交易の集合地、コルトリ市街
さらに二時間ほど歩き続けていると街も近づいてきたのか、石畳で整備された幅の広い街道が姿を現した。もうすぐまともな食事にありつけると思うと心から安堵する。結局、村を出てから何も口にしていない。
(あの果物もなんであんなとこにあったのかわかんないし、気味悪くて食べられなかったからね。虫とか食ってたらいやだし)
腹が鳴る度に、惜しいことをした、と多少は後悔の念は湧くものの、現代っ子で完全管理された食事しか食べたことのないアキラに、草の上に転がっていた野生の果物を食べるのは心理的ハードルが高いのだ。果物は迷惑料代わりにキノネアナウサギの巣の近くに放っておいた。
街の入り口についたのは、それからさらに一時間後のことだった。
コルトリは高い壁に囲われた街で、街を守るように壁に沿って見張り塔が点在している。昔は戦争中に防壁として使われていた古い城砦街だそうで、今でもその名残を色濃く残していた。
そのため街に入るためには物々しい門を通るしかなく、閉ざされた門の前には武装した検問官が数人立っていた。
髭を生やした検問官が、二人に告げる。
「パルキルス地方領主アウグリオ家の制令により今現在、コルトリへの出入りは厳しく制限されている」
「出入りが禁止? どうしてですか?」
「魔獣が出たからだ」
アルシャの問いかけに検問官は簡潔に答え、彼女の顔にも緊張が走る。
全てがそれだけで説明できるとでも言うように、二人の間でだけで説明と理解が瞬時に終了していた。
アキラは話に取り残されて視線の置き場に困るのみ。少しはこの世界に飛んできた異邦人にも配慮してほしいと文句も言いたくなってくる。
それにしても、魔獣か。でたぞ。不穏な異世界用語。
アキラはアルシャの後ろからこしょっと訊ねる。
「アルシャ、魔獣って何のことなんだ?」
「魔獣は――魔人が人に与えし、意思なき災厄の獣のこと。魔人は人間に魔獣を呼び寄せる力を与えることができる」
「それって、危ないの?」
「一人の魔獣呼応者の手によって、街が一つ滅んだこともあるほどにね」
「ま、まずいじゃんか」
まさに魔獣こそがこの異世界のモンスターというわけだ。この街がその危機に瀕しているなら、規制も当然だろう。
が、検問官の話では街の中に魔獣が出たということらしいのだが、それで街の出入りを禁止している理由がよくわからなかった。それでは住民たちが逃げられない。
「それで街ごと閉鎖ってことですか?」
「魔獣呼応者が誰かはわからない上、見た目でも判別できないらしいからな。街から人間の移動を禁止しているんだ。呼応者が街から抜け出して他の街に被害を与えないように」
なるほど。その魔獣呼応者というのを街から逃がさないためか。
「でもそれじゃ街の人たちが危険なんじゃ?」
検問官は肩を竦める。
「わかってるさ。それでも解放するわけにはいかないんだ。他の領地や、王都を危険に晒さないためにはな。魔獣呼応者にとっちゃこんな規制、魔獣を使えば突破も容易いんだろうが、俺たち普通の人間はこうして泥臭く抵抗するしかない」
ファンタジーの中で街といえば安全地帯であることが常識だが、ことこの異世界に限っては街中にこそ魔物の類いが出現するらしい。
あらゆる面でアキラにとっては不都合続きだ。こっちは早く休みたいというのに。
「解放までの目処は立っているんですか?」
その質問には、検問官は数秒押し黙った。
「正直なところ、わからん。コルトリは霊剣士の要請を出したが、いまだ音沙汰がない」
(れいけんし……? また知らない言葉が出て来たぞ)
聞き慣れぬ単語にアキラは疑問符を浮かべる。霊人の戦士のことだろうか。法術の力があるなら、魔獣への対抗力として考えられているのもわかる気はするが。
「もうすぐ閉鎖されて三週間にもなろうとしている。いくらなんでも到着が遅すぎる。おかげで市民どころか、商人たちの不満も噴出していてな。コルトリは王国の中でも大きな市場だけに、外からも中からも解放への圧力が強い」
検問官たちも相当疲弊しているらしい。痩けた頬で、検問官は愚痴るように言った。
「まさかコルトリがこんなことになっているなんて」
アルシャが驚きを口にすると、検問官が不思議そうに訊ねてきた。
「あんたらはどこから来たんだ?」
「タルキスです」
彼は納得顔で頷いた。
「ああ、なら知らないのも無理はないかもな。タルキスはコルトリと港街ハルツを繋ぐ大街道から逸れているから、情報が届くのが遅いんだ。それに、コルトリに滞在しているタルキスの商人は今外に出ることはできないからな」
