第3章 遊津暦斗の誕生日

21話 知らない家

【ルール】

 プレイヤーがゲーム内で操作するアバターは、運営によって名前から年齢・性別・運動神経などをランダムに決められる。



 一晩ぐっすり寝たら、アバターは筋肉痛に襲われていた。

 全身はひどく重たく感じた。

 昨日の紫藤やギルドとの連戦で、アバターを無理に動かしすぎたらしい。

 硬くなった太ももの裏側は、じわじわとした痛みを1秒ごとに訴えている。

 自分のターンが終わるたびにダメージを食らう、状態異常に陥ったような感覚だった。


──『Fake Earth』は現実世界を完璧に再現したゲーム。

──ドラクエみたいに、寝れば体力が『全回復』というわけにはいかない。


 俺は目を閉じて、ドラッグストアで買ったアイマスクを外した。

 枕元のヘッドボードに手を伸ばして、新調した眼鏡のブリッジを指先でつまんだ。

 滑り止めのグリップを付けたつるを触り、「コバルトブルー色のスクエア型の眼鏡」を装備する。

 両目をゆっくりと開けて、仰向けに寝転がったまま、赤色のスマートフォンのホームボタンを押す。


《小さな番犬》はスマホ画面に張りついており、ツヤツヤな鼻が画面いっぱいに映っていた。

 休止状態だった画面を明るくした瞬間、俺に甘えるように鼻をぐりぐりと押しつけてきた。

 特徴のある鳴き声で吠えそうな素振りはない。

 今のところ「危険」は迫っていないようだった。


──とりあえず部屋の電気を点けよう。


 俺は薄暗い部屋を壁伝いにいて、出入り口のドア近くのシーソースイッチを押す。

 ゲーム画面がロード状態から切り替わったように、様々なオブジェクトが部屋に浮かびあがったように見えた。


 壁掛けデスクがベッドの隣に取りつけられていた。

 真っ白な飾り棚がデスク上に固定されていて、受験の参考書や観葉植物の鉢などを収納していた。

 サンバースト塗装のエレキギターが、三本脚のスタンドに立てかけられている。

 回転式の姿見鏡の裏側にはハンガーラックがついており、「ネイビー色のチェスターコート」を吊るしていた。


 ゲーム攻略の拠点となる「」。

 下北沢駅から徒歩10分の自宅には、財布の中にあった学生証に記載された住所から辿りついた。


 俺は部屋の隅にあるクローゼットに歩み寄り、頭の中に表示された「しらべる」のコマンドを選択した。

「ベージュ色のカーディガン」、「長袖のカットソー」、「細身の黒いチノパン」をクローゼットの中から入手した。

 格子柄のルームウェアを脱ぎ、首から下の装備を交換する。

 部屋の電気を消した後にドアを開けて、折り返し階段を2階から1段ずつ下りていく。


『Fake Earth』はシナリオやイベントが用意されているゲームではない。

 ゲームマスターの手がかりを集めたり、プレイヤーと戦ったりしなければ、何も起きない「日常」というプレイ時間だけが過ぎていく。


 そして、


 俺はリビングの扉の前に立った。

 ボス戦を前にしたときに似た緊張を感じた。

 手にかいた汗をチノパンで拭き、小さく息を吐く。

