2-10
「んー、ほならまず最初に聞いておきたいんやけど」
「はい、なんでしょうか」
奏先輩がぴっと俺を指さす。
「これのことどう思っとる?」
「ぶふっ」
危うく野菜ジュースを吹き出しかけた。がはっ、ごほっ、と噎せる俺を気遣わしげに見ながら、西野は首を傾げている。
「どう、と言われましても……二度も助けて頂いて、それも昨日は命を助けて頂いたのですから本当に感謝しています」
「あー、ちゃうちゃう、そういうんやなくて」
「では、どういう……?」
きょとんとした顔の西野は本当に先輩の意図がわかっていないようだ。
先輩としては好意的な言葉でもその逆でも、俺をからかうネタになると考えたんだろう。読みが外れたようでなによりだ。
「ぶー、つまらんなぁ」
「え、あ、その、ごめん、なさい?」
「謝らなくていいぞ、その人は俺で遊びたいだけだから」
「え、あ、はい。んん?」
やっぱりわかっていないらしい。やだ純粋。俺や奏先輩にもこんな時期があったのだろうか。
いや、残念ながら俺自身の過去には心当たりがないし、先輩に純粋さなんて期待するだけ無駄だろう。なんとなくだが、この人は昔からこんなんだったんじゃないかと思う。
好奇心旺盛で、人をからかっておもちゃにして、正義感が強くて、いくら話しても一番根本的な部分がちっとも見えてこない。そんな感じ。
「ま、実際のところウチも特に話なんて無いんや。噂のヒーローちゃんとおしゃべりしてみたかっただけ、っちゅーのが本音」
「は、はぁ……すみません、わたし、面白い話とか何も」
「いやぁ十分やで。こんな可愛い子ぉやってわかっただけでも大収穫や。ほんなら、おねーさんともっとお話しよか」
「えと、お話ですか?」
「世間話や世間話。そんな固くならんと、おねーさんとも仲良うしたってや。あ、ウチにも連絡先教えてぇな」
「は、はい」
……どうやら会話は転がりだしたようだ。もっとも、西野はともかく奏先輩に話す意思があるなら俺が心配することでもなかっただろう。俺とも初対面でヒーロー談議に火がついたくらいだし、基本的に話し上手というか、相手の関心を引いたり相手の得意な話題を引っ張り出したりというのが上手い人だ。
しばし俺は置物に徹することを決め込み、鞄から文庫本を取り出して読み始める。読書をしていても耳は空いているので、隣の会話から単語くらいは拾っているが、本当に世間話をしているようだ。学校がどうとかテレビがどうとか、毒にも薬にもならないことが話題になっている。
二人を引き合わせた時点で俺の仕事は終了。先輩には例のアイテムの構造調査分のお礼をして、西野言うところの命の恩人としてのお願いもこれで叶えてもらったことになるだろう。
夕暮れの住宅街でバルクガールと遭遇して今日で三日目。色々と面倒なことはあったが、総合的に見れば全身の打撲というマイナスとバルクガールの詳細情報を得たというプラスで差し引きゼロといった感じか。
ま、これであとは明日からいつも通りの日常に戻ればいい。バルクガールを引退に追い込む手段は……まぁ、後々考えていくことにしよう。さすがに本人を目の前にしてそんなことを考えられるほど図太くはないのだ。
「ほんじゃコレはどうや?」
二十分くらい経ったろうか。唐突にバシバシと先輩に肩を叩かれた。最初の数分を過ぎて読書に集中してから話を聞いていなかったから、話の流れが見えない。
「コレって俺のことですか? 何です、一体」
「いやー朝霞ちゃんがな、身内のお爺さん以外は学校の友達もみぃんな苗字呼びなんやて」
「先輩は名前で呼ばれてませんでした?」
「奏さんは、その、さっき注文の時にはお名前を「奏」としか教えてくれなかったんです」
なんという策略。そのまま定着させているのは奏先輩の希望ということなんだろうか。
「まぁウチのことはええねん。せやからあんたのことはどう呼ばせたらええかなーと思って」
「いや別に呼び方なんて本人の好きにしたらいいじゃないですか……」
「ほ、ほら奏さん、ご本人がこう言っていることですし、無理に呼び方を変えなくても」
俺の消極的な態度に西野も頷く。
だいたい会って間もない年上の異性を苗字以外で呼ぶってどうなんだ。西野に名前で呼び捨てとかされたって微妙だぞ。かといってニックネームとかあんまり好きじゃないし。
しかし先輩は呆れたようにふぅ、と溜め息をつく。
「アカンアカン。あんたらのその遠慮ばっかの態度をほぐすにはまず呼び方からや。ほれほれ、とりあえず親しげに呼んでみ?」
「いやだから別にほぐさなくていいですから。西野も無理しなくていいぞ、どうせ今日を過ぎたら顔を合わせることも無いだろうし」
「え、あの……もう、会ってくださらない、のですか?」
あれ、反応するとこそっち?
