1話 帰還と旅立ち

「ただいま我が家!!」


 朝日が新緑を照らす森の中。


 アレスは森の中に佇む自宅の扉を勢いよく開けた。体の左側がいつもよりも軽いので、少しバランスがとりにくい。


「おかえりー。……左腕がないように見えるのは気のせい?」


 扉を開けると、正面、ソファに寝転がって本を読んでいた同居人、リン・ファーニールが視線でアレスを確認。本に視線を戻しながらアレスに左腕がないことを指摘する。


「もうちょっと取り乱すんじゃない?普通」


 左腕を斬り飛ばされ、それなりに時間が経っているので、腕がないことにも慣れて、日常生活を送る事に支障はない。


 訪れる先々で、皆左腕がない事に騒がれていたので、こうも冷静に対応されると少し面白くない。


「ワー。左腕ガナイー。これで満足?」


「うん。もういいや」


 思ったほど反応がないことに少し物足りなさを感じたが、これ以上粘ってもいい反応は返ってきそうにない。


「どうせ、すぐに治せたのにそのままにしてたんでしょ。大袈裟に反応するだけ無駄」


 確かに、斬り飛ばされた腕があれば、腕を元どおりにすることなど容易いことだったのだが、リンがどのような反応をするのかが見たかったがために、腕を捨てるという選択をしたのだった。


 読んでいた本を閉じたリンは、アレスに歩み寄ると、切り飛ばされた傷口を二度叩く。


「はい、元どおり」


 リンの言う通り、アレスの左腕は何事もなかったかのようにそこにあった。


「相変わらずすごいなぁ。一体どういう魔法なんだ?」


「何回も言ってるけど、魔法じゃない。特技みたいなものよ。叩けば治る。龍の治療は叩くこと。まぁ、龍に伝わるお呪いみたいなものね。で、私は龍の特性を色濃く受け継いでるから、そのお呪いの効果も段違いなのよ」


「うーん。特技だったらどんなに教えてもらっても習得できないなぁ」


 同居して、恋人として暮らし、それなりの回数怪我の治療をしてもらったのだが、魔法使いとして最強だと自認しているアレスでもどういう原理が働いているのかが理解できない。


 人ができることなら自分もできるはずだという思いがあるアレスにとって、できないことがあるというのは非常に興味を惹かれるし、いずれは自分も、という思いが強い。


「ま、アレスならいずれできるようになるかもしれないけどね。……まさか、直して欲しいからわざと怪我して帰ってきたわけじゃないでしょうね」


「まさか!そんなわけないだろ?」


 もっとも、腕を切り飛ばされる直前、あえて受ける判断をしたのは、うまくすればリンの治療を受けることができるかもしれない、と僅かでも思ったのは事実なので、静かに冷や汗を流す。


 リンが威圧感を伴う視線でアレスを見つめてきた。


「はぁ……。まあいいわ。でも、腕を切り落とすってことは、それなりに剣の心得のあるあいてだったの?だったらどんな剣使ってた?形は?どこの剣術?!」


 それまでの落ち着きが嘘のように、リンがアレスに質問をぶつけて来る。


 魔法に情熱を注ぐアレスと同じかそれ以上の熱量を、リンは近接戦闘に対して持っている。


 アレスと行動をともにすることになったきっかけも、アレスが魔法でリンを打ち倒したからだ。だから、こうして帰ってきたとき、アレスに切り傷があれば質問攻めにして来るのはいつものことだ。


「や、今回のはたまたま相手の魔術が斬属性だっただけだよ。全く。俺は魔法専門だよ?俺が帰って来るたびにそうやって質問してくるんだったら、リンも俺と一緒に旅をすればいいじゃないか」


 そうすれば、勇者と旅をするのももっと楽しいだろうし、長旅も苦にならない。長旅が苦にならないので、勇者の成長を見守ることもできる。今回のようにアレスが出張って、問答無用で相手を制圧するようなことをしなくてもすむ。


