22話 楽園

「──《秘密の部屋へようこそディア・ブラザー》」


 遊津優斗は俺の頭に手を置いて、低い声でギア名をつぶやいた。

 口元をスマートフォンで隠して、内緒話をするかのような囁き声だった。


 青いスマートフォンの画面が光り、優斗の足元から「×印」が広がり始める。

 巣穴からアリの群れが絶え間なく這い出てくるように、×印の数はみるみるうちに増えていった。

 カサカサという不気味な貼りつき音が聞こえてくる。


──このままではまずい!


 俺は優斗のスマートフォンを狙って、ライトグリーン色の光の刃を振った。

 優斗は軽く後ろに跳んで間合いを取る。

 戦い慣れたスムーズな動き。

 負ければ人生の記憶をすべて奪われるゲームなのに、無駄な力みを一切感じさせない。


 ×印は床から壁へ這い上がっていく。

 部屋中にある何もかもを覆っていく。

 サンバースト塗装のエレキギターに、参考書の背表紙に、観葉植物の葉の裏側にも貼りついていく。 

 姿見鏡を横目で見ると、俺の顔にまで貼りついていた。


 そして、×印は天井まで覆い尽くすと、一斉にすうっと消えた。

 貼りついた物の中に溶け込むような消え方だった。



 俺は自分の顔に触れる。

 ×印の貼りついたところを指でなぞっても、アバターの肌の滑らかな感覚しかなかった。

 体が急に重くなったり、皮膚がただれたりすることはない。

 部屋の中で何かが変わった様子もまったくない。


 しかし《小さな番犬》の吠える声はさっきよりも大きくなっていた。

 赤色のスマートフォンの振動も確実に強くなっていた。


──

──「時間が経つことで効いてくる遅行性のギア」なのか、「禁止された行動をしたときに発動するトラップ系のギア」を仕掛けられたのか、あらゆる可能性から絞り込むことができない。


 俺は片手をポケットに突っ込み、ライムミント味のフリスクケースを揺らした。

 視線を動かして、部屋の中で戦いに使える「アイテム」がないかを探す。


▼観葉植物のプランター

▼受験の参考書

▼掛けカバー付きの羽毛布団

▼サンバースト塗装のエレキギター

▼回転式の姿見鏡

▼ネイビー色のチェスターコート


 バトルステージは「自分の部屋」。

 狭くて逃げ場が少ない分、単純な物理攻撃も有効なはずだ。


 俺は前を向いたまま、「サンバースト塗装のエレキギター」へ手を伸ばす。



──ビュゥゥウオオオッ!!



 だが、次の瞬間、優斗が対プレイヤー用ナイフで斬りかかってきた。

 素早い踏み込みで間合いを詰めて、桜色の光の刃を振り下ろす。

 俺は急いで手を引っ込め、優斗のナイフを避けた。

 そのままライトグリーン色の光の刃を振り上げたが、すかさず桜色の光の刃をナイフが描いていた軌道の先に合わせられた。


 ぶつかり合うナイフ、電磁ノイズが鳴り響く。


 エレキギターの前に立ちはだかった優斗は俺を睨みつけていた。


「……おい、なに弟のギターを触ろうとしてるんだ。これはあいつが友達とバンドするために、バイトして買った物だ。

──お前が戦いで振り回すための道具じゃない」


 優斗は対プレイヤー用ナイフを両手で持ち、アバターの体重を前にかけた。

 手の甲の筋肉がわずかに盛り上がった。

 桜色の光の刃が俺のナイフをじりじりと押していく。


 俺がスマートフォンを両手で支えても、頭上で光り輝くナイフは1ミリたりとも押し返せない。

 後ろに下がりたくても、ベッドが邪魔で間合いを取ることすらできない。


──目の力ではどうすることもできない、アバターの性能差を利用したパワー勝負。

── ×印のギアの効果もわからない以上、この戦いは仕切り直したほうがいい。



「父さん、母さん、美桜! 誰か急いで来てくれ! 『!』」



 俺は息を吸って、できるだけ大きな声で叫んだ。

 1階のリビングにいる家族を呼び寄せるために、緊急性を感じさせる「嘘」をついた。


 この部屋のドアを開けて、兄弟がナイフを向け合っている状況を見れば、あのNPCたちは間違いなく止めに入ってくる。


 俺はフローリングをかかとで思いきり踏みつける。

 この部屋の真下にいる彼らには、かなり大きな音が聞こえるはずだ。

 さらに喉がヒリヒリと痛むのを堪えて、「とにかく早く来て! 早く!!」と全力で呼んだ。


 だが、

 階段を駆け上がる音も聞こえない。

 俺の声は、隣の家にも聞こえているはずだった。


 しかし、NPCの家族たちはまったく気づかない。

《小さな番犬》が吠えている中、美桜と母親の紀子が仲良く笑う声が代わりに聞こえてくる。

 テレビのバラエティー番組でも観ているらしい。


「母さん! 美桜! 助けてくれ!」


 俺は二人をもう一度呼んだ。

 だけど、彼女たちは返事すら寄越してこない。


 



「──《秘密の部屋へようこそ》は【周りの音を外に漏らさないギア】か!」


「どうだろうね、プレイヤーさん。まあ、ギアの効果がわかったところで、この状況は何ひとつ変わらないけどね。

……聞こえるだろう? リビングから幸せな音が。心が和らぐのを感じるだろう?

 俺にとってこの家は、何にも代えることのできない『居場所』なんだ」


 ふと穏やかな顔を見せた優斗は、つば迫り合いで押していたナイフを引いた。

 桜色の光の刃が消えたと錯覚してしまうほどのスピード。

 押し返そうと踏ん張っていた力の行き場がなくなり、俺は体勢をあっさり前に崩される。


 敵プレイヤーの目の前で、アバターの足が床から離れる。


「ごめんな。見逃してあげられなくて。『賞金1億円』とか『ブラックカード』とか、クリア報酬には興味ないんだけどさ、

 父さんも、母さんも、美桜も、暦斗も、みんな大事で大好きで。ずっと一緒にいたくて。

……本当に悪いんだけど、明日の誕生日の飾りつけもあるし、『弟』を返してもらうよ」


 優斗は倒れていく俺を見下ろしていた。

 右手で対プレイヤー用ナイフをくるりと回す。


《小さな番犬》の吠える声が急に大きくなった。

 振動の強まったスマートフォンは手から飛び出した。

「DANGER」のポップアップがスマホ画面に溢れかえった。


『Fake Earth』は簡単に死ぬゲームだったことを思い出す。


 そして、桜色の光の刃が目の前から襲いかかってくる。



「うわ! ここでゲームオーバーか! あ~あ、序盤さえ切り抜けたら、しばらくは流れでいけると思ったんだけどな~」


 2階の部屋でシアン色の血が飛び散ったとき、リビングからスマホゲームで遊んでいた父親の落胆する声が耳に入った。

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