1-7

「っ、ぇあ?」


 緊張で張りつめていた喉から、妙な声が出た。

 さらさらのブロンド髪が流れるように肩を滑るのが目を引く。下げていた頭が上がる時にも、ふわりと風をはらんで揺れた。その滑らかな髪の動きを追ううちに、ようやく目の前の相手を観察するだけの余裕が生まれる。


 全身を覆うヒーロースーツの上からでも、いやスーツがあるからこそ、その筋肉の異常なまでの発達が見て取れる。頭身は高く、ゴツゴツとした腹筋がはっきりとヒーロースーツに浮き出ている。にも拘らず、筋肉に埋もれることの無い豊かな胸、そして砂時計もかくやという細い腰のラインと、大きく肉感的な尻によって形作られるシルエットは流麗な曲線を描き、そのあまりに逞しすぎる肉体の持ち主が女性であることを示していた。


 どう見ても、身長は俺より一メートル以上高い。それは当然、真っ当な人間の肉体ではなかった。真っ当ではない人間として俺が知っているのは二つの人種だけだ。ヒーローか、あるいはヴィランか。


「本当に、ありがとうございます。おかげで助かりました」


 再度声をかけられて、ようやく俺はその顔を直視する。

 瞳は碧く、鼻は高く、明らかに日本人の顔立ちではない。髪の色も、白磁の肌も、やはり西洋人のそれだ。しかし言葉や所作は完全に日本人のもので、大人びた顔立ちの割に表情はどこか自信なさげで幼い。なんというかあちこちの印象がちぐはぐだ。


 などと落ち着いている場合ではない。


 よく見れば、いやよく見なくてもわかる。むしろなぜ最初に気付かなかったのか。あり得ないほどの長身も、筋骨隆々の肉体も、紅白をメインにしたヒーロースーツも、初めて目にするものではない。


「お、お前」


 夢で俺自身が変身した、雑誌の表紙を飾っていた、奏先輩の部屋で見た、あの女ヒーローに間違いない。……や、やっぱでけぇ。何がとは言わないけどでけぇ。


「何でこんなところ、に」


「あ、あれ、もしかしてわたしのこと、ご存知でしたか?」


「いやそれは、まぁ、知らないわけじゃない、けど」


 むしろ散々目撃情報とか調べ回ってたけど。どうにかヒーロー引退に追い込もうとあら探ししてました、とはさすがに言えない。


「すみません、驚かせるつもりじゃなかったんですけど、どうしてもお礼を言わなきゃと思いまして」


 本当に済まなそうにぺこぺこと何度も頭を下げる。……いや頭下げられても新手の威嚇にしか見えないんだけど。しかしどうやら敵意はないようだ。

 だったら今はとにかく、何事もなくこの場を切り抜けるのが最優先。俺がこいつについてあれこれ調べていたということ、というかヒーロー嫌いであること自体気付かれないようにしないと。


「ええと、それで俺はなんでお礼を言われてるんだ?」


「あの、それ、なんですけど」


 そう言って彼女が指さしたのは、俺の手に握られている謎の球体だった。


「え、これ……が何?」


「電源、切って下さったんですよね。おかげで助かりました」


「まぁ電源切ったのは俺だが、え、なに、コレそんな重要なものなのか?」


 一般規格の道具ではないというのは俺も思ったが、さりとてこの女が恐れるほどのものだとも思えないのだが。


「ええと、わたしも仕組みまではわからないんですけど、それの電源を入れると」


 入れるとどうなるのか。特に深く考えたわけでもなく、けどまぁヒーローの弱みを知るチャンスは有り難く利用しておこうかな、とか。ささやかな悪意、悪戯心。そんなような考えで手元のスイッチをカチリと鳴らしたわけだが。


「ぁふっ」


 がくっと、目の前の巨人の膝が折れた。というか、全身から力と意思が全て抜き取られたように、操り人形の糸が一瞬にして全て切断されたように、まず膝、次に顔面が重力に従ってアスファルトの路面に飛び込んだ。


「…………え」


 いや、え、なに? どういうこと?

 目の前には倒れ臥す巨体の女ヒーロー。相対するは謎の球体を手にした一般人が一人。なのに何で、こんなことになってんの?


 つーか、いまこいつ何の抵抗もせずに顔面から突っ込んだけど大丈夫か? まさか死んで、いやさすがにそれはないよな。けど、さっきから起き上がる気配がないどころか全然動かないしもしかして、まさか、本当に?


「あ、あのー、もしもし?」


 へんじがない、ただのしかばねのようだ。


 じゃなくて!

