2-13
目的地である終点の駅に着く頃には、車両内から俺と西野以外の客の姿は消えていた。
俺たちは無言のままホームに降り、小さな無人の改札を抜けて寂れた駅前に出る。
駅前には一応舗装されたバスロータリーがあり、そこそこ広い駐車場もあったが、バスはおろか車も人も影すら見えない。道路を挟んだ向かい側にはシャッターを下ろした定食屋やコンビニかなんかが入るようなガラス張りの空き店舗が並んでいる。
唯一バス停のベンチから少し離れて設置された自販機だけがブゥゥゥゥンと低く冷却の唸りを上げているが、正直中身が適切に交換されているようには見えないので近寄りたくはなかった。
「なんというか……すごいところですね」
「お、おお、ゴーストタウンってあるんだな。日が暮れる前に帰りたい、っつーか日が出てても長居したくないぞここ」
「同感です」
あまりの寂れ具合にそれまでの気まずさも忘れて西野と二人で立ち尽くす。取り壊す金が勿体ないってことで放置されているんだろうし、結局人が集まらなくて開発に失敗したということはどこかが再開発に手を付けることもないのだろうが……誰にとっても価値を見出せないような場所に、生きた電車が毎日数回顔を出していることがなんとなく不気味だった。
「行くか」
「は、はい」
ポケットから先輩に渡された地図を取り出し、目的地を確かめながら歩き出す。こんなに人気が無いんじゃ歩いているだけで不審者だし、西野の言うように彼女には変身して警戒に当たってもらった方がよかったかもしれない。まぁ、事を荒立てるだけになるかもしれないから、どちらが正解かは結果を待つしかないのだが。
怪しまれないように、という配慮を早々に諦めた俺たちは、時折地図で道順を確認しながら堂々と道路のど真ん中を歩く。駅から離れてみても、俺たち以外に人や車が通る気配は無い。線路の上を行くのもこんな気分なのかね。
シャッター街という言葉を使うと過ぎ去った過去を感じるが、ここの町並みはそれとは間逆だ。ここでは何も始まらず、何も終わらず、何も過ぎ去っていない。作りかけのまま取り残され、忘れ去られたジオラマのような町。そんな感じだ。
二十分ほど歩いた頃。わずかに残っていた警戒心もすっかり薄れ、何の躊躇もなく何度目かの角を曲がったところで俺たちはぴたりと足を止めた。
人が、いた。
角を曲がった先は両側に商店らしきシャッターを下ろした建物が並ぶ通りだった。突き当たりはT字路になっており、そこはどうやら食事どころだったらしいが、やはり入り口は閉じている。薄汚れた看板の下に、こちらに背を向けた人影が見えた。
茶色がかった長い髪を頭の高い位置でひとまとめにしてあり、長い白衣の裾が風にはためいている後ろ姿。背はそこそこ高そうに見える。
ガコン、と音がしてその人影が屈み込む。その向こう側には赤錆色の目立つ自販機が見えた。程なくして人影は右手に缶をぶら下げて身を起こす。
あの自販機動いてるのか。というか中身大丈夫なのか?
そんなアホなことを考えている間に身を隠すべきだったのかもしれない。自販機の前から移動しようと身体の向きを変えた人影が、呆然と立ち尽くす俺と西野に気付いた。
三、四百メートルほど離れて対面するその人物の表情は遠くてよくわからない。にも関わらず、俺はその人物から攻撃的な意思を感じていた。
立ち尽くす俺と、わずかに身構える西野。対して自販機から取り出したばかりの缶を握り、泰然として立つ白衣の人物。
睨み合いはそう長くは続かなかった。
白衣の人物は俺たちの位置からでもわかるくらいにハッキリと、やれやれというように肩をすくめて首を振り、持っていた缶を足下に転がして手ぶらになると、ゆっくりとこちらに歩いてきた。
近づいてきたことで、白衣の人物が女性だとわかる。
理知的な瞳の上に鮮やかな赤いフレームの眼鏡を重ね、白衣とは対照的な黒のパンツスーツで固めたスタイルは女性的な魅力よりも生真面目そうな彼女の気質を強調して見える。数百メートルの距離を数メートルに縮めたあたりで立ち止まった彼女の引き締まった口元には、アクセントのようにぽつりとほくろがあった。
「……そっちの男には見覚えがあるな。噂話にも時にはまともな真実が織り交ぜられているということか。十中八九、調子づいた馬鹿の戯れ言だと思っていたのだがね」
よく通るが、どことなく険しさを感じさせる声だ。
口元はニヤリと笑みの形に歪んでいるが、眼鏡越しの瞳には生温い警戒心を通り越した明確な敵意がチラついている。巣を守る野生動物の母のような、一線を越えて踏み込む者は誰であれ容赦しないという全方位へ向けられた攻撃の視線だ。
「噂ってことは、俺たちの目的地にも心当たりがあったりするんですかね」
「さて、どうだろうな」
まったく誤摩化す気がない誤摩化し方である。この返答は知っていると答えるのと同義だ。
「命が大事なら、さっさと立ち去ることを推奨しよう、少年少女」
「そろそろ少年って年でもないんで聞き流しておきますね」
「それは残念だ。そちらの少女はどうかな?」
「お兄ちゃんが立ち去らないというのなら、わたしもそうします」
「ふむ、きみたちは兄妹かね」
