太ももまで裾がある服って素晴らしい(3)


 二人は一度メイリンの営む食堂に戻り、腹ごしらえすることにした。


 食堂の扉を開けて中に入ると、メイリンはカウンターの席で裁縫仕事をしていた。


 アキラが帰ってきたことに気づき、くるりと振り返る。


「あら、おかえりなさい。アキラくん。丁度よかったです。もうすぐご飯の準備をするから、ちょっと待っていてね」


「いつもすみません」


 そう答えたアキラの後ろにアルシャも立っているのを見て、メイリンは驚いていた。


「あらあら、あなたも一緒なのね。今日は何か食べていきますか?」


「はい。お願いします」


「今片付けちゃいますから、テーブルで待っていてね」


 メイリンはアルシャに笑顔で返事を返すと、カウンターテーブルの上に拡げていた裁縫道具を纏めはじめる。


 その中に、見覚えのある服があった。


「あ、それは」


「ええ、アキラくんがくれた服の意匠を真似してみようと思って、試しに作ってみてたんです。まだまだ完成には程遠いですけど」


 はにかむメイリンの手元には、アキラが着ていたドクロプリントシャツを模倣しようとしたものがあった。村中中二センスシャツ化計画は絶賛進行中らしい。


「はは……」 


「なあに、それ?」


「っいや! 何でもない! メイリンさん早くそれしまってください!」


 アルシャが覗き込んで見てくるのをアキラは咄嗟にガードした。さすがにあれが自分の服だとバレるのはこれまでの好印象ポイントがマイナスまで振り切れる気がする。


「はいはい」


 その反応を面白がって笑うメイリンは手早く裁縫道具をしまい込むと、手近にあるお盆を手に取り、アキラの横からそそそと近寄ってくる。


「そ、れ、よ、りっ」


 お盆で口元を隠してアルシャに聞こえないようにしながら、メイリンがぐいぐい顔を寄せてきて耳打ちしてきた。


「お似合いですよ。応援してますからね。うぷぷ」


 にやにやと目を細めて言ってくる。「隅に置けないですねぇ、このこの」とか言い出しそうな雰囲気だ。


 こういう他人の恋愛模様も、この村では格好のエンタメになっているのだろう。メイリンはにやける口角を抑えられないといったように口を震わせていた。


「え、ええっ! そ、そんなんじゃないですよ。彼女は、僕にいろいろ教えてくれただけで」


「いーんですよ。ここはお姉さんに任せておきなさい」


 魅惑的なウインクを残し、るんるんで厨房に消えていくメイリンさん。


 隣ではアルシャが「どうしたの?」と不思議がっていたが、アキラは引きつった笑みで誤魔化しつつ適当なテーブルまで彼女を先導した。





「お昼にしては、ちょっと、量が多いような……」


 テーブル一杯に広がる料理を前にして、アルシャも唖然としていた。


「メイリンさんが張り切ってくれたんだ。お客さんであるアルシャが僕にいろいろ教えてくれたお礼だって。だから料金も気にしなくていいって言ってくれたよ」


「え、でも……。そもそも私がアキラにお礼をするつもりだったのに」


 困惑顔のアルシャ。そんな一面もたまらなく可愛いくてこのまま見ていたい気持ちもあるが、いつまでも戸惑わせているわけにもいかないか。


「気になるなら、後で僕がメイリンさんに何かお礼をしておくよ。手伝うことはいっぱいあるし。だからアルシャは何も気にしなくていいよ」


「でもそれじゃあ、結局アキラが最後に何かすることになるじゃない」


「え、別にいいよ?」


「だって、私はアキラがあの偽宣教師を止めてくれたから、こうして一緒にいるんだよ?」


「ん? 僕があれを止めて、そのお礼にアルシャが僕に教えてくれて、そのお礼にメイリンさんがアルシャにご飯をご馳走して、そのお礼に僕がメイリンさんを手伝う……あれ? 変だ?」


 指折り数えるアキラがおかしかったのか、アルシャの表情も楽しげに崩れる。


「本当に、変な話ね」


 くすくす笑うアルシャに見惚れて、アキラは二の句が継げなかった。


 何を喋ったらもっと笑ってくれるだろう。もっと彼女の笑顔が見たい。


 でも、何を言えばいいかわらない。ヘタなことを言ってがっかりされたくない。葛藤が喉元まででかかった言葉を何度も押し返す。


(会話下手かっ!)


