2-6

 話はごくシンプルだった。


 昨夜コンプレスとの戦闘後、俺はすぐに寝た、というか気絶した。俺を瓦礫の山に放置するにも忍びないと考えたバルクガールだが、あいにくと俺の名前どころか家も知らない。怪我のこともあったから病院に担ぎ込むというのも考えたそうだが、ヒーロー姿で医療機関を訪れて面倒ごとになるのを嫌った結果、ひとまず自宅という選択に落ち着いたらしい。


 俺を連れ帰ったところであの爺さんが傷の具合を見て、すぐに治療が必要な怪我ではないと判断したらしく、無理に起こすこともないだろうと一晩客間で眠らせることにしたらしい。


 あれが客間とかじゃあ居住スペースはどうなってるのもっと広いの、とか急患の診察できるとかあの爺さん何者だよとか色々思うことがないではなかったが、どうやら遺憾ながらも全身ボロボロのまま瓦礫の山の隣で寒い夜を過ごすことにならずに済んだのはバルクガールのお陰らしい。


 くそ、昨日の戦闘といい、ヒーローらしいことしやがって。初対面のときからこっちの調子を狂わせるような言動ばかりしやがる。


「なるほど、何でこうなったかはわかった……まぁ、一応、ありがとな」


「いえ、わたしこそ。二度も助けて頂きましたし、あの、本当にありがとうございます」


 深々と頭を下げられる。

 バルクガールの姿の時には違和感を感じざるを得なかった妙に礼儀正しい日本式の礼や巨体と大人びた顔立ちに不釣り合いだった表情が、この姿だとしっくりくる。


 それから話しているうちに気付いたが、声はヒーロー姿のときと同じだった。これまで野次馬や雑誌に対してもほとんど喋らなかったのは声から身元を特定されることを避けるためだったのかもしれない。もっとも他の多くのヒーローがそこまで徹底していないことを考えると警戒し過ぎともいえるが。

 大体のことには納得した。が、どうしても聞いておかなければいけないこともいくつかある。


「……お前がバルクガールってことは、今さら疑わないけど、だったらあの格好はどういうことなんだ。今俺の前にいるお前と比べると身長なんか二倍以上あるぞ」


 そう、メイクとか変装とかいう次元じゃない。身長体格、顔から髪の色から筋肉のつき方まで、目の前の華奢で小柄な少女とバルクガールでは別物だ。


 ワイルドガウンがそうだったように、多くのヒーローはマスクやフードなどで素顔を隠して活動するが、バルクガールは最初から顔を隠していなかった。にも関わらず素顔に関しても長らく何の情報もなかった理由はこれでわかったが、根本的な部分でおかしい。そりゃあの筋肉ダルマとこの細っちい少女を関連づけるなんて無茶だろうが、そもそも人間の身体はそんなに気軽に伸び縮みしないように出来ているのだ。


「えっと……原理はわたしもわからないんです。ただその、お母さんの血筋、というか……お母さんの家系の女性には、生まれつき何かしらの変身能力を持っている人が時々生まれるらしいんです」


 へん、しん?


「信じられないですよね。あの、よろしければお見せします、けど?」


「え、いいの?」


 なんか向こうから証拠の開示を訴えてきた。


「はい、どのみちあなたには素顔を知られてしまっていますし、命の恩人が望むのならお断りする理由がありません」


 ……なんか、重いな。


 だいたい命の恩人というなら腹立たしいが俺たちは同じ立場だ。確かに俺があの時コンプレスのいる瓦礫山に飛び込まずに逃げ出していたらバルクガールは最悪殺されていただろう。だが俺が飛び込んだ後の展開を考えれば原因はどうあれ俺だって命の危機にあったところをバルクガールに救われたことになるのだ。

 もやもやしたものは残るが、見せてくれると言うのだから断る理由もない。敵情視察だと思っておこう。


「では」


 そう言って彼女は部屋から廊下を挟んで見える広い内庭へと出て行った。


「すぅー……はぁー……」


 それなりに離れているのに、こちらまで聞こえるような大きさで深呼吸する。


「ふぅっ……んああっ!」


 喘ぐな。

 などと突っ込む間もなく、そのちょっとばかし扇情的な声が聞こえた直後、少女の長い黒髪がぞわぞわと伸び上がった。


「ひっ!」


 な、なんだ、新手の和風ホラー? 日本人形風の女の子は髪伸ばせちゃうの?

