太ももまで裾がある服って素晴らしい(2)


 アルシャと連れ立って辿り着いたのは、村の端の方にある古びた雑貨屋だった。


「こんにちは、おじいさん」


「おお、お嬢ちゃん。また来たんだね。ゆっくりしておゆき」


 アルシャが挨拶をすると、禿頭の店主は目を細めて二人が入ってくるのを迎えた。


「じゃあアキラ、行きましょ。本棚は奥にあるから」


 と慣れた様子で導くアルシャに、アキラは訊ねる。


「随分親しいというか、慣れた感じなんだね。前にも来たことあるの?」


「私は滞在する街や村に入ったとき、まずは雑貨店を探すの。そこで旅の間に消耗した日用品を補充したり、売っている品揃えを見て住民の生活レベルを知るのに役立てるんだ。ここには何度かお世話になったの」


「へー。旅人の生活知識ってやつか。さすがだなあ」


 言うと、彼女は大袈裟だと言わんばかりに軽やかに笑う。


「そんな大層なものじゃないわ。でも、ありがとう」


 タルキスにあるこの雑貨店は、村人たちが使い古した農具や日用品を使い回すリサイクルショップのような場所だ。


 奥には家具類と一緒に詰め込まれた本棚がいくつか据えられており、ジャンルも大きさもバラバラな本がその中に雑多に収められていた。


 光の乏しい屋内で、アルシャは記憶に頼りながら目当ての本を探しはじめる。


「えーっと、確かここらへんに……あ、あったあった」


 引き出した本の埃を払ってから、アルシャは近くの机の上で広げた。そこには、何本もの曲がりくねった線で表現された、オル・リリナス王国の全土が載っている。


 彼女はさらに懐から小さなリングを取り出して、机の上に置いて回転させる。するとリングの中心に白い光が浮かび上がった。廻因鉄のテーブルライトだ。


 机を挟んで向かい合うように光に照らされた本を覗き込んで、地図の中心部をアルシャの細い指がちょんと突く。


「ここがオル・リリナス王国の中心である、王都リリーン。私たちがいるのはこの辺り。昔からこの一帯は国王から任命されたアウグリオ家の当主が管理しているの」


「王都って、そんなに遠い場所にあるんだね」


 アルシャが指さした大陸の中心部と、その南の一点を見比べてそう感想を漏らす。


 縮尺比のない手書きの地図ではどの程度の広さを持つ国土なのかがわかりにくいが、少なくともオーストラリアくらいはありそうな印象だ。


「うん。ここからだと馬車でも他の街を経由しながら二、三週間はかかる、かな。多分だけど」


 数字に自信がないのか、彼女は誤魔化すようにえへへと笑う。


「ここからここまでが王国の領土。王国より北の大地は永久樹氷で人は住めなくて、東は海に、南にかけては高い山脈に囲まれてる。唯一陸地が繋がってる西側は魔人が支配しているって言われている砂漠地帯だから、好き好んで行く人はいない、かな」


「魔人?」


「そう。さっきの偽宣教師みたいに魔人を崇拝する人たちが作った街も近くにあるの。最近は魔人信教の力も強まってきて、勢力の範囲も広がってきてるらしいわ。まあそれも魔人が王国内で複数目撃されたって噂のせいもあるんだろうけど」


 と呆れた様子で手を払うアルシャ。話の内容自体は理解できるのだが、アキラは彼女の話し方の中にある違和感に気づき、何度か目を瞬いた。


 彼女の話は、魔人が実在する前提で進められている。


「え、魔人って、本当にいるの?」


 その反応に、今度はアルシャの方が驚く番だった。


「驚いた。知らなかったの? 田舎だとたまにそんな人もいるって聞いたことはあるけど……。じゃあ、それでさっきあんな行動を……あのね、魔人信教徒に食ってかかるなんて、本当はとっても危ないことだったんだよ?」


「マジか……」


 眉根を寄せちょっと怒り顔をつくって叱ってくるアルシャ。そんな一面でも魅力的で見とれていたくなるのだが、それはそれとしてアキラは自分の無鉄砲な行動を素直に反省した。


