アキラのばか



 煉瓦造りの古風な街並みが視界いっぱいに広がる。門の内側には広場があり、そこから放射状に広い街路がいくつか繋がっていた。


 こうして見比べてみると、タルキスは本当に田舎だったんだなと実感するほどだ。


「おっ?」


 ふと目についた通りの先に、やたら豪華な装飾を施した四角い乗り物が走っていた。石畳の上をガタコトと揺れながら通行人の間を縫うように進んでいる。


 速さは馬車とそれほど変わらなそうだが、馬どころか牽引する動物が何もいなかった。


「あれが廻因鉄を使ったっていう車両かあ。本当にあるんだ。いつか乗ってみたいなあ」


 走る姿は、まさに地球にあった昔の自動車そのものだ。パッと見、馬車の方が数が多いのは、やはり高価だからなのだろう。ファンタジー世界の自動車という相反する組み合わせにアキラの男子心もワクテカと踊る。


 交易街だけあって、目につく物全てが目新しい。思わず感想が声に出て独り言ちる。


「建物も高いし、この広場にいる人だけでタルキスの村人くらいはいそうだ。本当に大きな街なんだなぁ」


 魔獣騒動の最中にあるという割に、表にはそれなりに人が出歩いていた。不思議に思ったが、この光景はアキラを慰めるのに役立った。たった半日程度だったとはいえ、人工物が何もない平原をひたすら歩き続けるのは体力だけではなく精神力も摩耗するらしい。周囲に人が沢山いるというだけで、心が大分落ち着いた。


「アキラ、あんまりふらふら歩くと轢かれちゃうよ。この街はタルキスと違って周りをちゃんとよく見ないと危ないんだから」


 まあそれは、悪魔がいなければの話だが。


「アルシャ……」


 物知り顔のお姉さん口調で注意してくる彼女に、アキラはなんと返すべきかと思案する。


 もう自分の手から刃物が生えてくる体験は二度と御免だ。検問で承諾もなく勝手に同調してきたのも許せない。


 この街に何の目的があるのか知らないが、それに付き合ってやる気もさらさらない。


「私は二年前にこの街にしばらく滞在したことがあるの。だから案内は任せて。商店通りには美味しい出店もあるし、交易街だけあって商人や旅行者が多いから宿の質も高いんだよ」


 そんなアキラの胸中に気づかず、アルシャは得意気に人差し指を振って知識を披露する。


「東通りにはコルトリの商人を仕切っている中央グラニア商会の案内所があるから、まずはそこを目指しましょう。今コルトリがどんな状況なのかを知るにはそれが一番だから」


 彼女に別行動を取るという選択は微塵もないらしい。というか、想定もしていなさそうな感じだ。


 ここは力技しかない。アルシャがそっちに行くと言うなら、僕は。


「あー、じゃ、僕はあっちに行くよ」


 と、適当な方向に伸びている狭い街路を指し示す。


 アルシャもちらりとその方角を見るが、特に目を惹くようなものはなにもない。


「あっち?」


 怪訝そうな顔で見上げてくるアルシャから逃げるように目を逸らし、アキラは繰り返した。


「いや、あっちに気になるものがあってさ。ちょっと見てくるよ」


「でも街に入ったばかりなら、まずは東通りに行った方が……。向こうは地元住民が多く住んでいるだけで何もないよ?」


 そんなところに確かに用事はないが、ここで目的がないからと弱気になって説得されてはだめだ。自分の意見を押し通すコツは、とにかく言い切ることだって誰かが言ってた。


「アルシャが勧めるのも良さそうなんだけどさ、僕はどうしてもあっちに行きたいんだ。あっちにさ。あっちがいい気がするんだよね。なんかもう、あっちなんだ。だから、悪いんだけど」


 何度も両手で「あっち」を指さす奇妙なアキラの姿に、アルシャは釈然としない顔で、


「……………………わかった」


 不満げだが、了承はしてもらえたようだ。


「うん。じゃあ、そういうことで」


 手早く手を振って、力なく頷くアルシャに背を向けて歩き出す。


(ちょっとわざとらしく突き放しすぎたかな? もっと回りくどく言えばよかったかも。加減がわかんないや)


