少女ミト

 完全に撒いたと確信するまで走ってたら、人の姿が見えない入り組んだ路地の奥へ入り込んでいた。


(も、もう無理……)


 足はがくがく。頭もずきずき。


 頭痛の原因はもちろん天使だ。


(あー、くっそ。こういう風にアップデートされていくのか……)


 いくらなんでも天使が前もって異世界の法律や規則を知っていたはずがない。


 アキラはこの街に交通ルールがあることを知らなかったが、御者の注意でアキラはここに規則があることを知った。その経験がフィードバックされて、天使は新たに違反行為リストに馬車の妨害を追加したわけだ。


(あんまりリリナス王国の法律とか街の規則を知ろうとしない方がいいってことか……いやでも、知らずに何か起こしてしまったら、異世界の住人の方に罰せられるかも)


 この先も異世界で知らなかったルールに出会う度、アキラは自由が束縛されていく。天使が頭の中に棲みついている限り、その運命からは逃れられないということだ。


 また一つ明らかになる天使の不便さ不都合さだが、ともあれ。


「こ、ここまで来れば、大丈夫だろ……」 


 アキラは両膝を折るように地面に蹲り、そのままごろんと大の字に寝転んだ。


「はへっ、ひへっ、へほっ」 


 口を尖らせて荒い呼吸を繰り返す。異世界転移する前に追いかけられた黒い影以来の全力疾走だった。


 あれも結局なんだったのかわからない。酸欠でぼんやりしている頭で考えていたそのとき、アキラの真上に、一つの影が重なった。


 アルシャがもうう追いついたのか、と思ってびくついたが、違った。


 屈むように覗き込んできたのは、まだ顔に幼さの残る、赤毛の少女だった。


「兄ちゃん、大丈夫かい?」


「ぜっ、こひゅ、ぼ、僕はだいじょ、ぼひゅっ、だから、んひゅ」


 不意を食って跳ね上がった心臓と切れる呼吸のおかげでまともな言葉も発せなかった。


「あーいーから。息が落ち着くまでそこに寝とけよ。にしても派手な痴話げんかしてたなー」


 三度深呼吸を繰り返して息を整えてから上体を起こす。少女はアルシャとの競争劇を目撃していたらしい。何者かは気になるが、とりあえず先に少女の誤解を正しておこうと口を開いた。


「ベタな話みたいだけど、あれは別に痴話げんかじゃなくて……」


 しかし少女はそんな些事を聞く耳は持っていないらしかった。


「追いかけられてるの見たけどさー。あの女のひとえらく怒ってたけど、兄ちゃん、一体あのひとに何したんだよ?」


「いやマジでなんで怒ったのかわからない……」


 その答えを聞いて少女は、へっ、と呆れたように笑った。


「そりゃ、年頃の女の子が『触られたくない』なんて汚れてるみたいに扱われたらキレるだろ」


 やれやれと言わんばかりに両手を上に向ける少女。


「いや、そういう意味で言ったんじゃなくて……最初から全部しっかり聞いてるんじゃないか」


 そこまで知っているということは、あのデッドヒートにもついてきたのだろうか。街の人間なら、先回りしてきたと考える方が妥当かもしれないが。いずれにせよ、接触してきた理由がよくわからない。


