ガラスの水風船
夏休みも残り僅か。 今日は受験勉強の息抜きに、新は夕弦と地元から少し離れた夏祭りに行く事になっていた。
( 夕弦さん、やっぱ浴衣かなぁ…… )
その姿を想像するだけで顔が緩む。 だが反面、人目を引く圧倒的美少女を彼女に持つ者の悩みもある。
( 俺、彼氏に見えないだろうな……。 というか、そもそも周りの視界に映らないんじゃないか? )
そんな事を考えながら家を出る。 中学校生活最後の夏を充実させ、浮かれて歩く骨抜き少年。 その背中には―――
( 久しぶりに来てみたら、大分ニヤけた顔して出てきたな )
回数は減ったものの、個人として身辺調査を続けていた俊哉が、白けた目を向けて見ていた。
( ……いつもと道が違う、今日は森永先輩とこじゃないのか。 そしてあのだらしない顔……まさか…… )
調査初日以来の手応えを感じる俊哉。 そして、二人は駅から電車に乗り込んだ。
目的の駅に着き、改札を出た新は駅前を見渡す。
「もう着いてるみたいだけど、どこかな……―――ん?」
目に留まったのは、まるで何かのパフォーマンスをしているように、一定の距離を置いて人に囲まれる一人の女性。 ただ囲む人々は直視せず、チラチラと盗み見るようにしている。 それは、男女共にだ。
「これは……どう、しよう……」
それが自分の彼女だと分かると、どう傍に行って良いかと思案に暮れる。 そうしている間にも彼女は彼を見つけ近付いて来るが、その有り触れた仕草や行動、それを特別な、映画のワンシーンのように昇華させてしまうのが森永夕弦だ。 そして、それを観る観客達は見とれながらも道を開け、彼の元へ辿り着いた主演女優は微笑んだ。
「新さん」
「………」
近くで見る夕弦は黒髪のウィッグで、ガラス細工のかんざし、うなじ辺りに下がった大きい団子結びをしている。 紺に藤柄の浴衣、帯は白から黄色に色を変え、足元の下駄は鼻緒が水色。
誰かに会っても泰樹だと悟られない為、濃い目の化粧をしている彼女は、やはり中学生とは思えない大人びた美しさで人の目を魅了する。 それは当然、新もだ。
「呼吸を、忘れそう……」
小さく零した言葉を拾えなかった夕弦が小首を傾げる。
「夕弦さんを見てると、景色が消える」
「え?」
「キレイだから」
思った事がそのまま口に出てしまう。 俯き恥じらう夕弦は、間隔の短い瞬きを数度してから、そっと新の手を取った。
「……歩きましょう」
「……うん」
手を繋ぎ、ゆっくりと歩き出した二人を見ていた人々は、恋物語を演じる華やかな女優が、黒いシルエットを相手役にしているように見えた。
彼を除いて―――
( ……あの
遂に突き止めた新の恋人。 それは、本人からそうだと言われても信じられない絶世の美女だった。
( あんなキレイなひとが? しかも、年上? )
考えれば考える程に “そんな筈はない” 、が溢れてくる。
「なんでだ……鶴本先輩も、連城先輩も、あのひとも……一体間宮先輩の――――どこがいいんだ!?」
どんな説明を受けても納得出来ないこの世の不思議。 思わず声にした俊哉は、何枚もの疑問符を頭に貼り付けて二人の後を尾ける。
「活気があって、この雰囲気だけで楽しくなってきますね」
物珍しそうに見て歩く夕弦は、目を輝かせて話し掛けてくる。
「夕弦さんは、お祭りあんまり来たことないの?」
「そうですね、あまり人の集まる所へは行きませんでした。 母は目立つ人なので」
「……そっか」
それを特に気にした素振りの無い夕弦に、新も何となく相槌を打つ。
( そりゃ夕弦さんのお母さんならキレイだろうし、目立つだろうな。 でも、それだけで人目を避ける、かな……)
少し疑問に思う部分はあるが、それよりも先に聞くべき事を彼は思い出した。
「えっと、沙也香さんに送ってもらったんだよ、ね?」
「はい」
「ご本人様は……お帰りに?」
「いえ、沙也香さんは……
――――『お嬢様、お祭りの雰囲気に流されてはいけませんよっ! 男というのは何でもチャンスだと勘違いするバカな生き物なのです。 私はちょっと守にお祭りの楽しみ方というのを教えなくてはいけないので失礼します、では後ほどっ!』――――
……と言って、どこかへ行ってしまいました」
「……そう、それは邪魔できないね」
沙也香の言う祭りの楽しみ方、というのは不安極まりないが、当の守は破天荒な使用人との交友を喜んでいるようなので、これはお互いにwin-winの関係だと新は思うようにしたようだ。
「あっ、キレイな水風船がたくさん」
「ああ、ヨーヨーつりだね」
お祭り初心者の夕弦が興味を示したのは、ビニールプールにプカプカと浮く水風船達。
「夕弦さん、やったことある?」
「ありません、新さんやってみてください」
「まあ、これぐらいなら」
こういった出店のゲームの中では、比較的難易度の低いリクエストだろう。 ここは一つ彼女の期待に応えようと、真剣な表情で腰を落して狙いを定める。
「よし、これにしよう」
手を伸ばしたフックが狙ったのは、透明な水風船に、白、ピンク、水色の螺旋模様がペイントされた物だった。
「よ、っと」
「あ、すごいっ」
狙い通りすくって見せると、小さく手を叩いて賞賛してくれる夕弦に頭を搔く。
「はは、これは子供でも取れるようなものだから」
照れ臭そうに言った後、新は取った水風船を差し出し、
「夕弦さんに似合う色だと思ったんだけど、どうかな……」
「っ……」
切れ長な瞳を大きく見開いた夕弦は、どんなに大人びて見えようと、初恋を叶えたばかりの
「あ、ありがとうございます……きっと、一生大事にします……!」
「そっ、そんな大袈裟な物じゃないよ!? こんなの、すぐに萎んじゃうし……」
あまりに大仰な反応に慌てるが、喜んでもらえたのが分かり満更でもない顔をする。 初々しい恋人は、二人して顔を赤くしてまた歩き始める。
そんな二人を見つめる視線が
一つは未だ尾行継続中の俊哉、そして、もう一つは―――
「……似ているな。 まるで、あの日の
平凡美術部の俺が描く恋模様。 なかの豹吏 @jack622
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