 やっぱり無知って怖い。村の外の人間に情報を求めたのは間違いではなかった。


 無知による無謀は悪魔の囁きに等しいものだ。


 もしあの宣教師が本物だったら、食ってかかったアキラを敵対勢力と見なし、村ごと襲われる可能性だってなくはない。


 そんなことが起きたら、アキラのせいで惨事を巻き起こしたことになる。無知だったでは済まされない。


「もう……。本当に何もなくてよかったからよかったけど」


 不思議な言い回しで安堵を表すアルシャ。それだけ危ないことだったということだろう。


「魔人が実在するのは事実よ。人間の脅威になっているのもね。王都だけじゃなくて、王国にある都市はみんな頭を悩ませてる」


「き、気をつけるよ。魔人なんて初めて聞いたからさ」


 異世界で下手な騒ぎを起こさないことを信条としているアキラにとって、あの一幕はかなり出しゃばった結果だと言えるだろう。


「一応知っておきたいんだけど、魔人ってどんななの?」


 ラノベやゲームに出てくる魔人と言えば、魔法を用いながら鬼のように凄まじい膂力を振るい、人間に襲いかかる敵として描かれることが多いが。


「それについては中々説明が難しいところでもあるの。彼らは不思議な力を持っていて、人間を惑わしてくる。人間の姿に見えることもあるし、異形の姿をしているっていう話もある」


(魔族、というよりもあまり人前に現れない魔法使いを魔人と呼んでいる感じかな)


 徐々に明らかになっていく異世界らしさのあるファンタジー要素。


 魔法の世界に憧れはあるが、この場合はあまり喜ばしくない相手がそれを持っていると考えた方がよさそうだ。


「アルシャも魔人を見たことあるの?」


「――いいえ。一人では絶対に太刀打ちできないし、会わないように気をつけるべきだけど、そもそも…………探そうとしても簡単に見つかる相手ではないわ」


「うーん、そっか。そんな相手を崇拝してるのが魔人信教ってことなんだな。確かに危なそうだね。あー、ほんとに偽物でよかった」


「――本当に知らないんだ。じゃあアキラは、……も知らない?」


 顔を手で覆って大反省中にアルシャがぽつりと呟いたが、聞き逃してしまった。


「あれ、何か言った?」


「ううん、なんでもない。ひとまず、王国の話を続けるね」


 アルシャの講義が続く。概括してしまうと、この王国はやはり中世時代程度の成り立ちをしているようだ。


 というより、中世風ファンタジーの世界、と言った方が正確だろうか。


 廻因鉄のリングで生活の利便性は上がり、毛織物などの生産にも用いられているが、重工業化までは至っていない。


 タルキスのような小さな村にもこうして本が置かれているところを見ると、都市部では印刷技術がそれなりに発展しているのだろう。


 二年前には建国五百年を祝う式典が王都リリーンで催されたらしい。


 一大王国として成立し建国当時から王室を引き継ぐケンサリウス家が今も続き、王室が盤石であることがわかった。


 現国王は三十二代目カシウス・ケンサリウスだが、あまり民衆の前に姿を現さないことから「潜匿王」の異称で呼ばれているそうだ。


 王国ができるまでは小国同士の戦争もあったが、今は比較的平和な時代が続いているが、西方の飢餓問題が発生して内紛の機運が少しずつ高まってきているなんて話も、アルシャは旅での経験を交えて教えてくれた。


「なるほど。他国から攻め込まれにくい地形をしてるんだ。だから王国として一つに纏まったあとは比較的安定した王政が続いているんだね」


 アルシャの説明を要約してみせると、彼女は顔を上げて不思議そうに見返してきた。


「アキラはどこかの学院に通っているの? すごく物わかりがいいのね。まるで歴史とか地学の学び方を、最初から知っているみたい」


 それは日本の高校に通っていたからというよりも、戦国系や軍事系の擬人化ソシャゲをしていたから、とはさすがに打ち明けなかったが、アルシャに褒められると気持ちがふわりと浮いてそのまま受け取ってしまいたくなる。


