2-8

「……あんたホンマに何か憑いとるんちゃうか? お祓い行こか?」


「まぁ確かに、厄日だったとは思います」


 奏先輩の呆れとも感心とも同情とも取れる微妙な表情を見ていると、どうやら自分は本当にとんでもない目に遭っているらしいという実感が沸いてきた。ちっとも嬉しくない。どころか現実を客観的に再認識させられて落ち込む。


 一度自宅へ教材を取りに戻ってから大学へ向かい、講義を終えてから習慣に基づいていつものように奏先輩が占拠している部屋を訪れていた。こんな日くらいまっすぐ帰宅して休むべきじゃないかと思わないでもなかったが、こんな日だからこそいつも通りに過ごしたいという思いもあった。


「や、むしろ、そないな目に遭っても打撲程度で済んどるんはラッキーなんかな? 実は最強の守護霊とか憑いてたりするんちゃう?」


「どっちでもいいですよ、別に。幽霊とか神様とか、頭から否定する気はないですけど」


「お、意外やな。あんたは見たことあらへんもんは信じひんタイプやと思っとったわ」


「信じてるわけでもないですけどね。目に見えないし触れないんじゃ、いてもいなくても関係ないってだけです。見える人にとっては意味があるんでしょうけど」


 まぁ、伸びた髪の毛に包まるだけでイリュージョンして外人さんになってしまう女子中学生を見てきたばかりだし、幽霊くらい信じてもいい気分ではあるが。


「にゃーる、まぁわからんこともないな、シシッ」


 と、話題が途切れたところで先輩が「あ」と間の抜けた声を出す。


「どうかしました?」


「せやせや、忘れるところやったわ。例の、あーなんやあれ、あの、木の実みたいなアレ、解析の結果が来たで」


「めちゃくちゃ仕事早いですね」


 つい昨日、一週間以内には、とか言ってなかったかこの人。


「やー、解析頼む相手に直接持ってったら、丁度手があいてるっちゅーからその場でざっと見てもろてな。なんや色々言うとったけど、まぁそいつ曰く特に複雑な仕掛けやないらしい。今朝にはざっとまとめてメール寄越しよったわ」


「直接の知り合いなんですか?」


「ま、長くネットにいると色んな伝手があるんやで。情報屋の神酒洲灘女、って名前、覚えとくとええことあるかもせんよ」


「随分と仰々しい名前ですね……」


「言っとくけど神酒洲灘女はハンドルネームやで。由来も本名もウチは知らんなぁ」


「信用できるんですか?」


「情報の中身はな。条件次第で誰にでも情報売りよるから、味方やと思ったらあかんで。まぁネットを通じて知り合った人間なんて、そうそう信用するもんやないってことやな」


 言いながらガサゴソやっていた先輩から、ほい、と薄い紙束を手渡された。どうやら調査結果のプリントアウトらしいので、とりあえずパラパラとめくってみる。どうも専門用語が飛び交っているようで斜め読みしただけだが半分も理解できそうにないことはわかった。


「……すみません降参です、解説して下さい」


「諦め早いなぁ。ちっとは自分で調べようとせぇや」


 言いながらも奏先輩はもう一部印刷してあったらしい、俺が持っているのと同じ紙束を取り出しめくっていく。


「ふーむ、ま一言で言うんやったら、痺れ玉っちゅー感じやな」


「痺れ玉?」


「せや。あの球体は電源を入れると電気を放つ。逆に言えばそれだけや」


「それだけって」


「筋肉が電気信号で収縮するんは知っとるやろ? 電気を流せばそれを脳からの信号と誤解して筋肉が収縮する。せやからスイッチ一つでピクリとも動かれへんようになるわけや」


 筋肉の仕組みについては理科の授業レベルの知識しかないが、まぁ言っていることはわかる。電流を流す、つまりは感電させて筋肉を収縮させることで行動を封じるというのはわかるのだが、しかし。


「けど先輩、それはおかしいでしょう。俺はあれを直に握って電源を入れましたけど、効果が出たのはバルクガールだけです。さっきお話ししましたが昨夜のコンプレスにも影響はありませんでした。それにそもそも、感電しようにもバルクガールはあの球に指一本触れてないんですよ?」


「磁界共鳴式、って用語知っとる?」


 俺の疑問を予め予想していたのだろう、先輩は特に口ごもることなくそう言った。耳慣れない言葉に首を傾げる。


「ま、ウチも専門ちゃうけどな。無線送電は19世紀の終わりには構想されとったそうやが、当時は費用やら何やらの問題で頓挫しとる。それから一世紀以上経って実用レベルの無線送電技術が開発された。それが磁界共鳴式っちゅー名で呼ばれとる方法や」


