往来のど真ん中でくそ野郎と叫ぶ!

石島修治

“自称”できる男

 ビジネスホテルのツインルームにチェックインをした私は、扉が閉まらないように、ドアストッパーを緩衝させて、入り口を少しだけ開けておくことにした。


 大抵のホテルがそうであるように、このホテルもオートロック式だった。内側からの開閉は自由にできるが、外側からは鍵が必要になる。外出している彼女がいつ帰ってきてもいいように、私は配慮をしたのだった。


 ルームキーをキーボックスに差し込むと、それが主電源のスイッチになっているようで、部屋の電気が一斉に点灯した。


 私は、電気ケトルでお湯を沸かしつつ、マグカップに水を溜めて冷蔵庫に入れた。ついで、この季節は冷えるからと空調の温度を高めに設定しておく。次に、湯加減を確かめてバスタブにお湯をはってから、加湿器の電源を入れて部屋の乾燥を防止しつつ、彼女が好きそうなテレビ番組を放映しておく。


 私は用意周到な“自称”できる男だ。


 ここまで彼女のために尽くし、しかも機転が利いて、頭の回転が早い私のような美男子を、世の中の女性は放っておかないだろうと考えたらおかしくなってきて、私はひとりきりの室内で高らかな笑い声を上げた。


 薄手のコートやマフラー、セーターを脱いで、クローゼットのハンガーに掛けてから、浴槽の湯加減を確かめて湯舟に浸かる。


 全身に熱いシャワーを浴びてから、プッシュ式のシャンプーとコンディショナーを5回ずつ押して頭にかける。それは大量に泡立ち、シャワーで洗い流す爽快感が最高だった。

 浴槽が泡だらけになってきたところで、栓を抜いて立ち上がり、ボディーソープを身体に塗っていく。


 左腕に5回プッシュ、右腕に5回プッシュ、お腹に5回プッシュ、背中に5回プッシュ、股の間に5回プッシュ、左足に5回プッシュ、右足に5回プッシュ、ともう何回プッシュしてるんだと突っ込まれそうなくらいに、全身を液体石鹸で包み込んだ。


 そのぬめぬめした身体をシャワーで洗い流すのも気持ちがいいし、セレブな泡風呂体験ができるのも魅力のひとつではあるが、この豪快な使い方はアフターサービスも充実していた。


 なんと浴槽から上がった後も、優しい香りが全身を包み込んでくれるのだ。ここまでの充実感は、ご家庭ではなかなか味わうことができないだろう。


 そう愉悦に浸りながらも、帰ってくる彼女のために、お風呂の栓をして、お湯はりまでしてあげる抜かりのなさは、やはり私の専売特許だろう。

 見たか、世の中の男性諸君。

 キングオブキング、ここに極まれりだ!

 真似をしてくれても構わないぞ。


 そんな世迷いごとを考えながら、彼女がお風呂に入ったらすぐにベッドインができるようにと、パンツ1枚にガウンを羽織った姿でベッドに腰かける。


 私の頭脳明晰な灰色の脳細胞は、彼女のセリフの細部に至るまでを、完璧に予想していた。


「ただいまー」「え、鍵が開いてる。セキュリティ対策がなってないわね!」「え、起きて待っててくれたの? しかも、いつでも戻って来れるように鍵を開けててくれたのね。感謝感激だわ!」「あー、お風呂入りたいな。て、もうお湯はりも終わってる?」「なんて素敵な殿方なのかしら」「今夜は長い夜になりそうね」


 こんな感じだろうか。

 ふっふっふ。アフターナイトが楽しみだ!

 電気も明るすぎるよりは、薄暗い方がいいだろう。

 ちょっと照明を落として、ベッド下の明かりは点けて、豆電球を点けて、他は暗くして……


 あとは便所で用を足せば準備万端だが、この時間帯だ。

 酔っぱらいが間違えて入ってくることも考えられる。

 それに見せかけた窃盗犯の出現もありそうだし……

 あーもう、集中できないな。


 そう玄関の扉を見ると、「※警告」との文字があった。思わずそれを追ってしまう。「この地域では、多数のビジネスホテルで窃盗の被害が多発しております。ご宿泊されるお客様は、貴重品をフロントにお預けになる等、十分にお気を付けください!」


 なるほどねー。

 私は腕を組んで考えつつも、荷物といえばビジネスバッグくらいだ。その中身も仕事の書類やノートパソコン。あとは十万円の財布くらいだと胸をなでおろす。

 こんなものを持っていく人はいないだろう。


 それでも用心に越したことはないと、“自称”できる男は、トイレのドアを開け放して、用を足すことに決めた。これならば玄関のドアを開けたときに、こちらのドアとぶつかり侵入者をすぐに知覚できるといった仕組みだ。


