十日目 ゾンビウォッチング


■ 四日目


「掲示板システム?」


 当面の活動拠点となっている研究室ラボで、葛木かつらぎ廣田ひろたに向かって聞き返す。お互いラボのなかの整備作業中で、ドライバーやスパナを片手に喋っている。


「そう、掲示板。今ってさ、電池とか使ってスマホ立ち上げることは出来ても、通話とかデータ通信は全部ダメだろ? メッセンジャーアプリも。

 で、学内のリアル掲示板に『探し人』とか『物資足りません』とか逆に『余ってます』みたいな連絡を貼り付けるようになってるみたい。それを学生たちは、掲示板システムと呼んでるそうな」


 実際のところ、(いや、掲示板って本来そういうものであって、『システム』とか要らないだろ)とか思わなくもなかったけど、葛木も別の作業をしていた川島も「それ、いいな」とか「使えそう」とかおおむね好意的な意見を口にする。


 すると、それを聞いていた佐藤が深刻そうな口調で話しだす。


「…………ねぇ、でもこの学園って、掲示板どんだけあるの? この中地区だけでも相当な数あると思うんだけど、"どこに出す"とか、"誰がどの掲示板使ってる"とか把握するだけでも大変そうじゃない?」


 佐藤の珍しくまっとうな意見に、葛木・鈴木・廣田・川島の4人は押し黙ってしまう。すると、その雰囲気に耐えられなかった葛木が話題を変えようと試みる。


「そ、そうだ。芸術専門学群の人たちの話をあんまり聞かないんだけど、誰か知ってる?」


 今度は鈴木・廣田・川島・佐藤の4人が深刻な顔で考え込んでしまい、葛木のチャレンジは失敗した。




■■ 五日目


「やはり、最初に調べておくのは、"あいつら"の嗜好性しこうせいだと思うんだ」


 電池で光るLEDランタンの灯りのなかで、夕飯のカップ麺を食べながら、川島がそう話し始める。ラボには5人以外にもいくつかの学生や教員のグループが寝泊まりをするようにはなっていて、5人はもっぱら元々顕微鏡室だったスペースで食事やミーティングをするようになっていた。


「嗜好性? それって、マウスなんかの実験で、ボトルの位置を変えて水と薬剤の飲水量比べるってアレか?」


 葛木がそう尋ねると、川島は「そうだ」と答え、続きを話し始める。


「これまでの情報から、あの"ゾンビ(仮)"が人を襲って、その肉を喰っているのは間違いなさそうだし、一方で、近隣の住宅で飼ってる犬や猫がそれほど多くは襲われていないってことだけ考えると、アイツらはその他の動物も襲うけど、特に人間だけを選択的に襲って『餌』にしている可能性が高い……となると、アイツらは『美味い』なり、『栄養価が高い』なり、何らかの報酬効果があって、俺たち人間を襲っていると考えられる」


 普通に聞くとおかしな会話をしているはずなのに、他のメンバーはふんふんといたって真面目に川島の話に耳を傾ける。カップ麺をずるずると啜りながら。


「そうすると、やっぱりまず最初に知りたいのは、『嗜好性』だよな。あいつらにとっての『美味そうな人間』と『まずそうな人間』が存在するのかどうか、ついでに、あいつらが『美味そう』と『まずそう』をどうやって認識しているのかについても調べられれば、『美味そう』にカテゴライズされる人間をなるべく学園の外に出さないとかするだけでも効果あるだろうしな。


 ……で、それについては、二つ準備してるんだけど、それとは別に、皆に手伝って欲しいことが一つあるんだ」


 そう言って、川島は手書きのメモを全員に配って話を続ける。




■■■ 十日目


「――――で、バードウォッチングならぬゾンビウォッチングか」


 葛木が眠そうな目をこすりながら、データシートに手書きで記入していく。


「仕方ないだろ。まずはあいつらが昼行性なのか、夜行性なのかわからないことには、何の考察もできないんだし」


 同じく測定当番にあたっていた鈴木があくびをしながら言う。


「まぁとりあえず、今日まででだいぶデータは取れたよな。ラボに戻ってミーティングにしようぜ」


 葛木はサバイバルゲームサークルから(無断)借用したナイトビジョンを片付けながら、拠点にしているラボのある中地区に向けて引き返す。




「あれ? ラボの前に誰かいる……こんな朝早くに何のようだろ」


 二人がラボに帰りつくと見知らぬ上下ジャージ姿の同じ歳くらいの女が立っている。女性は二人の姿に気づくなり、こちらをじろじろとにらむように見まわす。

 その視線は控えめに言ってもけして好意的なそれではなく……何というか不審者を見ているような印象を受ける。一緒にいる鈴木は極端な人見知りなので、仕方なく葛木が話しかける。


