び退く。浮力や揚力といった科学的な理屈ではない、ヒーローだから、変身能力の一環だから、そんなデタラメな飛行能力だからこそ出来る、それまでの直進する勢いを完全に無視した不意打ちの回避行動。


 予めその動きを予想していた俺ですら違和感を覚えたそれを、眼前で突然披露されたコンプレスが瞬時に反応できるはずもない。

 真横に飛び退いたバルクガールはコンプレスの背後に回り込むように飛び込み、そのヤマアラシのような針山状の背中に拳を突っ込んだ。


「======ッ」


 コンプレスの絶叫が響く。

 そう、それは絶叫だ。咆哮でも、雄叫びでもなく、苦痛を訴える絶叫。


「よせ、やめろ!」


 マザーの金切り声すらも、コンプレスの悲鳴にかき消される。

 傷口を抉られるのは、誰だって痛い。ともすれば怪我をしたその瞬間よりも、傷を意識している分、傷口からさらに深く響く分、身体の内側を傷つけられる分、とても痛い。


 だから背中なのだ。なぜならヤツの背中には、俺とバルクガールが初めてコンプレスと対峙したあの晩に隣家の塀が突き刺さった傷口が残っているはずなのだから。


「==――==ッ、==――!」


 激痛にコンプレスはのたうち、掴むでも殴るでもなくデタラメに腕を振り回し、背中の傷を抉るバルクガールを振り払おうとする。しかし集中力を欠いた攻撃とも言えないその腕が冷静に傷を突くバルクガールに届くはずもなく、彼女は相手の背後という絶好のポジションを維持したまま、何度も針山の隙間をぬうように傷を抉る。


 その表情は真剣で、欠片の罪悪感も浮かんでいない。自分の正義に反するものを決して認めない、ひどく独善に過ぎる、まさにヒーローの貌だった。


「やめろ! やめてくれ! もういいコンプレス! 私たちの負けだ!」


 マザーが悲鳴を上げて飛び出していく。それに気付いたバルクガールは再び飛び上がって大きく距離を取り、俺と奏先輩の前にふわりと着地した。


「……お兄ちゃんの、言っていた通りになりましたね」


「あのまま続けていれば勝てたか?」


「どうでしょうか。負けはしない、と思いますけど、でも、お互い怪我はこの程度では済まなかったかもしれません」


「ほんま、えげつない最善手やなぁ……」


 それは俺だって自覚してますよ。

 コンプレスの傷を抉ることで、必要以上に互いに怪我を負わせることなく、痛みの声を上げさせる。子煩悩なマザーは悲鳴を上げる息子を黙って見ていられないだろう。その予想のもと、ここへ来る電車の中で立てた即席の作戦だったが、思った以上に上手くいった。


 親心につけ込むというのは、仕掛けた方としてもいい気分じゃない。それでも、これが最善手だったのだから仕方ない。仕方ないのだ。

 コンプレスのうめき声と、マザーの泣き叫ぶ声が広場に響き渡る。勝利の味は、少しだけ苦かった。

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