3話 消火と出会い

 住んでいる地方から北上し、山を超えると、普段見る草木とは似ても似つかない姿形の物ばかりだ。たまに見知った形の物を見つけると、わけもなく安心感を抱く。


 もっとも、それもすべて平時であればのこと。初めて訪れる地で、山を超えるなり現地民によるものと思われる攻撃を受け、ようやく地面に降り立ったところで遭遇したのは、白く燃える森だった。規模こそ小さいが、森の一角を燃やしているその様は、放置していればこの一帯を肺にしてしまうのではないか、という危機感を抱くくらいには勢いがある。


「……それほど火の勢いがあるわけじゃないし、とりあえず消火するわね?」


 隣で森が燃えているのを眺めていたリンが確認をとる。本来であれば、環境を整えるのは魔法を使うアレスの仕事なのだが、魔法をほとんど使わないリンが、どうやって消化するのかに興味がある。アレスは小さく頷いた。


 それに、森と反対側には湖もあり、火を消すには十分な量の水がある。おそらくこれを使って消火するのだろう。


「じゃ、ちょっと失礼して」


 言うなり、リンは無造作に燃える炎に近づいていく。予想とは違う行動に、アレスは首をかしげる。今は人の形をしているが、彼女の種族は龍だ。火に焼かれるようなこともあるまい、と彼女の動向を見守る。


「よいしょっと」


 軽い声を出し、リンはそこに生えている木を蹴り倒した。

 木は倒れ、白い炎へと覆いかぶさる。その後も、立て続けに木を蹴り倒していく。リンは木を蹴り倒しながら少しずつ移動していく。置いていかれて後で合流するよりは、リンについて行った方がいいだろう、と思い、その後ろをついていく。炎を中心に、円を描くように木を蹴り倒していると途中から気がついた。

 蹴り倒したのを円の真上だとすれば、今いる位置は円の右側。ちなみにザックスは湖で水分補給をすると、夢の世界へと旅立ってしまった。ここまで騒がしいというのに、よくも眠れるものだ、とアレスはザックスの疲労を思う。


「……消火してるんだよな?」


「うーん。そう思ってたんだけど、このままだと暗い森の中で過ごすことになりそうじゃない?私かアレスが焚き火を起こしてもいいけど、せっかくあそこに火があるんだから、あれを生かして焚き火にしようかと思って」


「え?まさか今蹴り倒してるのって、全部薪にするつもりか?」


「そうだけど?」


「立木そんな立て続けに倒して燃えるわけないだろ!」


「え、でも、たまに山燃えてるし、いけるんじゃないの?」


「いやいや、あれは、初めに火があって、その熱で木の中の燃えにくい部分が燃えやすくなって燃えてるわけだから、ちょっと事情が違う。それに、こんなに木を切り倒して、これに全部燃え移ったら、焚き火どころじゃなくなるから」


「そうなの?明るいし、ちょどいいじゃない」


「いや、さっきまで襲われてたんだ。この火にまた集まってきて襲われたらたまらない。火、消すぞ」


 そもそも、ここに生えている木は全て初めて見るようなものばかりだ。どのような生態で、どのような物質を生成しているのかもわからない。しかも火は見たこともないような白い炎だ。行動が不用意すぎる。


 とにかく消火をしなければ、とアレスがリンの蹴り倒した木の中心に視線を向けると、そのタイミングで白い炎が木の中から勢いよく燃え上がった。


「……あら、綺麗ね」


「確かに綺麗だけれども!!」


 もっと他にいうことがあるんじゃなかろうか。火の大きさが変わったところで、アレスのやらなければいけないことは変わっていない。周囲の魔素を燃える炎の上へと移動。魔素に水分を纏わせ、水の布を作る。水の布で、燃える炎を覆ってやれば、ジワジワという音を立てながら、徐々に火の勢いが減衰していく。それはやがてジュゥ……という音を立て、闇の訪れとともに消火された。


 周囲を見渡せば、リンが木を蹴り倒したので、森の一角が不自然にえぐれているのがよくわかる。局所的に現れている暴力の痕跡に、リンの力の一端を垣間見た。さすがは龍の一族の末裔だ、と感心する。


