2-14

 ズゥゥゥン、と一夜にして聞き飽きた地鳴りが響き、コンプレスは女のすぐ後ろに着地した。


「無闇に人を殺すのは好かないんだ。すぐに立ち去り、二度と私たちに関わらないというのであれば見逃してやってもいいが?」


 荒い息を吐くコンプレスの前で、勝ち誇ったように女が笑う。


「お兄ちゃん、わたしが」


「ダメだ」


 変身しようとしたのだろう、二人に向かって距離を詰めようとする西野の肩をつかんで引き止める。なぜ止めるのかわからないという顔で振り返る西野を下がらせて、代わりに俺が一歩前に進み出る。

 戦闘の意思がないことは伝わっているのか、母子に動きは見られない。


 俺は懐から、配達予定だった果たし状を取り出す。


「俺たちの今日の用事はこれです」


 奏先輩の無駄に達筆な筆文字で果たし状と書かれたそれを、女に見えるように差し出す。


「果たし状……? はっ、私たちとやり合うというのかね。だったらそんな面倒なことをする必要は無いぞ、いまこの場で相手をしてやる」


「差出人は俺たちじゃないですよ、俺たちはただの配達員です」


「……まぁ確かに、戦いに来たようには見えんな」


 運動不足の大学生と華奢な中学生という取り合わせに説得力があるからなのか、わずかに戦意が収まる。日頃から運動してなくてよかった! ビバ、NO筋。


「そこで提案ですが、この果たし状を受け取って頂いて、この場は手打ちとしませんか」


「君たちを逃がすメリットが無い。果たし状の中身は君たちを捻り潰してから読ませてもらうとするよ」


 話はおしまいとばかりに会話をぶった切ろうとする女に慌てて喰らいつく。


「ま、待った待った。俺たち下っ端をこの場で叩くより、きっちり決闘の場で負かして、今後に禍根を残さない方がいいと思いませんか?」


「禍根だと?」


 ぴくり、と女の眉が反応する。よし、これでいい。

 この女が先ほどから殺意を肯定する時に口にしているのは、我が子に危険が、とか火種を見過ごせないとか、今後コンプレスに危険が及ぶ場合に関してだ。ならば将来の禍根という言葉も、無視は出来ないだろう。


「俺たちの組織の規模が、そんな小さなものだと思いますか? 俺たち二人をこの場で殺して、組織に打撃になると? そんな弱小組織が、コンプレスの隠れ家を見つけられますかね? あ、ちなみにきちんと場所は知ってますよ、地図に印つけてきましたんで」


 道中何度も確認した地図をひらひらと振って見せる。どこに印がついているかまではこの距離ではわからないだろうが、とりあえずそれっぽく振る舞っておけばいい。地図に印というのは嘘ではないのだし。

 組織の規模については大嘘なのだが、奏先輩というハイスペック人間を知らなければそれなりに説得力はあるはずだ。


「なるほど。だが組織に打撃が無いなら君たちを殺しても問題ないのではないかな?」


「ところが、こうして果たし状なんて持ってきたことからわかるように、ウチのリーダーは変なところで昔気質というか、人情味溢れる人でね。決闘で負ければ以後そちらに手は出さないでしょう。よしんばまた対立するとしても俺たちのようにしっかり事前に手順を踏ませて勝負するはずです。けど、俺らを殺したら、恐らく手段を選びませんよ。古来より、使者を切るのは宣戦布告を意味しますから」


 ああもう、自分で何言ってるのかわからなくなってきた。なんだよその組織。完全に一般人がイメージするヤクザ屋さんじゃん。漢の世界ですねカッコイイ。

 だが、復讐というわかり易い禍根の種は、多少なりとも女の考えに楔を打ち込んだようだ。


「……口車に乗せられたようで気に食わんが、よかろう。この場は見逃してやる。その果たし状を置いてさっさと立ち去れ」


 ほとんど間を置かずに、女はそう言って殺意の矛を収めた。それを感じ取ったのか、背後のコンプレスも全身に漲っていた気合いを霧散させている。

 目の前の女が俺の言葉を頭から全て信じたとは思えないが、一考の余地ありとだけでも思ってくれればいいのだ。少なくとも、いまこの場で俺と西野を殺すことに、警戒するに足るリスクが伴うと判断したようだった。


 俺は言われたようにその場に果たし状を置き、背を向けずに一歩ずつ後ずさる。両手を上げ、犯行の意思がないことを示すのも忘れない。


「……お兄ちゃん」


「いいから同じようにしとけ」


 西野は不服そうにむっと口を尖らせたが、それ以上文句は言わず俺と同じように後退する。

 元来た角まで辿り着いたところで、俺は最後に気になっていたことを口にした。


「お子さんの名前は知ってるんですが、お母様の名前をお聞きしても?」


 俺の質問に女は一瞬きょとんと気の抜けた顔をしたが、すぐにニヤリと口の端を歪めた。


「私はただの母親だよ。マザーでもマミーでもマムでも、好きに呼ぶといい。だが――」


 そこで言葉を区切り、びしっと俺たちに向けて指を突き付ける。


「ママだけは許さん。ママと呼んでいいのは、私の息子だけだ」

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