「自覚あんのかなって思ってさ」


「でもあんなに追いかけまわすほど怒ることじゃないだろ」


「あー、やっぱわかってねーな。あれだけで怒ったんじゃねーってアタシでもわかるよ。ああいう怒り方はな、絶対他にもなんかしてるって証拠だから」


「まるで人を鈍感みたいに……」


「ほらほら、白状してみ?」


 まるで犯人扱いじゃないか。失礼だな。そこまで言われるほどのことはしてない。


「弾みで悪魔って言っちゃったことはあるけどそれ以外は特に……あ、取ってきてくれた果物を食べないでリスにあげたりしたけど、それは気づいてないはずだし」


「兄ちゃんさあ……あー、もういいや」


 少女は続ける言葉も出てこないとばかりに呆れたようにぱたぱたと片手を振る。


 なんで初対面の相手に勝手に何かを諦められているんだろう、と訝しむが。


「これはまあ、多分兄ちゃんよか女歴の長いアタシから忠告しておくけど、女の心はしっかり読んでおかないと痛い目見るぜー」


 そう言う少女は、まだ十二、三歳ほどに見える。一つに束ねた髪をちょろりと肩に垂らし、勝ち気そうな両目にはアキラに対する好奇が覗く。


 地面に尻をついて両腕で起こして上半身を支えているアキラを中心に、少女はぐるぐると歩きはじめた。面白がるように笑ってくる。


 暇を潰すのに丁度いいからかい相手でも見つけたつもりなのかもしれない。


「ちゃんと読んだつもりなんだけど……なのになぜかああなったんだ」


 休憩ついでに少女の好奇心に応えてやるかと思ったのに、少女は露骨に口を歪めてきた。


「うえ、それ、マジで言ってんの? よく今までやってこれたな」


「アルシャと会ったのも昨日今日の話だよ」


 思えば密度の濃い出会いだった気がする。


「あー、それで……。運がなかったんだなー、あの女の人」


「なんかさっきからひどい言われような気ガスル」


「気のせい気のせい。兄ちゃん、よその街から来たんだろ?」


「そうだけど。よくわかったね」


「やっぱなー、不慣れな感じが全身から噴き出してたもん。アタシの予想通りなら、着いてからそんなに日も経ってないだろ?」


「ほんと言うとついさっき街に入ったばかり。ここがどこだかまるでわかんないよ」


「ついさっき? それであのケンカって、兄ちゃん、とことん世渡り下手だな?」


「放っておいてくれ」


「それが放っておけないんだなー。検問をどうやって潜り抜けたのかは知んねーけど、街にいるなら泊まる場所が必要だろ? アタシが案内してやるよ!」


 それにしてもよく喋りかけてくる子だ。


 要は観光客や旅人相手にいろいろ世話をして駄賃を貰おうという算段なのだろう。手持ちに余裕があるわけでもないし、とアキラは適当に躱して宿は自分で探すことにした。


「いや、僕は自分で探すよ。手持ちも多くないし変に高いところに連れてかれても払えない」


 断ると、途端に少女はにやにやしだしてアキラの正面で足を止める。


「へえ、いーのかなー。人の親切を無下にしちゃってさー。じゃあこれ、貰っちゃおっかなー」


 少女が見覚えのある小さな革袋を顔の前でぶらぶらさせる。アキラはすぐに気づいた。それはハンスから受け取った全財産。ライフラインの全てが入った異世界での命綱である荷物の中に入っていた財布代わりの革袋だ。


「な、あ、いつの間に!」


 寝そべっていたときに背負うのをやめて脇に置いておいたのが災いしたか、少女がアキラの周囲を歩いている間にスったらしい。


「隙だらけだぜ、兄ちゃん――ほいっと」


 立ち上がって勢いよく伸ばした手も、少女の猫のような身軽な跳躍に距離を取られて届かない。歯がみして距離を詰めるが、少女はアキラの動きを予測しているように難なく躱す。 