 思わず情けない声まであげてしまったが、伸び上がった髪がじりじりと俺に迫ってくるとか、そんな恐怖展開にはならなかった。


 伸びた髪は互いに絡まり合うようにしていくつかの房にわかれ、そしてその一房ずつがまたお互いに絡み付くようにして徐々に少女の全身を覆い隠していく。同時に黒かった髪はキラキラと輝く謎の光の粒を振りまきながら根元から黄金色に変色し始めていた。

 異様に長く伸びた髪が全てブロンドに染まる頃、その髪はしゅるしゅると音を立てて少女の全身を包み込んで金色の繭のようなものを形成していた。


 そうして全身を包んだにもかかわらず髪の増量は止まらず、後から後から繭を重ねるように幾重にも髪が絡み付き、繭の大きさは見る見るうちに二倍、三倍と膨れ上がっていく。

 黄金色の繭が三メートルほどに達した時、無限に続くかと思われた繭の肥大化が不意に止まった。


 そして一瞬の空白の後、突然。


 ボァッ、と爆発とも破裂ともつかない音を立てて繭が内側から弾け飛ぶように形を失う。黄金色の旋風に思わず目を覆いかけたが、どうにか目を逸らさずに繭のあった場所を見続ける。

 肥大化した繭が吹き飛んだその後には、先ほど髪の色が変わった時とは比べ物にならないほどの不思議粒子を振りまきながら地面から三十センチほど足を浮かせた、見慣れた巨躯のヒーローがいた。服装も、なぜかいつものヒーロースーツに変わっている。


 この間約三十秒。長かったような、一瞬だったような不思議な時間感覚。舞い飛ぶ粒子が空中に溶けて消えるまで約一分。最後の粒子が完全に見えなくなるまで、俺は呆然とその姿を見つめていることしか出来なかった。


「あの、えと、ど、どうでしょう、か」


 おずおずと、変身を終えたバルクガールが感想を求めてくる。どうって言われても。


「なんつーか、斬新な変身の仕方だな」


「あ、はい、ありがとうございま、す?」


 なんとなく褒め言葉っぽく聞こえないこともないだろう感想を返したら、褒められてるのかわかんないけどとりあえず、みたいな感じで返された。正しい返答だと思う。


「それで、その、信じて頂けました? わたしが、その」


「そりゃまぁ、実は手品でしたって言われてもイリュージョン過ぎて逆に信じられないしな」


 種や仕掛けがあれば出来る芸当、というわけではないだろう。

 俺の答えに安堵した様子で、バルクガールが大きな胸を押さえてほっと息をつく。いやほんとデカいね、変身前の慎ましさはどこへ消えたんだ。


「ちなみにそれ、元に戻る時はどうやるんだ?」


「あ、はい、ではお見せしますね……んんっ、ぁ」


 だから喘ぐな。何なの、実は狙ってやってたりするの、末恐ろしいよ。


 悩ましげな声を残して、変身前より短くなっていた髪が再び粒子を放出し輝きを増す。ぞわわと髪が伸びていき、先ほどと同じように繭を形成する。変身シーンを逆再生で見ているように繭はどんどん小さくなり、淡く輝いていた髪は繭の縮小に伴って元の落ち着いた黒に戻っていく。


 最後だけは変身時と違い、繭は弾け飛ぶのではなく元通りの髪の長さにまで縮み、後には何事もなかったように楚々として立つセーラー服の少女が残った。


「こ、こんな感じです、けど」


「……まぁ、そっちのが話しやすいな」


 変身シーンについては言及を避ける。正直一回目を見ていなかったらやはり悲鳴か呻き声の一つくらい上げていたことだろう。


「では、なるべくお会いする時はこの姿でいるようにしますね」


 そう言ってくすりと笑う。控え目な微笑みは彼女のあどけなさの残る顔立ちによく似合っていた。


「では、わたしのことはどうぞ、西野にしの朝霞あさかとお呼びください。この姿でバルクガールと呼ばれるのも、ちょっと、変な感じですし」


「それが、本名?」


「はい。……そういえば、初めてお会いした時も、名乗るのが遅れてしまいましたね。重ね重ね、失礼いたしました」


 少女、バルクガール、西野朝霞はそう言うと、もう何度目かわからないくらいには見慣れた仕草で深く頭を下げた。

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