 左手を伸ばして、真鍮のドアノブをひねった。


           ◯


 30畳くらいの広さのリビングには、円型のロボット掃除機が放し飼いにされていた。

 5人掛けのソファの下から姿を見せて、俺の足元までちょろちょろと近づいてきた。


 薄型の液晶テレビの画面には、週末の朝の情報番組が映っていた。

」を話題に取り上げている。

 報道ヘリで空撮した高層ビルが炎上している映像。

 テロで亡くなったアバターたちの名前が読み上げられる。

 速報テロップのチャイムが鳴ると同時に、「死者49人」のテロップが「死者50人」に更新される。

 男性アナウンサーによると、今回のテロは組織的な犯行によるもので、彼らが何を目的としているのかは、警察も一切わからないようだった。


 円型のロボット掃除機は向きを変えて、俺を案内するウェイターのように、ダイニングテーブルのほうへ進んでいく。

 レーズン入りの食パンとアボカドサラダの皿がテーブルに置かれていた。

 流し台の食器洗い機には「4人分の食器」がセットされていた。


 俺はロボット掃除機の後をついていく途中、横目でソファやラグマットを見る。


 朝食を食べ終わったがリビングでくつろいでいた。



暦斗れきと、冷蔵庫にヨーグルトがあるから、食べたかったら食べて」


 向かいの席に座った女性アバターが文庫本を読みながら、いきなり俺に話しかけてきた。

 肌に張りのある見た目は30代後半くらいで、目鼻立ちがはっきりとした顔立ちは宝塚劇場の役者を彷彿とさせた。


 5人掛けのソファ前のラグマットには、大学生らしき男性アバターがうつ伏せに寝転がっていた。

 Bluetooth接続のワイヤレスイヤホンを耳に着けて、横向きのスマホ画面で海外ドラマを観ていた。


 中学生らしき女性アバターは、ウサギの耳をしたケース付きのスマートフォンで自撮りの動画を撮って、可愛く笑ったりおどけた顔をしたりと表情を次々と変えている。


 ソファに座った40代半ばらしき男性アバターは眉間に皺を寄せて、同じ絵柄をなぞって消す系のスマホゲームをプレイしている。



 父親のつかさ、母親の紀子のりこ、兄の優斗ゆうと、妹の美桜みお


 ゲーム攻略の拠点となる自宅は、5人暮らしのNPCとの共同生活だった。



「そうだ、優斗、美桜、明日は7時には帰ってきて。せっかく作った御馳走、冷めたらもったいないし」


「え~マジ? 明日、私、ミキちゃんと遊ぶんだけど。そんな急に言われても困るよ」


「大丈夫だよ、母さん。美桜、『この日は用事があるから早く帰るね』ってこの前電話でミキちゃんに話すの聞こえてきたし。周りに合わせて、反抗期っぽく振舞ってるだけ」


「……あっ、美桜。そういえば、昨日にアップしてたダンスの動画は良かったぞ。お父さん、とりあえず『いいね』押しといた」


「ちょっとお兄ちゃん! 人の電話を盗み聞きするのは、プライバシーの侵害なんですけど!

 あとお父さん! 私の動画を観るのはいいけど、『いいね』は友達に見られたら恥ずかしいって言ったでしょう!