 なんと素晴らしい発案だろう。

 隣を向くと、水道の蛇口が勢いよくお湯を吐き出していた。


 そろそろお湯はりも終わる頃だな。


 そう思ってウォシュレットをお尻に当てていると、「ただいまー」と彼女の声がして、玄関の扉とトイレのドアがぶつかった。彼女のご帰宅だ。


 私ははやる気持ちを抑えながらお尻を拭く。


 彼女はちらりと私の方を見ると、「くさっ!」と言って鼻をつまんだ。私は少しだけショックを受けたが、すぐにガウン姿で彼女に合流する。


「しかも、部屋の中、暑っ!」

 彼女は泥酔して真っ赤になった顔で窓を開け放つと、

「エアコン止めろ!」と叫んで電源を切った。


 うわ、最悪だ。全部が裏目に出た。

 そう内開きの窓からの冷たい風を浴びる。


「お湯沸かしてあるよー」

「いらない」

「お水も冷やしてるよ」

「ちょうだい」


 見たか、読者の諸君。

 君たちなら、このどちらかをやっておしまいだったはずだ。

 しかし、私クラスになるとそれすらも凌駕してしまうのだ。

 これで彼女も私に惚れたはずだ。


 冷えたマグカップと水を彼女に渡すと、すぐにそれを飲み干してしまった。私はマグカップだけを受け取ってライティングデスクに置く。


「お風呂も沸かしておいたよ」

「ありがと」

 彼女はそっけなく言って、便所と風呂が一体になった場所へと向かう。私はさりげなくエスコートをしつつ、そこのドアを開けてあげた。


「くさっ!」

 再び、彼女は顔をしかめた。

「臭すぎるわ!」

 そう唾を飛ばして怒鳴る彼女。

「入れるか、こんな風呂!」


「あ、いや、ちょっと待ってくれ」

 私は便所のドアを開けて、「すぐに換気するから」と告げたが、「もう帰るからいいよ。さようなら」とだけ言い残して、彼女は私のビジネスバッグを持って去っていった。


 それを見た私は、しばらく呆然としていたが、「いやいやそんなはずはない。彼女は帰ってくるさ」と、トイレとお風呂の繋がったドアを開けっ放しにした。


 すると湯煙を火災報知器が探知したのか、ジリリ……と火災警報が鳴り響いた。「やべえ、フロントに電話して、誤報だって説明しなきゃ!」私がそう受話器を取ると、ベッドの上にスプリンクラーが撒かれて、辺り一面を水浸しにされた。


「はい、誤報です。すいません。お願いします!」

 そう館内アナウンスをかけてもらっていると、さすがに寒風が身体にこたえてきた。私は内開きの窓を閉めて、エアコンをつけた。


 それから水道の蛇口を止めて、お風呂の栓を抜いた。念のために加湿器の電源を消して、電気ケトルのスイッチもオフにした。まさか火災報知器が水蒸気にも反応するとは思わなかった。


 私は罪悪感により目がさえて、よく眠れなかった。

 そのため、面白くもないテレビの音声を聞き続けるはめになった。


 夜が明けてから外出着に着替えて、ロビーでの朝食サービスを受ける。私のことなど誰も知らないはずなのに、宿泊客のみんなが私を敵意の眼差しで睨み付けているような錯覚に陥った。


 いつもはご飯茶碗に大盛りで3杯はお代わりするし、おかずもたくさん食べるのだが、今回のセルフサービスでは遠慮してしまって、1回しかお代わりをしなかった。


「ごちそうさまでした」と言って食器を下げてから、部屋に戻って帰りの支度をする。昨日は本当にさんざんな目に遭った。こんな災難は一生に一度にしてくれ。もう起きてくれるな。


 そう思ってベッド下に置いたビジネスバッグを探すが、何故か見付からない。私は一瞬、「あれ?」と思ったがすぐに気が付いた。昨夜はスプリンクラーの誤作動でベッドが濡れたから、部屋を変えてもらったのだった。


 だから前の部屋に置き忘れたのかもしれないな。


 それをフロントに説明すると、その部屋の鍵を渡してくれた。


 私は前の部屋に戻って入念にベッドの下を覗き込むが、いつまで経ってもカバンが現れることはなかった。おかしいな、おかしいな、と徐々に焦りが募ってくる。そして玄関のノブを回したところで、「※警告」の文字が目に入った。


「この地域では、多数のビジネスホテルで窃盗の被害が多発しております。ご宿泊されるお客様は、貴重品をフロントにお預けになる等、十分にお気を付けください!」


 え、もしかして泥棒に入られたのか。

 それともどこか別の場所に置き忘れたのか?


 私はフロントの職員に紛失の旨を伝えて、もしも見つかった場合は、この電話番号にかけて教えてくれと頼みこんだ。


 それから最寄りの警察署に電話をして、同じ事を説明した。

 問い合わせの際に必要になる【受理番号】をメモ帳に筆記して、頭を抱える。


「何でだ!」


 ホテルを出てすぐにある往来の激しい道路で、映画俳優よろしく誰にともなく怒りの声を吐き出す。


「何で立ち飲み形式のバーでたまたま知り合って、意気投合しただけの彼女とホテルで二人きりになれたのに、どうでもいい理由で逃げられて、しかもその挙げ句にバッグまで盗まれるし、何でこんな悲惨な目に遭わなきゃいけないんだよー!」


 そう白い息を吐いていると、頭の中が整理されてきた。

 そして都合の悪い真実が浮上してくる。


 あれ……

 あのとき、彼女、俺のバッグを、持ってなかったか。

 もう、驚きのあまり、一人称が、変わったよ。

 え、持ってたよね。あの野郎ー!!


「くそ野郎ー!!」

 私は往来のど真ん中で、くそ野郎と叫んだのだった。

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