19話 これが夢だとすぐに気づいた

【ゲーム世界 :『Fake Earth』】

 プレイヤー名=遊津暦斗(Asodu Rekito)


【現実世界】

 戸籍名=藤堂頼助(Todo Raisuke)



 いつも夢は目が覚めるまで、それが夢だと気づけない。

 頭がぼんやりして、目に映るすべてを信じてしまう。


 授業中の静かな教室で、先生の板書するチョークの音がよく響いているようなリアルな夢はもちろんのこと、雲海に棲みついた巨大な魚を釣り上げるようなファンタジーな夢でさえも。

 なぜか現実で起きていることだと受け入れてしまう。


 けど、俺はこの夢を見たとき、これは夢だとすぐに気づいた。

 目の前の光景がどれだけリアルに見えても、いま目にしているものはリアルではないことがわかった。


――

――現実世界に彼女がいないことを知っているから。


 俺たちは隣り合わせに座って、『ジュラシック・パーク・アーケード』をプレイしていた。

 煌びやかな画面を共有して、素早く襲いかかってくる恐竜の群れに麻酔銃を撃ちつづけた。


 いつもどおり息は合っていた。

 ライフは1ミリも減らなかった。

 群れが最後の1匹になったとき、お互いの照準が重なり、2人で同時に撃って倒した。


「よし、ここまでノーミス! やっぱり協力プレイは楽しいね。まあソロプレイはソロプレイでいいんだけど」


「……意外だね。その言い方だと、協力プレイのほうが好きなように聞こえるよ。凛子はソロプレイで極めるほうが好きなのかと思ってたけど」


「だってさ、協力プレイは『同じ目的を持った、操作できないプレイヤー』がそばにいるからね。私と違った考え方を持った人と、力を合わせてゲームを攻略する。

 だから、一緒にプレイしてたら、1人で気づけなかったことに気づくことができる。ゲームの制作者の意図とか、自分のプレイがもっと良くなる可能性があることとか。――ゲームは面白いって、あらためて実感できるんだよね」


 凛子は細長い指先に息を吹きかけた。

 涼しげな目を輝かせて、画面いっぱいに映るボスキャラのトリケラトプスを見つめていた。

 真っ赤なキャップを後ろに回して、コントローラーのボタンをカチカチと鳴らす。


 俺がソロプレイ派なのか、協力プレイ派なのかは訊いてこない。

 ゲームセンターでよく遊ぶ仲でも、いつもどおり相手の価値観には踏み込んでこない。


 綺麗な栗色のショートヘア、アーチ状の眉は大人っぽく、控えめな口元は引き締まっている。


 夢の中で姿を現した彼女は、思い出の中にしかいなかった凛子そのものだった。


「頼助くん、話変わるんだけどさ、こういう恐竜みたいな巨大モンスターっていいと思わない? こういうのが出てくるだけで、このゲームは当たりって気がする」


「たしかにそうだね。『モンスターハンター』も、ミスできない緊張感が楽しいし。ポケモンもバトル中に大きくなるシステムも、実際にプレイしたら迫力があって面白かったし」


「でしょ! なんでワクワクするんだろうね? 強そうな相手と戦うのが面白いからかな」


「うーん、俺は『世界の大きさを感じられるから』かな。人間より圧倒的に大きい生き物を見ると、自分はちっぽけな存在だって思えてくるし」


「それ、頼助くんっぽい考え方だね。なんとなくだけど、私も、ちょっとわかるかも」


 凛子は画面を見つめたまま、口元に笑みを浮かべる。

 そして、ボス戦のBGMが始まると同時に、コントローラーのボタンを連打し始めた。

 画面のトリケラトプスに麻酔銃を連射した。

 ときにはグレネードを投げて、トリケラトプスのライフを一方的に減らしつづけた。


 俺はコントローラーを斜め上に傾ける。

 凛子の照準を目で追いながら、トリケラトプスが角で投げ飛ばしてきた岩の割れ目を撃ち、空中で粉々に破壊した。

 そして、凛子と照準を同じ高さに揃えて、トリケラトプスの両目、前足、後ろ足を順番に攻撃した。

 麻酔銃からショットガンに同時に持ち替えて、2人で片方の角の根元を集中攻撃して部位破壊した。


 言葉にしなくても、凛子がどうプレイしてほしいのかがわかった。

 目配せを送らなくても、俺がどうプレイしたいのかが伝わっているのがわかった。

 ピアノの連弾を演奏しているように、お互いのプレイが1つに融合していくのを感じる。

 1人では勝てそうにない巨大なモンスターを、2人ならどう攻略するのかを考えることが楽しくなってくる。



 ふと凛子が『Fake Earth』から戻って来なくなってから、1人でゲームセンターに寄ったときの記憶が蘇った。


 毎日ゲームセンターに凛子がいないことを確認して、それでもゲームをしていたら現れるのではないかと思って、アーケード筐体に100円玉を落としつづけた日々が脳裏をよぎった。


