第3話
部室のドアをノックする。返事がない。
「有泉さん」恐る恐るドアを開けてみたが、中には誰もいないようだ。「鍵くらいかけろよ」と毒づきながらも、勝手に中に入る勇気はない。仕方がないので、外の庭を散策することにした。
よくよく見てみると、雑草、いや、野生の草に混じって、人が植えたらしき植物が競うようにして生えている。 昨日彼女が摘んでいたのはどれだったっけ。 それらしき葉を探しつつ、指で触って香りを嗅いでみる。それは野生の草の場合もあったが、ハーブらしき草だった場合、どれもそれぞれ違う、時には甘く、時には香ばしい独特な香りがしたのだった。「やるじゃん」と、思わずそんな言葉が口をついて出た。
そうこうしているうちに、部長がやってきた。
「あら、来たの」
「うん」
「入ってていいのに。部室は部員のための場所よ」
「あ、ああ、そうだね」
彼女は昨日の気まずい別れのことは、気にしていないようだった。照れ笑いをしながら、部室に入った。
部長はつなぎを着ていた。
つなぎ? 何故つなぎなのだ?
「有泉さん、なんでつなぎ着てるの?」
「実習だったの」
「実習? 何するの?」
「いろいろ」
話すのが面倒のようだ。わかりやすい性格だ。
しばらくの間、彼女はそれほど散らかってもいない机の整理整頓をしていたが、やがて諦めたように、僕に声をかけた。
「あのさ、着替えたいから、ちょっと出ててもらえる?」
そうか、魔女も一応女の子なんだと、今更ながら当然のことを思い出す。まあ、杖を一振りしたらつなぎが黒いローブに変わるなんて、それはちょっとアニメの見すぎか。それに変身シーンだって、必ず影に隠れてこそこそやるものだ。
やがてドアが開き、黒いタンクトップとベージュのハーフパンツに着替えた有泉が現れた。首からは例の青い石をさげている。彼女の日焼けした肌に、その青い色はよく似合っていた。
「つなぎで作業したらよかったのに」
「長袖長ズボンは暑いもの」
「日焼けは気にならないの?」
「今更何を気にしろと?」
なるほど。
「さっき畑の草を見てたんだ。いい香りがするね」
「あら」
有泉が微笑む。昨日の無愛想な様子とはうって変わって、黙って微笑んでいれば可愛く見えるのに、と思ってしまう。
「ほら、これ」彼女はそう言って、本棚から一冊の本を取り出す。
「ハーブのことがいろいろと書いてあるの。読んでね」
「ありがとう」
しかし会話を長く続けることは困難で、彼女は鞄から本を取り出すと、さっさと本の世界に旅立ってしまった。慌てて呼び戻す。
「あのさ、この部活って、何やってるの?」
「何って、園芸よ」
「具体的にどういう活動してるわけ?」
彼女はしばらくの間考え込んでいる。
「もしかして、ちゃんと活動していないとか?」
「それはないけど。私、ほとんどずっと一人でやってきたから、全部習慣になっちゃってて、何してるのかって改めてきかれると、具体的に説明しにくいんだよね。まあ、気ままにやりたいことやってるのかな。お茶作ったり、果実酒つくったり、野菜育ててみたり。あ、そうだ」
彼女は思い出したように、本棚から古ぼけたノートを取り出す。
「過去の部員の活動報告。これみると、どんなんだかわかるよ」
目を通してみると、活動内容が実に多岐にわたっていること、年度によって全く違うことがわかった。部員数は、一人だったり、多くても最大五人程度のようだった。
「この部、よく潰れないよね。ほら、なんだっけ、部活って、人数何人以上いないと廃部、とか規則あったよね? たしか部室も返還しないといけなくて、学校からの補助金も出なくなるよね」
「いいじゃない、べつに」部長は少し慌てた様子だ。「学校が何も言ってこないんだから、いいの」
きっと何かある。ひょとしたら、弱みを握れるかもしれないなと思った。今はまだ、警戒心を抱かれるわけにはいかないが。
「私、お茶飲むけど、飲む?」
「うん」
一応下っ端なので、外に出る部長の手伝いをするべく、僕も外に出る。
「どれを摘むの?」
「ええとね、じゃあまずこれ。これはカモミールというの。花を摘んで」
ビンボウグサみたいな顔して、ハイカラな名前がついている草を摘む。「はい」
「次はこれ。ラベンダー、くらいは知ってるかな。これも、花ね」
なんだか人工的な紫色だなあ。「はい」
「そして、昨日のやつ。クールミント」
なんだ、香りと比べて、外見は超地味じゃん。「はい」
「最後に、このレモンバームが欲しいな。レモンの香りがするの」
こんな見るからに雑草みたいなのが、レモンとどう関係あるのかねえ。「はい」
指示通り、次々と植物を摘む。とたんに彼女が顔色を変えた。僕は何かしたのか? とうとう石にされるときがやってきたのだろうか…?