「え、いやよ。私はここで剣術を磨くほうがいいわ。世界を巡ってもそれほど強い相手には巡り合えないし。それよりも、帰ってきたなら早く鍛錬鍛錬」


 帰ってきてすぐに新しく思いついた新技の試し斬りをしようとするのはやめてほしい。


 いつもであれば、勇者と旅をしても、全力を出すことがない。帰ってきてリンと模擬戦をすることで体の動かし方、魔素の集め方の再確認ができるのは、口では色々言いながらも内心では有り難く思っている。


 しかし、今回は弱攻撃しか使っていないとはいえ、久しぶりに初見の相手とソロで戦ってきたので、すこし疲れている。それに今回呼び出されたことで、いい加減、アレスも思うところがあった。


「待ってくれ」


「問答無用」


 アレスの制止の言葉を振り切って、リンが斬り掛かってくる。狙いは左の肩から右の脇腹まで。方法は手刀。ただの手刀がどうしてあらゆる攻撃を防ぐ魔素の防御を貫通するのか。リンに尋ねても首を傾げるだけなので、そういうものだと諦めている。


 とにかく、リンが振り下ろしてくる右手に斬りつけられれば、アレスは間違いなく深傷をおう。目の前に優秀な癒し手がいるので死ぬことはないだろうが、おとなしくやられる理由もない。


 今やるべきことは家から距離を取ることだ。このままここで戦っていれば、いくらじゃれあいのような戦闘とはいえ、弾みで家を壊してしまいかねない。


 リンの姿を視界に収めながら、バックステップを繰り返す。リンから離れすぎるとあまりいいことがない、というのは承知しているが、それよりも家の方が大事だ。


 ある程度家から離れたところで、速度を落とし、リンに対峙する。


 一撃目はバックステップで回避。追って来るリンは右手を脇に溜めた姿勢。右手による突きだろう。


 アレスはリンの右手の外側に向かって、体をねじ込むように一歩踏み込む。右手の軌道から逸れることでリンの攻撃を回避。このまま溜めた右手を突き出せば、相手の脇に掌底が突き刺さり、一撃当てたのでアレスの勝利。


 今回は短期決戦としたかったのでこれで終わりだな、と右手を突き出そうとして、リンの姿勢に不可解を感じた。リンの背中が見えている。アレスは本能に従って体を地面に投げ出し、体を転がしてリンから距離をとる。その途中、体の上を、突風のようなリンの蹴りが通過した。


 十分に距離をとり、立ち上がってリンを見れば、そこには後ろ回し蹴りをした足を地面につける彼女の姿があった。


「殺す気か!」


「大丈夫大丈夫。すぐに直してあげるから」


 つまり一度は殺すということか。大丈夫な要素が一つも見当たらない。


 とにかく、リンが動けるうちは制止の言葉などいくら掛けたところで、襲いかかってくるだろう。ならばまずは動きを止めること。動きを止めた状態でならば、まだ話を聞いてくれるだろう。


 体を低くし、攻撃の溜めを作っているリンを見て、アレスも応戦する覚悟を決める。


 リンが一歩を踏み出した。

 付き合いは長い。歩幅は把握している。

 次に踏み出す足が着地する地点の地面を陥没させることで、バランスを崩させる。

 失敗した。アレスの意図を一瞬で把握したリンが、軸足に力を込め、陥没した地点よりも先に着地したからだ。


 こうなればリンを止めることは難しい。彼女の足運びは、2歩目以降は変幻自在。バランスを多少崩したとしても、勢いに任せて前進してくる。


 アレスはとにかくリンの進行方向に障害物を設置することで時間を稼ぐ。


 が、いかんせん2人の距離が近い。


 リンは一瞬で距離を詰めると、アレスの胸に貫手を突き込んだ。


 アレスが血を吐き、そして岩のように硬くなった。


「げ!偽物?!」


「そ、とりあえずこれで決着にしてくれね?ちょっと話もあるし」


 リンの後ろに体を作りながら声を出す。


 リンが嫌そうに首を回し、アレスに視線を向ける。


「いつも思うけど、どうしてそんなことができるの?」


「神様って呼ばれる存在から世界を救えばできるようになる」


 2度目か3度目だったとアレスは記憶しているのだが、当時、神が世界を作り替えようとした。作り替えるのだから、そこに息づいている生命は全て息絶える。国の名前は忘れてしまったが、大陸の西の方にある神殿の野良巫女が察知。たどり着けば考え直してやろう、と言うので巫女とほか数名で神の座す天上の宮殿に乗り込んだのだ。