……まあ、その、気持ちは嬉しいんだけどさ」


 美桜は照れ臭そうに頬を掻くと、ウサギの耳をしたケース付きのスマートフォンに視線を戻した。

 仲のいい友達と他愛のないメッセージのやり取りをしているらしい。

 母親譲りの顔をスマホ画面に近づけると、口元がニヤニヤと緩み始めて、桜色のネイルを塗った人差し指を画面にせっせと滑らした。


 兄の優斗は片耳のイヤホンを付け直して、海外ドラマの続きを観ていた。

 母の紀子は紅茶を啜って、文庫本のページをめくった。

 父の司は目を見開いて、人差し指と中指でスマホ画面を連打している。


 同じ屋根の下に暮らす家族たちは、各々がやりたいことを自由にやっていた。

 お互いの会話も少なく、共通の話題となりそうなテレビも誰ひとり観ていなかった。

 俺がリビングに入ったときも、視線を寄越すだけで、「おはよう」の挨拶の1つもない。

 全員が相手から一定の距離を置いた場所にいる。


 しかし、このリビングには和やかな空気が流れていた。

 4体のアバターたちはリラックスした雰囲気で休日を過ごしていた。

 みんな好き勝手にやっていることが「家族」として調和しているように見える。

 この家族はアーカイブ社が作った「偽物」であるはずなのに、「本物」の家族を目の当たりにしているかのようなリアリティーを感じさせた。


 もしも俺が「家出」を選択したら、きっと彼らは警察に捜索願を出したり、SNSで情報提供を求めたりするだろう。

 行方不明者として目立てば、敵プレイヤーに俺がプレイヤーだと疑われる可能性が高くなるはずだ。

 かといって、家族の前で不自然な行動を続ければ、心配されて病院に連れて行かれるなどのリスクもある。


──この世界で生きるためには、「遊津暦斗」を完璧に演じなければいけない。


 俺は冷蔵庫を開けて、バニラ味のヨーグルトを手に取った。

 無言で手を合わせて、アボカドサラダの皿のラップを剥がした。

 銀色のフォークでアボカドを刺して、口の中に入れる前に手を止める。

 何気ない感じを装うことを意識しながら、まずは知らなければいけないことを質問する。


「あれ? そういえば明日って何があるんだっけ?」


 俺が母に尋ねたとき、4人の家族はピタッと動かなくなった。

 美桜と父の手は同時に止まった。

 母は文庫本のページをめくる途中で固まっていた。


 全員の視線が一斉に俺のほうへ向けられる。


 兄の優斗は両耳からワイヤレスイヤホンを外した。

 美桜は真顔になって、知らない人を見るような目で俺の顔を見ていた。



「何を言ってるんだ、暦斗? 明日はじゃないか」



 朗らかに微笑んだ父は、熱中していたスマホゲームを止めた。

 穏やかな口調で話していても、目は心配する気持ちを隠せていない。

 母は自分の額に手を当てて、反対の手を俺の額に当てる。

 細い首を傾げて、俺の目を覗き込んだ。



「……あはは、そんな真に受けないでよ。いまのは冗談で言っただけじゃん」


「そうね、熱はないみたいだね。けど、本当に大丈夫? 昨日も帰ったらすぐ寝てたし、どこか体の調子がおかしいのかも」


「心配いらないよ、母さん。全然大丈夫だから。ありがとう」


 俺は母を手で制して、アボカドサラダを食べた。

 フォークを持つ手が震えていることを悟られないように、指先に力をぐっと込めた。

 心臓の鼓動は、耳ではっきりと聞こえるくらいに鳴っている。

 家族のみんなは何も言わず、それぞれが中断していたことを再開した。


 けれども、全員が俺の様子を窺っており、ときおり目配せを交わしていた。


           ◯


 俺は朝食を食べ終わった後、自分の部屋に戻ることにした。

 明らかに不自然な態度だが、家族の前でこれ以上ボロを出すことのほうが怖かった。


──「遊津暦斗」のパーソナリティーを急いで把握しなければいけない。


 俺は赤色のスマートフォンを持って、通知の溜まったコミュニケーションアプリを起動する。

 知らないNPCの本名やハンドルネームらしき名前がズラリと並んでいた。


「おっ、通知がいっぱいじゃん。俺に似て人気者だな、暦斗は」


 1人きりのはずの部屋で、聞き覚えのある声がした。

 俺は慌てて振り返ると、兄の優斗が後頭部を掻いていた。

 長めの髪は茶色に染めて、フープ型のピアスを耳たぶにつけている。