「えっと、どちら様で……?」

「……あんた達、哲郎の仲間?」


 その見知らぬ女性は名乗るわけでもなく、質問に質問で返してくる。近くでよく見ると、短髪で切り揃えられた茶色の前髪に切れ長の目をしていて、顔立ちはちょっときつい印象は受けるものの、いわゆる『美人』に入るように思える。


「哲郎……? ああ、川島のことか。そうだけど、君は?」

「哲郎に『掲示板システム』でここに来るように言われたの。鍵、開けて」


 やっぱり名乗らない女に催促されて、葛木がしぶしぶとラボの鍵を開けると、寝袋で寝ている川島、廣田と――――その超絶悪い寝相のせいで、寝袋に寝てたはずなのに艶めかしい肢体を露わにして、それを川島の寝袋の首の部分から突っ込んでいる佐藤がいる。川島はそのせいで、たぶん苦しいのだろう、うんうんとうなされている。


「おい、かわ――」


 葛木が声をかけようとした瞬間、ジャージ姿の女が佐藤の足を払いのけ、眠っていた川島のクビを右手で掴んで。いや、そんなこと絵面的に無理だろとか思わなくもなかったのだが、実際に川島の身体が浮いていて、葛木と鈴木は恐ろしさのあまり声を失う。


 あまりの衝撃に目覚めた川島が「グッ!!? な、なッ!!」とうめくのはもちろん気になったものの、「哲郎ォ!! 何なのよ、この女ァ!!!」と、鬼の形相をしているジャージ女を止めることなんて、散弾銃を持っててもたぶん無理そうだったので、二人はそのまま騒動が収まるのを暖かく見守ることにしたのだった。




「…………えっと、こっちは体専の吉田夏子さん。"実験"を手伝ってもらおうと思って呼び出しておいたんだ」


 十数分程度の騒動の結果、顔がボロボロになっている川島が紹介する。


 で、当の吉田本人はというと、佐藤の件が誤解だとわかると急に甘えた声を出して、川島の右腕に抱きついている。その光景を見ていた葛木・鈴木・廣田は、(あ、察し)(なんだろう、彼女持ちだっていうのに、何か全然うらやましくないな)などとコソコソと小声で話している。


「しかし、手伝ってもらうってのは?」


 葛木が話を切り出す。


「ああ、僕達だけでゾンビ(仮)を相手に"実験"するのは流石にリスキーだからな。今、警備やってる体専に話を持ちかけたら――――」

「当然、哲郎の"彼女"の私が来た、ってことね」


 さっきの怒号と同じ人物とは思えないほどの甘ったるい声で吉田が付け加える。



「これが一つ目の準備ってことは、あともう一つは――」

 葛木がそう言いかけた時、もう一度、ラボのドアが勢いよく開く。



「川島殿ぉ!! ご依頼の『1分の1等身大精密フィギュア 生物学類のアイドル・佐藤理子モデル』が完成したでござるよ!!」



 ラボに入ってきたそれ系のサークルに属しているらしき学生二名が持っていた佐藤によく似た等身大フィギュアを見て、吉田の目つきが変わり、空気が凍りつく。いや、明らかに川島の言っていた二つの準備の一つなんだろうが、吉田にはもちろんそんなこと前もって伝えていないと見える。


 ただならぬ雰囲気にオロオロする二人に向かって佐藤が一言、



「理子、もうちょっと胸あるもん」



 と言った瞬間、怒号とともに川島がボコられていく。葛木・鈴木・廣田はその光景を見ないふりをしながら、心のなかで(無茶しやがって……)と思っていた。


 もちろん、心配なんかこれっぽっちもしていないわけだし、吉田を止めるなってことできっこないって3人はわきまえていた。




(つづく)

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