 いやいや、ここで情けを見せたらまた悪魔に好き勝手される。多少良心が痛んでも、ここは鬼になる必要があるだろう。


(わからんといえば魔獣ってのが何なのかわかんないけど、街中のことなんだし、人の多いところにいればそんなに危険もないだろ)


 様子から察するに、街の全域が危険というわけでもないのだろう。安全圏は市民たちの方が詳しいはずだ。大勢に付き従う逃げ腰姿勢でいれば、自分への危険も最小限にできる。


 その間にアルシャが勝手に目的を果たして、件の霊剣士が到着して魔獣騒動を解決してくれれば、何の問題もない。


 それまで安全な場所で時間を稼いで、それからフェレスラリアに向けて出発すればいいのだ。




 そう方針を決めてからおよそ十五分。


 後ろが気になってしょうがない。


(な、なんでついてくるんだ?)


 あれから、一定の距離を保ってアルシャがずっと後ろをついてきているのだ。


 気配を感じても振り向くに振り向けない。後ろが気になったまま周りの景色もろくに見ず当てずっぽうで進んだために、今自分がどこにいるのかもわからなくなって、いつの間にか商店の並ぶ賑やかな通りに入り込んでいた。


(どこまで行けばいいんだ。このままじゃ日が暮れそうだ)


 何も言ってこないのが逆に怖い。


(ええい!)


 アキラは比較的人の往来が少ない道の真ん中で意を決して足を止め、勢いをつけて回れ右。


「あー、あれー? アルシャ? 君もこっちに用事があるの?」


 振り向いたアキラと同じように、アルシャもその場で足を止め、


「ううん」


 わざとらしく声をかけるアキラに、あっさりふるふると首を振る。


「ええと……じゃあなんでさっきから僕についてくるんだ?」


 一瞬だけ、アルシャは意外なことを聞かれたとでも言うような驚いた顔を見せた。


「えっ? あの、アキラが道に迷ったらいけないと思って……」


「別に僕は方向音痴じゃないから大丈夫だよ?」


 自分がどこにいるのかはわからないが、どんな進み方をしてきたかくらいのことはわかる。別にアルシャに頼らなくても、さっきの門まで引き返すことは簡単だ。


 あっさり否定されてアルシャは返答に困窮したらしい。次を続けられずもじもじと手を動かす。


「えと……」


 視線を彷徨わせて、彼女はあるものを見つけた。


「そ、そうだっ。あそこでまずは一緒に軽食でもとらない?」


 アルシャの指さす方向には屋台のような出店があり、香ばしいスパイスと肉の匂いが届いてくる。確かに美味しそうではあるが。


「別にいいよ。僕は」


「でも、お腹空いてるでしょ? ここまで来る間に果物くらいしか口にしてないんだし、人間のアキラなら、もうそろそろ何か食べた方がいいんじゃない、かなって……」


 語尾が小さくなっていく彼女の提案に、アキラはひとつの疑問符を浮かべた。


(ん? なんでアルシャが果物のことを知ってるんだ?)


 アルシャの位置からは、木が目隠しになって果物があったのは見えなかったはずなのに。


 アキラはいまさらになってその事実に気がつく。


(もしかして、あれはアルシャが探して取ってきてくれたやつなのか――?)


 あの木の周りには見渡す限り木の実がなりそうな植物は生えていなかった。もしかしたら随分遠くまで探しにいってくれていたのかもしれない。霊人の法術ならあそこから見えない場所まで走り回って探すくらいのことはできるだろう。