「返してくれよ」


「えー、どうしよっかなー」


 コッコッとつま先で地面を叩く少女。アルシャから全力疾走で逃げてきた後に、この身軽そうな少女にかけっこで勝てる気はしない。


 だが奇妙なことに少女は革袋を奪ったのに逃げようとしない。アキラはまだ話せる猶予があると見て、神妙に頼み込んだ。


「お願いだ。それがないと本当に一文無しなんだよ……」


 アルシャには頼りたくないし、もしお金を無くしたと伝えられたとしてもあの怒りようじゃ道ばたで寝てろと通告されることうけあいだ。


 アキラの殊勝顔を見て、少女は満足そうにふふんと笑みを浮かべる。


「じゃあこうしようぜ。アタシに宿を紹介させてくれたらコイツはそのまんま返してやる」


「どんな脅しだよ」


「どーなんだよ。アタシはこのまま全部貰っちまってもいいんだけど?」


 奇妙な脅しだが、返してもらえる余地があるなら他に選択肢はない。やり方はヤクザじみているが、これが少女のビジネスなのだろう。


 溜息ついて、諦めの首肯。


「わかった。お願いするよ」


「いいねー、素直で。よっし。それなら兄ちゃんは今からアタシの客だ。さっそく連れてってやるよ。こっちだ。ついてきな」


 と言って踵を返す少女の背中に声をかける。


「財布は返してくれないのか?」


「だーめ。今渡したらそのまま逃げられるかもしれねーじゃん。着いたら返してやるよ」


「約束したんだからちゃんと行くよ。っていうか自分の客信用しなさすぎじゃないか?」


 無理やり客にしたくせに、信頼関係もあったもんではない。


「んなの信じられるかって。ほら、こっちこっち」


 ついていくしかないか。有り金全部奪っといて、さらに何かを取り上げようとはしないだろうし……。いや、怖いお兄さんたちのサンドバッグを探しているのかも……。


「こ、この辺りは人が少ないんだな」


 会話もなく言われるがままについていくと後が怖い。牽制の意味も込めて、路地をすたすた歩いていく少女に自分は周囲をよく見ていますよと暗に伝えていく。


 少女はそんなアキラの意図には気づいていないようで、


「ああ。今は魔獣騒動で引きこもってるやつも多いかんな」


 と普通に答える少女に、アキラも疑問が湧く。


「そういえば、その割には表の通りは賑わっていなかったか?」


「あー、あれな。みんなで決めてるんだよ。外に出るときはできるだけ人が多いところに集まるって。これまで魔獣に襲われてるのは裏通りで人気のない場所ばかりだし、誰が魔獣呼応者かわからないなら、大勢で集まってお互いに監視しようってことらしいぜ」


「でも大丈夫なのか? 集まってるところを逆に狙われたりしたら」


「いつまでも家ん中に籠もってたら、それこそ病んじまうだろ。家の外に出なきゃ食いもんも買えねーしな。商人連中は今こそ稼ぎ時だって張り切ってるのも多いけど」


 少女は街の事情に精通しているらしい。街の内部事情をぺらぺらと明かされて、アキラもつい話にのめり込んでしまう。


「そうか。孤立しないようにしてるって意味では、しょうがない部分もあるのかな」


「そ。だからアタシはそういう意味でも兄ちゃんを助けてやったの。いま裏通りは魔獣だけじゃなくて、この――鬱屈してるっていうのか? そんなくっらーい状況にやきもきしてる気の荒い連中が何かといちゃもんつけて魔獣呼応者扱いしてきやがるからな。兄ちゃんみたいなひょろい男なんて、即行でボコられて捨てられるぜ? アタシが兄ちゃんに声をかけなきゃ、そういうのがゴロゴロいる地域に確実に入り込んでたからな」


「そ、そうだったのか。それはありがとう」


 小学生だか中学生だか程度の少女らしからぬ語彙と説明に口も挟めず素直に礼を述べてしまう。


 財布を盗られた相手に礼を述べるのも変だなと思いつつもそう言うと、少女は頭だけ振り向かせて年相応に顔を綻ばせて、にへ、と笑った。


「後でそういう危ない地域もサービスで教えてやるよ。ひとまず、アタシの紹介してやる宿に行こうぜ。そこらへんは比較的大通りに近くて安心だからさ」


 子供らしい無邪気な笑みにつられてアキラも口元が綻びる。案外悪い子ではなさそうだが、油断は禁物だ。





 少女に案内されて辿り着いたのは、木造の古びた建物だった。入り口の前には看板が立ててあるが、アキラには読めない。宿というには随分、入りにくい雰囲気を醸しだしているが。