「ちょっとー!!誰!あたしの火を消したのは?!」


 リンが大人しくなったので、静寂の戻った森の中を、甲高い声が走った。

 アレスとリンが視線をそちらに向けると、森の中から肩を怒らせて少女が歩いてきた。その髪は、まるで夏の新芽のような色をしている。


「あぁ、それなら俺だが。君は誰だ?」


「どうしてそんなことをしたの?!」


「え、いや、森の中で火が燃えてたら誰でも消そうとするだろ」


 一般人であれば、消火よりも避難を優先するかもしれないが、アレスたちは初めてここに訪れたのだ。避難するような場所はないし、避難するよりもこの場所を死守することの方が優先順位は高かった。


「そうかもしれないけど!白い炎なんて普通自然界に存在しないでしょ!?だったら、誰かが生み出して使役しているものだとは考えないの?!」


「……使役?君はあの炎を使役していたっていうのか?」


「そうよ!」


 隣にいるリンを顔を見合わせる。


「……できる?」


「炎って使い潰すものでしょ?わざわざそんなことしようとは思わないわ。むしろ、やろうとするんならアレスの分野でしょう?」


 できるかどうか、考えてみる。そもそも、これまで炎に意思が宿るかなど考えたこともなかった。他よりも燃えやすいものを用意し、炎の通る道を誘導するぐらいならできるが、それを使役しているとは言えないだろう。


「いや、俺もできない。炎と意思の疎通をしようと思ったこともなかった」


「何私を放置して話を進めてるの?!」


「いや、すまなかった」


 アレスは一歩少女へと歩み寄る。少女は一瞬怯むように半歩下がったが、そこからはアレスを睨み付けて下がらない。


「俺はアレス。ちょっと人を探してここまで旅をしてきたんだ。あっちにいるのはリン。君の名前は?」


「……どこからきたかもわからないような相手に名乗る名前はないわ」


「なるほど。じゃあなんて呼べばいい?」


「呼ばなくてもいいわ。ここにはあなたたちが探しているような人なんていない。さっさと帰って」


「ははは。それを決めるのは君じゃない。ところでさっき、興味深いことを言っていたね。炎を使役していたとか。今、君の使役していた炎は消えてしまったわけだけど、もう一度同じことはできるかな?それとも、誰かの借り物だった?」


「バカにしないで。炎を作るぐらい簡単にできるわ」


「そうかい?じゃあ、ここでやってくれないかな」


「……何を企んでいるの」


「企むだなんてとんでもない!ただ、ちょっと興味があるだけだよ」


「そう。でもあたしがあなたの興味を満たさないといけない理由はないわ。じゃあこれで失礼するわね」


 言って、体を翻し森の中へと立ち去ろうとする。


「おや。俺たちが帰るのを見届けなくてもいいのかい?このままだと、君の後を追って、君の過ごす集落までついて行ってしまうけど」


 少女が顔だけで振り返り、鋭い視線を向けて来る。


「あぁ、いや、すまない。別に脅しているわけじゃないんだ。ただ、俺だって俺なりに必死でね。人を探している以上、人のいる場所に行かなくちゃいけないのはわかるだろう?」


 アレスが探しているのは魔法の才能がある人だ。この場にこだわる理由などどこにもない。が、いま、目の前に見たこともない魔法の技術を使う子供がいる。それだけでこだわる理由としては十分だ。


「炎、作ったらこれ以上関わらないでいてくれるの?」


「さぁ。それは見てから決めるよ」


 ふと視線を感じたので、その視線の下をたどれば、リンが蔑むような目でアレスを見ていた。なぜそのような視線を向けられるのかがわからずに首を傾げる。


(あー……。もしかして完全に不審者になってる?)


