17話 ログインボーナス
《忘却を願う悪貨》が転送したビルの部屋は、港町の空き倉庫のように広い空間だった。
複雑にパイプが入り組んだ天井は、出口のない迷路を彷彿とさせた。
室内はガラス張りの窓の前にコンクリート柱が等間隔に並んでいるだけで、家具どころか工具用品や煙草の吸殻すら落ちていない。
ステージギミックの少ない場所だった。
純白の教団服を着たプレイヤーたちは、全員で囲んだ俺たちにスマートフォンを向けている。
彼らはフードを深く被り、フルフェイス型のガスマスクで顔を隠して、真っ白な手袋を嵌めていた。
表情からは彼らが何を考えているのかはわからない。
誰ひとりとして国籍や年齢や性別さえもわからない。
敵プレイヤーたちはホームボタンを長押しする。
様々な色の対プレイヤー用ナイフがイヤホンプラグから構築されていく。
「本当にごめん、レキトくん。私のせいで、こんなトラブルに巻き込んじゃって……」
「謝る必要はありませんよ、紫藤さん。この状況を切り抜ければ、また1つレベルアップできるんですから、何ひとつ問題はありません」
「……ありがとう。じゃあ一緒に頑張りましょう。と言っても、いきなり連携プレイはできないから、それぞれ好き勝手に戦って逃げる感じでいいよね?」
「了解です。お互い生き延びましょう。――コインを渡す代わりに、とっておきのゲームの情報を教えてもらう約束、ちゃんと守ってもらいますよ」
俺は紫藤に微笑みかけ、ゲームオーバーになったプレイヤーのコインを投げ渡した。
紫藤も口元に笑みを浮かべて、華奢な手でコインをキャッチした。
お互いに反対方向を向いて、アバターの背中を合わせる。
――今回の対戦は、50VS2のチーム戦。
――勝利条件は「対戦相手からの逃げ切り」。
5人の敵プレイヤーが素早く動きだした。
正面から、左右から、猛スピードで駆けて、対プレイヤー用ナイフを一斉に振り抜いてくる。
俺は姿勢を咄嗟に低くして、敵プレイヤーたちの視界から外れた。
そして、正面のプレイヤーの足を払って、左側にいたプレイヤーめがけて跳び上がった。
後ろにフードを引っ張って、俺は左側にいたアバターをコンクリートの床に叩きつける。
反対の手でエナメルバッグを振り上げて、右側にいたプレイヤーの横面を殴った。
紫藤は迫りくる相手のナイフをすれすれで躱した。
バイオレット色の光の刃を薙いで、すれ違いざまに斬った。
そして別のプレイヤーが斬りかかる直前、相手のスマートフォンを持った手を素早く突き刺した。
「こちらから仕掛けましょう、紫藤さん! 50人のプレイヤーが相手でも、全員がでたらめに強いわけじゃない!」
俺は紫藤に呼びかけて、攻撃にひるんだプレイヤーたちの間を通り抜けた。
全速力で一直線に走り、15メートル先の出口を目指した。
出口の前には13人のプレイヤーたちが待ち構えていた。
それぞれのアバターは身動きすることなく、こちらにスマホカメラを向けた状態で対プレイヤー用ナイフを起動している。
――長期戦で消耗する前に、短期決戦で突破するしかない!