「ほんとにここは宿泊施設なのか? 暴力組織のたまり場とかじゃなくて?」


「何馬鹿なこと言ってんだよ。そこにちゃんと『バルカズ・イン』って書いてあるだろーが」


 アキラが読めない看板の文字を、少女はあっさり口に出す。


 中世風ファンタジーでは識字率が低いのはお約束だが、この子はしっかり文字も読めるらしい。そういえば、アルシャもこの街には学舎があると言ってたっけ。


 少女は躊躇いなく扉を開けると同時、大声を出した。


「おーい、おっちゃーん。客連れてきたぞー」


「よう、ミト」


 応えたのは中年の男だった。受付でつまらなそうに肩肘をついたままこちらを見返していた。彼がこの宿のオーナーらしい。少女、ミトに促されて、アキラも軽くお辞儀をする。


「ジョン・バルカだ。あんたもミトに上手い具合に連れてこられたようだな」


 半分同情気味で苦笑するバルカ。どうやらミトの被害者はアキラだけではないらしい。


 アキラが宿の主人と話す前に、ミトの方が先に彼にせがみだした。


「なーなー、客連れてきたんだからさー。報酬ー」


「わーってるって。しょーがねえな」


 呆れたような顔をしながらも、バルカはミトに数枚の硬貨を握り渡してやった。


「やりい!」


 満面の笑顔のミトを見て、アキラにもようやく彼女の行動の意味がわかった。宿の客を連れてきたら、料金の一部を紹介料としてもらえる、という話なのだろう。


「それが目的だったんだな」


「そーだよ。こんな状況だからな。少しでも日銭を稼がないと、アタシみたいな孤児はあっという間に食いっぱぐれちまう。あ、そそ。これ返しとくわ。おっちゃんにしっかり宿代払ってやってくれよ」


 革袋を投げ渡され、受け止めながらアキラはミトに目を向ける。


「孤児?」


「なんだよ、珍しいもんでも見たような顔してさ」


「いや別にそんな」


「孤児なんてコルトリじゃ珍しくもねえよ。石を投げたら十回に四、五回は孤児に当たるね」


 それは大分誇張してるのだろうが、孤児が多いというのはあまり良い話ではない。


「でも文字も読めるみたいだし、教育は受けられているんだね」


「アタシみたいなのが行く教会が運営してる学校があるからな。ってか、そういうとこに客観的に目を向けられるってことは、兄ちゃん実は結構いいとこの出だろ?」


 あぐ。しまった。つい自分の元いた世界と比べてしまう。中世のような世界なら、識字率が低いだろうという偏見が根付いていた。


 やけに聡いミトにアキラは下手に言葉を返すこともできず、口を噤む。


「答えたくないならまーいいや。金さえ払ってくれりゃ。そんなわけで、アタシは文字も読めるし計算も多少はできる。見あった報酬に対してちゃんと役に立つ仕事もできるってわけ。な、おっちゃん?」


 あからさまに恩着せがましいミトに、バルカも苦笑する。


「わかったわかった。助かってるよ」


「だっろー? ここの客になりそうなら、どんなやつだって連れてきてやるぜ」


「おいおい、危ないのは勘弁してくれよ」


「大丈夫だって。アタシはこれでもちゃんと客を選んでるんだから」


 なぜかバルカがアキラを見てきて数秒見つめ合ったが。


 何か言えよ。


「いや、正直兄ちゃんがいてくれて助かったー」


 代わりにミトが両腕を上に伸ばして、んー、と伸びをしながらそう言ってきた。


「なんで?」


「しばらく客がいなくて困ってたからさ。久々にやりきった! って感じ?」


「あんな方法で自慢気にやりきられても反応に困るんだけどね。でもこんなに大きい街なら僕なんかに頼らなくても宿泊客くらい困らないんじゃないか?」


 ミトは「それがさ」と首を振る。


「魔獣騒動のせいでまるっきり商人も旅行客も街に来なくなっちまったし、すでに宿が決まってるやつらはわざわざこんなところに変えようとは思わないだろ?」


 見ろよ、とでも言うように古びたロビーに手を向けるミト。異議あり、とばかりにバルカが抗議してきた。


「こんなところとはなんだ。結構内装には拘ってるんだぞ。お前がいつもそうやって尻に敷いてる酒樽だってビンテージもののインテリアだ」


「表通りのゴミ捨て場で拾ってきたやつだろ。しかもしばらくカビ臭くてロビーに臭いが移って、臭いが取れるまでせっかくアタシが連れてきた客が逃げた原因になったやつ。まあつまり、街の門が開かない限り、客は減り続けてアタシの仕事はどんどん無くなっていくわけ」


 座っている酒樽をぽんぽんと叩くミトの指摘に、思い当たるところがあるらしいバルカは無言でコップを拭き始めた。雰囲気からして、いつもミトには口で負けているらしい。


「そうか、魔獣騒動のせいで、そんな弊害も起きてるんだな……」


 ミトをはじめ、街の住人たちが切迫した窮状にいることを、アキラもここで再認識した。


 街を封鎖する、というのは、何も街に潜む危険が魔獣だけとは限らないのだ。


 街そのものを外部から遮断してしまえば、流通も当然止まる。だが人間、必要なのは食料だけではない。人の動きが止まればそれだけ色んな仕事も止まる。仕事が止まれば生活に必要なサービスも受けられなくなる。


