2-2
とまぁ、先輩とそんな話をした日の深夜。
俺は直前までコンビニだった瓦礫の雨に叩き潰されそうになっていた。
「――――」
頭が働かなくとも反射的に足が動いたのは僥倖だった。降ってきた俺の身長の半分ぐらいの大きさの瓦礫を、咄嗟に飛び退いて回避した。
俺の深夜の散歩の目的地であり、たったいま唐突に、間欠泉かなにかのように真上に瓦礫を吹き上げ、残骸を雨霰と降らせたコンビニは二百メートルほど先にある。
幸いというべきか、瓦礫の大半が真上に飛び上がったので、多少離れていた俺のところまで飛んでくる瓦礫は多くなかった。
しかし何が起こったのかを把握するより先に、コンビニの隣に建っていた水道工事の事務所が同じように吹っ飛んだ。
ゴバッ、と重いものが弾ける音、その直後にズゥゥンと低く地面が鳴く。
バウバウッ、とどこかの家か路地から、突然過ぎる深夜の轟音に抗議するような犬の吠え声が聞こえた。この轟音に逃げ出さずに吠えかける犬は番犬としては頼もしいかもしれないが、目の前で起きている事態に対応できるとは思えない。
二度目の瓦礫の雨は俺の方にまで飛んでこなかったから、夜闇と建物の破裂に伴う土煙りの中でもわずかながら灰色の影を垣間見ることが出来た。
「コンプレス……っ!」
一瞬しか見えなかったが、その異形のシルエットは見間違いようが無い。
バルクガールと同じくらいの長身に丸太のような腕と脚、鋼の筋肉に覆われた鈍色の肉体。その背を覆うヤマアラシの如き針山。バルクガールほどの巨体であり、バルクガールよりも遥かに人間離れした怪人、いや怪物。
それは間違いなく最強の壊し屋、コンプレスの影だ。
近隣の家から次々に人が転がり出てくる。夜中とはいえあれだけの轟音で目を覚まさない方がおかしい。
後ずさろうとした両足からふと力が抜けて、無様に尻餅をつく。下半身が俺に叛乱を起こしたかのごとくまるで言うことを訊かない。野次馬たちが次々と俺の脇を抜けて走っていき、俺から少し離れた位置に人の壁が出来上がった。
コンプレスは隣、またその隣の建物へと破壊を続けながら移動していく。幸運なことにその破壊の波は俺のいる場所とは倒壊したコンビニを挟んで逆方向に進んでおり、俺がこのままここに座り込んでいても身の危険は無い。同様の状況に置かれた野次馬達は、危機感よりも興味を優先させてコンプレスの動向を観察している。
野次馬の壁はすぐに分厚くなり、座り込んだ俺の位置からでは最早直接コンプレスの姿は見えない。だが、ズゥゥン、ズゥゥンと野次馬の喚き声を越えて届く地響きと、それに呼応して吹き上がる瓦礫の柱がコンプレスの破壊が続いていること、その移動した跡を示していた。
コンプレスの辿った跡を示すように夜空に漂う土煙は汚れたオーロラのように帯状に連なる。その下の崩壊した建物から命からがら転がり出たのであろう人々の怨嗟と嘆きの声が夜の空気を伝って届く。
人垣を隔ててその音を聞く俺にとってそれはまさしく対岸の火事であって、どれほど悲鳴が上がろうと関係がない。誰が瓦礫の下敷きになろうと、誰が住む場所を失おうと、俺はこの場に座り込んだまま動けない。
対岸の火事には消火しようとバケツ入りの水を撒いても届かない。他人事であるということは、例えその事態を解決したいと願っても自分にはどうしようもないということだ。
俺ではこの人垣の向こう、瓦礫の山の中で命からがら破壊の余波を逃れようと逃げ惑う人々を救うことは出来ない。未だに自分の足すら満足に動かせず、全身の震えが止まらない俺に、出来ることがあるとするなら、それは。
ポケットに右手を突っ込むと、携帯が指先に触れる。
震えを止めようと携帯を固く握りしめながら、ポケットから引っ張りだす。
この状況で俺が出来ることがあるとすれば、それは電話をかけること。昨日知ったばかりの番号を呼び出し、通話ボタンに指をかける。
親指に力を入れて液晶に触れれば電話がかかる。根本的にヒーローを信用していない俺でも、今この瞬間何かが出来る人間がいるとしたら、それはこの近隣で唯一のパワー型ヒーローであるバルクガールだということはわかる。
そしてその、何かが出来る人間と連絡を取れる人間は多分、俺だけだということも。
わずかに躊躇した指が、自分にしか出来ない事を自覚した途端勝手に動く。通話ボタンに触れ、俺は普段メール以外でほとんど使わない電話を久しぶりに耳に押し当てる。
三コール目でブツッと受話を伝えるノイズが聞こえた。
『はい、にし――――どちら様でしょうか』