 まごうごとなき会話下手なのだが、アキラは自分へのツッコミばかりが頭に浮かんで何も気の利いたことを言えない。


「じゃあ、お言葉に甘えて……。あ、これおいしいよ。鴨肉のローストに乗ってるソースは何かしら。こっちのサラダもしっかり味がついてるし、うん、香茶もそうだったけど、ここの料理がこの村で一番おいしい」


 アルシャの感想に逐一返答しようにも「あ、こっちにも鴨っているんだ」とかそんな口に出せないことばかり頭に浮かんで、あぐあぐと口をまごつかせるアキラ。焦りも重なってきて、味もわからなくなってきた。


 やばい。なんとか場を繋がなきゃ。


「ほんとだね。これなんかも……」


 咄嗟にオリーブに似た実を口に放り込み、咀嚼で沈黙を誤魔化そうとしたものの、


「おぷっ、うげっ、なんだこれ、もの凄く苦い……」


 えらく苦いものを噛んでしまった。口に広がるえげつないえぐみ。嘔気に頬が膨れ吐き出したいほどだが、美少女の手前、醜い姿をさらすわけにもいかず思い切って飲み込んだ。


 その様子に、アルシャは目を丸くさせて驚いていた。


「それはクイの実を発酵させて熟成したものよ。ナイフで少しだけ削って料理のアクセントとして使うもので、丸ごと食べる人、初めて見た」


「あ、そうなの? 知らなかったよ……」


 要は調味料だったらしい。異世界版の苦いワサビのようなものだ。


 それを慣れない舌で丸ごと飲み込んだのだから、異世界人から見れば仰天するのも当然だろう。


「というかアキラはタルキスにいるのに知らなかったの? ここの特産品なのに」


 クイの実自体は何度か食したことはあったものの、こういう使い方をした料理は初めて食べたのだ。知らないのは当然とはいえ、アルシャの疑問ももっともだろう。


 ここまで来たら誤魔化すのも無理があるか。


「あぁ、えっと。実を言うと僕は厳密にはここの人間じゃないんだ。事情があってメイリンさんにお世話になってるんだけど、本当はまだ村のこともよくわかってなくて」


 全てを話せるわけじゃないが、それでも彼女は察してくれたようだった。


「そうだったんだ。ごめんね、無神経なこと言っちゃったかも」


「いや、いいんだ。よく知らなかった僕が悪いんだし。ほんと、はは、広場にいたときからなんかかっこ悪いとこ見せてばっかりだ。情けないや」


 義憤は空振り、鼻水垂らして、無知を曝す。可愛い女の子を前に、失態の連続。アキラもさすがに肩が落ちる。


「……そんなこと、ないよ」


 彼女はおもむろにクイの実のヘタの部分を指で掴むと、そのまま口元に持っていく。


 それがどれだけ苦いのか知っているのか、躊躇いがちに二度ほど「ん、んー」と口を近づける。


「アルシャ?」


 何をしようしてるのかわからなくて問いかける間に、彼女は意を決して一囓り。


 数秒、目をぎゅっと瞑り、淡い色の小さな唇を噛み締め、「……ふっ、ふくっ……」っと抑え込むようにその苦さに耐えていた。やがて苦味の波が引いたのか、 


「っふ、ふふふ。苦い、ね?」


 そう言って、ちょっと涙目で笑いかけてくる。


「っふ、ふぅぅぅぅぅん……!」


「どっ、どうしたの? 顔が……苦いの思い出しちゃった?」


 突然顔面崩壊したアキラに、アルシャも心配顔。


「いや、違うんだ。なんでもない。気にしないで。ちょっとあまりの尊さに自分の顔面を平常に維持できなくなっただけだから」


「よくわからないけど……ふふ、面白いことを言うのね、アキラって」


 アルシャはアキラの失敗を彼だけの恥にさせないように、自分まで囓って苦い味を共有してくれたのだ。


 もはや天使の生まれ代わりだろ、この子。





 メイリンさんの料理はアキラも奮闘したものの、さすがに二人で食べきれる量ではなく、残った料理はアキラの夕飯になることになった。


 食事の後はまた二人で雑貨屋に戻り、アルシャは「アキラが損をしないように」とアキラの勉強に付き合ってくれた。