「で、神様説得に成功したから、今の世界の副神に勝手に任命されて、この世界の至る所に自分はいるっていう特殊術式使えるようになるから、後は応用かな」


 リンの腕を捉えている岩の塊を指でつけば、岩は解けるようにして形を崩し、地面に吸い込まれていく。拘束されていた腕を2、3度振って、腕の調子をリンが確認。


「じゃあ、その技は一緒に神を説得したみんなができるってこと?」


「それが不思議なんだよな。なぜかこの話をするとみんな視線を逸らすんだ」


 それどころか、それ以降ほとんど出会うこともなくなった。あの頃はまだリンと出会う前で、己の魔法の研鑽をするため、世界を放浪していたので、共に旅をした仲間の出身地に行ったりもしたのだが。


「それ使えば離れたところに移動もできるんじゃない?」


「できないことはないけど、離れすぎるとダメだな。まともに体が構成できない。だから移動手段として使うなら、一回の有効距離は大体町一つ分ってところか」


「町一つって、曖昧すぎない?北の方にいけば、中央部の10倍はある大きさの町だってあるわよ?」


「そんなこと言われてもなぁ。実際、町の端から端までなら大体うまくいくんだからそうとしか言いようがない」


 距離ではなく、生き物の密集度合いで可能な移動距離が変わることは実験済みだ。他に使い手がいないので検証のしようがないことが悔やまれるが、生き物が少なければ地域あたりの魔素の量は増える。そして、離れたところに移動する際、そこに必要な魔素がなければ成功しないのだろうな、という仮定はある。実験結果もその仮定を裏付けるものばかりだ。


「まぁいいわ。今回はこれで決着としましょう。で?話って何?」


 リンを促し、家の中へ向かって足を進める。


「世界が脆すぎる」


「と、いうよりはあまりにもみんな世界を壊そうとしすぎなのよね」


 その通りだ。この世界にはあまりにも多くの種族が生活している。そして、あまりにも多くの価値観が生まれては消えていく。互いが互いを黙認できる程度の規模であれば問題はないのだが、どこか一つの勢力が大きくなれば、隣接する世界を壊し、己の世界の平穏を確立しようとする。


 結果として、壊される側の世界は、侵略して来る世界から身を守るために精鋭を選りすぐって対抗する。それが勇者であり、アレスのような辺境で暮らす魔法使いであったりする。


「そう。だから、俺一人じゃ手が足りない。そもそも、俺が手助けをしてんのは暇つぶしっていうか、大きくなった世界がどんなものかを知るためで、別に今の世界に固執してるわけじゃない」


 一人で暮らしていた時であれば、侵略してきた世界に魅力を感じれば、立場を変え、侵略者に手を貸したこともあった。今はリンと暮らしているので、リンとの合意があれば侵略者側につくことも躊躇わない。


「だから、どこかの勢力が勢いを増すたびに助けを求められるのすごい迷惑なんだよな。俺自身は、この森の中で静かに暮らしたいんだ」


 魔素が濃厚という理由だけで住むことを決めた森だ。他に類を見ないほどの魔素の密度を持つこの森には、独特の生態系、独特の進化を遂げた生き物もいるため、できればこの森から離れたくはないのだ。


「じゃあ助けてくれって言われても助けなかったらいいじゃない」


 家の扉の前までたどり着き、振り返ればリンが笑みを浮かべて首を傾げていた。それは、獲物をいたぶる龍の笑みで、勝ち目のない勝負にアレスはため息をつく。


「じゃあ俺が助けを求めてきた相手を放り出したら、リンはどうするんだ」


「私もアレスの元から離れるわね。だって、私がここにいるのは人を助けるアレスが好きだからだもの」


「だから、それは誤解なんだって……」


 リンがアレスに負けたから、その強さに惹かれて行動をともにするようになった。そのことに偽りはないが、行動をともにするうち、何度かアレスは人助けをした。当時のアレスは、人に何かを頼まれれば、受諾してさっさと頼まれごとを終わらした方が、断るよりも効率的だったからそうしていただけなのだが、行動をともにしてまだ日も浅かったリンにはそう映らなかった。


