つくば戦記

トクロンティヌス

一日目 紅く染まる空


■ 一日目



 ――――最初の日、朝に大きな地震があった。



 地震自体は、最近はそれほど多くなかったものの、少し前までは頻繁にあったのだし、この学園都市の人間はわりと平気な様子で、『ああ、また地震か』と思っていたに違いない。でも、この日の地震は、これまでのものとはだいぶその揺れ方が異なっていて、"エレベーターで高い階から一気に地上階まで行くようなときの感じ"と話すと、体験した人々のほとんどが頷いて、「ああ、そうそう」と言う。


 その地震の直後、街の雰囲気というのか空気感というのか……ともかく、何かが変わった気がする。実際、目につくところで一番変わっていたのは空で、昼だというのに夕焼けのような紅樺色べにかばいろに染まっていて、それが夜まで続いた。


 それでも、このつくば学園都市の住人たちはしばらくの間はそれほど驚いていなかったようなのだけれど、手にしたスマートフォンからtwitterやInstagramに『ゆれきた』と書き込めなくなっているのを見て、ようやくザワザワと騒ぎ始めた。



 夕方になって空が紅いまま暗くなるという異様な景色のなかで、この学園都市と他の地域を繋ぐ都市交通が動いていないことが知れ渡ると、全然復旧しないネット環境や電気などのせいで、学園都市中に動揺が広がった。


 下宿やアパートに一旦戻っていた学生たちも、スーパーやコンビニで買った食糧を手に大学に戻ってくる。皆、電気のないこの雰囲気が怖くて、心細くて、そして寂しかったんだ。


 ――――でも、これはあとで考えてみると、結果的に凄く良かったように思う。この時、みんながばらばらに行動していて、単独で"ヤツら"と遭遇してしまっていたら……と考えると、今でもちょっと寒気がする。



 これは、僕たち神経科学研究室の学生たちが、このどこかさえもわからない世界で生き残るために行った一年間の記録。





■■ 二日目


 生物学類の佐藤が、都市交通の駅から学園に引き返す最中に"何か"に襲われた――という噂が学園の中地区で焚火をしていた、葛木かつらぎ、鈴木、川島、廣田ひろたたちの耳にも届いていた。彼らも、佐藤と同じ生物学類の同期で、葛木を除いて、佐藤と同じ研究室でもあった。


「えっ佐藤さんが!? 大丈夫なのか? ……でも、"何か"ってなんだよ」

 葛木がその噂を持ってきた廣田に向かって言う。

「そんなこと、俺に言われても。今はメディカルセンターで治療中らしい」


「……で、どうするん? 君らの愛しの"姫"が怪我してるみたいだけど?」


 いつも何を考えているかわからない川島が、残りのメンバーに向かって無表情で言うと、「ち、ちがうわッ」(葛木)「そそそそそんなんじゃないし」(鈴木)「異性とかじゃなく、研究室の仲間としてだな……」(廣田)とか、思い思いに図星を突かれた反応を見せる。


「……はいはい。じゃぁ、午後はとりあえず佐藤さんの様子を見に行くってことでいいかな? いつまでもこうやって焚火にあたってるだけでも仕方ないし」


 川島は、はぁというため息と一緒に残りの3人に尋ねと、3人はそれぞれが明後日の方向を向きながら、「お、おう」とか「仕方ねーな」とか、何かそんな感じの棒読みセリフを吐いていた。




 南地区を突っ切って西地区のメディカルセンターまでは結構な距離があるため、廣田の車で行くことになったのだが……

「ちょ、川島! そっちもっと詰めろ!」

「葛木が無駄にデカい身体してるのが悪い」

 といった感じで、大学4年生の男が4人も乗ると、中古で買った軽自動車はぎゅうぎゅうという音が聞こえて来そうなくらい狭く感じる。


 途中、「何かお見舞いでも買っていこう」という鈴木のアイデアでコンビニに寄ると、まだ電気が復旧しておらず、しかも商品を載せた配送車も来ていないということで、店内にはほとんど何も残っていなかった。みんな、何となく嫌な予感がし始めていた頃だったと思う。




「おお!! 皆、来てくれたの? ありがとぅ!!」


 附属病院の外来受付のスペースで、葛木以下4人は佐藤と再会する。佐藤は本当に怪我をしていたのかというくらい元気にぴょんぴょんと跳ねて、こっちに向けて左手をぶんぶん振る。そうすると、150センチくらいの身長に"どうしてそうなったんだ"というくらいのボリュームのある胸とポニーテールがつられて揺れる。一部を凝視していた川島を除くメンバーが、一気に真っ赤になって照れる。


葛木「佐藤さん、大丈夫?」

佐藤「うん、大丈夫――ちょっとビックリしちゃったけどね」

廣田「そういえば、何かに襲われたって聞いたけど……」

佐藤「ああ、うん。えっとね……なんていえばいいんだろ? ?」

鈴木「ハァ!? 何だそれ」

佐藤「だから、。ホラー映画とかでよく見るやつ。鈴木君、理子のこと、疑ってるの?」

鈴木「い、いや、そういうわけじゃ」


「……なぁ、話は中地区に戻ってからにしないか? 見ろよ、周り」


 4人の会話には参加していなかった川島が重苦しい様子で言う。改めて辺りを見回すまでもなく、外来受付には診察と手当てを待つ人があふれている。皆、傷を負っていて、息の荒い重傷者も少なくない。