 慌てて手元のスイッチをOFFに戻す。びくんと一度巨体が大きく跳ねたかと思うと、のそのそと起き上がってきた。よ、よかった、死んでなかった。


「もう! なにをするんですか、電源を入れてはダメだと……あれ、言ってませんでしたね。す、すみません、最初にお伝えしておけばよかったですね」


 え、俺が謝られるの?


 顔面からぶっ倒れた割に顔にはかすり傷の一つもない。突然スイッチを入れた俺に怒るどころかなぜか余計に恐縮して、申し訳無さそうに視線を伏せてしまった。ぶん殴られそうになったらもう一回電源入れられるようにスイッチに乗せていた指から力が抜ける。

 ……なんか調子狂うな。


「けれど、これでお分かり頂けましたよね? あなたが持っているそれは、スイッチ一つでわたしを完全に無力化できてしまうんです。電源を切るか、その球からある程度離れれば元に戻るのですが、自分では動くことも出来なくて。だから、電源を切って頂けて助かりました」


「は、はぁ。それはなんというか、ご苦労、さま?」


 なぜかつられて頭を下げてしまう。

 というか、だ。こいつは一体何考えてるんだ。出会ったばかりの人間に自分の決定的な弱点を懇切丁寧に説明するとか、正気の沙汰じゃない。


「実は、昨夜それを仕掛けられたままそこの路地裏に放置されて……バッテリーが切れるのを待つしかないと思ってたんですけど、あなたのおかげで一日と経たずに解放されました。本当にありがとうございます!」


「いや、その、大したことはしてないし、あんまり気にしないでくれ」


 さすがにこう何度も頭を下げられるとこっちとしても居心地が悪い。なんか背中がむずむずしてきた。

 というか単純にこいつと二人でいる状況自体がヒヤヒヤもんだよ。どういうわけかやたら大人しいからここまで何とかなっているが、根本的に俺はヒーローというものを信用していない。

 あれだけ正義漢を気取っていたワイルドガウンだって悪党に膝を折り俺を蹴り飛ばしたのだ。夕方の住宅街、まだ帰途につく人影もまばらな時間帯であればこの女が何かの拍子に俺に牙を剥くようなことがあってもそれを阻むものはない。


 なるべく早くこの場から立ち去るべきだろう。こいつの弱点についてもヒントを得たのだし、いくらこいつを引退に追い込みたいからといってあまり欲を出すと危険だ。


「……じゃ、俺はこの辺で」


 少し迷ったが例の球体はなるべくさりげない感じでポケットに押し込んだ。欲を出すと危険、と自戒したばかりだが、この謎アイテムを手放すのはさすがに惜しい。なんといってもこれが今日一番の収穫なのだ。


 そのままさっさと立ち去ろうと女に背を向「あ、ま、待って下さい!」呼び止められた。


 咄嗟に球体ごとポケットに突っ込んだ右手をきつく握る。気付かれた、か? ここはもう走って逃げ……いや逃げ切れるはずがない、なんとか誤摩化す方法を考えないと。


「あの、何かわたしに出来ること、ありませんか?」


 はい? あまりといえばあまりに予想外な質問に思わず足を止めて振り返ってしまう。


「あ、その、助けて頂いたお礼が出来ればと思いまして。何かわたしで力になれることはありませんか?」


「え、いや、えーと、どうだろう。急に言われてもな」


 本当に急すぎる。さっきから俺が身構えているのを知ってか知らずか斜め下の発言ばかりしてきやがって。お陰で本当に何も対応を考えていないぞ。


 お礼って、本気で言っているのか? 適当なことを言って俺を何かに巻き込もうとしているとか利用しようとしているとか、いや仮に本気で言っているにしても面倒なことに変わりはない。本当に困りごとがあったとして、ヒーローの手を借りるなんてご免被る。


「あー、ええと……特に思いつかないな。改まって礼をされるほどのことじゃないし、本当に気にしなくていいぞ」


「いえ、そういうわけにはいきません、どうぞ遠慮せずに仰って下さい」


 意外と食い下がるな。遠慮でも何でもなく本当に大したことはしていないと思うのだが。


「そう言われても本当に何も思いつかないしな……」


 せめてもう少し時間があればこの「お礼」を利用してこいつを追い込む方法を考えるんだが。

 半分冗談半分本気、といった具合にそんなことを考えてはみるものの、本気で困っていることも打算込みでの要求も即座には思いつかない。


 俺のポケットの中にある変な球体をを俺が持ち去ったことにも気付いて欲しくないし、早く立ち去りたいという焦りばかり募って考えがまとまらない。なんだよこれ、結局どう答えるのがベストなんだ。