 こんなに可憐で心優しい少女と食事を共にしているだけでも舞い上がるのに、一日中同じ空間で時間を過ごせるなんて、異世界に来た甲斐があったというものだ。


 陽も落ち始め、二人の勉強会は終わりを告げる。


 アキラはアルシャが滞在しているという村の簡易宿泊施設へ彼女を送り届けること申し出た。


 アルシャは申し訳なさそうに遠慮していたが、アキラの熱意に押されたのか、最後には照れくさそうに頷いてくれた。


 その道行きで。


「へえ、王都にはそんな巨大な廻因鉄を使った建物があるんだ」


「そう。一番象徴的な建物よ。私も一度見たことがあるけど、圧巻だった。アキラもきっと驚くよ」


「そっか。僕も見てみたいなぁ……」


 二人並んでそんな話に花を咲かせながら村の閑寂な通りを歩く。夕方になると、道ばたに生えているこの異世界特有の幻想植物が、赤や青の淡い光を発して道を彩ってくれる。


(こっ、これはデートだと見做してもいいんじゃないだろうか……!)


 アキラは謎の達成感でこっそり渾身のガッツポーズ。


 このわずか一日で、アキラが高校生のうちに異性としたかったことベスト5の内、三つをいとも簡単に達成してしまった。


 一緒に勉強して、ご飯を食べて、そして一緒に帰る、の三つだ。


 残りの上位二つは達成したときに明かそう。誰にともなく宣言して、アキラはニヤけ顔が止まらない。


 村人たちは揃って夕飯に挑んでいるらしい。通りには他に誰もいない。時折建物の中から談笑が聞こえる。人の温かさがあるのに、他に誰もいない。


 二人しかいないのに、寂しくない。なんだか雰囲気があっていい。


「そういえば、まだアルシャの旅の理由を聞いていなかったけど、どうして一人きりで王国中を旅をしてまわってるんだ?」 


 軽くなった口で、そんなことを聞いてみる。自分がどこから来たのかと訊かれるのが怖くて、アキラもまだ彼女からは出身や旅の目的を訊けていなかったのだ。


 それでも今訊いてしまったのは、自分の素性もあやふやなくせに踏み込んだ質問を一方的にする危険性よりも、アルシャへの興味が勝っていたからだろう。


 そしてそれ以上に、旅人の彼女にまだ出発せずにしばらくはここに滞在していて欲しい、という願望も多分に含まれていたのは間違いない。


「うーん。教えてあげてもいいけど、そうしたらアキラも一緒についてこなきゃいけなくなっちゃうよ?」


「ええっ?」


「あは、うそうそ」


 冗談めかして言う彼女に、アキラはそれもいいな、なんて無責任に考えてしまう。


 ふいに、アルシャがいたずらっ子のように駆け足でアキラの十メートルほど先に進み、またくるんと振り返った。


 彼女の背には夕日に焼けた赤い雲が広がっていて、アルシャのラベンダーのような髪をきらきらと輝かせていた。


 その絵画のような美しさを前に、アキラの足も自然と止まる。


「アキラ、聞いてくれる?」


 真っ直ぐ見つめてくるアルシャに、アキラも息を呑んで頷いた。


「ほんとは、私はね――」 


 そこまで言って、彼女の表情が、急にすとんと落ちた。


 視線がアキラを越えて通りの奥に向いている。アキラもつられるように後ろを振り返った。


 アルシャとアキラが離れているのと丁度同じくらい後方の位置に、黒い影が立っていた。


 影に見えたのは、夕日で伸びたアキラ自身の陰が重なっていたからだろう。よく見えるようにアキラが身体をずらすと、そこにいたのは、


(あの人は、昼間に広場にいた……)


 黒ずくめの外套。特徴的な司祭帽。昼間の格好と変わらない偽宣教師がそこにいた。


 しかし、纏っている雰囲気が明らかに違う。


 息を荒げ、両目は瞬きを忘れたかのように血走って見開き、歯茎を剥き出しにしてアキラを睨んでいた。


 最も異なるのは、右手には棍棒ではなく、鈍く銀色に光るナイフを握っていることだ。


「見つけたぞ……クソガキ。殺してやる、殺してやるぞ! 吾輩に、あんな恥をかかせおって!」








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