2-17

 朝、駅で顔を合わせた時から緊張している様子ではあったのだが、放っておけばそのうち落ち着くだろうと思っていたら実際は逆で、電車が目的地に近づくにつれて緊張が増してきている気がする。最初はもう少し俺と奏先輩の会話にも反応を返していたのだが、昨日終点まで行った路線を途中下車し、別の路線に乗り換えたあたりから俯いて何も言わなくなった。心無しか顔色も悪い。乗り物酔い、ってわけでもないんだろうな。


「今日はどうしたんだ、昨日はあんなに戦う気でいたのに」


「だ、大丈夫ですよ、どうもしてないです、はい」


「いや大丈夫かどうかはさっき聞いたから」


「ぁ、す、すみません、大丈夫です」


 重症だなこりゃ。


「しっかりしてくれよ、お前がしゃんとしてくれなきゃ始まらないぞ」


「うぅ、そ、そうですよね、わたしが、わたしがしっかり、しないと、お兄ちゃんと奏さんが危ない目に遭うし、この一週間が無駄に、なりますし」


 しまった逆効果だったか。なんだこいつ本番に弱いタイプ、いや本番というか極端にプレッシャーに弱いのか?


「朝霞ちゃん、緊張してるん?」


「か、奏さん、手が、手が震えてる、んです、けど」


「声も震えてるぞ西野」


 いやもうほんとこいつヤバいんじゃないの?


 しかし放置するワケにもいかない。これ以上プレッシャーをかけるわけにもいかないから口には出さないが、さっき言ったように、こいつにはしっかりと気を張って戦闘に臨んでもらわなくてはならない。奏先輩が何も仕掛けを用意していない以上、本当にバルクガールの戦闘力をアテにするしかないのだ。ん、俺? 俺にあんなデカブツと戦う力があるわけないだろ。


 勿論、俺と奏先輩が同行するのにも理由はある。立会人というだけでなく、マザーから聞き出さなければならないことがあった。あの痺れ玉についてだ。


 俺とバルクガールがコンプレスと戦った晩にあれを投げ込んだのがマザーだとすれば制作者か入手経路について何かしらの情報は持っているはずだ。遺伝子工学という分野からは遠いかもしれないが、兵器開発にも携わっていた以上マザー自身が痺れ玉の開発に関わっている可能性もある。その辺りをハッキリさせなくてはならない。


 ちなみに、痺れ玉の詳細について西野には話していない。仕組みまで説明しなくともあれの脅威は十分にわかっているだろうし、詳細を伝えるためには最初に会った時に俺が痺れ玉をこそこそ持ち帰ったことについても話さなければならない。それは少々面倒だし、余計なトラブルはご免だった。


「うーん、なんもそこまでガチガチになるようなことやあらへんと思うねんけどなー……あ、せや、あんたちょっと耳貸しや」


 どうやって西野の緊張をほぐすべきか考えていると奏先輩が耳元に口を寄せてくる。ちょ、近い近い、吐息が近い耳が熱いつーか顔全体が熱い。なんで毎日ジャージで髪ボサボサのくせになんかちょっといい匂いするんだよこの人。


 そんな俺の動揺を知ってか知らずか、いや奏先輩のことだから間違いなくわかっててやってるんだけど、とにかく先輩の囁き声が耳朶をくすぐる。


「……え、それでいいんですか? 下手したら怒られるんじゃ」


「大丈夫やって。ま、怒られたら怒られたで緊張はとけるやろ?」


 それもそうか。あっさり説得された俺は、先輩に言われた通りに手を伸ばす。十中八九怒られると思うんだが、まぁ大して親しくも無い俺にこんなことされれば怒りで緊張もとけるだろ。

 先輩に囁かれた通り、西野の頭を撫でる。


「ふやっ、あ、あああの、お兄ちゃん?」


「まぁなんだ、その、落ち着け。大丈夫だ、奏先輩も、役には立たないだろうけど俺もいる。別に、これで負けたら終わりってワケでもない。いつも通りにやればいいだけだ」


 まぁそのいつもがわかるほどの付き合いも無いんですけどね。


 などと考えていると、滑らかな黒髪に触れていた俺の手がぱしっと掴まれた。あれ、これもしかして本気で怒られるやつ? いくら怒られる覚悟があるとはいっても「触らないでください」とか言われたら俺だって傷つくよ?

 だが、払いのけられるのかと思った手は掴まれたまま降ろされ、西野の両手で包まれた。


「…………」


 無言。顔を見れば西野は目を閉じていて、何も言わずに俺の手を握っている。え、なに、何なのこの子、なんか安らかな顔してない? なに、俺のこと好きなの? ……さすがに今のは自分でも気持ち悪かった、すまん西野。頭の中で謝っておく。口には出さない、なんか癪だし。


「お、おい、西野?」


「――――はい」


 深く頷く。おそらく、それはいまの呼びかけに対するものではなかった。


「大丈夫、なんですよね」


「……ああ、大丈夫だ」


「わかりました。お兄ちゃんが、そう言ってくださるなら、わたしも信じます」


「おう」


 何がとか、どうしてとか、具体的な言葉は何も無い。この大丈夫という言葉には何の根拠も無いし信憑性も無い。

 そんな形だけの言葉で、どうして目の前の少女はこうも穏やかな顔になれるのか、俺にはその理由が全くわからない。根拠の無い一言が無条件で信用されるほどの信頼が、果たして俺とこの少女の間にあるのだろうか。


 あるのだろうか、じゃないな。出会って一週間だ、そんなものがあるとは思えない。それでも彼女は俺の言葉に頷いた。それを信頼と呼ぶのかはわからない。もしかしたら思考を放棄し選択と責任を俺に押し付けただけかもしれない。

 それでも、俺は大丈夫だと言い、彼女は信じると頷いたのだ。


 ……仕方ない。こんな顔をされているのに口先だけの気休めというのではなんとなく居心地が悪い。ヒーローは嫌いだが、仮にも信頼というか信用というか、その片鱗を見せられたとあっては、それを裏切るのはあのワイルドガウンと同じになることを意味する。


 少しだけ、この信頼に応える方法を考えなくてはならない気がしていた。

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