第4話
園芸部の部室には、ときどき年老いた黒猫が現れた。
「餌付けでもしてるの?」
「失礼な。園芸部の先輩だってば」
「先輩? 呪いで猫に変えられたか……?」
「は?」有泉は呆れたように僕を見る。猫も呆れたように、にゃあおと鳴く。
「平林君って、本の読みすぎっていうか、メルヘンチックっていうか、ときどき言うことが、おかしいよね」
「ごめん、気をつけるよ」
僕が撫でようとすると、猫はそれまでののんびりした様子とはうってかわって、さっと身を翻すとフウーっとうなった。
「悪人に敏感なの」
有泉は意味ありげに微笑む。もしかして、もしかして僕の正体に気がついてしまったのか?
「冗談だよ」
ばれてはいないようだったが、冷や汗が止まらなかった。
「他に何か飼ってるの?」
「ダンゴムシを、たまにね。この人たちさあ、枯れた植物を食べて土に戻してくれるの。だから、ダンゴムシ見てると、うれしいんだよね。ああ、畑のために頑張ってくれてるんだなって」
「蝶々、とかは?」
「蝶々? あれは敵。幼虫がどれくらいすごい勢いで葉っぱを食べるか見たことある? モンスターよ、モンスター。映画で怪物役させられるのも、一利あるってもんだわ」
「ふうん」
彼女の考えてることは、筋が通っているのか、独断と偏見に満ちているのか、よくわからないのだった。
「ねえ、この庭、手入れしなくていいわけ? 草刈って、花壇とか作ったらきれいなんじゃないかな。畑作って、野菜売る、とかさ」
有泉はちょっと考え込んだ。
「私、そういうのあんまり好きじゃないの。私の理想は、“アレタルニワノツユシゲキニ”ってやつなの」
「なにその、呪文みたいなやつ。何語?」
「徒然草だってば。『九月二十日の頃』ってあったでしょう」
「ほ、ほう?」
有泉はため息をついた。
「草ぼうぼうに荒れた庭に、露がぎっしりついているような、そういった手入れの行き届いていない、野生を重視した庭が私のなの。この庭って蜘蛛の巣だらけだけどさ、朝露なんかがつくと、すごくきれいになるんだよね。そういう自然の美を大切にしたいの。いじくりまして人工的にするのは好きじゃないの」
「そうか、まるで……」
言いかけて僕は口をつぐんだ。「君の眉毛のように」なんて言えるわけがない。
「まるで、何?」
「だから、まるでこの庭のような表現なんだね、そのあれたるなんちゃらって」
「ま、そういうこと」
本当に徒然草の作者はそんなこと言いたかったのだろうか? 残念ながら僕はその文章のことをまるで覚えていないし、また図書館へ行って調べるほどの興味もないのだが。それに、単に有泉がずぼらなことに対する言い訳だと思えなくもなかった。
「なんだか、今日顔色がいいんじゃない? 何かいいことあった?」
数日振りに会う陽子は、僕の顔を見ると驚いたようにそう言った。リーダーにも同じことを言われたことを思い出す。
「煙草吸ってないせいかな」
「え? 吸ってたっけ?」
「副流煙をね。最近、リー…じゃなくて成吉君とあんまり会っていないからなあ」
でも、あの日はリーダーと会ってたしなあ。他に考えられることと言ったら、園芸部に乗り込むことで緊張していたことくらいしか考えられないが(緊張すると顔色がよくなるんだっけ?)
そんなことを考えていると、陽子が頭につけている蝶々の形をした髪留めが目に入った。
「蝶々好きなの? その髪留め、可愛いね」
「ありがとう」
あれは敵だ、と言い切った有泉のことを思い出す。やはり有泉は、にっくき蝶々の髪留めなんてつけないのだろうか。
「ああ、それと、薬草みたいなものを飲んだな、たしかあの日」
陽子は不審そうに僕を見上げる。どう間違っても有泉と陽子が親しくなることなどないので、僕は園芸部に入部するふりをしていることを話した。
「へえ、園芸部って、あの変な人が仕切ってるところだよね? あの人、けっこう気難しいみたいだよ。去年園芸部に入ってた子も、クビにされちゃったみたいだし」
本当にクビにしていたのか、有泉。
「幸ちゃんは上手くやってるの?」
「まあ、なんとか」
「ふうん」
陽子はいつもこぎれいな格好をしている。つなぎなんて着せようとするものなら、きっと卒倒するだろう。世の中にはいろいろな女の子がいるものだ。
そのとき、ひらひらとアサギマダラが飛んできた。「きゃっ」と陽子が身をかがめる。
「蝶々好きじゃなかったの?」
「本物の虫は嫌い。気持ち悪いもの」
それは非常に陽子らしい発言だったのだが、僕は何故だか違和感を覚えた。
放課後の部室には、常に有泉がいた。本を読むか、植物の世話をするか、ぼーっとするかしていた。友達が来ることもなかった。
また、彼女は、公務員試験の数的処理の問題集をよく解いていた。
「有泉さん、公務員になりたいの?」
「べつに」
「じゃあなんでそんなに真剣に勉強してるの?」
「ああ、これはパズル感覚で解くのが面白くて」
「数学、好きなの?」
「数学は難しすぎるから嫌い。これくらいが丁度いいの。これは考えれば答えが出るでしょう」
数学は考えても答えが出ないのだろうか、と思ったが、まあ、あまりしつこく聞いて機嫌を悪くされても困るので、何も言わないことにした。
細かいことが嫌いそうな割に、お菓子作りの名人でもある彼女は、休日にハーブを混ぜて焼いたクッキーを作り、部室にストックしていた。僕も一緒にぽりぽりかじっていたが、甘さ控えめで、独特の風味があって、どこでも買えないような代物だった。使命を全うしたら、このクッキーを二度と食べられなくなってしまうかもしれない。それを思うと、少し気が重くなってしまう。
「最近、よく顔色がよくなったねって言われるんだよね。ハーブのおかげかな」
有泉はそれを聞くと、にやっとした。やはりハーブを褒められるのはうれしいのだろうか。
「そういうの、プラシーボ効果って言うんだよ」
「何それ。ハーブの専門用語?」
「思い込みが激しい人、おめでたい人はね、小麦粉とか、全然効果のないものを薬だって渡されて、それを薬だって思って飲むとアラ不思議、病気が治ったりするんだってさ」
なんだ、馬鹿にしやがって。
「なんで有泉さんはハーブが好きなの?」
「さあね」
彼女は気が向かないと、こうやって気のない返事をする。
「これだけの種類を集めるのに、いくらくらいかかったの?」
「覚えてないけど、ほとんどもらいものだよ。ハーブは強いから、枝を一本土に挿しておくと、そっから根が出てどんどん増えていくの。時間さえあれば、あっという間に増えるの」
「あとは地面のエネルギーにお任せか」
僕は再び缶からクッキーを取り出した。
「お前、今日の昼休み、どこ行ってたんだ?」
昼休みには隠れ家で過ごすのが原則、来られないときには事前に連絡を入れるのが暗黙のルールだったが、猫にかまけてすっかり忘れてしまった。
「園芸部だ」
僕は力なく答える。
「急な会議があってね……連絡する暇がなかった。悪い、この通りだ」
頭を下げる僕を、リーダーとNo2は不信そうに見る。
「活動、忙しいのか?」
「まあ、そんなところだ」
「仕方ないけど、俺達の友情も大切にしてくれよ」
女々しいことを言うやつらだと思いながらも、「わかってるよ」と答える。そう言いながらも、彼らの事が遠く感じられる自分がいるのを、僕は意識し始めていた。
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