本名だろうか、名乗りかけた気配があったが咄嗟にそれを飲み込んだ声が聞こえる。しかし、言いかけたのが本名かどうかを問い詰める余裕はなく、それどころか状況を説明できるほど頭が働いてすらいなかった。
俺が言えたことといえば。
「助けてくれ!」
この一言くらい。
『ぇ、あ……場所はどこですかっ!』
察しが良くて助かる。だが場所も説明できない。このあたりの住所だとか最寄り駅の名前だとか、咄嗟に出てこない。で結局俺の口から出たのは。
「昨日俺と会った辺りまで来い! 来れば分かる、見える!」
『わ、わかりました!』
ブツッ。先ほどと同様のノイズが、今度は通話の終了を伝える。わずかなやり取りで、遺憾ながら俺の言葉は正確にバルクガールに伝わり、あいつは自宅なりアジトなりケイヴなりを飛び出したことだろう。実に腹立たしいことに、なぜか俺はそう確信してしまった。
くそ、マジ腹立つ。
顔を上げると土煙のオーロラは先ほど俺が目にした位置から更に移動している。
これ以上俺に出来ることはない、と思う。対岸の火事に対して出来ることは向こう側の消防署に通報することくらいだ。これで消防車が来ないか遅れるかすれば、全てを諦めるしか無い。
電話一本で、俺は尽くせる手を尽くしたはずだ。
もはや俺には、夜空を揺らめく土煙と瓦礫の間欠泉を目で追いかけることしか出来ない。半ば放心状態で移動を続けるそれを呆然と見上げていた俺は、野次馬の壁の一角から上がった声でその意味を理解した。
「こっちに来るぞ!」
――――――――――――――――。
爆音のような悲鳴の波が、繰り返される地響き以上の衝撃を大地に走らせる。野次馬の壁が乱れて散り散りになり、壁の構成員たちが未だに座り込んだままの俺を踏みつぶす勢いで押し寄せてくる。
逃げ惑う彼らの背後から、こちらへ向かって瓦礫の柱と土煙が移動してくる。まっすぐ俺に向かって、というわけではないにせよ、そのまま進んでくれば俺が座り込んでいるこの道の両脇に建つ家、そのどちらかは粉砕され俺のいる場所にも瓦礫が降り注ぐだろう。
などと分析している場合ではないと頭の中で警鐘は鳴り続けている。だが事ここに至っても、情けない事に俺の両足は脱力したままで、どうにか立ち上がるのがやっとだ。
それでも脳内の警鐘に従い、ほとんどの野次馬が既に走り去った方角へ身体を向ける。震える足を一歩一歩踏み出して逃亡を図るが、段々と大きくなる地響きと破砕音は着実に背後に迫ってくる。
マズい。これは本当にマズい。
背後から迫ってくる轟音はそのまま死の気配だ。例え相手が単なるクラッシャーであって明確な殺人の意図が無かったとしても、周囲に一切配慮しない純粋な暴力と破壊は俺を巻き込んで殺すには十分すぎる。
全部理解しているというのに、脳内の警鐘は更に激しくなり、この危機を逃れるための脚力だって少しずつ戻ってきているはずなのに、俺の歩みは遅い。
奇妙に冷静な頭が、もう間に合わないと膝をつこうとしている。轟音は確実に大きくなっている。震える足で進む俺より、確実にヤツの移動の方が早い。
ゴバァッ!
ひときわ激しい破砕音がして、背後から思い切り蹴り飛ばされたような衝撃を受ける。そのまま前のめりに素っ転び、危うくアスファルトに顔から突っ込みそうになる。
どうにか身体を傾け、正面からの激突を避けたものの、代わりに衝撃を全部引き受けた右半身が痛い。
両手をついてどうにか身を起こすが、そのタイムロスは最早致命的だ。立ち上がって逃げ出そうとする気力が、地面につけた両手からずるずると溶け出していく。
間に合わない。逃げ切れない。死ぬ。ここで死ぬ? 嫌だ、嫌に決まってる、死んでたまるか。どうする、どうすれば、どうなる? どうにもならない。
轟音は真後ろに迫る細かな瓦礫がほとんど間断なく飛び交い、俺は頭を抱えて踞る。
頼むから通り過ぎてくれ。偶然に瓦礫が全部俺を避けてくれ。奇跡でいい、理屈が通らなくていい、ワケのわからない異常事態でいい、誰も信じない、限りなくゼロに近い確率の嘘みたいな幸運よ、俺を助け――――。
ごっ、と音を立てて強風が走り抜ける。
踞った俺の頭上を走り抜けた風が、背後の破壊音と衝突した。
地響きと破砕音が止む。一秒経ち、二秒経つ。十秒経ち、三十秒経つ。一分が経過しても、次の地響きはやってこない。
恐る恐る起き上がり、破壊の波が迫っていたはずの背後を振り返る。
倒壊した家屋の瓦礫の上で、二つの巨体が組み合ったまま静止していた。
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