「いえ、成り行きです」
そうか、とさしたる関心も無い様子で白衣の女性が頷く。成り行きです、という自分で言っててよくわからない返事に何のツッコミも無いあたり本当に興味が無さそうだ。
「そういう貴女はどうしてここに?」
「なに、特別な目的は何も無いさ。家に帰るところだよ」
「こんなところにご自宅が?」
「ここに用事があって電車に乗って帰るところかもしれないじゃないか。むしろこんな場所に人が住んでいるという発想がするっと出てくる君が何を考えているのか知りたいところだな」
睨み合い、探り合い。決定的な言葉を避けてはいるものの、お互いがなぜここにいるのかは何となくだが察している。
目の前の女は恐らく、あの晩俺とバルクガールの前に現れ、コンプレスとともに逃亡した人物だ。あの時は暗くて顔まで確認できなかったが、声には何となく聞き覚えがあるし、月明かりの中でコートのように見えたのはこの白衣だったのだろう。コンプレスとの関係まではハッキリとわからないが、無関係ということはあるまい。
識字能力も怪しいコンプレスに対してネットに情報を流したり果たし状という手段を使った奏先輩はこの女の存在に思い当たっていたのだろう。あの夜に何があったかは詳しく報告済みだし、コンプレスが一人で潜伏しているワケじゃないことは予測済みだったということか。
さて、そこまでわかったとして問題は何も解決しない。この場をどう切り抜けるべきか、というかどういう方向に持っていくのが理想的なのか。
互いの立場がなんとなくとはいえわかってしまっている以上、何事もなく和解というわけにはいくまい。この女がどの程度コンプレスに肩入れしているか、それを見極めなければ判断がつけられない。
付け焼き刃の協力関係であれば何かしらのメリットを提示するか、最悪西野に変身して脅しをかけてもらえば見なかったことにしてくれるかもしれん。見たところ戦闘力は低そうだし、その点は心配ない。
……しかしこの女の目を見る限り、見逃してくれそうにないんだよなぁ。あまりこの場で戦闘になるのは好ましくないんだが、実力行使に出るべきか?
「あの、お願いがあります」
西野が一歩進み出る。お願いって、なんだ、何を言うつもりだ。
「……聞くだけ聞いてやろう。なんだ」
「貴女の家まで、わたしとお兄ちゃんを案内してくれませんか」
「は?」
思わず俺が声を上げてしまった。女の方もさっきまでの余裕綽々といった表情は失せ、呆気にとられた様子でぽかんと口を開けている。
「……ぷっ、くく、ははは、あっはははは! 少女、君はなかなかいい度胸をしているな。この状況で私に道案内をしろと言うのか」
先に復活したのは女の方で、腹を抱えて笑い出した。目尻にたまった笑い涙を拭いながら、興味深そうに西野と俺を交互に見る。
「さてどうしたものかね。わたしとしては君たちにもそれなりに興味がある。是非とも我が家に招待したいところだが、それではむざむざと敵に拠点を明かすことになるなぁ」
「敵って、認めるんですか?」
「ああ、少女の直球具合を見ていたら隠すのが馬鹿らしくなったよ。君たちだろう、コンプレスの隠れ家を突き止めたと、ネットで騒ぎ立てていたのは」
「まぁ、そうですね。そういう貴女が何者か、そろそろ教えてくれてもいいんじゃないですか? 俺の顔を覚えてるっていうなら、今さらコンプレスと無関係だなんて言いませんよね」
「ふむ、まぁそうだな。隠すようなことでもない、私はアレの母だよ」
「……母?」
事も無げに言ってのけた中の、聞き流すには衝撃的すぎる部分を反射的にそのまま聞き返してしまった。
「ああ、といっても、腹を痛めて産んだというわけではないがね」
「ええ、と……」
ど、どういうことだ? 育ての親とかそういう意味か?
いやあの巨人を腹を痛めて産んだなどと目の前の、普通の人間にしか見えない女に言われても信じられないが、そもそもあの怪物の母を自称する人間がいること自体が信じられん。あれも人の子だったのか。
しかし言われてみれば確かに。
「やっぱりあの時のあれは「ママ」だったのか」
コンプレスが方向の合間に残した声を思い出す。確かに「マ、マァ」と言っていたが、本当に母親の意だったとは。
「そういうわけで、君たちを我が家へ連れて行くのは難しいな。私個人の好奇心で、可愛い我が子に危害が及ぶ可能性を見過ごすワケにはいかない」
母とか我が子とか、そのあたりの事情がどの程度真実なのかはわからない。だが、目の前の女の目は本気だった。本当でなくとも、本気ではある。それがわかった時点で、対処法は突破か撤退かに絞られるだろう。
力技で押し通るか、戦闘を避けて逃げ帰るか、だ。
悩む暇は、与えられなかった。
「それに、火種を見過ごすわけにもいかないのでね」
パチン、と女が指を鳴らした。瞬間。
「――――――=============!」
人の気配の絶えた街に、怪物の咆哮がこだまする。女が最初に立っていた食事どころの建物を持ち前の跳躍力で飛び越えて、鈍色の巨人が姿を現した。
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