2-19
「――――====!」
「ふぅっ!」
コンプレスの右拳と、バルクガールの右拳が衝突する。互いの上半身を捻り上げるようにして打ち出された拳の衝突は、それだけで決して狭くないはずの広場の空気をビリビリと震わせ、中央の池に波紋を走らせる。
「でやぁぁッ!」
「==ッ」
打ち合った拳が離れるより前に、伸びきった相手の腕をへし折ろうとするようにバルクガールの下半身が上半身の捻りを追って回転しながら跳ね上がる。腕を引くのが間に合わないと判断したコンプレスは咄嗟にもう片方の手でバルクガールのしなやかな蹴りを受け止めた。
「くっ、あっ!」
「========ッ」
掴んだ足を離さず、バルクガールが蹴りに乗せた勢いを無視して、コンプレスはバルクガールを放り投げる。バルクガールが空中で一回転して体勢を整える間に、コンプレスが大木のような足の筋肉にものを言わせて跳躍、拳を構えて肉薄する。
「――――==!」
「こ、のぉっ!」
投げ出された体勢を無理矢理空中で後ろに反らせ、バルクガールはコンプレスの拳を足で受ける。着地の要領で足を曲げて勢いを殺し、そのバネを伸ばしてさらに高く飛び上がる。
変身状態のバルクガールは飛行が可能。そのまま空中を旋回し始める。コンプレスもその跳躍力を駆使すれば届かなくはない高さだが、あくまでも跳躍であって飛行ではない以上、跳べば不利になるのは目に見えていた。
互いに牽制し合い、相手が飛び込んでくれば防御は可能。だが攻め手に欠けるのも共通していた。
そんな、バルクガールとコンプレスの膠着状態を横目に見ながら、俺、奏先輩、そしてマザーの三人はお茶を啜っていた。
「おーおー、派手にやっとるなー。街中やとバルクガールが遠慮してまうやろうし、人気のない場所を選んで正解やったわー」
「わざわざ呼び出しての決闘。いったい何を仕掛けてくるかと思っていたが、本音はそんなところなのかね?」
「さぁて、どうやろな? あんたの目にウチは、嘘つきと正直もん、どっちに見えとる?」
「嘘つき」
「即答かいな! 手厳しいやっちゃなぁ。あんたまでそんな冷たいこと言わへんよなぁ?」
「いや、先輩が嘘つきなのは重々承知してますけど」
「あーん、ウチの味方がおらへんよぅ」
決闘の立会人としてはあまりに無責任で緊張感のないやり取りが続く。やり取りが無責任どころか、三人そろって果たし合いなどほとんど見てすらいなかった。
天と地に陣地を分けた両者を眺める俺たちは、二人から少し離れた場所にある屋根付きの休憩所に腰を下ろしている。足下には大量の吸殻が転がっていたが誰も気にしていない。
ぐすぐすとしつこく泣き真似をしていた奏先輩が、あー喉乾いた、とぱったり嘘泣きをやめてお茶に手を伸ばす。ちなみに、俺たちが持参したものではなくマザーが大食大飲のコンプレス用にたっぷり持参したお茶を一本ずつ分けてもらったものである。
「で、この会合が目的だったというわけか?」
「んーん、ウチは全然そんな気ぃあらへんよ。ま、個人的にマザーはんに興味はあるけども」
「あいにく私に同性愛の気はなくてな」
「間違いから始まる恋もあるんやで。ウチと間違ってみぃひん?」
「遠慮しておこう、一度気を許したが最後、弱みを握られて関係を強要されそうだ」
この短い時間でよくわかってらっしゃる。
奏先輩と適切に付き合う方法は二つ。一切の隙を見せないか、自ら進んで弱みを差し出すかの二択である。俺がどっちなのかは……言葉にするまでもないな。
「それで、彼女でないとしたら話があるのは君の方かね」
マザーの視線が奏先輩から俺へと移る。緊張を顔に出さないようにと意識するが、それを意識してやっている時点で表情の変化は読まれていると思った方がいいのかもしれない。いずれにしても畏まってばかりはいられない。俺は意を決して口を開いた。
「まずは質問から入りたいのですが、いいですかね?」
「構わないよ、答えるかどうかは別問題だがね」
暗に答える気はないとハッキリ言われたような気もするが、不毛な言い合いをするよりは話を進めるべきだろうと言葉を続ける。
「まずあの、バルクガールを無力化する球体についてです」
「ふむ、何が知りたい?」
「あれに名前はあるんですか?」
「確か、リジド・ボムと呼ばれていた」
さほど重要ではないと判断したのか、返事はすぐに返ってくる。
「呼ばれていた、ということはあなた達以外にもあれを使う者がいるんですよね。それが誰か、聞いても?」
「悪いが知らんな。私はただアレを便利だから持っておけと渡されただけだ」
「渡されたって誰に」
「黒猫を貼付けたトラックで来た配達員からだ」
いやそれは嘘だろ。あんなゴーストタウンで荷物を受け取ったら何も知らない配達員だってさすがに何をしているのか怪しむだろうに。
「嘘ではないさ。もっとも、あの配達員の本業が荷物運びとは思えなかったが」
「……なるほど」
何者かの息がかかった人間が配達車両を使って運んで来ただけということか。
「その送り主は? 居場所を知られているのに警戒していないとは言わないでしょう?」
「警戒は常にしているとも。だがアレの送り主については詮索しない方が身のためだ。私としてもおいそれと話すわけにはいかん」