俺は星印の付いたエナメルバッグを振りかぶり、一番前にいるプレイヤーの脳天に振り下ろした。
「――交代です、《
凛とした女性の声が遠くから聞こえた。
その直後、俺は窓にエナメルバッグを振り下ろしていた。
窓にぶつかったエナメルバッグが跳ね返った。
驚いた自分の顔が叩きつけた衝撃で震える窓に映る。
出口を振り返ると、俺がいたはずの場所に別のプレイヤーが立っていた。
――近くにいなかったはずのプレイヤーが、紫藤の隣へ一瞬で近づいている。
――15メートル以上離れた場所に、俺は一瞬で移動させられていた。
「プレイヤー同士の位置を入れ替えるギアか!」
俺は辺りを見回そうとしたとき、誰かの手がアバターの頬を触れた。
赤ん坊の頬に触れるような優しい手つきだった。
しかし、指先からとてつもなく冷たい感触が伝わった。
首から背筋まで鳥肌が一気に立つ。
アバターの口の中に唾液が溜まっていく。
俺は一気に飲み込みたかったが、喉を動かすことができなかった。
正確に言えば、顔も足も動かせなかった。
左手の小指すら曲げることもできなかった。
《忘却を願う悪貨》でアバターが動かなくなったときと明らかに感覚が違う。
今この瞬間に全身へ圧しかかる重圧は、俺自身の本能が紛れもなく感じ取っているものだった。
「……ああ、あなたは目が悪い。……私たちの仲間を倒したと勘違いして、ありもしない希望を見出している。綺麗な目が2つあるのに、何も見えていない。
……『
凛とした女性の声が耳の近くで聞こえたとき、俺たちの攻撃で床にうずくまっていたプレイヤーたちの顔の皮膚がドロッと溶け始めた。
全身の骨もバキバキと音を立てて折れて、真っ白な砂と化していった。
溶けた皮膚と砂になった骨は混ざり合った。
そして、縦に横に引き延ばされて、170センチくらいのアバターの形になった。
能面の顔が泡立って、フルフェイス型のガスマスクが完成する。
純白の教団服もできあがり、真っ白な手袋が最後に作られていく。
「……このままゲームをプレイしつづけても、きっとあなたは苦しい思いをするだけでしょう。
……NPCとプレイヤーの見分けられないせいで、買い物に出かけることさえ命がけに感じてしまう。……他プレイヤーに襲われる恐怖に四六時中つきまとわれ、夜も眠れなくなってしまう。……最後には公衆電話でギブアップするために外へ出ることもできず、自らの手でゲームオーバーを選択するでしょう。
こんな無駄な苦しみを味わう必要はないと思いませんか? ……だから、私たちはコインをいただく代わりに、あなたたちを苦しみから解放させていただくのです」
女性アバターは俺の頬を撫でた。
彼女の指先は刃物のように冷たく、アバターの心臓が縮こまるのを感じた。
出口のほうでは、紫藤は肩に手を当てて、寄ってくるプレイヤーたちにナイフの刃先を向けている。
手帳型のスマートフォンを握った手は震えていた。
紫藤の足元はシアン色の血で汚れていた。
「……ほんの少し痛みます。……でもね、大丈夫ですよ。――この痛みも、あなたは忘れてしまうのですから」
女性アバターは指先に力を込めた。
俺の顔は右へゆっくりと向けられた。
フルフェイス型のガスマスクが目の前にある。
黒塗りのゴーグルのレンズから、女性アバターの目が透けて見えた。
青色の瞳、皺のある目尻から涙を流している。
真っ白な手袋は対プレイヤー用ナイフを握っていた。
女性アバターは俺のアバターの胸へナイフの刃先を近づけた。
俺はナイフが近づていくるのを見つめる。
頭では逃げなければいけないことはわかっていた。
このまま何もしなければ、ゲームオーバーになることは目に見えている。
しかし、ゲームの死を前にしても、アバターを自分の意志で動かせなかった。
痛みで恐怖を紛らわせたくても、舌を強く噛むために、口を開けることすらできなかった。
――ピ。ピ。ピ。ピーーーーーー。
そのとき時報が俺のスマートフォンから鳴った。
だだっ広い部屋の中で、その音は余韻を残して響いた。
女性アバターのナイフを近づける手が止まった。
全身へ圧しかかっていた重圧が一瞬だけ消えた。
俺は女性アバターの手を払って、ピンチになっている紫藤の元へ全速力で走った。
エナメルバッグを投げつけて、紫藤の前にいる敵プレイヤーを遠ざけた。
時報を鳴らしたスマートフォンを見る。
プレイ前のルール説明のときに見た「地球」がスマホ画面に映っていた。
【プレイヤー名「
ただいまをもちまして、ゲーム開始時からプレイ時間が30分を経過しました。
新規プレイヤーの3分の1がプレイ時間30分以内に脱落する中、この世界で「最善」を尽くされていることを、心より感謝申し上げます。
よって、運営局よりログインボーナスとして、『ギア』をランダムで1つ提供させていただきます。
ぜひゲーム攻略に役立ててください】
音声プログラムがアナウンスすると、赤色のスマートフォンが光り輝きはじめた。
画面から放たれた光は部屋の天井まで照らしていた。
そして、赤色のスマートフォンは激しく揺れた。
強く握りしめていなければ、手のひらから滑り落ちるほどに揺れは強かった。
新たな生命が画面の中から飛び出してきそうな震え方だった。
【それでは「遊津暦斗」様が入手するギアをご紹介させていただきます】
【未知の可能性を秘めた、この世界の理を動かす、第一の歯車】
【No.25:《
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