ひび割れた器

 


 これから夏本番だと言うのに、少年は秋を飛び越え、既に心には冬の木枯らしが吹いていた。


「じゃ、俺はこれで」


「えっ」


 消沈する抜け殻に構う事なく立ち上がった俊哉を見上げ、先輩風を吹かせて説得する筈だった男は縋り付く。


「ま、待ってくれ……! 俺は、どうしたら……」


「先輩、それをアドバイスして俺に何の得があるんですか?」


「うっ……」



 ――― “誰かを好きになる” 。



 そのアドバイスをして、もし新が好きになったのが凪だったなら、俊哉はただ自分の首を絞めた事になる。


「部活には行きますよ。 先輩がその調子なら、俺にもまだチャンスはありますからね」


 このままならそれで好都合だと捨て台詞を残し、俊哉は公園を後にした。



 その後ろ姿を電柱に隠れて見送る凪は、


( 萩元くん、部活来るんだ。 チャンスってなんだろ……? )


 新から俊哉が好きなのは自分だと言われていたが、本人からは何も言われていないので自覚が薄いようだ。



 そして、一人ベンチに残された新は、



「………萩元を部活に戻す……のは、成功したのか………」


 説得が成功した訳ではないが、結果目的は達成されたと力無く呟く。


( 萩元が言ってたのはつまり、会いたいとか、ヤキモチ妬いたりするのが……… “好き” 、ってことか? )


 僅かなヒントから答えを紐解こうとするが、


( いや、きっとそれだけじゃないんだろうな……。 いつか、俺にもわかる時が来るんだろうか…… )


 そう単純なものではない筈だと、半ば諦めたように目を瞑る。



「……帰ろ」



 やっと腰を上げた新は、哀愁漂う背中を丸めて自宅へと歩き始めた。



( ……あらたくん、元気無いな…… )


 その背中に声を掛けたい凪を躊躇させる、生気の無い後ろ姿。


( 今がチャンスなんだから、い、行かなきゃ……! )


 みやびが振られたとほぼ確信しているのは凪だけだ。 その唯一の存在が、この機を逃すものかと追いかける。


「あ、あら――」


「はああぁぁぁ………」



「っ……」



 勇気の行動を搔き消す大きな溜息。



 結局、凪は声を掛けられなかった―――。




 ◆




「ただいま……」


 自宅に着いた新はリビングには行かず、まっすぐ自室に向かい階段を上がる。


「おかえりー。 あっ、新」


「……なに?」


 帰りを気付かれた新が面倒そうな顔で足を止め、素っ気無い返事をすると、


「週末うちで連城さん家とご飯だからねー」


 日常的にある事だとわかる口調で母が伝えてくる。



「………わかった」



 親同士も仲の良い間宮家と連城家は、不定期だが大体二ヶ月に一度は食事会をする。 それが今回は偶々今週末になったようだ。




 ◆




 その夜、夕飯を終え入浴を済ませた新は、見えない幼馴染の部屋に視線を向け、「大丈夫……だよな……」と確認するように呟く。


 みやびの告白により二人の関係性が変わって、それを断る形で終わった二人。


 あれからそう日は経ってない。

 そして、あの日から二人は会話をしていないのだ。


 そのみやびと両親達の前で会って、果たして今まで通りに過ごせるのか。

 関係性が壊れるのを恐れただけではないが、それもみやびの気持ちを受け入れなかった理由の一つではある。


 最近のみやびを気に掛けていた事もあり、事前に週末の食事会の話をした方が良いのでは、そう思った新は携帯を手にした。



「…………出ないな」



 やはり出にくいのか。

 繋がらない画面の赤い受話器を押し、小さく溜息を吐いてベッドに転がる。



 それから三十分程が経ち、人気投稿者の動画を見ていた画面が切り替わる。



「………もしもし」


『あ、ごめんっ、お風呂入ってた』


 久し振りに聴いた声に安堵感を覚える。

 こんなに何日も連絡すら取り合わなかった事はなかったからだろう。


「ああ、いいよ」


 思いの外明るい声だったのも有り難かった。 お陰で新も話しやすくなったようだ。


『どうしたの?』


「週末の話、聞いた?」


『うん。 今回は新のお家だってね』


 その先、いくら元気そうでも、やはり探るような声になってしまうのは仕方ない。


「………大丈夫、か?」


 鋭いみやびの事、当然その意味は理解している。


『大丈夫だよ。 新が言ったように、私も今まで通りしたいから』


 気丈に応えるみやびだが、勿論理想の形は違った筈だ。


「……そっか。 あと、その……言ってないのか? 学校で……」


 言葉足らずな言い方だが、これも彼女には十分だった。


『うん。 私からは言わないよ。 森永くんのファン達に新が恨まれるだろうし、男子からも………ね』


「そ、そうか」


 新よりもそう言う所は熟知している。

 折角いなくなった泰樹の隣を解放すれば女子達から、憧れの連城みやびを振ったとなれば、冴えないアイツは何様だと男子から挟まれる。


 その脅威を感じ、汗を滲ませる新。


『でも、あとは………悪足掻き、かな』


「え……? なにそれ?」


 電話越しに、微かに聴こえた笑い声の後、


『まだフラれてないよって、ライバル達に牽制してるの』


「っ……」


 戯けて話すその声が、新の胸を締め付ける。


『電話ありがと。 大丈夫だよ、これからも仲良くしてね』


 それを弛めるように、優しく会話を終えようとするみやび。


「……うん」


『じゃあ、週末ね』


「うん、週末」



 久し振りの会話は、週末に会う緊張を和らげてくれた。


 だが、新の心に残ったのは―――



「こんなの――― “俺達” じゃない、な……」



 どうしても元には戻らない、隙間から零れるひび割れたガラスの器のような関係。


 それも、いつか時間が修復してくれるのか。


 そんな事を思いながら、新は天井を見上げる。

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