 異世界に炊き出しをしてくれる自衛隊がいるわけじゃないのだから、困窮しても自分でなんとかしなくてはならない。人間の流動の停滞が長引けば長引くだけ、ミトのように仕事が減っていくことになる。


 魔獣騒動が早く解決しなければ、街はどんどん荒み疲弊していく。街が封鎖されるのは、街の住人に我慢を強いる強硬策なのだ。


(逆に言えば、それだけのことをしないといけないほど、魔獣というのは危険だってことだ)


 バルカの話によれば、魔獣によってすでに二十人以上が殺されているということだった。場所に一貫性はなく、一度被害者が出た後は一日から数日のインターバルを挟んでまた街のどこかに犠牲者が生まれるという。


(つまり魔獣っていうのは神出鬼没でどこに出てくるかわからないから、魔獣呼応者を特定できるまで閉じ込めて、排除するまで耐えるしかないってことか)


 建物を破壊し尽くすまで暴れ回る怪獣タイプではないのが、住人たちがさほど普段と変わらない生活を続けられる理由でもあるが、暗殺タイプのバケモノというのもそれはそれでいやらしい。逆に把握できないからこそ住民間でも疑心暗鬼が膨れていくこともあるだろう。


 魔獣を見て逃げたという人物の話では、その姿は獅子のようだったとも二足歩行だったとも言われているそうだが、いまだ魔獣呼応者自身を見た人はいないらしい。


 確かにそんな存在を街から逃がし、王都などの王国の主要市街地にでも入られてしまえば、被害はより大きくなってしまう可能性があるのは頷ける。逆に封鎖を破ってくるような相手なら、特定もしやすいという二段構えなのだ。


 コルトリ市民からすればたまったものじゃないが、そんな状況でも未だ小規模な抗議活動に留まり暴動に発展していないのは、魔獣に対抗できる唯一の存在、霊剣士という希望が到着するのを待っているからだろう。


 しかしそれにだって、いずれ限界はくる。


  閉じ込められ膨れ上がった不満は、いつか人間同士に向けられるかもしれない。そしてその被害者になるのと同様に、加害者になり得る可能性は、この小さなミトにだってあるのだ。


「今はこうやっておっちゃんから真っ当な報酬をもらって生きていけてるけどさ、この状況が続くなら、アタシはそれこそ盗みだってやって生きるしかなくなる」


 あのやり方が真っ当かどうかはともかくとして、ミトにとっては切実な問題なのは理解できた。しかしそれができなくなったからといって、身をやつすような短絡的な方法論に至るのは、アキラには看過できないものだ。


「それは絶対にダメだよ」


「わかんねーかな。そうしなきゃいけねーんだって」


「それでも、ダメなんだ」


「うええ、兄ちゃん、なんかシスターみたいな性格してんな」


 頑ななアキラに、ミトも口を歪めてあからさまに嫌な顔。会って間もないというのに、この少女はどんな人間に対しても自分の感情を隠さない性格らしい。


「シスター?」


「さっき言った教会教室のせんせーだよ。アタシみたいな孤児相手に勉強教えてくれたり、ガキでもできる仕事をさせてくれたりするんだ。社会奉仕ってやつ?」


「ミトはそんなところに行ってるんだな。偉いじゃないか」


「まあね」


 褒めると、ミトは少女らしく照れくさそうに表情を崩した。口は悪いが、こういうところはやっぱり子供らしい微笑ましさがある。


「お前はサボりまくってるだろが」


「いーんだよ、アタシは。元々賢いから。行く必要がそんなにないの」


 得意顔のミトに、バルカが仕返しとばかりに即座に揚げ足を取る。が、彼女は開き直って表情も崩さなかった。


 褒めて損した。





 なし崩し的に宿泊場所を決めてしまったが、アルシャはまだ自分を探しているのだろうか。


 いいや。もう気にしない方がいい。彼女の方が旅に慣れているのだからなんとかするだろう。今は悪魔から離れられたこの束の間の休息を謳歌せねば。どうせ、フェレスラリアに行くために、街が解放された後はすぐに合流しないといけないのだから。