予め用意していたかのようにスラスラと答えるマザー。嘘とも思えないが、これ以上聞き出すのが難しいというのもなんとなくわかった。
回答に迷いが無いということは、答えるべきこととそうでないことがマザーの中ではハッキリと定められていることを意味する。だとすれば、答えられないと言われたことに関してはいくら問い詰めたところで「答える気はない」「話すわけにはいかない」の二本柱で拒まれることだろう。
「話はそれだけかね? まぁあのバルクガールと組んでいる以上、リジド・ボムについての調査は急務かもしれんが、私に話せることは無い。諦めてもらおう」
「……そうですか。それじゃ、最後にもう一つだけ」
「随分質問が多いな。答える義務は無いぞ」
「この果たし合いでそちらが負けたら、二度と街を壊さないと約束してもらえませんかね」
瞬間、マザーの表情が険しくなる。
「……果たし合いの結果生じる約束事については、事前に取り決めるのが筋だと思うが」
「その通りです。だからこれは決闘の勝敗に基づく強制ではなく、あくまでも勝負を見守っている俺たちの間での賭けみたいなものですよ」
「小賢しい」
吐き捨てるように言われる。まぁそりゃそうだ。果たし合いの条件に勝敗に基づく要求を列挙すれば恐らくマザーはこの果たし合いを受けなかっただろう。
いくら果たし合いの条件に含まれないとこの場で言っても、勝負が始まってしまった以上、勝敗が決まれば両者の立場の強弱は明確になる。
負ければ相手の方が力で勝るという弱みが出来る。事前に提示された条件ではないにしてもある程度の要求は飲まざるを得なくなる。言い換えればこのやり取りは、俺が後付けでこの勝負に条件を追加したいと言っているのと同じだ。そりゃ苛立ちもするだろう。
「そんな勝負に私が乗ると思っているのかね」
「是非乗ってもらいたいですね。勿論、こちらが負けた場合の条件はそちらに決めて頂いて結構ですよ」
「そんなことで私が釣れると思っているのかね」
「それほど厳しい条件というわけじゃないでしょう?」
「ふん、街を壊すな、か。何を企んでいる?」
「やだなぁ、この街の住人として危険な破壊活動を止めたいと思うのは当然でしょう?」
「ただの善意や自己防衛なら、わざわざコンプレスに勝負を挑むような危険を冒すとも思えないがな」
「正義のヒーローが味方について調子に乗ったって可能性もありますよ?」
「そんなことで調子に乗るような輩は自分が調子に乗っていることにすら気付かないものだ。それに、お前はともかく、そっちの女がそこまで馬鹿とは思えないな」
奏先輩を睨みながら言う。つーか俺はともかくなのかよ。いや確かに奏先輩と比べたら馬鹿で愚かと言われても仕方ないけどさ。
当の奏先輩は実に楽しそうにニコニコしている。
「やー、ウチは場を用意しただけやで。果たし合いにもこの場の交渉にも、なーんも関係あらへんよ」
「はいそうですかと信じると思っているのかね……」
「んふふ、信じるか信じないかはあんた次第やねぇ」
「無駄に黒幕っぽい言動で場を混乱させるのやめてくださいね。本当に先輩セッティングしかしてないんですから」
まぁ逆に状況を作り出すという意味では俺は何もしていないんですけどね。果たし状届けただけ。だからこの交渉くらいは成功させないと、本当に俺だけ役に立たなかったことになっちまうんだよ。
「どうですかね? 街を壊すな。こっちからそれ以上の要求はしません。あなたにもコンプレスにも危害を加えないと約束しましょう。その上、そちらが勝てばもちろん要求に従います」
「……何を企んでいる」
さっきもされた質問が繰り返される。だが、それはこちらの提示した条件に乗りかかっている証拠だ。
明らかな不利益があればそれを指摘すればいいし、賭けに乗る気がないなら話を打ち切ってしまえばいい。そうしないということは、こちらの提示した条件に不満はなく、裏の意図さえ無ければ、あるいはそれを見抜ければ、この賭けに乗るのもアリだと判断したということだ。
「何も企んでませんよ」
言うだけ無駄だろうが言っておく。というか、実際に嘘ではない。この賭けにさっき提示した条件以上の意図などない。本当にただの賭けだ。バルクガールが勝てば、街が少し平和になる。それだけのことである。
「……ではこちらが勝てば、コンプレスの代わりに破壊活動をしてもらうと言っても従うのか」
「いいですよ、同じ破壊活動なら、ある意味等価のフェアな賭けですしね」
と、本音とかけ離れた相づちを打つ。これは万一負けたらさっさとトンズラだな。今までやっていたことをやめろというのと、やったことも無い破壊活動をさせられることのどこがフェアなんだそんなわけあるか。
だが心配はあるまい。どんな条件を出されようと、結局は勝てばいいのである。
「よかろう」
マザーは不機嫌そうに、しかし確かに頷いてみせた。
これにて賭けは成立。仕込みが終われば、あとは勝負に勝つだけである。
俺は立ち上がり休憩所の屋根の下を出て、上空を見上げる。旋回を続けていたバルクガールと目が合った。
俺が頷く。向こうが頷き返す。下準備の終了と、本当の勝負の開始を告げる合図だ。
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