「特に会う理由が無いだろ」
「それは、その、でもまだ、命を助けて頂いたお礼が」
「今日ここに来てくれたので十分だ。だいたい、昨夜は俺だってお前がいなきゃ死んでたかもしれないんだ、本当ならお礼をされる筋合いすらない。たまたま偶然が重なって三日間顔を合わせてるが、友達でも家族でもないんだ、無理してこれからも会う必要はないぞ」
「友達でも、家族でも……」
西野は俯いて黙り込んでしまう。ちょっと言い方がキツ過ぎたか? いやしかし特におかしなことを言ったつもりもないんだが……とはいえ相手は中学生女子。もうちょっとやんわりと対応すべきだったかもしれん。手遅れだが。
「うーわ、無いわー。いまのはアカンやろ、もうちょっと言い方ってもんが、ちゅーか、ええやん別に。これを機に仲良うしたったら?」
「いやそんな無理に仲良くなんてしなくても――」
「……奏さん、わたし、決めました」
俯いたままの西野が俺の言葉を遮った。決めたって何を、と聞き返す前に、西野が顔を上げてキッと俺を睨む。お、おい何だよ、そんなに怒るようなことだったか? まさかこの場で変身なんてしないだろうな。
「お兄ちゃん、です」
え、なに、兄貴いるの? 不良の兄貴とか呼ばれたらダッシュで逃げるよ、俺。自慢じゃないが喧嘩は弱い。いやしたことないから知らんけど、したことない時点で強くはない。
「お兄ちゃん!」
「………………………………え、俺?」
「そうです、あなたの呼び方を決めました。これからは「お兄ちゃん」と呼ばせて頂きます」
「いやいやいやおかしいでしょ、何でお兄ちゃん? 俺に生き別れの妹とかいないぞ」
「友達や家族なら、また会ってくれるんですよね」
「え? あ、いやそれは」
「嘘ついたんですか、お兄ちゃん」
「いや、別に嘘ってワケじゃないが」
「じゃあやっぱり、お兄ちゃんです。わたし、お兄ちゃんに会いに行きますから! 助けて頂いたご恩も、ちゃんとお返ししますから!」
なんかお礼参りみたいになってない? 俺は神仏の類いじゃないからお礼に参られるとしたら報復される未来しか見えない。
「や、だから別に恩返しなんて」
「えーやんえーやん、腹括りぃや。女の子にここまで言わせて追い返すなんて鬼畜の所行やで」
横で必死に笑い声を押し殺していた先輩がやっと仲裁に入ってくる。西野寄りで。くそう、味方なんてどこにもおらんのじゃ。
「…………」
西野からは無言のプレッシャーが送られ続けている。なんで若干涙目になってんだよ、これさらに断ったら泣かれて俺が悪いみたいな流れになるヤツじゃないか。かといって何も言わなければそれは了承と受け取られる。なんという四面楚歌、八方塞がり、進退ここに極まる。
「わかった、わかりましたよ。お兄ちゃん呼びでいいです」
理由をつけて会わなければ済むんだ。とりあえずこの場は話を合わせておけばいい。
「ふーむ、やけにあっさり諦めよったなぁ。ま、大方ひとまず今だけ話を合わせておいて次からは呼び出しに応じなければいいやーとか思っとるんやろーけど」
図星だった。何この人、エスパー過ぎない?
「そ、そうなんですかお兄ちゃん!」
「は、はは、やだなぁ奏先輩、そんなわけないじゃないですか」
「朝霞ちゃんの目ぇ見ておんなじこと言うてみ?」
「ぐっ……」
いたいけな中学生の目を直視できない! これが汚れつちまつた大人の心情なのか。
「シシシ、そんなお二人さんに、とーってもいいお話があるんやけど」
「ロクなことじゃ無さそうなんですけど」
「そんなことあらへんよ、二人にとっても実のある話やと思うで」
胡散臭い。これ知り合いじゃなかったら何かの勧誘だと思って即座に逃げ出すレベルの怪しさだろ。いや知り合いでも勧誘なのは間違いないんだが。だが知り合いだからわかることもある。これは内容を聞くまで帰してもらえないパターンだ。
「……で、何ですかいい話って」
「お二人さん、ヴィランは嫌いやろ?」
「勿論です」
西野が即答する。ヒーローの模範解答か、それとも一般常識としての犯罪者嫌いか。
「そりゃまぁ、好きなはずないですけど」
少し迂遠な言い回しになったのは、ヒーローに対する微妙な気持ちが含まれるからだ。犯罪者の一掃とヒーローの追い出し。どちらを優先してどう動くべきか、その正解は未だ見えてこない。
「そこで、ウチら三人で凶悪なヴィランを一匹、取っ捕まえたいと思いまーす!」
いや、そんなサプライズパーティの「おめでとうございまーす」みたいなノリで言われても。というか、え、何だって?
「「……はい?」」
理解するのに時間を要したのか、俺と西野の声が一拍遅れて重なる。その反応に先輩が満足げに「シシシ」と笑った。
「先に言っとくけど冗談やないで?」
「いや……え? いやほんと、え? 先輩ついに頭の大事なネジまで落っことしたんですか?」
「失礼なー。ウチは頭のネジ落っことしたことなんてあらへんよ、いっつも緩めとるだけやで」
意図的な分落とすよりタチが悪い気がするぞ、それ。
「あの、奏さん。……本当に、その、できるんですか?」
俺と違って西野の目は真剣だった。少なくともそれが可能であるなら、真剣に検討する価値がある問題だと思っているように見える。
これが本気だとしたら、この少女のヒーローとしての軸も見えてくるだろうか。こいつがヒーロー活動を通して何を求めているのか。名誉か、賞賛か、地位か、金か。
犯罪者を駆逐することが、ヴィランを討伐することが、他人のためであるとは限らないのだから。頭にちらつくライオンのガウンを振り払い、目の前の問題に意識を引き戻す。
少なくとも奏先輩は本気だ。嘘も冗談も好きな人だが、どちらにも真実を織り交ぜるから水澄奏は食えない人物なのだ。どこまでが真実で本気なのか、見極めなければ。
「できる、ウチら三人ならな」
西野の問いに、奏先輩は自信満々に頷いてみせた。
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