「あっ……!」


 物音がしたので少女の方を向けば、そこには走り出した少女の姿がある。しかし、数歩もいかぬうちに、少女は何かにぶつかり、その場に尻餅をついた。


 アレスの作った魔素の壁にぶつかったのだ。魔素を集めているだけで、属性の付与はしていないので、風に押し返されたような感触のはずだ。


「いきなり逃げようとするのはひどくないか?」


「あんたがあまりにも怖かったんでしょ。もうちょっと優しく対応しなさいよ」


「あ、やっぱりそう思ってた?」


 見かねたリンが、アレスの脇を歩いて少女の前にしゃがむ。


「ごめんなさい。怖がらせて。あの人のことは気にしなくてもいいから。どうして夜の森の中を一人で歩いてたの?」


「……関係ないでしょ」


 わずかばかり、アレスと話していた時よりも穏やかな声で少女が答える。さっきまで噛みつくように答えていたというのに、今はいつでも逃げれる体勢を取りつつも、きちんと答えている。


「そんなことないわ。こんな時間にあなたみたいな小さな子が、森の中を歩かないといけない。その理由によっては、私たちも警戒しないといけないもの。だからどうしてそんなことしてたか教えてもらってもいい?」


 少女が、ちらりと後ろに視線をむける。地面についた手を恐る恐る後ろに伸ばす。そこには相変わらずアレスの作った魔素の壁があり、少女の手がある程度以上に進むのを拒絶した。それで諦めたのか、少女がリンと視線を合わせる。


「あたしが森の中を歩いてたのは、姉さんに言われたからよ。あたしたちの村は、大人が少なくて、時々村の外からきた大人が村にくるの。お日様がある間にくる大人はいい大人よ。ちゃんとお話も聞いてくれるし、ちゃんと村のものも何かと交換してくれるから。でも、夜にくる大人は悪い大人だわ。村のものは勝手に取っていくし、嫌がる子も無理やり連れていくの。だから、夜にんると悪い大人がいないか、炎を連れて森の中を探検するの。大人を見つけたら村に帰って姉さんに教えるのよ」


「そう。じゃあ、その悪い大人に森の中で出会うとどうなるの?」


「……わかんない。マリーもルカもレンツも帰ってこなかったもの」


「そっか。じゃあ、私たちがあなたを逃せば、私たちは悪い大人じゃないってわかってくれる?」


「……そうかも」


 いや、その理論はおかしくないか?と思わず声をかけたくなったが、アレスはリンと少女のやりとりを見守る。少なくとも、アレスの害になる話の流れではない。


「よかった。森の中を一人で歩くのは危ないわ。ここで炎を作って村まで帰りなさい」


「うんっ」


 少女は立ち上がると、手近にあった小枝を拾う。リンが散々蹴り倒したので、そこら中に小枝なら落ちているのだ。

 やがて、その小枝が火を吹いた。少女の魔法によるもので、極々ありふれた炎の魔法でしかない。


 少女は、小枝を持った右手とは逆の手で炎を撫で付けると、火のついた小枝を地面に落とす。火は、地面の落ち葉を餌にしてみるみる大きくなり、やがてアレスと同じ程度の大きさで落ち着いた。炎は、犬を象ると、小さく身震いし、少女の足元で寝そべった。


「じゃあね、お姉さん!お姉さんも気をつけて!!」


 少女はリンにだけ挨拶を投げかけると森の中へと走って行った。寝そべっていた炎も、慌てて立ち上がると、少女を追って森の中へと消えていく。


「……なるほど」


 少女の消えた方向を見遣りながら、アレスは小さく呟く。別に小さな子の扱いが、予想以上にうまかったリンに感動したわけではない。


「もうちょっと相手によって話し方を選びなさいよ。相手はまだ子供よ?よくそんなので世界救ってきましたなんて言えたものね」


「いや、子供と話してたのは大体勇者か巫女の役割だったから……」


 人のいるところに立ち寄るのは、大体がアレス以外の人の都合で、宿もアレスは使っていなかった。大衆浴場のある場ではそれを使っていたが、それ以外の場所には寄り付きもしなかったので、子供の相手などしたこともない。


「と、いうよりも、どうしてリンはそんなに慣れてるんだ」


「私、これでも龍の国ではそれなりの立場だったのよ?子供の相手することもあったし、子供なんて種族が違っても考え方は似てるから、相手するのは簡単」


「そういうものか」


「そうよ。さて、じゃあ、昼間にくる大人はいい大人らしいから、湖のほとりで火でも囲んで夜を過ごしましょ。さっきの、私はよくわからなかったけど、アレスはどういうことかもうわかってるんでしょ。ちゃんと教えてもらうから」


 アレスは先に歩き始めたリンの後を追って、湖へと向かった。

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世界の危機になるたびに呼び出すの、やめてもらえません? 皐月 朔 @Saku51

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