 ドット模様のシャツから煙草の臭いがした。

 キャンパスライフを謳歌していそうなアバターだった。


 俺は弟を頭にイメージして、いきなり兄が部屋に入ってきたときの反応を考える。


「……あのさ、ノックくらいしてよ。心臓が止まるかと思った」


「あ~悪い、悪い。母さんに『ちょっと探ってこい』ってお願いされたからさ、黙って入ってみたんだよ」


「はあ、母さんも心配性だな。まあいいけど。で、何? こっちは普通に元気なんだけど」


「そりゃ、俺がお前に訊くことなんて、アレしかないだろう? ここまで言えばわかるだろう?」


 優斗はベッドに腰かけて、海外ドラマの続きをスマホで観はじめた。

 10秒ほど再生すると、一時停止ボタンを押して、まだ回答しない俺の顔をじっと見つめる。


 俺は腰に手を当てて、呆れたようにため息をつく演技をした。

「アレ」がいったい何なのか、まったく見当もつかなかった。


 母の紀子が男兄弟の兄を派遣した理由を考える。

 おそらく親が直接訊きにくいことだと推理する。

 俺の様子がおかしくなった原因だと結び付けられているものだと予想する。


──通知の溜まったコミュニケーションアプリ。

──「俺に似て人気者だ」という兄の言葉。


 頭の中に浮かんできた、一か八かの答えに賭けることを決意する。


「ああ、『』のことか。別れてないよ。まあ、昨日の帰り道で喧嘩したけど」


 俺は強がっている弟を演じた。

 たいして気に留めてないようで、内心動揺しているような態度を取る。

 両手をポケットに突っ込み、優斗の目を見返した。

 ギルドに完敗したことを思い出し、不機嫌そうな表情を作った。


「そう、真紀まきちゃんのこと。あ~やっぱり喧嘩したのか。誕生日前に険悪になるのはショックだもんな」


「べつにショックじゃないよ。悪いのは、俺じゃなくて、あいつだし」


「まあまあ、そこはお前が大人になってやれよ。何があったかは知らんけどさ」


 優斗はベッドから立ち上がり、俺の頭をポンと叩く。

 そして、弟の髪をくしゃくしゃと撫でた。

 笑った顔は父の司にそっくりだった。

 兄の手は大きくて温かい手だった。


「とりあえず良かったよ。暦斗の調子がおかしいのは、真紀ちゃんと喧嘩したことが原因でさ。あんまり様子が変だから、てっきり勘違いしちゃったよ。

──『』って」


 優斗は俺の頭に手を置いたまま、反対の手でスマホの動画視聴を終了させる。

 父譲りの朗らかな笑みは消えていた。

 別人のような目つきに変わっていた。


 俺は息を呑んで、後ろに下がった。

 全力で跳んで、兄のアバターから距離を取る。


 だが、赤色のスマートフォンを構えたとき、「弟」の演技を止めてしまったことに気づいた。


 騙そうと思っていた相手に、騙されてしまった。


 部屋に置いた姿見鏡を見ると、そこにはプレイヤーとしての自分が映っていた。



──ケルベロ! ケルベロ! ケルベロ!!



《小さな番犬》が激しく吠えだした。

 赤色のスマートフォンが振動した。

「DANGER」のポップアップがスマホ画面を点滅した。


 目の前にいるアバターは「危険」として認識されていた。


「正直に言って、プレイヤー同士が家族になるなんて思わなかったよ。だから、おかげでやっと確信することができた。……お前がプレイヤーで良かったよ。これで昨日から心配してたみんなを安心させられる。

 いまからお前をゲームオーバーにして、元の暦斗に戻せばいいだけの話だからな」


 青色のスマートフォンを持った優斗は親指を動かした。

 ホーム画面をスワイプして、画面の左上を叩く。


 俺はホームボタンを押しながら、優斗をめがけて一直線に走った。

《対プレイヤー用ナイフ》を起動して、ライトグリーン色の光の刃を振り抜いた。


 しかし、優斗は眉一つ動かさず、対プレイヤー用ナイフを躱した。

 紫藤やギルドのプレイヤーと同じ、この世界で生き残ってきた者の足さばきだった。


 次の瞬間、優斗は俺との間合いを詰める。

 青色のスマートフォンのマイクを口に近づけた。



「──《秘密の部屋へようこそディア・ブラザー》」



 遊津優斗は俺の頭に手を置いて、低い声でギア名をつぶやいた。


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