2-7

 朝食を一緒に、という誘いを辞退して西野邸を出た。講義が始まる時間にはまだ時間があるが、あまりあの家に長居したい気分ではなかった。


 西野老人は俺の怪我の状態について打撲程度で済んで、後を引くような怪我ではないと保証してくれた。その上で医療機関にかかるつもりなら費用は負担すると言ってくれたが、そちらも辞退した。老人曰く孫娘の恩人なのだから遠慮は不要、とのことだったが、ヒーローやそれと身近な人間と必要以上に恩だなんだと関わりを持ちたくなかった。


 もちろん、バルクガールを助けるための行動だったとはいえ頼まれてもいないのに勝手に突っ込んで勝手に怪我をしたのに病院代まで世話をされるのは気が引けたというのも理由の一つではある。


 一方当の孫娘の方もなかなか曲者で、俺が立ち去ろうとすると「なにかご恩返しを」となんだか既視感のある問答に発展した。始めは何も要求する気にならなかったのだが、一つだけ思い当たる節があったのでひとまず改めて互いの携帯に連絡先を登録し、今日の午後にでも連絡すると約束して家を出た。一応、俺の携帯の電話帳の登録名はバルクガールから西野朝霞に変更されている。


 たった今くぐった門を振り返る。日本庭園と同じく日本家屋にも詳しくないが、玄関を出てからいま目の前にある門までの距離を見ただけでもこの屋敷が凡人が住む場所でないことはよくわかった。


 左右に首を巡らせてみれば塀の途切れ目と消失点がほぼイコールに見える。どんだけ広いんだここの敷地。祖父も孫娘も品の良さはなんとなく感じたものの、それほど上流階級的というか、庶民と離れた感覚の持ち主には見えなかったが……。

 謎は深まるばかりだ。


 出がけに西野に確認したところ、ここは俺の家からはそこそこ離れているが、大学の最寄り駅から二駅の距離であり、まぁ俺の生活圏内といってもいい場所だった。

 この辺りの高級住宅街に足を運んだことはないが、道沿いに大通りまで出てみれば、さほど苦労せずに駅まで辿り着けた。


 服はいくつか小さな穴くらいは空いていたが、一応ということで昨夜のうちに洗濯乾燥を済まされていた自分のものを受け取って着ている。それについても何か用意するという申し出を断ってきた。ポケットに入っていた財布と携帯は元通り左右のポケットに収まっている。見たところ中身にも変化はなく、手の込んだスリという線は無いようだ。


 西野邸での朝食は断ったものの腹が減っていないわけではない。荷物を取りに家まで帰る時間を加味しても十分に時間があると判断した俺は、ひとまず駅内のコンビニに足を向けた。

 そういえば昨夜も小腹を埋めようとコンビニに向かったらあんな目に遭ったんだっけ、と思いながらも特別警戒心を働かせることはしない。


 二日連続であんな襲撃に偶然遭遇するなんてことはそうそうないだろう。いや、バルクガールとの邂逅を含めれば既に二日連続でイレギュラーに遭遇しているのか。そう考えれば警戒してしかるべきなのかもしれないが……その気がないというよりはその気力が無かった。


 あんなに緊張感のある一夜を終えて、その翌朝からまた張りつめた精神状態で一日過ごすのは俺には無理だ。


 適当に目についたおにぎり、のり巻き、サンドウィッチを一つずつ手に取る。米とパンを同時に口にすることに抵抗のある人間の割合についてぼんやり思いを馳せながら、すぐにはレジに向かわずぶらぶらと店内を物色する。

 ぐるりと一周して雑誌新聞のあたりに到達したところで、新聞の見出しに気になるものを見つけた。朝食を片手で持ち直し、空いた手で新聞を取り出して一面を広げる。


『コンプレス過去最大の大暴れ 一夜にして四十軒を破壊』


 現場に居合わせた人間としては四十軒も、と思うべきかわずか四十軒で済んだと思うべきか悩みどころだ。単なる数的な感想ではなく、多少なりとも事件に関わった身としては、バルクガールが事態に気付くのが遅れた場合を想像してしまうのでわずか四十軒、という感想の方が若干上回ってしまう。


 ざっと記事を斜め読みしてみると、未確認情報であると前置きしながらも、事態を収拾したのは最近相次いで目撃されている巨体の女ヒーローであるという複数の目撃談がある、と触れていた。


 バルクガールが到着した時点で近隣住民のほとんどが避難していたと思うが、世の中どこで誰が見ているかわからないものだな、と事件とはややズレた部分に感心する。最後にコンプレスを呼び捨てにし、巨体に抱えられて去っていった女性についての記述を探したがそれらしいものは見当たらなかった。


 恐らく例の球体を放り込んでバルクガールを行動不能に追い込んだのはあの女性だろう。ほとんど話していなかったが、それでも口ぶりからコンプレスを操れる立場にあることは確定だろう。


 バルクガールと初めて会った時に聞いていたラジオの内容を思い出す。あの暴威に知恵袋がくっついているとなると、コンプレスを警戒すべきヴィランの一人に数えたあのラジオの配信者は間違っていなかったのかもしれない。


 始めからコンプレスとあの女が行動を共にしていたのか、最近になってそうなったのかわからないが、昨夜の破壊活動はこれまでのコンプレスの活動とは違う。

 コンプレスの犯行の多くは突然現れては企業ビルや百貨店、博物館など大きな建物を一つ崩してどこかへ逃げ去るというものだった。今回のように住宅街に現れ、コンプレスにしてみれば壊し甲斐がないであろう一般家屋を四十軒も一度に破壊するというのは明らかに異質だ。やはりあの女性が一枚噛んでいるのだろうか。


 新聞を折り畳んで元の場所に戻してレジに向かいながら、俺は一夜にして瓦礫地帯と化したご近所を、どんな目で見ればいいのかと考えていた。

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