 アキラがうたた寝をしている間に、アルシャは人間であるアキラのためにそんなことをしてくれていたのだ。


 それをアキラは、あろうことかリスに与えたのだった。


「ね……、どう、かな?」


 気まずそうに上目使いをしてくるアルシャに罪悪感で無下に言い返せず、汗がだらだら流れる。今更食ってないとは言いづらい。


「アキラは、私と一緒にご飯食べるの、嫌?」


「い、嫌とかじゃ……」


「広い街だから、どこに泊まるのとか、打ち合わせもした方がいいと思うし……」


「いや、まあ、うん、そうなんだけど」


「こんな状況だから、部屋もあまり空いてないかもしれないし」


「それもそう、なんだろうけど……」


「部屋が一つしか空いてなかったらその、一緒の部屋でも、しょうがない、かなって」


「そ、そういうこと言わないでくれよ。なんて返せばいいかわからなくなる」


「べ、別に変な意味じゃないの。ただ……なんだかアキラが怒っているみたいだから……」


 しょぼんと項垂れるアルシャ。


 アキラにも、彼女が彼女なりに距離を縮めようとしてくれているのだろうということくらいはわかっている。


 だが忘れてはいけない。アキラにとって、アルシャは悪魔であることを。


「ごめん、怒ってるわけじゃないんだ」


 アキラが言うと、アルシャは少し笑みを浮かべて、自分の髪をいじりはじめる。アキラの態度が柔らかくなったと感じて安心したのだろう。


「その、私も少し態度が冷たかったのは悪かった、かなって。タルキスでアキラが叫んでいたのも、きっといきなりのことで混乱してたんだってわかったから」


「僕は、アルシャの邪魔をしたくないだけなんだよ」


「アキラとは、ゆっくりちゃんと話を……え?」


 しかし、今は一刻も早くアルシャから距離を取りたい。


「私の……邪魔?」


「さっき検問で言葉を濁したのはそういうことだろ? わかる気がするよ。言いづらいことって、確かにあるもんね」


「なんのこと?」


 訳知り顔でうんうんと頷きながら語るアキラに、勘づいていないアルシャは首を傾げる。


 アルシャは何か目的があってこのコルトリに入ることを選んだ。それは間違いない。しかもそれはアキラには口に出して言いたくないことなのだ。


 霊人、魂の同調法術アニム・アルモニカ。


 人間と霊人が組んで行われる、魔法のようなこの異世界の仕組み。


 これまで得た情報を統合して考えるに、彼女の目的はあれしかないだろう。


「僕に気を遣わなくていいってことさ」


「アキラが何を言いたいのか、よくわからないんだけど……」


 彼女はまだアキラの言葉の意図がわからないらしい。迂遠に伝えるのも限界があるか。


 この際、今後のためにもはっきり伝えておいた方がいいかもしれない。自分はそんなに察しの悪い人間じゃないんだぜ、と。


「つまりさ。ほら、要は、アルシャがこの街で僕以外の別の相棒を探したって、僕は全然気にしないってことだよ」


 さも傷つきませんよ、というような親善的な笑みを浮かべてアルシャに告げる。きっときらんと歯だって光っていたに違いない。


「なっ……」


 自分でも上手く掴んだ流れだと確信したのに、なぜかアルシャは驚いて目を見開いていた。


 口元をわななかせるアルシャを前にして、アキラは怒濤のように説き伏せる体勢。


「アルシャもさ、どうせフェレスラリアでまた魂が戻ってくるんだから、すぐに交代できるように今のうちに新しい相棒に目をつけておいた方がいいと思うんだよね。なのに、僕が近くにいたら探すのに邪魔になるだろ? 土地勘のない僕を気遣ってくれてるのはわかるよ。でも、僕としてはフェレスラリアに行ければいいわけで、こんなところでのんびりしたくないんだ。だからここではアルシャの目的が達成されることを優先するべきじゃないかな。そのために街に入ったんだろ? 僕には隠す必要ないよ」


「な……な……っ」


「僕も急展開すぎてさ、霊人とか霊剣士とか魔獣とか意味わかんないし、今はしばらく冷静になる時間を作った方がお互いのためになると思うんだよね」


「そ、それはそうかも、だけど、でも――」


 焦りはじめるアルシャに対し、アキラはトドメを告げる。


「だからさ、こう言っちゃうのはあれなんだけど、僕はもう正直、アルシャに触ってほしくないっていうか」


「……!」


 勝手にまた刃物を手から生やさせられたりするのはもうごめんだ。ここまで言えば、さすがのアルシャももう身勝手に身体を操ってくることはしないはず。


 アキラにとっては完璧なプランのはずだった。


 しかし、アルシャは何かひどくショックを受けたように項垂れていた。


(あ、あれ……?)


