異世界悪魔×××と人工天使×××、それとアキラ


 夢を見ているような気がした。でも何も見えなくて、何も聞こえない。


 自分の意識だけが暗闇の中にぼんやり浮かんでいるような、そこは曖昧な場所だった。


 唯一感じることができたのは、なんだか懐かしい、温かさだ。


 炬燵に心が包まれてるような、離れがたい温かさ。


 このまま溶け合っていきたいなって、そう望んだら、いつの間にかその夢は終わっていた。






 煦煦たる陽の光が目に当たって熱を与えてくる。


 乾いた目玉を閉じるのに少し苦労していたら、自分はいつの間にか目を開いていたのだとようやくわかった。


 意識がワンテンポ遅れて再起動する。


 どうやらいつもとは違う部屋にいるらしい。メイリンの食堂の一室でも、雑居房でもない。


 雑居房にはなかったはずの柔らかいベッドの上に寝かされている。上半身を起こして窓から見えたのは、タルキス村ののどかな風景だ。


 しばらくの間ベッドの上でぼうっと過ごしていたら、ノック音がして返事もまたずに扉が開けられた。


 部屋に入ってきたのはハンスだった。


「ハンスさん」


 アキラが声をかけると、彼は少し驚いた顔をしていた。アキラが起きていると思っていなかったのだろう。


「アキラ、起きたのか」


「はい……」


「無理をするな。今、水と粥を取ってくる」


 すぐに引き返したハンスの背中が廊下の奥に消えるのを、アキラはただじっと見つめていた。


 ハンスの持ってきた食事を、アキラはそれこそ丸呑みする勢いだった。ただの水がとてつもなく旨い。


 あれだけ吐いたのだ。おそらく脱水症状直前だったのだろう。


「落ち着いたか」


「はい。ありがとうございます」


「随分苦しんでいたようだが、まだ痛むところはあるか?」


 不思議なほどにあの頭痛はさっぱり消えていた。受け答えも普通にできる。


 喉元過ぎれば、ではあるが、赤面したくなるほど無様な姿を曝していたような気がしてちょっと気まずい。


「いえ。もう大丈夫です。……それより、あのあとどうなりましたか?」


「あの男は重傷だったが、辛うじて命は取り留めたよ」


「そう、ですか」


 よかった、と考えるべきなのだろうか。


「話は聞いている。あの偽宣教師がアキラを襲ってきたんだろう。男の容体が安定したら俺たちで身柄を拘束して、しかるべき対応をするつもりだ。領地の役人にももう連絡を送っている。もう襲われることはないから安心していい」


「なら、僕にも同じように処分を検討してください」


「アキラ?」


 一体何を言い出すのか、とハンスの顔が言外に主張していた。


「僕は人を傷つけたんだ。僕はすぐにまたあの雑居房に入るべきです。本当は今ここにいるのもおかしいんだ」


「……アキラ、君は変わっているな。自分からそんなことを言い出すなんて。だが、そういうわけにもいかないんだ。アキラを留置から解くよう命令が出ている」


 思わぬ事実を明かされて、今度はアキラの目が白黒する番だった。


「命令? 誰から……?」


「アキラと一緒にいた女の子だよ。あの旅人のな」


「アルシャが? そうだ。よかった。無事だったんだ」


 いまさらになってアルシャの身を案じた自分が恥ずかしかった。彼女もきっと怒っているに違いない。乱暴に置き去りにしてしまったことを、謝らないと。


「でも、彼女がどんな権限で……?」


 ハンスの話が事実なら、彼女は旅の身でありながら、立ち寄った村の人間に命令できるだけの立場を持っているらしい。


 富豪や領主の娘とか、何かしら権力者と繋がりがある身分なのかもしれない。


 予想はどれも外れていた。ハンスは気まずそうに、ぽつりとこぼす。


「彼女は、霊人だ」


「レイジン?」


 聞き慣れぬ単語に、アキラは同じ音を繰り返す。


 麗人、と言っているのかと最初は思った。アルシャは確かに美しいけれど、どうやらハンスの意図する意味合いは全く異なるようだ。


「霊人の要請である以上、俺たちは断れない。それが盟約だからな」


 常識のように言われてもアキラには理解できない。


「とにかく、歩けるなら一緒についてきてくれ。あの子もアキラに会いたがっている」


 どこか焦っているハンスに否が応でも急かされて、アキラはベッドから降りた。


 だがアルシャに会うならいい頃合いだ。あのとき一緒にいた彼女なら、何か起きたのか知っているはずだから。






 アルシャはメイリンと一緒に見慣れた食堂にいた。


「アキラ!」


「アキラくん!」


 二人の美女が心配そうな顔で駆け寄ってくるという経験は、後に先にもこのときだけだろう。


 本来なら泣いて喜ぶようなシチュエーションだが、アキラはまず先にアルシャに顔を向けた。


「アルシャ、ごめん。放っていなくなったりして」


「ううん。それより、もう大丈夫なの? ずっと苦しんでたって聞いて、怪我したんじゃないかって」


 数秒悩んだが、天使の罰のことは今は話すべきではないだろうと思い適当に誤魔化した。


「僕はもう平気だよ」


「ならよかった」


「アルシャちゃん、ずっと落ち着きなくって何度も私にアキラくんはいつ戻ってくるのかって聞いてきたのよ」


「メイリンさんっ」


 メイリンのからかう声に慌てるアルシャも可愛らしく、微笑ましい光景につい口元も綻びかけるが、アキラにはそんなのほほんとした優雅な時間を過ごしたいと思える精神力がまだ戻っていなかった。