それを聞いて、アキラはメイリンとハンスが村の商人が帰ってこないとぼやいていたことを思い出した。
(道理でタルキスに商人が戻ってこなかったわけだ。コルトリから出られなかったんだな)
観光客すらほとんどこないというタルキス村だ。情報を運ぶ商人がいなければ、隣にある街がどうなっているかなんて皆目見当もつかなかっただろう。
「そんなわけだ。悪いが街には入れんよ。よそに行ってくれ。食料が足りんのなら旅の間の分くらいは中から調達してきてやる。領主からの物資の補給があるとはいえ、むろんタダじゃねえし、むしろ食料品は高騰しているがな」
宿に泊まれないのは残念だが、危険のある街の中に入るよりはマシ、とアキラは納得する。
「仕方ないよね……アルシャ、ここで食料だけ調達してから別の街を経由して――」
提案するアキラを遮り、アルシャは一歩前に踊り出た。
「必要ありません。私たちは霊剣士です」
突然の宣言に、アキラも検問官も目を丸くした。
「はあ? あんたらがか?」
「ちょっアルシャ、急に何を」
戸惑う二人を無視して、アルシャは胸に手をあてて再度言い放った。
「私たちは霊剣士。それならば、街の中に入ることができるのでは?」
「そりゃ、まあ、霊剣士なら入ることはできるが……」
言いながら検問官は疑いの目を向ける。
「いやしかし、あんたらが派遣されてきた霊剣士ってんなら、この街に魔獣がいることは知っていないとおかしいじゃないか」
その通りだ。下手な嘘をついたところで、検問を通れるわけがない。しかしアルシャは引き下がらなかった。
「直接要請を受けた霊剣士ではありません。旅の途中で通りがかったんです。霊剣士なら数は多いに越したことはないでしょう。それに、依頼した霊剣士の到着が遅れているなら、私たちが一足早く問題に対処できます」
「まあ、確かにそうだが……ううむ」
腕を組んで唸る検問官。ごほん、と一つ咳払いをして目つきを険しくさせた。
「霊剣士だから街に入れてくれ、と言われてホイホイ従うわけにはいかないんだ。そんなことをしてたら『自分は霊剣士だ』っつう言葉が通行証になっちまう。そんな奴らを街に入れちまったら、罰せられるのは俺たちなんだ」
そうだ。厳しい規則があるはず。それを破るなんてとんでもない。
アルシャも浅はかだな、とアキラも呆れるが、
「だからせめて、あんたらが霊剣士であるっていう証拠でも見せてもらわんとな」
おい、おっさん。柔軟な対応はやめろ。
「な、ないですよ。そんなの。ね、アルシャ? ここは言うことを聞こう?」
身分証なんて持っていないし、ましてや霊剣士なんてものじゃない。証拠を出せと言われて出せなかったら、それは詐称ということになる。
問題を起こさないように引き下がろうとするアキラに対し、アルシャはどこまでも挑戦的だった。
「これが私が霊人であり、彼が霊剣士であることの証です」
アルシャはアキラの腕を奪うように素早く掴むと、検問官の目の前にかざした。バルス状態の二人の手の間から、にょきにょきとあのフランベルジュが生まれてくる。
目を見張り、おお、と感嘆の声をあげたのは検問官だ。
「ふむ――。確かにこの力は紛れもなく霊人のものだ。霊剣士ってのは本当みたいだな」
「いや、霊剣士って、僕はそんな大層なものじゃ……アルシャ、いきなり何をするんだよ」
文句を伝えるが、彼女は聞く耳を持ってくれない。
「これが証になりますか?」
「なるわけないだろ。大体僕は霊剣士ってのが何なのかすらもわかんないのに」
しかしアキラの抗議は届かない。検問官はアルシャではなくアキラに対して怪訝そうな顔を向けてくる。その目が「おかしなことを言うやつだな」という心中を物語っていた。
「霊剣士ってのは、魔獣を討つため霊人と組み超常の白銀をもって戦う騎士たちのことだ。その霊銀がなによりの証だろう。よし、そこで待っててくれ」
「あっ、ちょっと待っ!」
検問官は近くの同僚に近付くと何か耳打ちする。その間にアルシャは同調を解いて霊銀を崩してくれたが、彼の誤解を解きに走るにはわずかに時間が足りなかった。
検問官は同僚を下がらせた後、すぐに戻ってきてにやりと笑う。
「わかった。建前上は出ることも入ることも禁止ってことになっているが、目的は魔獣呼応者を他の街に移動させないためにしていることだ。本人が危険覚悟ってんなら、俺たちは中に入ることをそこまで厳しく取り締まるわけじゃない。それが依頼したやつとは違うとはいえ霊剣士だってんなら、さっさと魔獣を倒してくれりゃこっちとしては御の字だしな」