なんか、狙った流れにならなかったぞ。不思議とデジャブ感もある。


「わたしには……も…………しか……い、のに」


 何か呟いたアルシャに、アキラは追い打ちをかける。


「え? ごめん何? よく聞こえなかった」


「……」


 肩をふるわせるアルシャ。顔をあげてキッと睨み付けてくる。そのまなじりには、


(なんで、涙ぐんで……?)


 意外な涙にアキラの方が驚き、硬直していた。



「アキラの、っ、ばかあああぁぁーー!」



 アルシャの怒号が、通りを震撼させた。


 通りを歩いていた通行人が一斉に振り向き、注目の的になっていた。


 アキラは周りの目を気にしながら頬を紅潮させている彼女をなだめようとしたが、


「ア、アルシャ?」


「――――やる」


「アルシャ、落ち着いてくれよ。どうしてそんないきなり叫んだりして――」


 そのときアキラはぴんとひらめいた。


(待てよ。むしろいっそこのまま怒ってどこかに行ってくれた方が助かるのでは)


 とゲスい考えが頭を過ぎった直後、


「そんなに私のことが嫌いなら、この先ずっと同調法術を使ってやるっ!」


「えっ、えええええ、なんでそうなんのっ⁉」


 怒りを噴出させたアルシャが一歩前に踏み出る。思わずアキラも後ずさっていた。


 その動きをアルシャは逃げる動作だと認識したらしい。


「待ちなさい、アキラ!」


「ひいいっ!」


 腕を掴みかかられたのをすんでのところで躱した。大きな舌打ちが聞こえてくる。案外顔に似合わず激情家なところもあるらしい。


 彼女は本気だ。捕まったら本当に永遠に同調されかねない。天使と悪魔に四六時中支配されて生活する姿が一瞬でイメージに想起されて、アキラの背に怖気が走る。


 リアルにそこにある危機を悟ったアキラは、脇目も振らず通りを駆け出していた。


「あっ!」


 背中越しに、逃げ出したことに対するアルシャの不満の声が聞こえる。後ろを半分振り返りながら走り、彼女にクレームを申し立てる。 


「なんでそんなに怒るんだよ!」


「まだ、わからないの? あっきれた!」


「わかるわけないだろ!」


「ならじっくり教えてあげる! アキラの身体を通してね!」


「その発言はいろいろ危ないだろっ! 他の人に聞かれたらどうするんだ!」


「なんのことよ! とにかく、待ちなさい!」


「絶対に、嫌だああ!」


 通り過ぎる人が障害物となってまだ距離は保てているが、向こうには霊人の法術がある。捕まるのも時間の問題。それでなくてもアキラの運動神経は良い方ではない。逃げ切るのは不可能だろう。


 案の定、曲がった角の先で地面から突き出た石畳の段差に躓き転んだアキラに、悪魔はあっという間に追いついてきた。


「あ~~き~~ら~~」


「ア、アルシャ……あ、は、はは」


「人間のあなたが、霊人の私から足で競って勝てるとでも思っているの?」


 口調は穏やかで静かな笑みすら浮かべているが、その裏に怒りの炎が燃え盛っているのが丸わかりの威圧。


(あ、そうか。オワタって、こういうことなんだな)


 三十年以上前に流行ったらしいネットスラングの意味を完璧に理解した瞬間だった。


 現実逃避も甚だしい感想を脳内に垂れ流している間に彼女は手を伸ばしかけたが、ふと足を止め少し悲しげな顔を見せる。


「ねえ、どうしてアキラは……」


 そのとき、鐘を鳴らすようなカンカンと甲高い音がアルシャの声をかき消すように街路に響き渡った。


「どいてどいてーっ! 通るよー!」


 街路の真ん中で倒れたアキラの背後から、手で鐘を振りながら大声を出し迫ってくるのは馬のいない車の窓から腕を伸ばした運転手。廻因鉄を動力にした車だった。


 どうやら鐘の音は廻因鉄の車両が通る際に鳴らされる合図のようだった。同じ通りを歩いていた通行人が、揃って端に寄っていく。


 アキラはまさに車両が通る導線上にいた。アルシャも同様だ。馬車を改造したようなレトロな外観をした廻因鉄車は、通行人行き交う街路の上を減速するそぶりもなく突っ込んできた。