 無線送電? こちらも耳慣れない言葉だが語感から察するに触れたり電線を通したりせずに直接電気を飛ばす、ということだろうか。


「テレビとかで見たことあらへん? オペラ歌手が歌声でグラス割るヤツ。原理はだいたいあんな感じや」


「あんな感じ、と言われましても」


 確かに海外のチャレンジ番組とかでやり尽くされているネタの一つではある。


「要するに共鳴する特定の周波数を持つものにだけ、電気を飛ばしとるんやな。一定の周波数の声でしかグラスが割れへんのと同じで、電気が流れるんは共鳴したもんだけ、間に人がおっても何も感じひんし、送電も阻害されへんっちゅー方法や」


 こっからは解析担当者とウチの予想やけど、と前置きして先輩は話を続ける。


「多分、アレの開発者はバルクガールの精密なデータを取っとる。どうやって、ちゅーんはこの際置いとくで。ほんでそのデータを元に、バルクガールの筋肉の動きに共鳴する周波数の電気だけを流すように調整したんやろうな。仕組み自体は説明した通りでそんなに複雑やない。せやけど、対象を絞るためにめちゃくちゃ神経使うようなこっまかぁ〜〜〜〜〜い調整がされとる。そこらのメカオタクに出来ることやないで」


 精密なデータが必要、という点でもそれはそうだろう。あのバルクガールの警戒具合からして、そうやすやすと自分の情報を提供したりはしないだろう。しかし自分の情報を安売りしないということは。


「バルクガール本人に聞けば、それの開発者について心当たりがあるかもしれませんね」


 誰でも作れるものでない、ということはバルクガールに関係があって尚かつ機械に強い人間、というところまで制作者を絞り込める。


「どうやろなぁ。こんなアホみたいな精密作業をする人間やし、むっちゃ地味ぃな観察の結果とかやったらお手上げやで」


「それは……確かに」


 それが可能な人間が限られていても、そもそもバルクガールとは何の関係もない、少なくとも表立った繋がりがないことも十分に考えられる。有名税にしては重すぎるが、ともかく現状では制作者を突き止めるのは困難か。


「ま、わかったところでどうこうできるもんちゃうしなぁ。さっきも言うたけど、この方法で電気を送っとる以上筋肉の共鳴構造自体を変える以外にどうしようもあらへん」


 技術どーこーの問題やあらへんよ、と締めくくる。その問題については考えるだけ無駄、ということのようだ。


「ほんで、約束忘れとらんよなぁ?」


 にたぁ、っと先輩が実に意地悪げに笑う。

 忘れたことにしていいですか、と言いたかったが実際ハッキリと覚えていたし、覚えていたからこそ朝のうちに西野には電話すると約束したのだ。今さら誤摩化すよりはさっさと済ませてしまいたい。


「わかりましたよ」


 俺が素直に携帯を取り出すと「やたー」と先輩が喜びの声を上げる。

 電話帳から連絡先を呼び出したところで、時間の表示が目に留まった。16時42分。中学生はまだ授業か、部活でもやっている時間かもしれないと思い至る。まぁ、急ぐわけじゃないしメールにしとくか。


「時間と場所、いつがいいですか?」


「今日これからに決まっとるやろ! 場所はどこでも構へんよ」


「いや、今からって……もうちょっと相手の都合とかですね」


「何言うとんねん、希望や希望。それでお願いして、無理やったら次考えたらええやろ」


 それもそうか。別にそこまで気を遣うようなことでもないし、あいつの中で俺の印象が悪くなったところで何か困るってわけでもないしな。

 とりあえず、学校終わってから時間が作れるか、という内容でメールしておく。反応があるまで先輩と雑談でもしようと思っていたが返事はすぐに返ってきた。


『授業は終わりましたのでいつでも大丈夫です。どういったご用件でしょうか』


 ……メールでもこんな感じなのか。中学生っぽくねぇな。

 メールを往復させるのはかえって時間がかかりそうだ。授業中ではないみたいだし、電話にしてみるか。

 三コールで通話が繋がる。昨夜もそうだったな、とどうでもいいことを思い出した。


『もしもし、西野です。あ、ええと、先ほどのメールの件、でしょうか』


「ああそうだ。今朝も少し話したと思うが……お前に会わせたい人っつーか、会いたがってる人がいるんだ。色々とアレな人だが、お前の正体を言いふらすようなことはないはずだ」


『はい、大丈夫です。その、あなたの頼みであれば、お断りする理由がありません、から』


「悪いな、例の恩ってのはこれでチャラってことで」


『いえ、そんな。わたしが受けたご恩は、こんなことでお返しになるとは』


 と、西野が何やら面倒な方向に食い下がるのを無視して、俺は一方的に時間と場所を指定する。恩返しの件をスルーされたことに不服そうな気配は伝わってきたが、待ち合わせについては「了解しました」と二つ返事で頷いた。

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