親友の笑顔

 


 みやびを抱きかかえたまま、新はインターホンの前で応答を待つ。



「……誰もいないよ、出掛けてるから……」


「ええっ? はぁ……―――よっ……と」


 何とか玄関扉を開け中に入ると、とりあえず上がり框に座りみやびを寝かせ、サンダルを脱がせる。


「救急車呼ぶ?」


「大袈裟だよ、少し休めば平気」


「じゃあとりあえず水分だよねっ」


 急いでキッチンに向かいコップに水を入れて戻り、ぐったりとしているみやびの上半身を起こす。


「飲める?」


「んー、無理」


 連城みやびには珍しい『無理』だったが、これを聴けるのも新ならではなのか。 本人はそう感じていないのだろうが。


 コップを口元に持っていき半分程を飲ませた後、


「リビング……」


 と呟いた新に、


「ベッド」


 とみやびが被せる。

 新はやれやれと小さく溜め息を吐き、みやびをまた抱え立ち上がった。


「……わかったよ」


 腕力に関しては間違いなく平均以下の少年は、それでも問題無く持てるスタイルの美少女を抱え階段を昇る。



「煩わしそうな顔して」

「そんな訳ないだろ、怒るぞ」


「怒る? 新じゃなかったら、大喜びだよ?」

「だろーね」



 新とみやび。

 幼馴染の二人の、二人きりの時にしかしないだろう会話だ。



「普通、こういう偶然で惹かれ合うんじゃない?」



 みやびは弱った表情に悪戯な笑みを混ぜる。

 新はそれに、何の意識もせず応えた。



「あのね、偶然じゃないから。 俺じゃなかったらみやびは倒れてないよ」



 確信の表情で、何も考えずにそう言った新にみやびは心臓を掴まれた気がした。



「なんで……」



 そう言える唯一の存在だと解っているのに、何故自分が告白するまで気付いてくれなかったのか。 足踏みしていた自らも苛立たしいが、特別な存在だと解っていて、それを恋愛感情では無いと仕舞い込んだ鈍感をこの時は憎んだ。


 みやびだって何もしてこなかった訳ではない。 新に格差意識が無ければ、気付いていた筈の行動をしてきたのだ。



「………だから、あらたなんだよ……?」


「えっ、なに?」



 だが、その格差を生んだ責任は自分にある。 憎む程に愛するその人に、みやびの声はまた届かない。



「……階段、終わらなければいいのに……」


「俺の体力が終わっちゃうよ……!」



 余計な事だけ聞く耳を睨むみやび。



「お姫様は、塔のてっぺんに居るものでしょ?」


「生憎、俺の役は村人なんで……ねっ!」



 言いながらベッドに寝かせると、新は大きく深呼吸をして背中を向けた。


「帰っちゃうの?」


 みやびにこれを言われて帰れる男が何人いるだろうか。


「水取ってくる、ちゃんと寝てなよ」


 安堵した表情のみやびは、ほんの少し時間が延びた。 それだけで嬉しかった。



 戻って来た新はまたみやびに水を飲ませ、それから不思議な事を言い出す。


「みやび、口開けて」


 そう言った手に持っている容器を見て、みやびは呆れた顔をしている。


「……ねえ、あんまりじゃない?」


「熱中症には塩分が必要って聞いたことがある」



「それを、口を開けた私に振りかける……の?」


「ダメ? ――あっ、水に溶かせばいいのか!」


 そうかも知れないが、塩水を飲まされるのは寧ろ喉が渇きそうだ。


「……水でいいです」

「そ、そう?」


 白けた目に塩を置く新。



 塩問題が収束した後、みやびはゆっくりと息を吐き、瞳を伏せた。



「ごめんね、迷惑かけて」

「……いいよ」


「彼女に会いに行くところだったんでしょ?」



「――ッ……」



 言葉の出ない新を見て、相変わらずの幼馴染にみやびは苦笑いをする。 そして、間を取っても返事が出て来ない新に―――



「連城みやび、なめんなよ」



 そんな事はお見通しだ、と睨み付けた。



「なんで……」


「すぐ顔に出るから、新」



 少し成長した筈の少年は、まだまだ未熟な己を再認識させられる。 苦い顔をしている新に、みやびは目を合わせず、感情を殺した声を聴かせる。



「ごめんね。 良かったねって、言えなくて」


「………」



「まだ、新が好きだから」



 謝っていて、謝っている声に聴こえない。

 好意を伝えていて、想いを込められない。




 まるでそう―――― “説明” のようだ。




「桜庭くんがね、きっと次で負けるから、受験勉強の息抜きに、試合観に来ないかって」


「……そっか」


「新も、誘ってみてって」



 それは、以前のように協力出来ない臣の、最後となる助力なのかも知れない。 少なくともみやびはそう理解していた。



「それだけ、付き合ってくれる?」



 まるで病に冒された薄幸の少女。 その最後の願いのような場面だが、みやびの身体はすぐに復調するだろう。 だが健康で美しく、叶わない恋にこれから長く苦しむ姿もまた痛々しい。



「うん、わかった」



 新にとって数少ない、腹を割って話した友達だ。 断る理由は無い。



「良かった」



 約束を手に入れたみやびは微笑んだ。 それが先のある事では無くても。


「もう平気だから、行っていいよ?」


「でも、誰もいないんでしょ?」


 体調が急変するとは思わないが、一人にするのも心配だし心細いだろう。 気遣う新にみやびは、


「私が彼女だったら、気のある女の子の部屋に彼氏がいたら嫌だけど」


「そ、そりゃそうだけど、具合が悪いのに放って置くなんて……みやびは俺の……」


「……俺の?」



 考え込む新は、「ん~」と腕組みをして呻き、



「―――親友、だから」



 捻り出した答えに、幼馴染の親友は頬を膨らませている。



「じゃあ親友の新くん、友情を深めようか」



 両手を広げてベッドに誘ってくる姿に呆れる新。



「……お前、もう元気そうだな……」


「そう見せてるの、健気だから」



 冗談めかして笑うその笑顔は、決して夕弦に劣るものでは無い。 それでも目の前に居る想い人には、大事な “親友の笑顔” に映ってしまうのだろう。



 みやびもそう新を見れるようになるのは、凪に言ったように、彼女がこの恋を終わらせてからだ。


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