「あっぶな!」


「きゃっ」


 慌てて立ち上がりアキラは壁際に逃げる。アルシャも迫ってきた車両に立ち向かうわけにもいかず、さっと通りの花壇の間に入り込む。


 それは契機だった。


「あーっ!」


 また逃げ出したアキラを、アルシャの批難の声が追い縋る。


 超絶不利な追いかけっこの再開だ。


 廻因鉄車が人払いして道を拡げてくれたおかげで真っ直ぐ走れるようになったが、それは彼女も同じ条件。ただ走るだけなら勝てる道理はない。


 どうやら彼女はまだ法術を使っていないようだが、そこも疑問ではあった。あれだけの身体能力を強化できる術を持っているのだ。アキラ程度の男子の脚力など、捕まえるのに今の十秒もいらないだろう。


 しかし彼女は街の中で使おうとはしない。タルキスでもアルシャは自分が霊人であることを隠していた。そのことと何か関係があるのかもしれない。


 それにしては検問官の前で霊銀を見せつけたりと、彼女の行動にはいまいち一貫性が見られない。


 とはいえ、衆人環視がアルシャに法術を躊躇わせているのなら、これは逃げ切る最大の転機。


 どうにかしてわずかなリードを保っている間に撒く方法を考えるしかない。鬼ごっこで勝てないならかくれんぼだ。彼女の視線を遮って、一瞬でも隠れるだけの猶予が欲しい。


 大通りに差し掛かる。視界の左端から、今度は四頭引きの大型の馬車が交差するように走ってくるのが見えた。


 例えば、あの馬車に飛び乗るとか。


 思いついて、すぐに頭を振った。さすがに無理だ。普通の人間に走っている馬車に飛び乗る芸当なんてできやしない。


(それならせめて――)


 逃げる先行者の優位。交差する通りを横切る馬車の前を、ぎりぎりで先にアキラが走り抜けれることができれば、アルシャは馬車が通る間は止まらざるを得ない。


「アキラ、危ない! 前っ!」


 アルシャの悲鳴のような制止が聞こえるが、関係ない。


 今の走る速さを維持すればタイミングは完璧。後は怖じ気づいて止まらなければいい。


 アキラは規則正しい音を立てながら走る馬たちの前を、「ままよ!」と目を瞑って走り続けた。馬たちが驚き嘶く。御者が制しながら通り抜けたアキラに怒鳴り声をあげる。


「危ねえだろうが! 大型馬車が通ってる間は角で待つ決まりだって知らんのか!」


「ご、っめんなさいー!」


 憤然と怒鳴り声を飛ばしてくる御者に叫び返しながらアキラはそのまま走り抜ける。


(異世界の交通ルールなんてわかるかよ! 信号機もないのに!)


 集団があれば、移動方法が変われば、そこに決まりができるのは当然だ。


 場所が異世界だろうと至極当たり前のことに悪態をつきながら、アキラは走る。


 とはいえコルトリの複雑な交通事情に救われたのは確かだ。一見無秩序とも思えるほどに街路を人も馬車もてんで方向を揃えずに交叉するように進んでいるというのに、そこには彼らなりの合理的なルールが存在しているらしい。


 どうやら、全て車両が優先で通行人無視のカオス道交法のようだが。


 アルシャが馬車を回り込んでいる間に、さらにアキラは動き始めた他の通行人や商人の荷台を影にして、奥に続いていた細い路地の一つに入り込んだ。これで彼女にはどこにアキラが進んだのか見えなかったはずだ。


 近くにあった木箱の裏に隠れつつ、アルシャが通り過ぎるのを待つ。


「あーっ! うううーっ!」


 見失ったことに気づき、アキラの意図がわかったのだろう。地団駄でも踏んでいそうなほどの、アルシャの悔しげな声がアキラにも届く。


 タルキスで出会った頃の、お淑やかで頼りがいのある姿とは似ても似つかぬほどに感情を発露している姿に、捕まらなくて本当に良かったと安堵。


「もう、もう! アキラの、ばかー!」


 聞こえるアルシャの叫び声を背に、アキラは彼女を完全に振り切れるまで走り続けた。









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