「あ、あのさ、それは引き抜くっていうの。根っこから引き抜くと、枯れちゃうでしょう? 先っぽを少しだけ摘めばいいの。ね?」
怒るというよりも、大慌てだ。動揺しているせいか、普段の高飛車な態度ではなく、子供に言いきかせるような穏やかな言い方をしている。ちょっと可愛らしくもある。
そうして彼女は、僕が引き抜いてしまった植物をそっと植え直した。それは優しい手つきで、人間に接するときの彼女とは、まるで様子が違うのだった。
「いいね、ハーブティーって。これ、何か効果あるの?」
「効果?」
「そう、リラックス効果とか、ダイエット効果とか」
「知らない」
「じゃあ、何を求めてこれを飲んでいるの?」
「別に、飲みたくなかったら飲まなくていいんだけど」
ああ、また怒らせてしまったようだ。
仕方ないので、新たな話題を振ってみる。
「君はいつも何してるのさ」
「庭仕事と、読書と、あとはまあ、普通に学校通ってと、ありきたりな生活だよね。 旅行もしてみたいけど、植物放っとくと、何日も水遣りしないでいると枯れちゃうから、なかなかできないんだよね、そんなもんかな」
意外と普通じゃないか。まじないの教室へはいつ行っているのだろうか気になるが、今はまだ尋ねないでおこう。
「何故、君はいつも一人でいるの? つまんなくない?」
「べつに。ろくに気の合わない人といる方がつまんない」
「じゃあ、僕と一緒にいるのは、つまんない?」
「話の流れがよくわかんない」
有泉は呆れたように言った。
何も考えずに訊いてしまったが、たしかにおかしな質問だった。面と向かって「うん」とは言いにくいだろうし、彼女の性格だったら、気を使って「そんなことないよ」なんて言いたくないのだろう。しかしはぐらかされたということは、やはりうん、なのだろうか。No2のいうことをきけばよかったか。
しかし、彼女はそれほど気にしていなかったようで、再び話し始めた。
「私、高校も園芸同好会作って活動してたから、夏休みもほとんど毎日学校行って、水遣りしてたんだ」
「大変だね。辞めたくならないの?」
「ならない、と言ったらうそになるけれど、一度枯れちゃうと、もう二度と元に戻らないし。だから、世話を続けるしかないの」
「ふうん」
「でも、やっぱりさ、地面に植えると全然違うよね、植物は。野生の植物と競争させて、元気に育ってほしいな。私はそういうのが好きなの」
「ふうん。僕にはよくわかんないな」
有泉は僕の言葉など耳に入らぬ様子で続けている。
「植木鉢の中で小さくなっていた植物もね、土に降ろすとどーんと大きくなっちゃうの。やっぱり、根っこが成長できるようになるとか、栄養や水が不足しないとか、それだけの問題じゃないんだよね、きっと。 地面はエネルギーで満ちていて、植物はそのエネルギーを目一杯吸い上げて、思う存分成長するの。すごいよね」
有泉があまりに楽しそうに話しているので、僕はちょっとしらけてしまう。
「僕は農学部じゃないから、そういうことわかんないよ」
「学部がどうこうなんて、関係ないでしょ」
やばい、また機嫌を悪くしつつある。やっぱり僕は黙ってるべきなんだろうか? しかし有泉は気を取り直すと話を続けた。
「平林君もさ、そんな革靴ばっか履いてないで、たまにはサンダルでも履いてみたら? そして、地面の上に裸足で立ってみるの。気分良いよ」
「いや、遠慮しとくよ。虫がいそうだし」
そう言って、机の上に置いてある植物のハート型の可愛い葉っぱをなでる。僕には、室内の植物の方が親しみが持てるようだ。
そんな僕を無視して、有泉は外に飛び出した。怒ったのではなく、話しているうちに地面に生える植物を眺めたくなったようだった。
園芸部の庭は、はっきり言って荒れ放題だ。虫もたくさんいるし、日焼けしそうだし、僕はちょっと腰が引けてしまう。彼女に言わせれば、そんなのもみんな地面の持つ生命力の表れなのだろうか。
「みみちゃん。元気?」
兎にでも話しかけているのかと思ったら、相手はミミズだった。
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