2

母と子

 壊すよりは、作る方が好きだ。


 それは私だけでなく、愛する我が子もそうであるようで。そんなところも遺伝かな、と少し微笑ましい気持ちになる。容姿の点では私が女で息子が男であるという点を差し引いてもまるで似ていない私たち母子だが、だからこそそんな風に自分の遺伝子の片鱗を息子に見出すと嬉しくなる。


 世間の人々は、我が子を化け物だ怪物だと呼び恐れる。それはまぁいい。いやよくは無いが理解は出来る。彼らにとっては本当に天災のようなもので、抗い得ない暴威をヒトと呼ぶのは抵抗があるのだろう。


 けれど彼らは、私と一緒にあの子を生み出した彼らまでもが、あの子を失敗作で制御不能の怪物だと呼ぶのは我慢ならない。


 私だって科学者の端くれだ。マウスや猿、鳥などを使ったえげつない実験なんて数えきれないほどしてきた。今さら全ての命は平等に敬意を払われるべきだなどと綺麗事を並べるつもりは毛頭ない。だいたい、あの子と実験動物どもの命が等価値だなどと、そんなことあるはずがないし、あってはならない。


 けれど人がヒトを生み出すということがどういうことなのか、あの連中はもっと知るべきだ。共食いが禁忌とされるように、同じ種類の動物というのは互いに対して他の動物とは別種の敬意を払うものである。

 たとえそれが意図と違っていても。予想と違っていても。求めたものと違っていても。たとえどんなに私たちとかけ離れた姿をしていようとも。


 人として作られたそれは、最後まで人であるべきなのだ。


 ……息子は積み木遊びが好きだ。一度崩したものを別の形に組み替えるのが好きらしい。私がこの子にしたことと、それはよく似ている。


 私自身を含め、多くのヒトと、わずかな他の動物を、遺伝子という単位にまで分解し、それらを全て合わせて組み上げる。そうして出来上がったあの子は、確かに正しくヒトではないのかもしれない。けれどそれでも、ヒトでなくとも人であるために生まれてきたあの子を人として最後まで見守るのは、私たちの当然の義務なのだ。


 今は私も、この子も、作るよりも壊すことの方がずっと多い。それは抗いようのない現実の中にどうにかしがみつき、喰らいつき、振り落とされないための足掻き。けれど、たとえそれがどんなに必要なことだったとしても、ただ壊すだけの繰り返しは、私と、我が子を人からヒトへ、そしてやがてはヒトですらない獣へと堕落させていくのだと思う。


 抜け出さなければいけない。この螺旋構造から逃げ出して、壊さずにいられる場所を探さなくてはいけない。


 どうやって、という疑問に答える声はなく。

 焦りだけが募っていく。

 バウッ、と耳障りな吠え声が聞こえた。私は犬の相手が嫌いだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る