2-16
西野朝霞は俺の知る打算に満ちたヒーローどもと同じであるか。
答えはイエスである。否、イエスでなければならない。暴論だということは承知の上で俺はそう考える。ヒーローだって人間である以上、善意だけで動くなどとは信じられない。それは奏先輩も言っていたことだ。だが、正義の味方に私欲があれば、それは本人の意図とは関係無しに周囲に危険を招く。
ワイルドガウンが悪党に屈したのも、バルクガールが正体を明かしかけたのも、等しく同じ。人としてある意味当然の欲望や欲求や本能というものが正義の在り方に泥を塗る。貫くはずだった正義を打ち砕く。
そもそも、人間はヒーローになどなってはいけないのだ。正義がわずかでも曇ることがあるなら、正義によどみが生じ得るなら、初めから見せかけの正義など無い方がいい。善人か悪人かは問題ではない。感情があり、それを元に動く人間である以上、ヒーローという役割は背負うべきではないのだ。
バルクガール、西野朝霞だって同じことだ。信用するに値しない、いつかどこかで信頼も期待も裏切られる。
そう自分に言い聞かせなければならないくらい、西野に絆されかかっている自分を自覚せねばならなというのはなかなかに屈辱的だった。
というか、たった一週間足らずの交流でここ数年抱いてきたヒーローへの不審感を揺さぶられてるとかいくらなんでも俺ってチョロすぎないですかね? これがギャルゲーのヒロインだったらそのチョロさも可愛いのかもしれんが、俺が西野にデレたところで誰も得しない。なんだったら中学生への声かけ事案として通報されるまである。
昨日に引き続いて電車に揺られながらそんなことを考える。やはり昨日に引き続き隣に座っている西野については、なるべく意識しないよう心がけておく。
「ああ、そういや忘れるとこやったわ、これ渡しとかんとな」
西野とは反対側に座っている奏先輩がいつぞやのように紙束を荷物から取り出し、俺に差し出す。
「なんですかこれ」
「あんたの報告にあった、コンプレスの協力者の資料や」
「……相変わらず仕事が早いですね」
昨日の今日なんだけど、一体どこのジェバンニなんですかね。
「ま、コンプレスの誕生に関係のある人物は元々調べとったんでな。あんたが昨日聞き出した内容と外見の特徴から絞り込んだだけや。幸い該当者は一人やったしな」
「先輩はなんでもお見通しなんですか」
「せやで、隠し事なんてできると思わへん方がええよー、シシシ」
冗談に聞こえないなぁ……。
先輩の情報網に対する恐怖はとりあえず脇に置いて、手渡された資料に目を通す。
資料の一番上にクリップで留めてあった写真は、白衣を引っ掛けた女性のバストアップだ。赤い眼鏡と口元のほくろは昨日目にした通りだが、写真に写る女性の目は淡白で、昨日会った時に感じたドロドロの敵意は見られない。それだけでだいぶ印象が違う。この写真からは、あの苛烈とさえ思える本性は見えてこなかった。
写真をズラし、その下の資料に目を落とす。
名前は
「遺伝子工学の権威……二十代の頃からプロジェクトごとにいろんな施設に出入りしてるみたいですね」
「せやな、特定の所属を持たない研究者はそこまで珍しくも無いやろーけど、十年そこそこの間に23の研究機関に所属、36のプロジェクトに参加。この数は異常と言ってもええやろね。複数のプロジェクトに同時に関わっとる期間もあるから必ずしも短期間にあちこち出入りしてるっちゅーわけでもないが、まぁとんでもない人間なんは確かやな」
「みたいですね……ん、最後のプロジェクトだけ、随分長いんですね」
プロジェクト名はウェポン・フーとなっている。なに、アジア系なの?