 1人でオンライン対戦を50人抜きしても、たいして嬉しくなかったことを思い出す。

 1人でハイスコア更新に惜しくも届かなくても、そこまで悔しさを感じなかったことを思い出す。



――カチ、カチ、カチ……カチン。



 時計の針が刻み、最後に止まったような音がした。

 煌びやかな画面はフリーズした。

 猛々しい角を持ったトリケラトプスは、突進中に四本脚が地面から浮いた状態のまま動かない。

 コントローラーのボタンを叩いても、画面で構えているショットガンは弾を発射しなかった。


――きっともうすぐ夢が終わるのだろう。


 凛子はスマートフォンを見て、ロック画面に表示された時刻を確認した。

 真っ赤なキャップを前向きに戻して、手前の台にコントローラーを嵌め込んだ。


「今日はもうタイムアップだね。いつも時間が経つのが早くてビックリだよ。……次はいつにしようか? 来週なら私はいつでも大丈夫だけど」


 凛子は指のストレッチをしながら、小さく首を傾げた。

 涼しげな目は俺を優しく見つめていた。


 ゲームセンターの閉店放送が流れる。


 俺は凛子の目を見返した。

 ずっと会いたかった人をまっすぐ見つめた。


「……ごめん。たぶん来週は会うことができない。その次の週も、来月になっても会えないと思う。本当はまたこうやって遊びたい。――でも、俺にはがあるんだ」


 俺は自分の手を握りしめる。

 デニムパンツのポケットの中で、スマートフォンが振動した。

 持ち主へ呼びかけるように、何度も何度も震えつづける。


 凛子は微笑んで、俺から目をそっと逸らした。


「わかった。忙しいならしょうがないね。応援してるよ、頼助くん。もしそれが終わったら、よかったら連絡して」


 凛子は後ろを向いて、足元に置いていたリュックサックを背負った。

 アーケード筐体に忘れ物がないかを確認して、グレーのパーカーのポケットに両手を突っ込んだ。


 どうして俺がしばらく会えないのかを質問しない。

 今まで一緒に遊んできた仲で、今日で最後かもしれないのに、あっさりとした態度を取っている。

 落ち着いた声が震えたり、声のトーンが下がったりすることはなかった。

 不自然に明るく振る舞ったり、小さな手が微かに震えたりすることもなかった。


 しかし、俺は凛子に会えないと告げたとき、彼女の目の瞳孔がわずかに大きくなったことを見逃さなかった。

 こういうとき凛子は相手の価値観を尊重して、自分の意見を押しつけないことを知っていた。


 目の前にいる女の子は、大事なことは1人で全部を背負い込んで、誰にも迷惑をかけたがらない。

 大丈夫じゃないときでも、大丈夫そうなふりをしている。


 そして、俺をゲームに巻き込まないために、何も言わずに1人で『Fake Earth』に参加することを選んだ。



 だから、俺は凛子を助けたい。

 凛子は自分のことより俺を助ける選択をした。

 俺は凛子の代わりに、彼女を助ける選択をしたい。


――ゲームマスターを倒して、『Fake Earth』を終わらせる。

――現実世界に2人で戻って、ゲームセンターでもう一度遊ぶ日常を取り戻してみせる。


「今日はありがとう、頼助くん。私、楽しかったよ」


「……お礼を言うのは俺のほうだ、凛子。いつもありがとう。今日も楽しかった」


 俺たちはお互いに作り笑いを浮かべた。

 口角を上げて、目を細めて、いつもどおりの挨拶を交わした。

 凛子は真っ赤なキャップを目深にかぶった。

 俺は下を向いて、震えていたスマートフォンを取りだす。

 柴犬風にカットされたポメラニアンが、ホーム画面で吠えていた。


 次の瞬間、スマートフォンの画面の光が急速に強まっていった。

 あまりの眩しさに、アーケード筐体の風景は見えなくなった。

 思わず目を閉じそうになるのを堪えて、凜子を横目で見る。

 凛子の姿も少しずつ見えなくなっていった。



 これは夢――現実ではない、最後に覚めてしまう夢。

 いま一緒に遊んだ凛子が完璧に再現されていても、彼女は本物によく似たフェイクでしかない。

 夢の中のゲームセンターで遊んでも、ただの気休めにしかならない。


 

 本物の凛子と思い出が共有されるわけではないのに、この夢のことを目覚めても忘れたくなかった。

 何気なく交わした言葉も、彼女の些細な仕草も、心に留めておきたかった。

 どうしてそう思ったのか、自分でもよくわからなかった。



 眩しい光が俺たちを包み込む。

 凛子の姿は完全に見えなくなった。

 小さな穴が胸に開いたような痛みを感じる。

 何かも見えなくなる。


 夢の世界から、現実を完璧に再現した世界へ。



 目の前が真っ白になった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る