 ハンスから貰った革袋に入っていたお金を計算すると、食事付きでおよそ十日くらいはバルカズ・インに滞在できる。


 その間に件の霊剣士が魔獣を退治してくれれば万々歳だが、到着が長引いていることを考えると、もう少し懐具合に余裕が欲しいところだ。


「ま、まかりませんか?」


「まからんなぁ。ちなみにコルトリじゃ物の値段は値切っても宿泊費は値切らないのが不文律だ。犯したやつはもれなくリンチ。次の日にゃゴミと一緒に壁の外へポイだ」


「え? え? そんなあ」


 絶望顔のアキラに、バルカは苦笑する。


「とまあこんな感じで簡単に騙されるやつは大人しく俺の善意を黙って享受しとけ。よそに行ってもうちより安いところはそうそう見つかんねえよ」


 そうまで言われてしまえば、頷くほかない。


 短期的な仕事を見つけるべきか?


 霊剣士とかいう人が魔獣の問題を解決しない限り街から出られないわけだし、その間に所持金が尽きたら目も当てられない。


 異世界に来たのになんて地味な問題なんだと落胆するが、地味ゆえに切実さは根が深い。


(異世界まで来てバイトか。地元でもやったことはないんだけど)


 何せ校則で禁止されていたのだ。天使があるアキラには、こっそり働くという選択肢は不可能だった。だがさすがに、異世界に来て校則に縛られることはないと思いたい。もう学校には所属してないようなものなんだし、日本の法律は高校生のバイトを禁止してはいないのだし。


 思い立って、アキラは夕食の際に二人に何か仕事がないかと訊いてみたのだが、


「「ない」」


 二人同時に一蹴された。


「つーか何も商談がないくせに、しかもこんな時にこの街に入ってくるなんて、兄ちゃんほんと何が目的なんだよ?」


「いや、僕はここに何も目的はないんだけど……」


「じゃああの女の人が商談を持ってるのか? なのにケンカしちまうなんてアホだなー」


「どうなんだろう。結局僕には何も話してくれなかったし」


 腕を組んで唸ると、ミトはやれやれと言いたげに手を広げる。


「それすらわかんねえのかよ。兄ちゃんの目的のなさにアタシのほうが心配になっちまうよ」


 呆れ顔のミトに、アキラはその答えは伝えなかった。


(目的ならあるさ。一刻も早くフェレスラリアに向かうことだ)


 アルシャが霊人だということは黙っていたほうがいいだろう。バレて魔獣騒動に巻き込まれるのも嫌だし、変な期待を向けられるのも困るだけだ。


「なんとかならないかな。簡単なものでもいいんだけど」


「あんなぁ、アタシでさえ仕事がなくなってきてるって言ってんのに」


「頼むよ。僕もお金が必要なんだ。ツテだけでもいいからさ」


「つってもなあ、んー、教会なら何か紹介してくれるかもしんないけど」


「本当か? あ、ならさっき言ってたシスターって人を僕に会わせてくれないか? 後は自分でなんとかしてみるからさ」


 普通のことを言っただけなのに、ミトは頭を後ろに引いて眉根を寄せ口角を下げて口を三角に歪ませてくる。


「なんでそんながっつり引いてるのか、一応訊いてもいいかな」


「えぇ……だって兄ちゃん、女の扱いド・下手くそだろ。紹介してシスターにアタシが目をつけられるの嫌なんだけど」


 まだ何もしてないのに相変わらずのひどい言われようだ。


「何か簡単な仕事がないか教えてもらうだけだよ。怒らせるようなことはしないって」


「ホントかなぁ……」


 躊躇うミトの背中を押してくれたのはバルカだ。


「いいじゃないか、ミト。教会は確か無職相手に日雇いの仕事も紹介してたろ」


 それにしても無職の浮浪者扱いか。まあ、近いけれども。


「だってさあ、絶対兄ちゃんシスターとケンカするもん」


「推理しないでくれ。僕が女性の扱いが下手なのはここ数日で痛感しまくってるから」


「うーっわー。自覚あんのかよ。たちわりい」


 アキラに向ける言葉に遠慮の欠片もなくなってきてることが引っかかるが、根は優しいミトだ。最後には溜息交じりで頷いてくれた。


「はぁー、しょうがねーな」












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