間劇 ‐悪魔の随に‐
「もういやだ! もうやめてくれ!」
叫ぶアキラの顔の傍を、自分の頭ほどもある馬鹿でかい獣の爪が掠めていく。
わずかな体重移動でそれを躱したアキラは、捻る体幹で攻めに転じた。
駆ける足は馬よりも疾く、跳ねる姿は猫のような軽やかさにも似て、アキラは常人離れした身体能力で対象に向かっていく。
目の前に聳え立つのは白いバケモノだ。
頭は獅子に似ているが、胴体は霊長類のそれに似ている。肩から自由に動く極太の腕を振り回し、アキラに殺意を剥き出しにしていた。
自分の数倍はある巨軀に対して、アキラの得物は一振りの剣のみ。
しかしそれも、本当に剣と呼んでいいものなのかわからない。
刃はともかく柄までが全て一繋がりの金属でできていて、金属が剣の形を成しているといった方が正確だ。
相手に対してあまりにも貧弱な装備だが、アキラは躊躇いなくバケモノの懐に滑り込んでいく。
だがバケモノにもなかなか隙が生まれない。
人体の数倍はあるであろう体の重さをまるで感じさせず、後肢で地面を蹴ると砂埃を残してアキラの視界から消え去っていた。
視線が追いつくころには咆哮と共に鉄よりも硬い爪がアキラに襲いかかっていた。
「わああああッ!」
剣にバケモノの爪が掠め、火花が散る。
攻勢から守勢へ。瞬時に最適な判断を展開して剣を振り回す。
歪な形の刃を自分の手足が延長されたように自然に使いこなし、その姿は歴戦の戦士の身のこなしを彷彿とさせる。
常識離れのバケモノに対しても、アキラの体捌きは一歩も劣っていない。
ただの高校生でしかなかったアキラが、いまこのときは達人の域に達していた。
足を広げ重心を落とし、地にぎりぎりまで伏したアキラの頭上を、バケモノの腕が風を切って通過する。
バケモノは一瞬だけ、アキラを見失ったように視線を泳がせた。瞬時に身を伏せたアキラが消えたように見えたのだ。
アキラはその隙を見逃さなかった。バケモノの腕の影に身を滑り込ませ、敵の肉体の可動域外から一気に接近し自分の間合いを取る。
バケモノがアキラの姿を視認したときには、もう遅い。
バケモノの肘すら踏み台にし、アキラは宙を舞う。反撃を避けるため、力強く踏み込むと同時、離れ様に剣を薙ぐ。
歪な剣だが、切れ味は折り紙付きだ。わずかに擦ったような感触でしかなかったが、アキラの剣が走った後には、人間であれば重傷間違いなしの傷をくっきりと残していた。
本当は一息でかたをつけるべく首付近を狙っていたのだが、バケモノの反応速度が予想以上だった。
だがそれは、アキラがバケモノと対峙して、初めてつけた小さくない一撃。
与えた傷は致命傷にはならなくともアキラには大きなアドになる。
この優位を維持できれば遅からず決着する。アキラがすべきは自らの意思を律し、油断を見せず柄から決して手を離さないことだ。
なのに――
「やだ……いやだって言ってるのに! これ以上やったら僕は……」
アキラは自分の攻撃が成功したのに、むしろそれ自体が失敗だったというように恐れ戦き、涙を浮かべ、ずるずると鼻水を垂れ、歯をがちがちと鳴らし涎すら零していた。
顔中が自分の汁まみれになりながらも、アキラはそれを拭うことすらせず、手足は流麗な構えをとる。
バケモノには一メートル程度の裂傷はたいしたダメージではないらしい。
アキラを的確に狙ってくる速さに変化は見られない。開いた前腕の爪が、アキラが回避に利用した煉瓦壁を穿つ。
文字通り瓦礫と化した残骸が飛び散ってくるが、アキラは軌道を読み難なく躱していく。
障害物の多い街中で戦闘が開始されたのは、互いに利でも不利でもあった。
アキラにとっては足場が増えることが利だ。建物の壁を含め、身体能力が常人を遙かに超えたアキラには、垂直の壁ですらバケモノの攻撃を避ける一つの道になる。
バケモノにとっての利は、障害物が多い故にアキラが決してここから逃げ出せないことだ。バケモノはアキラを殺すまで止まりはしない。その意思は狩猟本能ではなく、人間的な憎悪の殺意に起因するものだ。
狭い通りの中で、どちらかが息絶えるまでこの戦闘は続く。
アキラはそんな激しい戦闘中にありながら、無意味に叫ぶことを止めない。
「悪魔! この悪魔め! なんで僕にこんなことをさせるんだ! 僕はしたくなかったのに!こんなこと、もう二度と!」
拒絶を叫んでおきながら、アキラの攻勢は緩まない。
抵抗は無駄だとわかっていた。抗ったところで自分には為す術がない。
やがてアキラの剣戟は終局を迎える。
バケモノの脇をすり抜けたと同時、振り抜いた剣が、バケモノの左後ろ脚を腿からばっさりと切り落としていた。
さすがのバケモノも足を失ってはその機動力を大きく削がれていた。
それでも痛みを感じていないように地を這い腕をアキラに向けて伸ばそうとする。
アキラは距離を取ってから屋根ほどの高さまで跳躍し、地面に腹をつけたバケモノの上空へ舞い上がる。
自由落下の中で体勢を整え、逆手に剣を持ち替えた。
切っ先を下に向けられたアキラの剣が、体重と落下速度が加えられ、バケモノのうなじに真っ直ぐに突き刺された。
アキラはさらにそこから身体全体の回転を加える。アキラの剣はバケモノの首の骨と皮と肉を容易に切り裂き、樽ほどもあろうかというバケモノの頭が、胴体から完全に分断された。
達成感はない。
正しいことだと思っていた。使命だとすら思っていた。
なのに、信じていた者に牙を剥かれた。
何が間違っていたのかすらもうわからない。血が流れることを望んだことなんて一度たりとてないのに、状況は最悪へと進み続ける。
今は委ねることだけが、アキラにできる全てだった。
転がる獅子の首が、生命の光を無くした目でアキラを見上げ――
「それでも僕は、僕には――」
――噴出した真っ赤な血を浴びながらアキラは呟き、バケモノの死体の前に立ち尽くしていた。
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