 考え込む俺を見て何を思ったのか、女がまた声をかけてきた。


「あの、ごめんなさい、やっぱりすぐには思いつきませんよね。でしたらその、わたしの力が必要な時には呼んで下さい。すぐに駆けつけますから!」


 こう見えて飛ぶのは得意なんです、とマントを広げて照れたように笑う。元々ガタイに似合わぬ自信なさげな表情が幼げなのに、笑うと余計に幼く見えるなこいつ。


「呼ぶったって、どうやって」


「あ、番号教えますね」


 電話かよ! いやまぁ、こいつも見た目こんなでも中身は現代人だもんな。そりゃ便利だし電話使うよね……。

 暗記しているのかスラスラと女が口に出す番号を、流されるままに携帯に新規登録する。俺は何をしているんだと思わなくもないが、速やかにこの場を離れるためにいまは深く考えるのはやめよう。


 あ、番号登録するってことは。


「そういやお前、名前はなんていうんだ?」


 少し緊張しつつ尋ねる。多くのヒーロー達と違って、目の前の女は自分の名前を名乗っていないのだ。

 他の連中は知名度を上げることで早期に信用を得て活動しやすくする意図から事件現場に乗り込む際や事件解決後の去り際に堂々と名前を告げるのが普通だが、目の前のこいつはどういうわけかメディアに取り上げられるようになった今でも名前を名乗っていない。それが原因でミステリアスだなどと騒がれ、結果的に話題性は増しているようだが……。


 それが狙いだとしたら簡単には名前を明かさないだろうが、さてどんな返事が返ってくるかと身構える。


「あ、申し遅れました。わたしの名前は、ええと、バ、バルクガール、です、はい」


 ……若干恥ずかしそうにしながら、またしても俺の気構えを吹っ飛ばすくらいにサラッと答えた。バルクって何だっけ、ボディビルの用語だったか? だとしたらなんというか、すごく見たまんまな名前だな。


「あぅ、へ、変な名前ですよね、あはは……」


 名乗るとき恥ずかしそうにしていたのはそれか。


「こっちから尋ねておいてこう言うのもなんだが、教えてよかったのか?」


「へ、何がですか?」


 きょとんと首を傾げる。……どうでもいいけどこいつほんとでかいな。ずっと見上げてるから首が疲れてきたぞ。


「名前だよ。これまで色んなところで訊かれても答えなかったんだろ?」


 名前だけじゃない。野次馬からもマスコミからも質問が飛び交っていたはずだが、それに対する答えはおろか一言だって口を開かなかったということになっている。それがまたミステリアスヒーローとして色んな憶測が飛び交う原因にもなったわけだが。


「あ……それは、その、あんまりたくさんの人の前で喋るのが恥ずかしかったといいますか、緊張してとても喋れなかったといいますか」


 ただのアガリ性だった。ミステリアスな女ヒーローのイメージが台無しである。


「それでは、わたしは失礼しますね。困った時にはいつでも呼んで下さい」


「ああ、うん、そうするよ」


 携帯の電話帳に登録されたバルクガールの名前になんとも言えない気分になりつつ頷く。ヒーロー嫌いの俺の携帯にヒーローの名前が……くっ、なんか負けた気がする。


「ではまた、いずれ」


 最後にもう一度深々と頭を下げると女――バルクガールは前動作無しに右足でアスファルトの路面を蹴り、そのまま天高く舞い上がった。一瞬遅れて巻き起こった風に目を細めつつ、それでも飛び上がったバルクガールの姿を目で追う。

 俺が見上げているのに気付くとバルクガールは律儀にも空の上でもう一度お辞儀をし、今度こそ飛び去っていった。


「……何だったんだ、あいつ」


 なんだかどっと疲れた。考えるべきことは山のように増えた気がするが、それらに頭を働かせる気力も沸いてこない。ヒーローを前にして知らず強ばっていた身体が、緊張から解放されて一気に弛緩する。自分の身体がこの数分で普段より一回り重くなった気がした。


 すっかり鈍重になった足を引きずって歩き始める。数分前に引っこ抜いたイヤホンを耳に戻そうと手を伸ばしかけて、結局その手はポケットの中に戻る。


 ラジオを聴かずに帰り道を行くのはいつぶりだろうか。


 考えるにも体力使うってのは本当だな。なんだったらラジオを聞く、鼓膜を揺らすだけで体力もっていかれるまである。自発的に何かすることだけが体力を使うってわけでもないな。

 またあいつと会うことがあったらもうその時点で体力ごっそり持っていかれそうだ。


 また、か。もう一度あいつと会うことなんてあるのだろうか。いや電話番号を教えられて必要なら連絡しろと言われたわけで、それは普通なら再会を意味するのだろうけど。

 俺が自分から連絡することなどあるのかというといささか怪しい。


「……ま、もし万が一にも命を狙われるようなことがあったら電話しますよーっと」


 無いだろうけど。

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