 人助けをして、感謝の言葉も受け取らずに次の目的地へと向かうアレスの姿が格好良くみえたのだという。


 その誤解をアレスが知った頃には、アレスもすっかりリンのことが好きになってしまっており、リンの理想に近づけるよう、助けを求められればその求めに応じるようになった。


「とにかく、俺はこの森で静かに暮らしたい。隣にリンがいてくれるとすごく嬉しいし、隣にリンがいないといつか木になりそうだ」


 言いながら、この森に一人で暮らしていたら、いつか自分が木であると錯覚して、本当に自身の体を木に変質させそうで怖いな、と身を震わす。そうならないためにも、リンには隣にいてほしい。


 ドアを開け、リンを部屋の中へを誘う。


「だから、世界が危なくなった時、俺が出なくても世界を救えるよう、人を育てる。そして俺の代わりに世界を救ってもらう」


「それでいいの?」


 部屋の中に入りながらリンが言葉を返して来る。


「今は俺一人で手が足りてるけど、だんだんと周期が短くなってる。いつか俺一人じゃ手に負えなくなることを考えれば、どのみち必要になってくることだから」


「まぁそれもそうね。わかったわ。詳しく話を聞きましょう」



+++



 それから、朝日が夕日となり地に沈み、空に月が昇ったころ、アレスとリンは空にいた。


 二人は空を飛ぶ龍の背中に座っていて、時折地面を流れる光を目で追いながら夜の空を飛んでいる。二人の下にいるのはザックスという名の雌龍で、リンが家出をするときについてきたリンの愛龍だ。


「やっぱり龍の背中に乗って飛ぶのが一番気持ちいいな」


 魔素を活用して飛べないこともないのだが、その際はどうしても魔素を操りながらになって、景色に集中できないし、空を飛ぶ生き物で龍を上回る体の大きさのものはいない。体が大きいと乗り心地も変わって来る。


「今度私の背中に乗る?」


 確かに、ここ最近はリンが龍の姿をとって飛ぶほど緊急の案件がないので、リンの背中に乗っていない。乗れるのなら久しぶりにリンの背中に乗って遊覧飛行をしたい。


「おやめくださいお嬢様!!そんな人間を背中に乗せるなど!あなたはもっとご自身の立場を弁えるべきです!!」


 遊覧飛行はしたいのだが、今アレスが乗っているザックスが、アレスがリンに乗って飛行するのを平時は絶対に許してくれない。


「夜、アレスに跨ったり、後ろから突かれたりしてるって知ったらこの子どうするんだろ。大丈夫かな」


「間違いなく俺の家が壊されるからやめて」


 森の中にある家は、魔法使いを殺そうとする一定数の種族に定期的に襲われる。それを警戒して、アレスは家に強化の魔法をかけているため、簡単に壊されるようなことはないのだが、龍の巨体で攻撃されれば無事では済まないだろう。


「で?どうして北方で優秀な子を探すの?」


 今二人が向かっているのは大陸の北方。そこでアレスの教える魔法が使いこなせる素質のある子供を探しに向かっているのだ。


「理由としては幾つかあるんだが、北方は大陸内でもっとも孤児が多い。だからかな。ある程度の極限状態の方が魔法適性を見抜くのが簡単だ。それに、北方のやつの方が我慢強いし貧しい。裕福なやつを育ててもつまらん」


「つまり、人助け?」


「その解釈でいいよ」


 とにかく、世界を救うため、アレスに求められるのは魔法使いとしての技量だ。アレスが代わりとして送り出す以上、魔法使いとしての才能は必須で、その人材探しに今は北に向かっているのだった。


「楽しみね。北にはどんな使い手がいるのかしら。久しぶりの遠出だから、胸が躍るわ」


「だったら一緒に旅しようぜ……」


「いやよ。初対面の相手と長時間旅するなんて」


 意外に人見知りするリンの本音が漏れ、アレスはため息。目的地である大陸の北の端に視線を向けるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る