「アルシャ。あの時、一体何が起こったんだ? 気づいたら僕の手には剣が握られていて、あの偽宣教師を、さ、刺していたんだ……」


 説明しようとして記憶が掘り起こされ、語気が弱くなる。


「隣にいたアルシャなら何か気づいていたんじゃないかって思ったんだ。でも僕にはまったく自覚がなくて。なんでもいい。客観的にわかったことはないかな?」


 何か少しだけでもヒントがあれば。そのくらいの気持ちで訊ねたことだったが、アルシャの次の言葉で、アキラは凍り付いた。


「わからないのも無理はないと思う」


「え?」


 アルシャの言い方は、刺した者と刺された者、それを見ていた傍観者としての言葉とは思えなかった。


 それよりも、もっと近い――


「――力を使ったのは、私だから」


 自分の耳を疑って、聞き間違いじゃないと今度は自分の頭を疑った。 


「意味が、わからないよ。君はずっと僕の腕にしがみついていただけじゃないか」


「私は霊人、なんだよ。アキラを助けるには、あの方法しかなかった」


「違う。僕が言いたいのは、どうして僕があの偽宣教師を刺さなければいけなかったっていうことで」


「でも、そうしなきゃ、アキラが――」


 しつこくアキラのためだと食い下がるアルシャに、アキラは我慢できず叫び返していた。


「そんなことはどうでもいいって言ってるんだよ‼‼」


 キン、と自分の叫び声で耳鳴りすらした。それは他の三人も同じだったのか、威迫されたように押し黙る。


「アキラ、くん? 急にどうしたの?」


 急変したアキラに、メイリンがなだめるように恐る恐る訊ねる。


 対してアキラは、激昂する自分を抑える余裕もなかった。


「殺されても……それでもよかったんだ! 僕の方が悪いんだ。彼を先に侮辱をしたのは僕なんだよ! 彼には僕を殺す正当性があった! 彼は僕を殺してもよかったんだ!」


 アキラにとっては自分が殺され死ぬよりも、天使の罰を避けることの方が大切だった。


 それがアキラがこれまでしてきた生き方だったし、転移前はそれこそが望んでいたことでもあった。


 皆が一様にアキラの主張を理解できないという顔をしていても、アキラは止まらない。


「僕が知りたいのは一つだけだ」


 アルシャの目を真っ直ぐに見据え、アキラは声量を抑えて重ねて訊いた。


「はっきりと教えてくれ。どうして僕があの宣教師を刺さなければいけなかったのか」


 一拍置いて、アルシャは静かに宣言する。


「私が、アキラにさせた」


 アルシャもまた、そのことに後ろめたさを持っていない。それが自分のできることだったのだと、誇りすら感じられた。


 聞き間違えることもありえないほどくっきりした口調で言い放った彼女の言葉を聞いて、アキラは自分の頭が晴れ渡っていくような気すらしていた。


「それが霊人とやらの、力ってわけか」


「ええ、そうよ。霊人には人間の身体に力を流し込んで操る術がある。あのときアキラが逃げようとしなかったから、私が咄嗟に術を使ってアキラから剣を作ったの」


 そうだ、それだよ。それが知りたかったんだよ。


 あまりにも簡潔すぎる説明。そのためにどれほど頭を振り乱し壁にぶつけて答えを求めていただろうか。


「……っふ、は、はははっ」


 こんなことってあるか? 


