世界の危機になるたびに呼び出すの、やめてもらえません?
皐月 朔
序章 何度めかの世界救済
息を吐く音がやけに耳につく。
目の前に立ちはだかっている敵、その一挙手一投足に集中しなければいけない状況だというのに。こんなことでは相手の初動に対応するのが遅れてしまう。
「……どうした。息が荒いぞ?恐れているのか?」
「なにをいう。勇者は分断し、あとはお前さえ殺せば、世界は崩壊する。勇者はもう間に合わない」
「なるほど。勇者でなければ、世界崩壊を防ぐことはできないと思っているのか」
おかしいと思う。
なぜ目の前の男はこうも余裕をもって構えているのか。聖剣に選ばれた勇者でなければ、聖剣を扱うことはできず、聖剣でなければ、今自分の後ろにある邪神像は切り裂けないはずだ。自分の祈りを聞き届け、この世に解放されれば世の理を激変させるという邪神。
「じゃ、とりあえずその迷惑な代物を壊そうか」
言って、男が右手をあげた。
なんのつもりだ、と思ったが、その変化は直ちに起こった。
「……それはなんだ!なにをしている!?」
男の挙げた右手。その手の先に、何かが渦巻いている。いや、肌にあたるこの感覚。ここまで強烈なものは経験がないため、信じがたい。
「ただ魔素を集めてるだけだ。お前も魔法使いを名乗っているなら、わざわざ聞かずとも、俺が言わずとも、そんなことはわかるだろう」
確かに、男のいう通り、男の右手の先に集まっているのは魔素だ。自分だって魔法使いで、魔法を使う時には魔素を集める。
集めた魔素に、自らの起こしたい現象を付与して世に生み出すのが魔法だ。
だから、男が何をしているのかはわかる。わからないのはその規模だ。
魔素は、世界に溢れている。そして、魔素は互いに引き合う性質を持っており、人の身で集めても、世界に溢れている魔素に引かれ、多くの量を集めることができない。
だから、人は魔素に現象の付与を行うことで変質させて魔法を発動させる。
では、あれはなんだ。
魔素のままであれば自然に拡散していくものではないのか。
「さて、聖剣でなければ、邪神像を破壊することができない。一般的に言われていることだが、これは正しくない」
男の言葉に、どういうことだ、と動揺する。そうしている間にも、男の集めている魔素の量は増えている。対抗するために、自身も魔素を集め、そこに鉄の意思を込めて防護壁を作る。
「正しくは、聖剣は純粋な魔素で攻撃できる武器のうち、最も威力が高い、だ。だから、聖剣を上回る量の魔素を操ることが出来たなら、聖剣なんて必要ない」
「それができないから、聖剣は特別なんだ!だから聖剣の攻撃しか受け付けないというものは特別視されるのだ!」
この男の言葉が正しいなら、この男は個人で聖剣と同じ事ができることになる。そんなものは存在してはいけない。
「だからまぁ、この場に呼び出されてるんだが?いつもなら、勇者に花を持たせるためにもうちょっと脇役に徹するんだが、今回はその時間が煩わしくてな。だから、すまん。死んでくれ」
もはや、空間を歪めるほどに集められた魔素を、男が右手の振り下ろしという単純な動作で操り、叩きつけてきた。
後ろに守るべきものがある以上、避ける、という選択肢はない。
出来る限りの全力で魔素をかき集め、男からの攻撃による被害を最小限に抑え込もうとする。
直後、男からの振り下ろされた魔素が叩きつけられた。
全身を引き裂くような痛みと、全身を押しつぶすような痛み。体は焼けるような気もするし、凍てついているような気もする。
あらゆる苦痛を、己が願望を叶えるために耐え忍ぶ。
「あ、おぉぉぉお!!」
自身を鼓舞するために雄叫びを上げると、不意に体が楽になった。
耐え切ったのだ、という喜びに、顔を正面に向ける。
「2発目。頑張れ」
「は……?」
1発目と同じ規模の魔素の歪みがそこにはあった。気がついた頃にはすでに振り下ろすところであった。
あれほどの規模の魔法だ。連発はできないと思っていたのに、この現実はなんだ。
とにかく防御だ。先程一撃受けた事で、多少の心構えはできている。再び防御魔法を展開。合わせて、こちらも攻撃のための魔法を構築する。
これでも世界を崩壊させるために魔法の腕は磨いてきた。ここでは負けるだろうが一矢報いる程度はしないと、ここまで頑張ってきた自分に申し訳ない。
男の右手が振り下ろされる直前、攻撃魔法もまた放たれた。斬撃を付与した魔法は、勢いよく飛び、男の左腕を切り飛ばした。
その様子を、叩きつけられる魔法の痛みに耐えながら見届ける。
「取った……!」
己の成した成果に、思わず歓声を上げると、男は切り落とされ、飛んでいく左腕を掴み取った。
「じゃあ、これはプレゼントしよう」
魔素の叩きつけが終わり、男が切り落とした左腕を放り投げた。
左腕が、目の前に飛んでくる。
万全であれば、ただ飛んでくる物体など、弾き飛ばすか、切り刻むかするのだが、予想外の行動に対する反応は遅れた。
気がつけば目の前に左腕はあり、腕は白く発光している。
直後、視界を覆う白い光。
それが最後の光景となった。
+++
「あー……。左腕どうしよ」
まぁ、家に帰れば治るだろう、と深くは考えないことにする。腕が治るかどうかよりも、その前に怒られることの方が憂鬱だ。
「なんというか、世界が危なくなるたびにうちに寄るのやめてほしいんだよなー」
この辺りの愚痴に関しても、家に帰って誰かに聞いてもらいながらやったほうがスッキリする。
その前に勇者を回収しないとな、と憂鬱になる。あの勇者は非常に暑苦しいのだ。歴代の勇者は皆揃って暑苦しいが、今回のはいつもの勇者より数倍暑苦しい。
だからこそ、世界を救う旅で間違いなく遭遇する、世界の不条理に直面すると、そこから動けなくなる可能性もあった。
そこまでして長旅に付き合いたくはないのだ。大昔、まだ己の魔法がどこまで通用するのかを探究していた頃ならば研究の一環として見守っていたかもしれないが。
今やるべきは、どこかに落とされた勇者を拾って、国王の前に帰還させること。そうなれば後は家に帰るだけだ。
国王は謝礼を出そうとするか、貴族位を与えようとする。もしかすると暗殺しにくるかもしれないが、いずれにしても構わず家に帰ろうと思う。
そうと決まればやるべきことは決まっている。
世界最強の魔法使い、アレス・マリンは勇者の姿を思い浮かべると、自らの身を勇者の元へと転移させるよう魔法を使った。
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