名前からではプロジェクトの内容は窺えないが、それまでの十年間では掛け持ちも含めてひとつの研究所やプロジェクトに一年も留まらなかった近見が、最後のウェポン・フー・プロジェクトに関しては五年近く掛け持ちも無しで留まっている。
にも関わらずプロジェクトは途中で凍結。原因は。
「研究所が半壊、実験体が当防し研究員一名が行方不明……これが」
「実験体っちゅーのがコンプレス、行方不明になった研究員が近見八奈、マザー・マミー・マムで間違いないやろな。近見八奈の足跡はそこで途絶えとる。コンプレスが街に出没するようになるんは大体その半年後やね」
「このプロジェクトについては?」
「生体兵器の研究だったことまではわかっとるんやが、研究所が吹っ飛んだ時にデータが念入りに消されとったらしい。十中八九、逃亡した研究員の仕業やろな」
「何らかの事情で近見は実験体だったコンプレスと一緒にプロジェクトと施設を破壊して逃亡した、ということですか。けれど何のために……」
「プロジェクトを凍結に追いやったんはもののついでかもなぁ。逃げること自体、コンプレスを逃がすこと自体が目的だったんちゃう? 脱出後の足取りについては断片的な情報しかあらへんけど、研究所を吹っ飛ばしてデータを全部消した時のような能動的な意思があんま感じられへんねん。最近の破壊活動にしても無差別っぽいしなぁ」
「それでも結局、何のためにって疑問は残りますよ」
人生の半分近くを実験と研究に費やしてきた科学者が、なぜこのときだけ実験体を逃がそうとしたのか。そもそも、なぜ逃がさなければならなかったのか。
近見八奈は自分のことを「母」だと名乗った。本名を名乗るでも、研究員としてでもなく。それが理由なのだろうか。母だから、我が子を守る? それとも、守ったが故に母なのか。
「ま、その辺のことは本人に直接訊いたらええんちゃうか? どうせこれから顔合わせるわけやしな、シシシ」
「いやそんな昔の知り合いに会うみたいに言われても」
隣で緊張に顔を強ばらせている西野の顔を覗き見る。うん、こういう反応の方が普通なんだ。落ち着き払ってるどころかなぜかすこぶる楽しそうな奏先輩の方がおかしいんだよな?
果たし状を届けた翌日、果たし状の配達自体に多少アクシデントはあったものの決闘は当初の予定通り行われる運びとなった。
奏先輩が果たし状で指定した決闘の舞台は、コンプレス達が拠点としているあのゴーストタウンからほど近い場所にある自然公園。あの街のように完全に打ち捨てられているわけではなく、一応管理者がいて、定期的に清掃や草木の手入れもされているのだが、客足は遠のいて久しい。
昼間はほとんど人気がなく、夜間は不良や暴走族の会合に使われていると噂されている。実際お弁当のゴミより吸い殻とドラッグと血痕の方が多く見つかるくらいだからあながち嘘でもないのだろう。近年増加の一途をたどる行方不明者の一割はあの公園のどこかに遺棄されて腐り果てているという都市伝説が小中学生の間で蔓延しているという話も小耳に挟んだことがある。要するに、まともな神経の人間なら好んで近寄らない場所だということだ。
「来ますかね、あの二人は」
当たり前だが果たし状はただの紙切れだ。無視することは簡単だし、昨日遭遇した時のマザーの口ぶりからするとわざわざ自分からコンプレスに怪我をさせるような場所に連れ出すとも思えないのだが。
「ま、五分五分やな。ウチも直接会ったワケやないし、マザーの性格までは計算に入れられへん。そこまで分の悪い賭けでもないと思うけどな」
「どうしてですか?」
「拠点の場所がバレたことは向こうもわかっとるやろ。居場所だけ知られて放置じゃいつ寝込みを襲われるかわからへん。引っ越しもあり得ないわけやあらへんけど、可能性は低いやろな。コンプレスを連れ回しとる以上、人目につきにくい隠れ家なんてそうそう見つからへん。となればウチらを確実に潰した方が安心やろ?」
「けど、呼び出しですよ、普通罠を疑うんじゃないですか?」
というより、そもそも最初に奏先輩から計画を聞かされた時点では、俺はこの決闘に何かしらの罠を仕掛けて確実にコンプレスを捕らえるのだと思っていた。しかし実際は奏先輩はこの決闘に何の裏工作もないと断言している。純粋に力だけで、バルクガールがコンプレスを叩きのめすのが今回の計画の総仕上げだというのだ。
「まぁ、罠を疑うのは当然やな。せやから五分五分やねん。けどまー……そこで臆病風に吹かれるようやったら、ウチらが手出しするまでも無いっちゅうことや」
先輩の声に冷ややかな色がにじむ。自分に向けられたものでないその冷気に、背筋がざわついた。この人が犯罪を憎むその裏に、これほどの冷気を込めるだけの何かがあるのだろうか。仮にこの冷気を正面から向けられる人間がいたとしたら、そいつは一体何をしでかしたというのだろう。
……なんて、考えるだけ無駄だな。
奏先輩についてこれ以上頭を悩ませても、多少の問答をしても、恐らくこの人は自分で必要だと判断しない限り何も教えてはくれないのだろう。
彼女の抱える事情が気にならないわけではないが、急ぐ必要もない。この人が俺以上に犯罪というものを憎んでいて、俺以上に聡く、俺以上に狡猾である、その事実さえあれば当座は何の問題も無い。
目下の問題は。
「……おい、大丈夫か?」
「うぇ? あ、は、はい、大丈夫です、もちろん、はい」
ガチガチに緊張しているこいつの方だろうな。
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