 命の重さすら異なる世界に放り込まれて、それでも自分の中の倫理は変わらない。


 幼少時から人工知能にインプットされ続けた道徳やルール。


 それを一欠片も乱すことなく生きることを強いられた人間の苦しみなど、この世界の住人にだって理解されようはずがない。


 それでも、それがわかっていながらも、アキラは決めつけずにはいられなかった。


 アキラの脳を矯正するため罰を与える人工知能リーゼが天使なら、


 アキラの肉体で武器を生み出し人まで傷つける霊人のアルシャは、



「君は悪魔だ! 僕のっ、悪魔だっ‼」



 アルシャの可憐な顔が不快そうに歪んでいくのを見るのは、正直なところ痛快ではあった。


 目を険しくさせ見つめ合う二人をとりなすように、ハンスが間に割って入ってくる。


「落ち着け、アキラ。混乱しているのはわかるが、そんなに感情をぶつけていいものじゃない」


「でもっ……」


「それに、まだアキラには伝えなきゃいけないこともある」


「まだ、他に何かあるって言うんですか……?」


 ハンスが言い出しづらそうにアルシャに目配せする。


 それを受けて、アルシャが切り出した。彼女はすでに平常を取りもどしたようで表情に起伏はない。


 自分を律する術に長けているのか、内心がまだ燃えているのかは、わからなかったが。


「アキラには私についてきてもらわないといけないの」


「なぜ?」


「私はこれ以上、ここにはいられないから。アキラにはここから北にあるコルトリまで私に同行してもらうことになる。細かいことは道すがら話すことにするわ」


「嫌だ……僕は君と一緒には行かない」


「お願い。わがままを言わないで」


「わがままなんて言ってない。アルシャに僕を強制できる権利なんてないはずだ」


 その主張はハンスに否定された。


「申し訳ないが、アキラ。君を解放したのは交換条件もあったからなんだ。村で刺傷事件を起こした以上、君をここに無条件に置いておくわけにはいかない……わかってくれ。本来なら領主側に引き渡さないといけなかった。でもそれは霊人との盟約で無効にできる。彼女の提示した条件とは、君を解放する代わりに、彼女と一緒に村から出て行ってもらうことなんだ」


「そんな……!」


「君が本当の悪人ではないことはわかっているが、仕方のないことなんだ。霊人と人間の間にはある盟約が交わされている。俺たちはそれを破れない」


「盟約って、なんですか、それ……」


「本当に何も知らないんだな。ああ、いや。思い出せないだけか。霊人というのは王国でも扱いが特殊なんだ。人間は彼女たち霊人の行動を制限できない。リリナス王国には霊人を裁く法が存在しない」


「つまり、彼女は人を傷つけても罪には問われない?」


「限度はあるが、まあ、極端に言えばそういうことだ。霊人は霊人同士の法規でしか縛られない上、人間に対しては人間の法律を越えた権力を行使できる場合もある。一方的に見えるかもしれないが、その代わり人間も霊人から恩恵を受けている部分もある。それを可能にしているのが、霊人と人間の間で取り交わされた、アトヴァルグ盟約と呼ばれるものだ」


 人間には人間の守るべき倫理と法規がある。天使はそれを破ったことを決して赦しはしない。なのに悪魔は人間の法律に囚われない、だって?


「俺たちも彼女が霊人だったと知って驚いている。本来はこんなところに一人でいることがおかしいくらいの存在なんだ。今回のことがなければ、俺たちは彼女がこの村を発つまで霊人と気づかず人間として扱っていただろう」


「だからって、いまさらそんな……」


「でもな、やっぱり怖いんだよ。知ってしまったら」


 反論しようとするアキラを遮って、ハンスは力強く言い放った。


「この村は人口は多くないし、クイの実の特産物だけで生きている小さな集落だ。それでも平和で穏やかな生活を保っていられるのは、みんな一様にひとつの思いがあったからなんだ」


 超法規的な存在がひとたび村で騒ぎを起こせば、最悪村の住人や資源だけが費やされる自体になる可能性もあると、ハンスは語る。


「魔人や霊人が人間の集落で何かを起こせば、王都や都市が動かざるを得ない。そうなれば当事者である村の人間たちは、お上からも振り回され疲弊することになる。下手をしたら処罰だって与えられかねない」


 彼の語り口は、霊人や魔人の存在をまるで災害のように扱っていた。


「魔人と霊人。俺たちこの村の人間は、人間を超越する力を持つ彼らに極力関わらないように生きていたいんだ」


 ここにきてようやくアキラにも一連の流れが理解できた。


 タルキス村は一刻も早く霊人と縁を切りたいが、当の霊人アルシャは盟約を根拠にアキラとともに村を出ることを交換条件にした、ということだ。


 でも、なぜ自分まで巻き込まれなければいけないのか。タルキス村が魔人や霊人とやらと関係を持ちたくないなら勝手にすればいい話ではないか。


 アキラは今まで悲しげに話を聞いていたメイリンに目を向けた。きっと彼女なら話を聞いてくれると思って。


「メイリンさんっ、僕は、もっとここにいたいんだ! いいでしょう? なんでもしますから!お店の手伝いだって、畑仕事だって!」


「アキラくん…………」


 メイリンは口を引き結んで、気まずそうに顔を背けた。


「どう、して……」


「…………ごめんなさい」


 優しいメイリンさんにまで拒絶されて、アキラはそれ以上何も言えなくなっていた。


「すまない、アキラ。偽物とはいえ魔人信教徒を追い払ってくれたアキラに皆感謝はしている。姉貴もアキラが悪いようにならないようにずっと抗ってくれたんだ。でもわかってくれ。これは村の掟、規則なんだ」


 規則、という言葉の意味をアキラがどう受け止めるかまでは、ハンスは知らなかったに違いない。


 だが意図せずその言葉は、アキラへの決して後戻りできない死刑宣告にも等しいものになっていた。


 歯を食いしばり、縋るように目で訴えかけるアキラからハンスも顔を逸らし、手近なテーブルに置いてあった一抱えほどの革袋を手に取って差し出した。


「村の皆には俺から伝えておくよ。ここに、野営に必要な道具は揃えておいた。迷い込んできたアキラにこんなことを言うのは酷だとわかっているが……願わくば、他の街で穏やかに生きる術を、どうか見つけてくれ」













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