「……このヒトたちも、みんな"ゾンビ"に襲われたんだって。理子は原付きで駅から帰ってくる途中に、西地区の手前で、急に横から飛び込んできたヤツに襲われたんだけど、噛みつかれる寸前で体育専門学群のヒトが助けてくれて……」


 佐藤が少し暗めの声で話す。しばらくの間、沈黙が流れる。


「とりあえず、さっき焚火してた中地区まで戻ろう。あそこは今のところ何もなかったし、学生や教員たちも集まってたし、少なくとも安全だと思う。ついでに、帰りがけに全員の下宿とかアパートに寄って、着替えとか残ってる食糧とか積めるだけ物資を積んで行こう……何か、"ヤバい"予感がする」


 いつもピンチのときに謎のリーダーシップを発揮する川島の提案で、5人はとりあえず物資をかき集めて、自分たちの研究室のある中地区まで引き返す。途中で見上げた空は、昨日と全く同じ不気味な紅樺色をしていた。




■■■ 三日目


 朝からキャンパス内や周辺で情報収集や物資の調達を行っていた5人が昼過ぎになって研究室ラボに集まる。ちょうど日本分子生命学会の年会があり、教授や助教の先生たちが居なかったこともあって、ラボに下宿やアパートから持ち込んだ着替えや簡易のベット、食糧を溜めこんで、ここを拠点に動くことにしていた。


 佐藤の言っていた"ゾンビ"の目撃例はすでに中地区周辺にも及んでいて、単独で下宿やアパートに帰るのは危ないという川島の判断からだった。


「じゃぁ、状況を整理しよう」


 川島がいつもとほとんど変わらない口調でそういう。


「ゾンビ(仮)は、もういたるところで確認されてて、やっぱり人を襲ってるみたいだな。俺のラボの博士課程二年D2の先輩が、実際に附属病院に入院しているらしい。先輩は幸い大したことなくてすぐに退院できるようだけど……中には、肉をえぐられたりして、文字通り、"喰われた"人もいるって話だ」


 葛木がそういうと、一同が「マジか……」と重苦しい雰囲気でうつむく。


「生物環境の中村先生が、車で学園都市の外に行こうとしたんだけど、何か見たこともない荒野が広がってた……って話は聞いた?」

「ああ、それは俺も聞いた。それで、中村先生ちょっとおかしくなっちゃったんだろ?」


 廣田と鈴木が葛木の話に続ける。


「このカップラーメンをわけてもらった体育専門学群のヒトが言ってたんだけどね、体育専門学群のヒトたちで、学園の周りを警備してくれてるみたいだよ? あとは、医学群の方で、治療をするのと同時に、ゾンビの研究も始めたんだって」


 両手に抱えていたカップ麺をどさどさっととテーブルに置きながら、佐藤が言う。それを聞いて、今度は川島が続ける。


「僕が聞いたのは、理工や生命環境学群の研究者は、さっきの中村先生の報告を聞いて、この周辺の調査……特に水の確保だな。あと、長期戦に備えて食糧生産の可能性について調べているらしい。環境学系の教室は、教授や教員連中が結構残っていて、組織的に動いてるって感じらしい」

「結構、うちの学園もやるよな。こんなわけわからない状況になっても、それぞれの部署がすぐに対応にあたってるし……まぁ、前の大地震のときの経験が活きてるのかもしれないけどさ」

 葛木が佐藤の持ってきたカップ麺に人数分お湯を注ぎながらつぶやく。と、その様子を難しい顔をしながら見ていた川島が話しだす。


「……となると、俺たち神経科学者(のタマゴ)は何をするべきなんだろうな?」


 葛木が思わず「はぁ!?」と切り返す。


葛木「いや、何でそこで神経科学出てくるんだよ。関係ないだろ」

廣田「いや、待て。確かに」

葛木「確かに……じゃねーよ、廣田、しっかりしろ!」

鈴木「毒劇攻撃による後方支援は、シュミレーションRPGの基本」

葛木「お前は、一旦、ゲームから離れろ」

川島「佐藤は奴らに一度襲われたってことは、餌としては魅力的に映るってことだよな」

佐藤「えへへへへ」

葛木「佐藤さん、そこ照れるところじゃない」


 葛木は(そうだったぁ、コイツら『頭のいい変人+天然+普通の人+普通の人』ではなくて、『頭のいい変人+天然+変人+変人』だったぁぁぁ)と激しく後悔していると、川島が続ける。


「いや、落ち着くのは葛木の方だ。体育専門学群の連中が奴らと戦うにしても、医学群が対策を研究するために、奴らを捕縛するにしても、理工や環境の連中が水や農地を確保するにしても、奴らの行動パターン、例えば夜行性なのか昼行性なのかとか、あとは『餌』について、佐藤のような女性がいいのか、それとも関係ないのか、いやそもそも『餌』についての探索行動はどうなってるのか――これは今後、学園都市の人間の生死を分ける重要な情報になってくると考えられる。


 すなわち、俺たちということだ」


 葛木以外のメンバーから「おおー!」という歓声と拍手が沸き起こる。それを口を開けたまま聞いていた葛木が、切り返す。


「……ちょ、ちょっとお、お前たちのラボ、神経細胞の細胞レベルでの解析がメインで行動科学実験(behaviour)とかやってねーじゃねーか……」


「……というわけで、引き続き佐藤・廣田・鈴木は食糧調達と情報収集、葛木は図書館で行動科学実験の本を収集してください」


 そういうノープランの川島のセリフを聞いて、葛木はまた大きくうなだれるのであった。




(つづく)

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