 こういうのも美少女にいい姿を見せたい男の見栄の一つなのだろうか。


「はは、ありがとう」


「この村には大きな学び舎はないから、隣町まで行ってるのかしら。ここから最寄りの学院がある街と言えば、北の交易街コルトリか、東にある港町ハルツ……合ってる、かな?」


「いや。そういうわけじゃ、ないんだけど」


「そうなの? じゃあきっと、好奇心が強いんだね。たまにいるんだ。自分が住んでいる場所が物足りなくなって、外の世界に目を向ける人って」


 アルシャはアキラがタルキス村出身だと思っているのだろう。彼女にはアキラが勉強熱心で正義感のある男に見えているのかもしれない。


 彼女が見ているのはアキラの真実の姿ではないが、でも、悪い気はしなかった。


 このときばかりは、自分が物語の主人公になった気分だった。好奇心を溢れさせて、旅人の話に聞き入る冒険者のような。


(服をもらっておいてよかったな) 


 この世界で違和感ばりばりの服装をしていたら、アルシャもここまで親身に付き合ってくれていたかわからない。


 静かで薄暗い雑貨店の中で二人きりで、アキラは王国の歴史と地理を学んでいく。


 しかしその集中の半分は、アルシャに向けられていた。


 直視するのも照れてしまうような美少女と向き合いながら勉強するというのは、予想以上に思考力をもってかれるものらしい。


 顔を前に傾けて視線を本に落としているせいで耳にかけた一房の髪がはらりと落ちて、また耳にかけ直す仕草とか。


 「わかる?」と合間合間に上目遣いで理解を確認してくれるとことか。


 つい目がいってしまうアルシャの仕草に、始終緊張させられっぱなしだ。


「ほら、ここ」


 と言ってアルシャは本の記述を指さすが、アキラの視線は彼女の繊細な指先に視線を向けられる。


 本の内容に集中できないのは、もう一つ理由があった。


 実を言えば、アキラに文字は読めていない。言葉が通じることの不思議さに首を傾げつつも、意思疎通ができる幸運に感謝しながら、これまでそこはスルーしていたのだ。


(これも異世界のお約束、ってやつなのかな。それともやっぱり魔法的な何かが……)


 推測を重ねるが、結局のところ答えを持っている人はいない。今はアルシャの口伝による情報と、いくつかの図形のおかげでこの王国の全容をある程度把握できるだけでいい。


 それでも小一時間も情報の荒波を前にしていると、へとへとになって集中力も切れかけてきた。


 ふと、アルシャが何かに気づいたようにアキラの顔を見上げる。


「あのね、アキラ。鼻水、出てる」


「ぶぉぉっ!」


 やっちまった。


 ティッシュ、ティッシュはないか。困った。異世界にはティッシュがない。


 店内はかなり埃っぽくてむずむずしっぱなしだったのだ。が、まさか垂れるほど分泌していたとは。


 仕方なく服の裾で拭い去る。それでも行儀は悪いだろうが、そのまま垂れ流すよりはマシだろう。


 さすがに好感度は下がったよな、と恐々と顔を上げると、アルシャは、


「ふふ、夢中だったんだね」


 むしろ楽しいことを共有しているかのように、くすくすと笑っていた。


「ふ、ふぉぉ……っ」


 感動のあまり自分でもよくわからない声がでた。


 これで相手がクラスメイトとかだったら、「うっわ、汚なっ」とかドン引きされていたに違いない。


 と、安心していたその直後、今度は気の抜けた腹の音が室内に響く。五秒は止まらなかった。


「……くっ、ぅぅぅ」


 アキラは思わず呻いた。鼻水と腹の音の二連コンボ。なんというかもう、最悪だ。


 そこでアルシャはパタンと本を閉じる。


「そうね。そろそろいい時間だろうし、ちょっとお昼休憩を取ろっか」


 アキラの意図しない精神攻撃にも、アルシャは気にした様子もなくそう提案してくれた。


 是非もない。が、それ以上にアキラは言わずにはいられなかった。


「……あの、本当にありがとう」


「えっ、何が?」








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