何か流れがとんでもなくよくない方向に向かっている。
「あのっ、でも規則で入れないんじゃ……それに僕は」
「あん? アンタ、入りたいのか入りたくないのか、どっちなんだ? もう入門手続き進めちまったぞ。また撤回するとなると、面倒なことになるんだが……」
「うぇえっ? いや、その……決まりを破って僕らだけ入ってもいいのかなって」
「はっはっは。そうか、あんた、まだ駆け出しなんだな。ビビるのもわかるが、しっかりしてくれよ。俺たちはお前たち霊剣士を頼りにしてるんだからな。はやく街の人間たちを安心させてやってくれ」
「ち、ちが……」
「ただし、一度入ったら魔獣騒動が解決するまで出られないことは覚悟してくれ。街の解放を訴える市民たちが目を光らせているから、誰かを外に出したってバレたらそれこそ暴動でも起こされかねん」
「かまいません。中に入れてください」
と、アルシャはまたも勝手に返事をする。
「嘘だろ……」
「よし。だが名前だけは控えさせてもらうよ。あとで市長に報告せにゃならんからな」
名前を聞き出しそれを紙切れに書き下ろすと、検問官は詰め所に書類を届けに行った。書かれた二つの名前を見て、アキラはどちらが自分の名前なのだろうなんてことをぼんやりと現実逃避をするように考えていた。
二人が取り残され、アキラはアルシャに詰め寄る。
「アルシャ、どうしてあんな嘘をついたんだ? 僕が霊剣士だなんて」
「そうしなきゃ中に入れなかった、でしょ?」
「いや、そうかもしれないけど。そもそもわざわざ危険がある街の中に入る必要なんてないだろ。僕たちはフェレスラリアに行けさえすればいいんだから」
アキラからしてみれば一度入ったら出られない街に立ち寄るなど無駄足以外のなにものでもない。
アルシャはしばらく考え込んでいたが、やがてぽつりと。
「私はどうしてもこの街に入る必要があったから」
「どうしても? それはなんでなんだ?」
「それは……今は言えない。でもわかって」
「それじゃあ納得なんてできないよ。ただでさえ人を騙して入るようなものなんだ。僕にだってそれくらい知る権利はあるんじゃないか」
「アキラが乗り気じゃないのはわかってる。でも……いずれちゃんと話すから」
詰め所のドアから半身を覗かせた検問官が手をメガホンにして言ってくる。
「おい、あんたら。門を解錠したから早く通ってくれ。あんまり長い間開けてると市民たちが文句を言ってくるんだ。街の案内はいるか?」
「わかりました。案内は不要です――行きましょう。アキラ」
遠ざかっていくアルシャの背中に向けて、アキラは聞こえない程度の声量で文句をこぼす。
「まさか本当に僕に魔獣退治なんてさせるつもりじゃないだろうな……」
霊剣士という称号がついているからには、人間側もそれなりに鍛錬を積んできた戦士だからこそなれるものだろう。魔獣のことすら知らなかったアキラに、いくらなんでも退治までさせるとはさすがに考えにくい。
そうなると、アルシャには魔獣とは別の思惑があると考えるのが妥当だろう。
それはなんだろう。アルシャの目的。思えば、タルキスにいる間から、アルシャは何か目的があって旅をしている様子だった。
タルキスでは自分が霊人であることを隠しておきながら、コルトリの検問ではあっさりと明かしたことも気になるところでもある。
彼女の言葉の端々にヒントがないか思い出しつつ考えていると、頭がズキズキと痛みだした。
考えすぎのせいじゃない。覚えのある痛み、天使の罰だ。
検問での身分詐称。自分の戸籍すらない異世界であっても、自分を偽ればそれは人を騙したことになり天使の罰の対象になる。
自分からやったわけではない。アルシャに道連れにされただけだ。なのに、天使はアキラにだけ罰を与える。
とはいえ罪の程度は軽いものと見做されているのだろう。症状はあの時とは雲泥の差で、目の前が白くなるような痛みではない。
「くそ……」
中途半端な痛撃は黒い感情を呼び起こすものらしい。先を歩く薄い白紫の髪を揺らす華奢な後ろ姿に向ける視線が、無意識にも鋭くなる。
不条理に悪態をついても状況は悪化していくばかりだ。こんなことで本当にフェレスラリアまで無事に行けるのか。嫌な予感しかしない。
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